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帰省のこと 3

 金曜日、学校が終わるとすぐに家に帰って急いで着替えた。

 ハーフ丈のジーンズにシンプルなTシャツ、飛行機の冷房対策にお気に入りの水玉の長袖シャツを腰に巻いて完成だ。

 部屋の窓の鍵を確認してから、最後に枕元に置いてあったぴーちゃんの猫ベッドを手に部屋を出る。


「おう、芽生準備できたか?」

「うん。できた。――都子ちゃん、これも持っていって欲しいんだけど、持てる?」

「愛用の猫ベッドね。袋に入れてもらえると助かるかな」

「わかった」


 都子ちゃんの足元にはぴーちゃん用のキャリーケース。わが家が帰省している間、ぴーちゃんは都子ちゃんと一緒に、都子ちゃんの父親である孝おじさんの家でお世話になるのだ。すでに向こうの家にはぴーちゃんのトイレやご飯も運び込んである。

 私は大きめの袋に猫ベッドを入れて都子ちゃんに渡した。


「都子ちゃん、ぴーちゃんのことよろしくね」

「まかせて」

「ぴーちゃんも都子ちゃんのことよろしくね」

「にゃ」


 まかせなさいと小さく鳴いたぴーちゃんは、私の足にすりっとすり寄ってから、自分でキャリーケースの中に入っていった。さすがだ。


「ここ何ヶ月か、ずっと都子ちゃんと一緒だったから離れるのが変な感じ」


 私が言うと、都子ちゃんもほんとねと頷いた。

 苺ちゃん達は名残惜しげに、私の髪や肩にぺとっとくっついてくる。


「移動中もちょくちょくトークアプリで呟くから」

「向こうの写真もよろしく」

「うん」

「よし、じゃあ出発するか。戸締まりは?」

「完璧よ」


 私達一家三人の荷物は、女神と天使に重い物は持たせたくないという父の意向で、特大のキャリーケースにまとめてある。

 漫画家なんだから手を大事にするためにも重い荷物は持たないほうがいいのではと意見してみたのだが、左手で持つから大丈夫だと言われた。

 まあ、キャリーで転がしてる間は負担にならないだろうし、持ちあげる必要がある時はなるべくサポートしようと思っている。


「行ってらっしゃい。頑張ってね」


 都子ちゃんに見送られて、車で一路空港へ。

 飛行機に二時間弱乗れば、そこはもう九州だ。ここからはレンタカーを借りて、次晴叔父さんの家まで移動することになっている。


「芽生ちゃん、夕ご飯なに食べたい?」

「ちゃんぽん!」

「よしきた」


 途中のサービスエリアでちゃんぽんとソフトクリームを食べて、少し休憩してからまた出発。

 順調に移動して、次晴叔父さんの家まであと少しというところで父に声をかけられた。


「芽生。もしお祖母ちゃんが澱みに覆われていて怖くなったら、遠慮なく俺の後ろに隠れていいからな」

「お母さんの後ろでもいいわよ」

「……うん。その時は頼るかも……。でも、まだ確定じゃないし……」

「そうだな。まずは会ってみての話だな」


 もしも祖母が澱みに覆われていても、逃げ出さずに応対することはできると思う。

 それでも、どうしても澱みには生理的嫌悪感を覚えてしまうから、きっと私は嫌な顔をしてしまうだろう。

 それぐらいだったら、最初からちょっと体調が悪い振りをして父母の影に隠れていたほうがいい。


 茜さん達は邪気という呼び方をしているけれど、私にとって澱みは有毒な汚染物質みたいなものだ。喩えるとしたら汚物か、核廃棄物か……。

 見えてしまえば、どうしても近寄りたくないと警戒してしまうし、逃げ出したくなってしまう。

 それをポーカーフェイスでやり過ごせる程、私は強くないし大人でもない。

 もしも祖母が澱みに覆われていたら、会話するとしてもきっと父を挟んでのことになるだろう。

 

