芽生のこと 1
急いで部屋を出てドアを閉める。
と同時に、どんと内側からドアを叩かれるような音がした。
「ああ、もう……。このままじゃ怪我しちゃう。お願いぴーちゃん。芽生ちゃんが悲しむから大人しくしてて」
都子は自室の前で、泣きたい気持ちでドア越しにぴーちゃんに懇願する。
だが願いむなしく、またしてもぴーちゃんがドアに体当たりする、どんという音が響いた。
芽生達一家の帰省と同時に、都子とぴーちゃんは一時的に父の家で暮らしている。
最初のうちは良かったのだ。
ぴーちゃんはとても頭のいい猫で、環境が変わっても怯えたりせず、食事量も減る事はなかった。
父ともすっかり仲良くなって、猫じゃらしできゃっきゃと遊んだりしていた。
それなのに、今日の夕方ぐらいから急に様子が変わった。
なぜかそわそわしだしだして、隙を見ては家から逃げだそうとする。
ぴーちゃんが家から逃げ出して行方不明になったりしたら芽生が悲しむし、都子だって嫌だ。
キャリーに押し込めるよりはマシだろうと、仕方なく絶対に逃げられないよう都子の部屋に閉じ込めたのだが、今度はドアに体当たりしてここを開けろと大暴れする始末。
怪我をしないようドアの内側に四つ折りにしたプチプチ――梱包材を貼り付けてクッション代わりにしてみたのだが、効果があるかどうか……。
(……どうしよう)
すっかり困ってしまった都子がスマホ画面を眺めていると、「芽生ちゃんから連絡入ったのか?」と父に声をかけられた。
「ううん。……たぶん、お出かけしてるんだと思う」
ぴーちゃんにどう対処したらいいのかわからず、芽生にトークアプリで連絡してみたのだが、まだ返事が来ない。
両親の教育なのだろう。芽生は人といるときはスマホを滅多に弄らない。
今日は親戚一家と食事だと言っていたから、マナーモードにしたままバッグに仕舞いっぱなしでいるのかもしれない。
「ぴーちゃんはまだ荒ぶってるのか」
「うん。こんなこと初めてでどうしたらいいのか……。やっぱり家が恋しくなったのかしら」
もしそうなら、一日早いがぴーちゃんと一緒に芽生の家に戻ろうと思うと都子が言うと、父はあからさまにしょんぼりした。
「明日の夕方まで一緒にいられると思ってたんだがな」
アンティークの家具を扱うショップに勤めている父は、休日が一般とは少しずれている。
だから今日も一緒に過ごすために、わざわざ都子の三連休にあわせて無理に休暇を取ってくれていたのだ。
まだ連休二日目。休みは一日残っている。
「う~ん。じゃあおじさんに頼んで、パパも向こうの家に一晩だけ泊まる?」
「いや~。さすがに家主のいない家に俺が泊まるわけにはいかないだろう」
とりあえず判断は芽生の返事待ちにして、荒ぶっていたぴーちゃんも休憩に入ったようなので、まずは夕食にすることにした。
今日は父のリクエストで角煮を仕込んである。これをメインに、後は父と一緒にサラダや味噌汁等を作る。
都子は小さな頃から病んだ母親の支配下にあったから、父とふたりきりでこんな風に長く一緒の時間を過ごすのははじめてだ。
ずっと父と一緒に暮らしたいと切望していたが、それでもやはりはじめてのことだけに上手くやれるかと少しばかり不安もあった。
父も同じだったようで、お互いぎこちなくはじめたふたり暮らしは、ぴーちゃんという緩衝材のお陰か順調にいっていた。
これなら本格的にこちらに引っ越してきても、きっとうまくやれるだろう。
(芽生ちゃんと離れちゃうのは少し寂しいけど……)
芽生も同じ気持ちらしく、父との同居の話をすると途端に挙動不審になる。
それがなんだか嬉しくて、わざと父の話をしてはその反応をこっそり楽しんでいたのは芽生には内緒だ。
「さて、食べるか」
「うん」
いただきます、とちゃんと手を合わせてから箸を手に取る。
これは芽生の家で暮らすようになってからの習慣だ。
「おお、これも美味いな」
「でしょう? 夕香さんのレシピって、どれも本当に美味しいの。あ、辛子使ってみて」
ずっと離れて暮らしていたから、会話の内容もどうしても芽生達一家のことになりがちだ。
一緒に暮らすようになれば、自然と話題の種類も増えていくだろう。
それが今からとても楽しみだった。
その電話がかかってきたのは、夕食を終えてデザートに父が買ってきてくれたマカロンを食べていた時だった。
スマホに表示されているのは、芽生の父、孝俊の名前だ。
「芽生ちゃんじゃなく、おじさんからだ」
もしかして、芽生がスマホを落とすか壊すかしたのだろうか?
