退学のこと
いつもだったら学校側と杏ちゃんの話し合いの結果は、夜のうちにトークアプリで報告してもらえるところだ。
だが生憎と杏ちゃんは怪我で右腕が不自由なので、無理せず翌日に直接聞くことになっていた。
朝からどうにも落ち着かなかった私は、早く早くと都子ちゃんを急かしていつもより一つ前のバスで登校した。
「おはよう、芽生ちゃん、都子」
すると、なぜか杏ちゃんは、そんな私達より一足先に登校していた。
「ずっと朝練してたから、いつも通りに早く目が醒めちゃって……。時間が余ったから学校にきちゃった」
なるほどなるほど。そういうことならさっそく昨日の話し合いの結果を聞きたいところだ。
「昨日の話し合いはどうなったの?」
鼻息も荒く私が聞くと、杏ちゃんはグイッと親指で首をかき切る仕草を見せた。
普段穏やかな人がふと見せるこういうワイルドな仕草は、なんだか妙に真に迫って怖く感じるのは私だけだろうか。
「クビ?」
「あのコーチ、以前から評判が悪かったからね」
「ああ、そういえば、退部しようとすると妨害するって咲希も言ってたっけ」
「そうなのよ」
都子ちゃんの言葉に、杏ちゃんは頷いた。
あの体罰コーチは、ちょっとした失敗でも罰ゲームっぽい罰則を科す癖があったようで、部員たちの評判は最低だったらしい。
今回の事件でこれ幸いと部員たちが一致団結して、コーチを辞めさせなければ自分達が部活動を辞めると言いだしたらしい。
そんなこんなでコーチは話し合う余地もないまま一発退場が決定したようだ。
杏ちゃんのイジメもその団結力で解決してくれていたらよかったのに……。
どうせ他人事だとでも思っていたのかもしれないが、放置していた結果が部活動禁止の憂き目なんだから自業自得というところか……。
「テニス部は一ヶ月の部活動禁止が決定したわ。禁止って言っても、コートの使用が禁止されるだけで、体力トレーニングはできるようにしてもらったの」
してもらったの、と言うからには、杏ちゃんがそうしてくれるように頼み込んだんだろう。
「杏ちゃんは優しいね」
私がそう言うと、杏ちゃんは肩を竦めた。
「今回の件ではけっこう恨みを買っちゃったから、この程度の恩を売っとかないとマズイかなって思って」
ふふふっとおっとり笑う杏ちゃんは、けっこうな世渡り上手さんみたいだ。
「あと、あの先輩達はどうなったの?」
「ああ、彼女たちは一週間の特別室登校と反省文よ」
「えー、それだけ」
「二週間ぐらいの謹慎処分が妥当だと思ったのに……」
私と都子ちゃんが不満を表明すると、杏ちゃんは「話し合いの席に行くまでは、私もそう思ってたんだけどね」と苦笑した。
「昨日会うなり、泣いて謝られちゃって」
件の先輩は、杏ちゃんがテニス部を辞めると言ったことがショックだったらしい。
彼女にとってテニスは生涯におけるオンリーワンのスポーツだったようだ。だからこそ、テニスを辞めなければならない程に追い込まれたのが自分だったらと考えて、心底恐ろしくなってしまったようだ。
杏ちゃんへのイジメは、元々彼女にとっては目標としていた美結がいなくなってしまったことへの苛立ちが募った結果であり、八つ当たりのようなものだ。
取り返しのつかないことをしてしまったと自覚した彼女は、自分のやったことを冷静に振り返って猛省しているのだとか。
ちなみに彼女に協力して杏ちゃんを苛めていた他のふたりは、彼女につられてやってしまっただけで、杏ちゃん自身に思うところはなにもなかったと言って、その場の大人達から呆れられていたらしい。
元々そのふたりは、先輩から発生していた黒い靄の影響を受けていただけだから、動機がぼやっとしているのも分かるような気がする。
ただ弥生ちゃんの時、友達ふたりは黒い靄に伝染していなかった。それを思うと、伝染する側の心の持ちようとか、在り方になにか問題があったようにも思えるのだ。
少なくとも私はその場の空気に流されない人間になりたいと、彼女たちの話を聞きながら思った。
「先輩は本気で反省してるってわかったから、罰を軽くしてくれるように頼んだの。まあ、もっと早く気づいて欲しかったけどね」
「そだね」
「問題の解決した今だったら、テニス部に戻れるんじゃないの?」
「戻らない。もう決めたから」
杏ちゃんはきっぱりそう言った。
「今になってやっぱりテニス部に戻るって言ったら美結にごねられそうだしね。それに元々本気のテニスは高校で辞めるつもりだったから、その時期がちょっと早くなっただけ。これからは美結と気楽にテニスをして遊ぶことにする」
「美結ってテニスして大丈夫なの?」
「もっちろん」
おっはよーと、登校してきた美結が会話に混ざってきた。
「無茶しなければ平気。半日ぐらいボール打ったからってどうってことないね」
「なんだ。そうなんだ。一生ラケット持てなくなったのかと思ってた」
「そんなわけないでしょ。普通に体育の授業受けてるんだから、それぐらいわかりなさいよ」
「はいはいそーですか。……でも、そういうことなら、杏ちゃんの腕が治ったら皆でテニスしに行かない? 私、一回やってみたい」
夏休み後半、杏ちゃんを苛める奴はいないかーと、ひたすらテニス部の練習をじいっと見つめていたこともあって興味をひかれていたのだ。
「いいわよ。今度素振りから教えてあげる」
「やった。ありがとう杏ちゃん」
「あたしも教えてあげてもいいわよ?」
「美結はいいよ。私、杏ちゃんに教えてもらうから」
「なんでよ。生意気な」
「ちょっ、ひゃめへー」
むにーっとほっぺたをつままれて、私はじたばた暴れた。
杏ちゃんが凄くすっきりした顔をしていて、なんのわだかまりもなくいじめ問題が解決したのだと実感できて、すごく嬉しかった。
朝のHRでは、出欠をとった後でテニス部が活動休止になったことが報告された。
それ以外にもいくつか連絡事項があって、短いHRはあっという間に終わった。
「田宮さん、ちょっときてくれる?」
「はい」
HRが終わると担任が都子ちゃんを呼んだ。
呼ばれた都子ちゃんは廊下に出て待っている担任の下に駆け足で近寄っていく。
ふたりは顔を近づけて、なにかこそこそ話をしていた。
どうしたんだろうと興味津々でそれを見ていた私は、都子ちゃんの周囲をくるくるっと飛び回っていた苺ちゃん達が、いきなりパチンパチンと弾けて消えてしまったことにびっくりした。
これは、いったいどういうこと?
