這いずるもの再び 3
「山内さんが言った通り、お札じゃ止められないみたいだな」
玄関扉をずるりとすり抜けて、黒い澱みの固まりが家の中へと入ってくる。
城崎さんと茜さんは前にずいっと出て行ったが、母は下がって私達を呼び寄せた。
「芽生ちゃん、都子ちゃん、こっちに来て」
「はい」
「あ、ぴーちゃんもおいで」
背中と尻尾の毛を逆立てながら、果敢にも這いずってくる黒いものに飛びかかっていこうとぷりぷりお尻を振っていたぴーちゃんを背後から抱き上げる。
どうやら勇ましい姿勢は虚勢だったようで、すんなり抱っこされたぴーちゃんは、前回同様ぷるぷる小刻みに震えていた。
あの可哀想な子猫は助けてあげられたぴーちゃんだけど、さすがにあそこまで大きな澱みの固まりには手も足も出ないのかもしれない。
「すげぇ、俺にも見えるぞ」
怖がって寄り添い合う私達とは対照的に、目に見える怪異に城崎さんは大喜びだ。
「こんなのはじめてだ。――茜、いけそうか?」
「やってみる。――芽生ちゃん達も怖がってないで、神気の卵をもっといっぱい出して」
「どうやって出したらいいのかわからないわ」
「あっちいけって強く思うだけでも光は出てくるよ」
負けるもんかとか、皆を守りたいとか、とにかく強い感情を抱くことで光は身体の中から押し出されるように出てくるものだ。
私がそう説明するのとほぼ同時に、ぽぽぽぽんっと勢いよく都子ちゃんから苺ちゃん達が飛び出してきて、黒いものを威嚇するようにギザギザと飛び回る。
それを追いかけるように母のペリドット色の光やぴーちゃんのピンク色の光も飛び出してきた。
皆の光は這いずってくる黒いものを警戒するようにギザギザ飛んでるのに、城崎さんの虎目石模様の光だけは楽しくてしょうがないと言わんばかりにくるくるっと舞い踊っている。
そのあまりの緊張感の無さに、こんな時だというのに、ちょっと気が抜けて笑ってしまった。
「これだけ神気の卵があれば無敵よ。じゃあ、やるよ」
すらりと御神刀を鞘から引き抜いた茜さんは、両手でしっかり持った。
「ひい、ふう、みい、よう、いぃ、むぅ、なぁ……」
昔の言葉で数を数えた後、祝詞のようなものを唱えていく。
と同時に、茜さんを中心にして、皆の光の色が徐々に茜さんの桜色の光へと変化していった。
「凄い。こんな風になるんだ」
保健室で私が弥生ちゃんと向き合っていたときも、こんな風に他人の光を自分の光の色に変えてしまっていたのだろうか?
部屋中をギザギザ飛び回っていたみんなの光は、大きさはそのままに茜さんと同じ桜色の光に変わる。
そして完全に変化を終えた光は、次々とまるで吸い込まれるように御神刀の中に入っていってしまった。
光を吸い込んだ御神刀は、やがて銀色の光を放ちはじめる。
「……御神刀が光ってる」
驚いたような都子ちゃんの声。
母も御神刀を眩しげに見つめているから、銀色の光は皆にも見えてるんだろう。
御神刀の光が眩しくて直視するのが難しくなった頃、茜さんは祝詞を唱えるのをやめた。
そして、両手で持った御神刀を、こちらにむかってじわじわと這いずりながら進み続けていた黒いものに思いっきり振りおろす。
その途端、まるで空をかける雷のように、御神刀から放たれた銀光が這いずってくる黒いものに襲いかかっていく。
まるで銀色の龍のようにも見える銀光が黒いものに到達すると、部屋中に光が満ちた。
「おおっ!」
「きゃ!」
眩しくて目が開けていられない。
まるで守ろうとするかのように、母がぎゅっと私と都子ちゃんを抱き寄せる。
私は眩しさを堪えて、頑張って目を開けてみた。
「見てっ! 澱みが消えてく」
這いずる黒いものを覆っていた澱みが、銀光に負けてあっという間に端からもろもろと崩れて消滅していく。
「……え?」
そして完全に消え去る刹那、澱みに覆われていたその中身が一瞬だけ垣間見えた。
部屋に満ちていた光が完全に消えると、茜さんは御神刀を鞘に収めた。
「完全に消滅したか?」
「うん、完璧。――だよね、芽生ちゃん?」
「え、あ、うん。……前のときとは違って、澱みも全然残ってないよ。凄いね、茜さん!」
「ふふふ、でしょう?」
得意気に茜さんがつるペタの胸をはる。
「茜さん、本当にありがとう。助かったわ」
「どういたしまして。でも、残念ながら正体は突き止められなかったです」
「消える前に一瞬だけ、中にいるものが見えたような気がしたが……」
カメラで撮影していた城崎さんが映像を再生してみたが、残念ながら這いずる黒いものは映っていなかった。
「……駄目か。けっこうはっきり見えたから、ビデオに映ってるかと思ったんだけどな。こっちはどうかな」
部屋に仕掛けてあった他のカメラを次々に見ていったが、やはりどれも駄目らしい。だが、最後のサーモグラフィーのカメラにははっきりと這いずるものの影が映っている。
「よしよし、いいぞ」
「黒いものって体温が低いんだ」
「芽生ちゃん、体温は違うと思う」
「心霊現象が起きる際、気温が下がるのは良くあることなんだ」
すかさず都子ちゃんからつっこまれる私を見て苦笑しながら、城崎さんが教えてくれた。
「普通のビデオに映らなかったのは残念だったな。手っ取り早く正体が知れたのに……」
「ほんの一瞬しか見えなかったから、男か女かもわからなかったわ。芽生ちゃんはどうだった?」
茜さんにそう聞かれた私は、「私も一瞬過ぎてよくわかんなかった」と嘘をついた。