(芽生ちゃん、ちょっとそそっかしいから……)
都子はそんなことを考えながら、スマホを手に取り耳に当てた。
「はい。都子です」
『都子ちゃん。俺だ。芽生からそっちに連絡は行ってないか?』
「え? ないですけど……」
むしろこちらが連絡を待ってるところだと告げると、孝俊が喉の奥で唸るような音を出した。
「おじさん?」
『ああ、ごめん。……都子ちゃん、落ち着いて聞いて欲しいんだが……』
孝俊は、気持ちを落ち着けるためか、一拍置いてから話しはじめる。
聞かされた話は、とてもじゃないが都子には受け入れがたい話だった。
「芽生ちゃんが……行方不明?」
身体の力が勝手に抜けて、都子は椅子からずるっと滑り落ちた。
「都子! 大丈夫か?」
父が心配して抱き起こしてくれたが、お礼を言う余裕なんてない。
「いついなくなったんです⁉」
『今日の夕方だ。散歩に行くと行って家を出たんだが、それっきり戻ってこなかった』
「夕方……それなら、ちょうど写真をアップしてた頃ですね」
芽生がトークアプリに近所の写真をアップしていたことを告げると、そのデータを送るようにと孝俊に頼まれた。
『間違いない。ちょうどこのあたりで芽生の帽子が見つかったんだ』
データを見て孝俊が断言する。
帽子に血がついていたと知らされて、力が抜けてスマホを持っていることさえできなくなった。
「……代わる」
床に落としたスマホを父が取り耳に当てた。
都子はいつの間にかこぼれ落ちていた涙を指先でぬぐった。
(芽生ちゃん……どうして……)
ここ数ヶ月いつも一緒だった。離れた途端、こんなことになるなんて……。
芽生が手を差し伸べてくれなければ、今ごろ都子は無事では済まなかった。
間違いなく高校を辞めさせられていただろうし、無理矢理あの中年男の元に人身御供として差し出されていたはずだ。
(芽生ちゃんはずっと私を助けてくれてたのに……)
今すぐ芽生の近くに、九州に行きたい。
だが自分が行ったところで邪魔になるだけだと分かってる。
芽生を溺愛している両親が今どれほど心を痛めているかもわかっているから、我が儘を言って困らせることもできなかった。
「都子、大丈夫か? 一応、向こうの状況は都子の代わりに俺が聞いておいた。なにか孝俊さんに話しておきたいことはあるか?」
「……あっ! あるわ! パパ、代わって」
都子は父の手からスマホを受け取ると、急いで言った。
「おじさん、城崎さんは⁉ 城崎さんなら、芽生ちゃんになにがあったかわかるんじゃないですか?」
城崎はサイコメトリーのような力の持ち主だ。
芽生がいなくなった場所の残留思念を読むことができれば、そこでなにがあったかある程度わかるんじゃないだろうか。
『それが、城崎くんは今日本にいないんだ』
孝俊も同じことを考えて、真っ先に城崎に連絡を取ったのだそうだ。
だがなぜか電話は通じず、それならばと茜にかけても同じだった。仕方なく共通の知人である神主の山内に連絡を取ったら、ふたりは台湾に行っていると教えてくれたのだとか。
『向こうの事故物件の調査に行ってるんだそうだ』
「いつもいつもタイミングが悪過ぎです!」
『だな』
以前も城崎の助言を求めた時、事故物件に泊まり込んでいて連絡が取れないことがあった。なぜか、そういう場所では電波障害が起きることが多いらしい。
『とにかく、そういうことでそっちにいつ戻れるかわからない。そのままお父さんと暮らしていてくれ。ぴーちゃんのことも頼むな』
「あ、そうだ。ぴーちゃんなんですが、夕方ぐらいから様子が変で……」
どう対処したらいいかと聞きかけて、ふと気づく。
(おかしくなったのは夕方から……。ってことは、もしかして芽生ちゃんになにかがあったことに気づいてた?)
