芽生のこと 2
「芽生ちゃんの件、もう警察が動いている」
落ちていた芽生の帽子に血がついているのを確認した直後に、警察に通報してあるのだそうだ。
身代金目的の誘拐の可能性もあるので、まだ報道は自粛してもらっているらしい。
客観的に見たら、芽生は地域社会を支える大きな総合病院の経営者一族の娘で、しかも父親は有名漫画家だ。
確かにお金絡みである可能性は高い。
「犯人から連絡は?」
「ないそうだ。……いっそ金目当てであってほしいと孝俊さんは言っていたが……」
「……」
芽生の誘拐が金目当てでない場合のことを考えかけた都子は、そこで自分の思考がストップしてしまうのを感じた。
(これ以上、考えたら駄目)
考えてしまったら、ここからもう一歩も動けなくなってしまう。
だから都子は思考を閉じた。
「それで孝俊さんからのお願いなんだが、都子は芽生ちゃんのスマホに入ってる連絡先をどれぐらい把握してる?」
「友達関係なら全部わかってるわ」
「そうか、よかった。その友達に連絡してくれないか?」
犯人の目的が身代金以外だった場合、芽生のスマホから芽生のふりをして連絡を取ってくる可能性がある。
芽生自身が救いを求めてくる可能性だってゼロじゃない。
「連絡があったら、返事をする前に孝俊さんか警察に連絡して欲しいそうだ。みんなに伝えてくれるか? ああ、もちろん行方不明の件を口外しないよう頼んでくれ」
「わかった」
都子はトークアプリで皆をグループ通話に誘った。
そして、落ち着いて聞いてねと前置きしてから、芽生が行方不明になったことを告げる。
『どういうことよ‼』
『……そんな』
『夕方まで連絡ついていたわよ?』
「その直後に攫われたらしいの」
『もう! 間抜けなんだからっ』
『警察には?』
「通報済みだって」
『芽生ちゃん、怖い目に遭ってないといいけど……』
『止めて!』
不安そうな杏の声を、美結が強く遮る。
『GPSは? 芽生ちゃんの親、過保護そうだしスマホに仕込んでないの?』
「ないみたい」
冷静な咲希に答えた後で、孝俊からのお願いを伝えると皆は頷いてくれた。
「それでね、私九州に行こうと思うの」
『マジで⁉』
「うん。ちょうど芽生ちゃんが行方不明になった頃から、ぴーちゃんが大暴れしちゃってるの。私じゃ抑えられないし、このままじゃ暴れてるうちに怪我しそうだから、おじさん達のところに連れて行ってあげようと思って……。だから三連休が明けても、たぶん学校には行けないわ」
『そう。ぴーちゃん、なにか感じてるのかな』
『飛行機で行くの?』
「新幹線よ。芽生ちゃんのお父さんが、ぴーちゃんを飛行機に乗せたくないって言うから」
『チケットはもう買った?』
「まだ。さっき連絡があったばかりだから」
『それなら私が買っといてあげる。旅行の支度もこれからなんでしょう? ちょっとでも早く支度を終えて休めるようにしないと。一番早く向こうにつける方法を探しといてあげるから、最終目的地の駅名だけ教えて』
咲希の申し出は正直有り難かった。
明日の早朝、見送りがてらチケットの受け渡しに東京駅にいくと言う咲希に礼を言って通話を切る。
「じゃあ、向こうの家に荷物を取りに行ってくるね」
「俺も行く」
「すぐそこなんだからひとりで平気よ?」
「いや、駄目だ。夜にひとりで出歩くな」
芽生が行方不明になったと聞いて過敏になっているのだろう。少しくすぐったい気分でわかったと頷くと、足元にすりっとぴーちゃんがすり寄ってきた。
「ぴーちゃんも向こうの家に行きたいの?」
「にゃ」
「荷物取ってくるだけよ? すぐにこっちの家に戻ってくるのよ?」
「にゃ」
ぴーちゃんはわかってるわよと鳴いて、自分からキャリーケースに入ってしまう。
「しょうがないわね」
「俺が運ぶよ」
キャリーケースを持った父と共に、芽生のマンションに向かった。