 やがて父の運転する車が見覚えのある道路に入っていく。

 田舎ならではのゆったりとした作りの家々が並ぶ中、一際広い敷地を有する家が見えてきた。


「到着だ」


 私達が来ることが分かっていたからか、次晴叔父さんの家の門は開いていた。

 敷地内に入り、家の前の広いスペースに勝手に車を停めていると、灯りのついた玄関の扉が開かれるのが見えた。

 そこから現れた人を見た私は、車が停まると同時に外にピョンと跳びだしていた。


「お祖母ちゃん!」

「芽生ちゃん、よく来たねぇ。待ってたんだよ」


 私は祖母に駆け寄って、ぎゅうっと抱きついた。

 にこにこと嬉しそうに笑ってる祖母には、澱みなんて一欠片もくっついていない。その周囲には、以前見たのと同じ柔らかな藤色の光がくるくるっと楽しげに踊っている。

 生き霊にまとわりついていた澱みは、家の周辺に漂っていたものがくっついたものだったんだろう。

 とりあえず、これで一安心だ。


「少し背が伸びた?」

「ほんのちょっとね」


 去年会った時は目線が同じくらいだったが、今は私の方が少しだけ上のようだ。自分では余り大きくなったつもりはなかったが、背が伸びたことを実感してちょっと嬉しくなった。

 ……ってか、祖母が縮んだわけじゃないよね。


「もう高校生だもんねぇ。まあ、可愛くなって」

「ありがと」

「おっ、芽生ちゃん来たね」

「あ、次晴叔父さん。こんばんは! お世話になります」


 家の中から、次晴叔父さんが顔を出した。


「まかせとけ。――兄貴も夕香さんもいらっしゃい」

「おう。お邪魔するぞ」

「今晩は。お世話になります」


 大人達が挨拶をし合っているその後ろで、私は祖母に手を引かれて一足先に家の中にお邪魔した。


「お祖母ちゃんの部屋どこ?」

「今は小さいほうの客間を使わせてもらってるのよ」


 広い玄関ホールに入ると、家の奥のほうに養生シートで覆われている一画が見えた。


「あれ、どうしたの?」

「来週から増築するんですって。この家に、お祖父ちゃんが退院してこれるように」

「こっちの家で引き取ってくれるのか?」


 いつの間にか追いついてきた父が驚いて言った。


「いつまでも病院に置いとけないし、向こうの家に戻ったところで、おふくろひとりじゃ面倒見きれないからな」


 次晴叔父さんが言うには、祖父母が暮らせる別棟を、この奥に作る予定なのだそうだ。そこには車椅子でも使用できる広いトイレや介護用のお風呂なども設置するのだとか。


「だが大変だろう? 和代さんは良いって言ってくれてるのか?」

「そこは話し合い済みだ。それに和代の負担を軽くするために、うちの病院を定年で辞めた看護師にバイト感覚で面倒見に来てくれないかって声をかけてある。前院長のためならって、けっこうな人数が手をあげてくれたから、まあなんとかなるだろう」


 意外と親父に人望があってびっくりしたよと次晴叔父さんが笑う。


 祖父母がこちらの家で一緒に暮らせるのなら、祖母ももうひとりで寂しい思いをしなくてもいい。

 心配事がまたひとつ減って、私は嬉しくなって祖母に笑いかけた。


「お祖母ちゃん、よかったね」

「そうね。次晴と和代さんが助けてくれるから、とても心強いわ」

「親父が兄貴の勘当を解く気になったようだから、こっちも態度を軟化させることにしたんだ。もしも明日、夕香さんと芽生ちゃんに悪い態度を取るようなら、もう一度考え直すことになると思う」

「まあ」

「お祖母ちゃん、大丈夫だよ。お祖父ちゃんに気に入ってもらえるよう頑張るから」


 私は心配そうに顔を曇らせた祖母に向かって、つるペタの胸をまかせなさいと叩いてみせた。


 それから和代おばさんとふたりの従兄弟、湊人と和己にも挨拶した。

 すでにけっこう遅い時間になっていたので、その後は慌ただしくお風呂をいただき、和代おばさんと一緒に大きな客間に布団を三つ並べて敷いた。ここで家族三人川の字になって寝るのだ。