一緒に暮らしていたから、ぴーちゃんが不思議な猫だってことはわかってる。
普段のぴーちゃんは芽生に塩対応をしているが、それでも芽生が一番好きなんだってこともわかっていた。
『ぴーちゃんがどうかしたのか?』
「それが、夕方ぐらいから外に出ようと暴れるようになって、逃げられないよう私の部屋に閉じ込めてるんです。今から思うと、もしかしたら芽生ちゃんになにかあったってことに気づいてるんじゃないかと思って……」
『……ありうるな。ぴーちゃんに芽生を探せるかどうか、聞いてみてくれないか?』
「わかりました」
いったん通話を切り、ぴーちゃんの所に行こうと立ち上がろうとしたが駄目だった。まだ身体に力が入らず立ち上がることすらできない。
仕方なく這って行こうとしたら、「都子はここにいろ」と父が代わりにぴーちゃんを迎えに行ってくれた。
やがて戻ってきた父は、逃げようとぴちぴち暴れているぴーちゃんを両腕でしっかり抱き締めていた。
「ぴーちゃん、芽生ちゃんがいなくなっちゃったの」
「にゃ」
暴れるぴーちゃんに目線を合わせて真剣に話しかけると、ぴーちゃんは知ってるわと返事をするように小さく鳴いた。
「芽生ちゃんを探すことってできる?」
「……なーお」
ぴーちゃんは、途方に暮れたように鳴いた。
そしてまた暴れ出す。
「ちょっ、こらぴーちゃん。大人しくしてくれ」
父がぴちぴち暴れるぴーちゃんに引っ掻かれて痛そうに顔を顰める。
(……私と同じだ)
なにもできないかもしれない。
でも、せめて芽生の近くに行きたい。
じっとしてなんていられないのだ。
「わかった。ぴーちゃん、一緒に九州に行こう!」
都子はスマホを手に取ると、孝俊にまた連絡を取った。
「芽生ちゃん達が見てる光って、本人からどれぐらい離れられるものなんですか?」
『はっきりとは聞いたことはないな。……だが以前出掛けた先で、けっこう離れたところで観光していた芽生が、人混みの中で俺の光を目印に手を振って合図してくれたことがあった』
「それなら、ぴーちゃんも芽生ちゃんを探せるんじゃないですか?」
近くに行けば、ぴーちゃんなら芽生の光を見つけることができる。
光は壁をすり抜けると聞いたことがあるから、部屋の中にいても外から捜し当てることもできるだろう。
車で近所を走り回って、しらみつぶしに光を捜すことだって可能だ。
「私、ぴーちゃんをそっちに連れて行きます」
『いや、しかし……』
「ぴーちゃんも行きたいって暴れてるんです。ドアにどんどん体当たりしてるし、このままじゃ怪我しそうなんです。ご迷惑にならないようにしますから、お願いです。芽生ちゃんの側にいかせてください」
「なーお、なああぁーおぉー」
都子の話していることが分かるのか、ぴーちゃんも大声で鳴いている。
今まで聞いたことのないくぐもった悲しげな声に、都子の胸も痛む。
孝俊も同じ気持ちだったのだろう。
溜め息をつくと、「わかった。もしかしたら、なにかの役に立つかもしれないしね」と許可してくれた。
たぶん藁にもすがる気持ちなんだろうと思う。
そんな親心につけ込んでしまったみたいで、我が儘を言った自覚のある都子は少しだけ罪悪感を覚えた。
『ただし飛行機は駄目だ。猫は貨物扱いになるからね。それでぴーちゃんに万が一のことがあったら芽生が泣く』
「わかりました。新幹線を使います。自力で直接そちらに行くので私のことは気にせず、芽生ちゃんを捜してください」
芽生の叔父の家の住所や、ぴーちゃんの移動時の注意事項を聞いてから通話を切ると、父が少し困った顔でこちらを見ていた。
「パパ、ゴメンね。私、明日の始発で向こうに行く」
「一緒に行ってやりたいが、さすがにこれ以上は休めそうにない」
「わかってる。大丈夫よ。進学で東京に出てきた時もずっとひとりだったんだから。今回はぴーちゃんも一緒だから心細くないし。ね?」
「にゃ」
まかせてと鳴くぴーちゃんはもう暴れていなかった。
父の手からぴーちゃんを受け取って抱っこすると、ありがとうねと言わんばかりにざりっと顎を舐められた。ざらざらした舌が少し痛い。
「移動中は、ぴーちゃんにベストタイプのハーネスをつけるようにって言われてるの。それからペットシーツとエサも大目に持っていかないと……。向こうの家に取りに行ってくるわね」
都子はぴーちゃんを抱っこしたまま、すっくと自力で立ち上がった。
さっきまでまったく力が入らなかったのが嘘みたいだ。
芽生の側に行ける。それだけで力が湧いてくる。
「待て、その前にやることがある。さっき孝俊さんから頼み事をされたんだ」
父に引き止められた都子は、渋々話を聞くべく椅子に座りなおした。
読んでいただきありがとうございます。
次話は、準備と付き添い。
こちらの話はやっと最後の山を登りはじめたところですが、もうひとつの連載、「真夜中の祠」は連載終了しています。
読んでみてもらえると嬉しいです。よろしくお願いします。