合い鍵で玄関の鍵を開け、ドアを開こうとするとドアストッパーがかかっていて途中で止まる。
少し開いた扉の隙間から明かりが見えた。
誰かが家の中にいるのだ。
「芽生ちゃんっ⁉ 帰ってるの? 私よ! 都子!」
思わずバンバンとドアを叩いたら、家の中から人が出てきた。
「ひっ⁉」
出てきたのは体格の良い強面の中年男性。
もしかして犯人かと怯えた都子に、中年男性は慌てて警察手帳を開いて見せた。
「刑事さん?」
「そうです。万が一、こちらの家に連絡が入ったときのために待機していました。――都子さんとおっしゃいましたね? ずっとこちらの一家と同居していたお嬢さんですか?」
「そうです。あ、こちらは私の父です」
父と刑事の挨拶が済んだ後、家の中に入ると、中にはもうひとりの刑事と孝俊のアシスタントである和也がいた。
「和也さんもここで待機してたの?」
「うん。界太先生に頼まれてね。都子ちゃんはどうして?」
「私は……あ、そうだ。ぴーちゃん」
説明する前に父からキャリーバッグを受け取って蓋を開けた。
「にゃ」
ぴーちゃんは小さく鳴くと、ダッシュで家の奥に消えていく。
たぶん芽生の部屋に行ったんだろうと都子は思った。
そこにはいないと分かっていても、どうしても確認せずにはいられないのだろう。
「ぴーちゃんを九州に連れて行こうと思ってるの」
芽生が誘拐された頃から暴れはじめたことを教えると、和也は「そうか」と少し肩を落とした。
「ぴーちゃんも心配なんだな」
もさもさの前髪が目を隠していて表情は分かりにくいが、心配してくれているのはその口調から感じられた。
(芽生ちゃん、和也さんも心配してくれてるわ)
早く帰ってきてと、都子は心の中で祈った。
祈ることしかできないことが歯痒くてしかたない。
納戸に行って、ぴーちゃんグッズが置いてある棚を漁る。
薄桃色のハーネスとまだ封を開けていないエサ、ペットシートとポータブルトイレ、全部袋に詰めた。それから自分の部屋に行って、着替えを何枚か袋に詰めてから芽生の部屋に向かう。
「ぴーちゃん、向こうの家に戻るよ」
ドアを開け明かりをつけないまま声をかけると、ベッドの枕のあたりでぴーちゃんの目がぴかぴか光って見えた。
たぶん、いつも猫ベッドを置いてある場所にいるんだろう。
「……ぴーちゃん、一緒に芽生ちゃんを迎えに行こう」
もう一度声をかけると、しばらくしてから溜め息のような音が聞こえて、ぴーちゃんがこっちにやってきた。
「にゃ」
すりっと都子の足にすり寄ってから、とととっと先にリビングに行くと、やっぱり自分からキャリーケースの中に入っていった。
それを見た刑事が、「賢い猫ちゃんだ」と感心している。
(芽生ちゃんがここにいたら、きっと鼻高々でしょうね)
まあねと、得意気に胸を張る可愛い姿が脳裏に浮かぶ。
口を開くと泣きそうで、都子は黙ったまま和也と刑事達に頭を下げて、マンションを後にした。
ほとんど眠れないまま夜が明け、父の車で東京駅に向かった。
さっそく咲希との待ち合わせの場所に向かうと、他のふたりも見送りにきてくれていた。
「みんな、おはよう。――父よ」
「おはよう。朝早くから来てくれてありがとう」
「おはようございます」
ひとしきり挨拶を終えてから、さっそく咲希が発券してくれていたチケットを受け取った。
「幾らだった?」
お金を払おうとしたら、「パパが払うよ」とさっと父が払ってくれた。
高校進学と同時に東京でひとり暮らしをするようにと祖母に命じられてから、都子は渡された生活費をずっと切り詰めて貯金していた。いつか逃げ出す時に絶対お金が必要だと思っていたからだ。
だが思いがけず芽生の協力ですんなり父と一緒に暮らせる段取りがついた為に、その時貯めたお金は手つかずで残っている。
だから都子は、今回の九州行きにそのお金を使おうと思っていたのだが父に止められた。