 寝る間際、やっと三人だけになったところで、父が真面目な顔で確認してくる。


「芽生、お祖母ちゃんに澱みはついてなかったんだな?」

「うん。全然ついてなかった」

「そうか……。よかった」


 父が、はあっと深く息を吐く。

 きっと私なんかより、ずっと心配していたんだろう。


「大丈夫だよ。お祖母ちゃん、きっとお祖父ちゃんが倒れて心細くなってただけなんだよ」


 元々、二家族が余裕で暮らせるほどに大きな家に、祖父と二人暮らしだったのも悪かったのだろう。

 寂しさと心細さから生き霊を生じさせてしまったのだ。


「遠慮せずに連絡を取れるようになったんだし、これからは頻繁に連絡を取り合うようにしましょう?」

「そうだな。ふたりとも、ありがとな」


 父は心から安心した顔で、くしゃくしゃと私の頭を撫でた。




 そして翌日。

 この帰省における最後の山場、祖父の見舞いに行く時が訪れた。


「よし、完璧」


 私は、都子ちゃんに選んでもらったセーラーカラーの水色のワンピースを着て気合いを入れた。

 手には咲希ちゃんが選んでくれた帽子とバッグ。

 これで女の子成分に飢えているだろう祖父対策は完璧だ。

 その姿でリビングに行くと、和代おばさんに捕まった。


「まあまあ、可愛いわぁ。やっぱり女の子は良いわねぇ」


 子供が息子ふたりの和代おばさんも女の子に飢えていたらしい。

 クルンと回って見せてと言われてその通りにしたら、今度は庭で記念撮影をしましょうと、あちこちに立たされて沢山写真を撮られた。

 最後に、従兄弟ふたりと並んで記念撮影。


「芽生ねーちゃん、可愛いね」

「ありがと、和己」


 下の従兄弟はにこにこと手を繋いで写真に写ってくれたが、上の従兄弟は仏頂面でそっぽを向いたまま。

 きっと照れてるのよと母は言うが、従姉妹相手に照れる意味が分からない。去年来た時はもっとフレンドリーだったのに、ちょっと残念だ。


 そんなこんなで、その後親子三人で叔父さんの経営する大きな総合病院に向かった。

 祖父はずっと特別個室にいるらしい。


「後遺症で少々呂律が回ってないが、なにを話してるかニュアンスで分かる程度だ。気にせず話しかけてやってくれな」

「わかった」


 まず最初に父が個室に入っていって、しばらくしてから母と私が招き入れられた。


 ベッドの上の祖父は少し気むずかしそうな顔で私達をじろりと見る。

 グレイヘアで髪はふさふさ、脳梗塞の後遺症で少し顔が歪んでいるようだが、なかなかダンディーなおじいちゃんだ。

 その脇には先に病院を訪れていた祖母がいて、心配そうに祖父と私達を交互に見ている。


「妻の夕香と、娘の芽生だ」

「夕香です。どうぞよろしくお願いします」


 父に紹介されて、母が緊張気味に頭を下げる。

 私も一歩前に出て、「芽生です。はじめまして」とぺこっと頭を下げた。


「む……。何歳になった?」


 父が言っていたとおり、祖父の言葉は少し不明瞭だったが、しっかりと意味は通じる程度だ。


「もうじき十六歳です」

「……そうか。こっちに来い」


 緊張して答えた私を、祖父が手招く。

 祖父は自由に動く手で引き出しを開けて、なにかを取りだし私に差し出した。

 受け取ると、個別包装されたスイートポテトだ。


「ここのは美味いんだ。食え」

「ありがと」

「座ってお食べなさい」


 勧められたんだから、ここは素直に食べるべきだろう。

 祖母に促さるまま祖父のベッドの脇に置いてあった椅子に座って、包装を剥いて食べてみる。


「ホントだ。美味しい!」

「そうだろう」


 祖父は得意気に頷く。

 うっすら笑みが浮かんでいて、機嫌は悪くなさそうだ。


「お茶でも買ってきましょうか?」

「冷蔵庫に冷たいお茶があるわ」


 母と祖母が、ミニキッチンで人数分のお茶を用意している間、私は祖父とお話していた。


「学校は楽しいか?」

「はい。とっても」


 祖父に聞かれるまま、最近とても仲のいい友達ができたことや、夏休みにみんなと花火やアミューズメント施設に行って遊んだ話をした。

 その後はリハビリの時間だというので、祖母に渡されたタオルや飲み物を手に付き添った。

 祖父は手すりがあればひとりで立ち上がれるようになっていて、素人考えかもしれないが、これなら退院してもなんとかやっていけるんじゃないかと、ちょっとほっとした。


「もう帰るのか」


 面会時間が終わる頃、祖父が少し寂しそうに呟いた。


「明日も来るよ。――ね、お父さん」

「そうだな。明日は午前中から来るか」


 待ってるぞと祖父が言う。


「お祖父ちゃん、また明日ね」


 私は笑って、祖父に手を振った。

読んでいただきありがとうございます。


次話は、芽生、消える。

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