都子ちゃんになにがおきた?
よっぽど衝撃的なことが無ければ、あんな風に一斉に全ての光が弾けて消えるなんてことはない。
その後も、都子ちゃんからは苺ちゃん達が発生してきたが、みんな元気がなく、ふらふら~っと力なくただ流されるように浮遊しているだけだ。
我慢できなくなった私は、立ち上がって都子ちゃんの元に駆け寄った。
「……都子ちゃん?」
そっと手を繋いできゅっと握ると、都子ちゃんはビクッと身体を震わせて、私を見た。
その綺麗な二重の目には、涙が膜のように浮かんでいる。
「芽生ちゃん、どうしよう……。私、退学になっちゃった」
「えっ⁉ なんで?」
「ああ、ちがうのよ。事務室に田宮さんの保護者だという方からそういう電話が入ったんだけど、本人証明ができなくて保留にしてあるの。こちらも事情がわからなくて困惑していたのよ」
「保護者って……。お祖母さんの仕業かな?」
「多分、そうだと思う。母は自分から行動を起こすような人じゃないから……」
「本当にいきなりこんな酷いことする人なんだ」
以前から話には聞いていたけれど、自分の孫の人生をなんだと思っているのか。心底腹立たしい。
「あの、先生。都子ちゃんのお父さんから事情を説明させてもらってもいいですか?」
子供である私達より、絶対にその方がいいだろうと思ってそう提案すると、都子ちゃんがはっと顔を上げて担任を見た。
「お願いします。このまま退学なんて嫌です」
「大丈夫、なにか事情があるのならちゃんと聞きます。いきなり退学なんてことには絶対にならないわ」
担任の力強い答えに、私達は安心してよろしくお願いしますと深く頭を下げた。
その日のうちに孝おじさんが学校に来て、現在都子ちゃんの親権を求めて田宮家と話し合いを進めている(実際はシカト続きで進んでいないのだが)ところだと説明してくれた。
都子ちゃん本人がこのまま学校に通い続けたいと希望していることや、親権を求めるに当たって、詳しいことは言えないが田宮家のほうに児童福祉法に触れる重大な問題があることなどを告げると、学校側も親権問題が解決するまでは今回の退学の申し出を保留にすると約束してくれた。
「もう一度だけ、先方に警告を送ることにします」
学校に説明を終えて、都子ちゃんと共に家にきた孝おじさんがそう言った。
本来、親権の移動は当事者間で勝手に行えるものではなく、裁判所で調停を行う必要があるのだそうだ。
それなのになぜ孝おじさんは、直接田宮家と話し合いをしようとしていたのか?
それは、都子ちゃんに対する売春斡旋ともとれる祖母の行動を、警察や裁判で明らかにしたくなかったからだ。
未遂とはいえ、性犯罪の被害者になりかけたというレッテルが都子ちゃんにつくのを孝おじさんは嫌がったのだ。
だから当事者同士で直接話をして折り合いをつけた上で、裁判所に調停を申し立てて親権をスムーズに委譲させようと思っていたらしい。
「私は別に平気だって言ったんだけど……」
むしろ祖母達を警察に突きだしてやりたいぐらいだと都子ちゃんは言う。
だが孝おじさんはやっぱり嫌なのだそうだ。
うちの父も気持ちは分かるとしみじみ頷いている。
男親って、本当に面倒臭い生き物だ。
「これで駄目だったら、都子には悪いけど、今度こそ警察沙汰にしよう」
「だから悪くないってば」
「だが、どこかから話が漏れて、学校でなにか言われるかもしれないぞ」
「なにか言われたって平気よ。私には芽生ちゃんや友達がいるから怖いものなんてない」
「大丈夫、私が都子ちゃんを守ります」
任せといてくださいと拳を握りしめると、「そうかい?」と孝おじさんは気が抜けたようにへにょっと笑った。
「それなら、よろしく頼むよ」
そして田宮家に向けて、最後の警告が発せられたのだった。
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次話は、色仕掛け?