「もっと甘えて欲しい」
父はそう言うが、小さな頃から病んだ母親に支配されていた都子には、そもそもその甘え方がよくわからない。
ここ最近、芽生達親子のやり取りを見て少し学んではいるのだが、自分がそれをする勇気がない。
(……芽生ちゃんがいてくれれば)
都子が不安になると、芽生はいつもきゅっと手を繋いでくれた。
大丈夫だよと笑って背中を押してくれた。
ひとりだと、歩み寄るための一歩がうまく踏み出せない。
今の都子にできるのは、他人行儀に聞こえませんようにと祈りながら、ありがとうとお礼を言うことだけだ。
「新幹線の座席は最後尾にしておいたわ。座席の後ろに荷物を置くスペースがあるから利用してね。新幹線と在来線、あと向こうに着いてからはタクシーね。芽生ちゃんの叔父さんの家に到着すると二時ぐらいになってると思う」
「ありがとう、咲希」
「そんなに座りっぱなしじゃ腰痛くなりそう」
チケットと共に手書きのメモを渡してくれた咲希にお礼を言ってると、美結が脇から口を挟んできた。
「平気よ。我慢できるわ」
「あたしが平気じゃないのよ」
ふんと鼻を鳴らした美結の足元には、ど派手なピンクのキャリーバッグが置かれてあった。
「……まさか一緒に行く気?」
「まあね」
「遊びに行くんじゃないのよ」
「そんなことわかってるわよ」
「学校だってあるし」
「休むから平気。ちゃんと親にも言ってあるし」
美結は堂々とした態度で言った。
「本当なの?」
不安になった都子が咲希と杏に聞くと、ふたりとも真剣な顔で頷いた。
「本当は私達も行きたいんだけど、さすがにそういうわけにはいかないから……。芽生ちゃんのお父さんにはもうひとり行くって伝えてあるの」
孝俊はむしろひとり増えたことを歓迎してくれたそうだ。
芽生のことがあったから、都子がひとりで移動することに少し不安を感じていたらしい。
「ぴーちゃんの為の荷物も多いんでしょう? 美結のことは荷物持ちだとでも思って」
「きっと向こうもパニックだろうから、ひとりだと心細い思いをすると思うの。こう見えて美結は、大人が相手だとちゃんと猫を被るから迷惑にならないわ」
「こう見えてって、杏、酷い」
「ごめんごめん。――美結のご両親もちゃんと納得して送り出してくれてるから大丈夫よ」
「そう?」
「そうよ。――で、この中に猫が入ってるの?」
みんな一斉にしゃがみ込んで、都子が足元に置いていたキャリーケースを興味津々で見ている。
中にいるぴーちゃんは、まったく動じずに逆に観察するようにみんなを見つめ返していた。
「芽生ちゃんの絵のままね」
「小さくて可愛いわ」
「ピンクのハーネスが似合ってる。ねえ、ハーネスがあるなら外に出してもいいんじゃない?」
美結がとんでもないことを言い出してキャリーケースの蓋に手をかける。都子は慌ててその手を止めた。
「駄目よ。こんな人混み、なにがあるかわからないでしょ。ね、ぴーちゃん」
「にゃ」
「返事した!」
「賢いわねぇ」
「ぴーちゃんは芽生ちゃんのお姉ちゃんだからね」
「にゃ」
「妹じゃなくてお姉ちゃんなの?」
「本人がそう言ってたわ」
「末っ子気質か」
「どこまでも甘ったれよねぇ。今ごろ心細くて泣いてるかも……。はやく見つけて連れ帰ってあげなきゃね、――さ、芽生を迎えに行くよ」
美結が勢いよく立ち上がる。
高校生の女の子ふたりが行ったところで、できることなんてなにもない。むしろ邪魔になるだけだろう。
そんなこと美結だって分かってるはずだ。
それでも堂々と迎えに行くと宣言できる図太さが都子は少し羨ましくて、同時に心強い。
「そうね。……ぴーちゃん、芽生ちゃんを迎えに行こう」
「にゃ」
行こう、とぴーちゃんが鳴く。
都子はぴーちゃんの入ったキャリーケースを手に立ち上がった。
読んでいただきありがとうございます。
次話は、不安と到着。