一段落ついたことで、とりあえず皆で緑茶を飲んで一息ついた。
緊張感が消えたリビングにはまったりとした空気が流れている。
「とりあえず、これで一安心です。生き霊を送ってきた相手は、茜のあの攻撃でかなりダメージを負っているはずです。界太先生が戻ったら片っ端から知り合いに連絡を取って確かめてもらうといいですよ」
「わかったわ」
城崎さんの説明に母が頷いている。
確かに前回植物たちが撃退してくれた時は、黒いものの残滓である澱みが部屋に残っていたけど、今回は綺麗さっぱり全て綺麗になくなっていた。
攻撃力というか、浄化力が段違いだ。
その分、生き霊を送ってきた相手への反動も大きいのだろう。
「お父さんに連絡しないの?」
「家族会議中だといけないから、向こうから連絡がくるのを待つわ」
「……そっか」
父から連絡がくるのが待ち遠しいのに、きて欲しくないとも思う。
相反する気持ちにもやもやしていると、都子ちゃんに顔を覗き込まれた。
「元気ないね。緊張が解けて眠くなっちゃった?」
「うん。ちょっとだけ……」
「だったら、ふたりともお風呂に入ってらっしゃい」
母に言われてふたり一緒にお風呂にはいった。
お風呂から上がってリビングに戻ると、父から連絡があったと母から知らされた。
「話し合いの最中になにかあったみたいで、帰宅が一日遅れるって言ってたわ」
「なにかって、なに?」
「それが教えてくれないのよ。帰ってから話すって言うばかりで……」
「そっか」
では、きっと父も黒いものの正体に気づいてしまったのだろう。
それならば、いま私がそれを告げる必要は無い。
というか私にはそれを告げる勇気がない。
私は父が戻ってくるまで、貝のように口を閉ざすことにした。
「じゃあ、もう寝るね。都子ちゃん、行こう。――おやすみなさい」
「おやすみなさい」
「また明日ね」
黒いものは撃退したけれど、城崎さんと茜さんは念のために今晩は寝ずの番をするという。
さらに父の依頼で、父が帰ってくるまでは夜だけ茜さんが泊まり込んでくれることになった。
もう怖いものは来ないし、来たとしても撃退できる。
安心してぐっすり眠れる状況なのに、その夜の私にはなかなか眠りが訪れなかった。
翌朝、私はこっそり早起きして――というか、結局一睡もできなかった――リビングに行った。
「おはよう、芽生ちゃん。早いね」
「おはようございます」
そうっとドアを開けた私を見つけた城崎さんが小さな声で挨拶してくるのにあわせて、私も小声で返事をする。
途中で寝ずの番からリタイアしたのか、ソファの上ではタオルケットに包まれて茜さんが眠っていた。
「お疲れ様です。なにか飲む?」
「じゃあ珈琲貰おうかな。できれば濃いのを」
「了解」
ふたりでキッチンスペースの方に移動して、眠気覚ましに珈琲を飲む。城崎さんはブラックで、私はミルクたっぷりカフェオレだ。
「城崎さん、私も修業したら、茜さんみたいなことできるかなぁ」
「修業は必要ないだろう。――そもそも茜のあの力は、一種の暗示で発現したようなものだし」
私が周囲の神気の卵を自分の力に変換して黒い靄を祓ったことを知った城崎さんと山内さんは、きっと茜さんも同じことができるだろうと予想した。
そして力を発現するきっかけになればと、あの御神刀を与えたのだそうだ。
「茜は山内さんを心から信頼しているからね。この御神刀を使えば神気の卵をコントロールできるようになると言われて、そのまますんなり信じたんだよ」
その結果、茜さんは眠っていた力を目覚めさせることに成功した。
いずれは御神刀がなくても力を使えるようになるよう、今後も山内さんが指導していく予定なのだそうだ。
「じゃあ、私は修業しても使えるようにならないの?」
「芽生ちゃんは学校で黒い靄を祓ったわけだし、もう力は使えてるだろう?」
「そうみたいだけど、力を使ってる自覚がないの」
「茜も似たようなものらしいよ。力を使っても特に疲れるってこともないみたいだし……。山内さんがいうには、巫女は循環と変換を司る器なんだそうだ」
巫女にとって大事なことは清浄であること。
心根を歪ませて汚れを産み出すような器にさえならなければそれでいい。
「芽生ちゃんは神社に所属する気はないんだろう? だったら無理に修業する必要はないんじゃないかな」
巫女は神と人との仲立ちをする存在だ。
神社に所属しなくとも、市井で人々に混じって暮らしながら小さな邪気を祓い、清浄な光を振りまいて生きるだけでも充分に役割を果たしていると城崎さんが言う。
「あんまり祓えてないけどね」
無意識でやらかしたことは別として、それ以外は塩や除菌消臭スプレーを振りまくことぐらいしかできてない。
「別にそれでもいいんじゃないか。少なくとも、芽生ちゃんの親しい人達を守ることはできてるんだから」
そうだねと頷くことはできなかった。
かといって、今はまだ違うとも言えない。
貝になった私は、黙ったままカフェオレに口をつけた。
だって、全然守れてない。
それどころか、知らぬ間に生き霊を放たれるほど疎まれてしまっている。
どうしてこんなことになってしまったんだろう?
大好きだったし、好かれているとも思っていたのに……。
認めたくない現実に、私はぺしゃんこになっていた。
読んでいただきありがとうございます。
次話こそ、正体。




