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急転直下のこと

 和也さんに弥生ちゃんの件が無事解決したことを報告するためには、一週間待たなくてはいけなかった。


 ちょうど父がプロット作業をする時期だったのでバイトがお休みだったのだ。

 この間に和也さんは、自分の作品を描き溜めたり、大学の卒業論文に取りかかったりしているらしい。忙しいことだ。

 ちなみに、父の専属アシスタントである翠さんは、つわりは治まったものの、検査の数値がよくないらしく出勤できずにいる。

 なので作業用のパソコン等を自宅に送って、体調の良いときにだけデータのやり取りをして作業することになったようだ。


「じゃあ、当分会えないんだ」

「体調がよかったら、検診帰りに寄るって言ってたぞ」


 となると、時間帯的に学校に行っている私は会えない可能性が高い。物心ついた頃からずっと近くにいた人なので、なかなか寂しいものがあった。

 ずっと会えなくなるわけじゃないからいいけど……。


 そんなこんなで一週間経ち、私は無事に和也さんに解決したことを報告できた。


「和也さんが助言してくれたおかげだよ。ありがとう」

「どういたしまして。役に立てたのならよかったよ」


 穏やかに微笑み返してくれた和也さんの目は、相変わらずの見事な糸目だ。

 長い前髪は、私が以前プレゼントした向日葵パッチン留めで真ん中分けにされている。

 私は嬉しくてにこにこしていたのだが。


「……芽生ちゃん、今度男物のヘアバンドかカチューシャを見に行かない? さすがにあれはないと思う」


 最近とみに遠慮がなくなってきた都子ちゃんの冷静な意見に、しぶしぶ頷いたのだった。





 

 その日は、朝からおかしかった。


 なにがそんなに嬉しいのか、美結のオレンジ色の光がびゅんびゅんくるくるっと、いつにない勢いで教室中を飛び回っていたのだ。

 まるで遠足前の小学生のようだと思いつつ、美結に探りを入れてみたのだがそらっとぼけられた。


「別にいつもどおりよ」

「そう? なんかニヤニヤしてるみたいに見えるけど……」

「気のせい気のせい。杏ったら遅いわね。遅刻しちゃう」

「朝練が長引いてるのかな」


 テニス部の朝練に参加している杏ちゃんは、けっこう遅めに登校してくるのだが、今日はいつもよりかなり遅い。

 心配しているうちに始業時間のチャイムが鳴ってしまった。


 結局、杏ちゃんが登校してきたのは、三時間目が終わってすぐだった。

 私達は登校してきた杏ちゃんを見て、一様に息を飲んだ。

 杏ちゃんの左頬には大きなガーゼが貼ってあって、右腕は三角巾で固定され、足にも包帯が巻いてあったのだ。それ以外にも擦り傷のようなものがあちこちに見えている。


「杏ちゃん、それどうしたの?」

「部活でちょっとしくじっちゃって、腕の骨にヒビが入っちゃったの。病院に寄ってたらこんな時間になっちゃった」

「しくじったって、なにがあったの?」

「部活中の怪我にしては派手すぎない?」


 皆で口々に質問すると、杏ちゃんは傷に響くのかゆっくり自分の席に座ってから説明してくれた。


「用具室に呼び出されて、まあ色々あって突き飛ばされた先に棚があってね。私がぶつかった拍子にぐらついて倒れかかってきたの。それで下敷きになっちゃった」

「なっちゃったって……。それで、すぐに助けてもらえたの?」

「うん」


 咲希ちゃんの質問に杏ちゃんは頷く。


「棚が倒れた時、すっごい音がしたみたいで、遅くまで残ってた他の運動部の人達が駆けつけてくれて助けてくれたの」

「誰が杏ちゃんを突き飛ばしたの⁉」


 怒り心頭の私に、杏ちゃんはさらりと花火大会の日に杏ちゃんを苛めていたあの先輩の名前を言った。


「あの人か……。私、文句言ってくる‼」

「落ち着いて芽生ちゃん」


 拳を握りしめて怒る私を、杏ちゃんはまあまあと宥めた。


「四時間目がはじまっちゃうから、詳しい話はお昼休みにしようよ」


 ね? と穏やかに微笑みかけられる。

 そんな杏ちゃんの肩に腕を回して背後から抱きついている美結が、なぜか偉そうに言った。


「そうよ。きちんと授業受けて、右手が不自由な杏のためにちゃんとノートとってあげてよ」

「……美結のノート見せてあげればいいじゃん」

「私はノートとらない派なの」

「もう、試験勉強に役立つからとった方がいいのに……」


 ぶちぶち言いながらも、チャイムが鳴ったので私は自分の席に戻った。


 本来なら杏ちゃんの怪我に一番怒るだろう美結のあの余裕の態度は、きっと昨夜のうちに事情を説明されているからなんだと思う。

 だが、それにしてもどうしてあんなに上機嫌なのか、その理由がわからない。杏ちゃんが説明してくれるだろう昼休みが待ち遠しかった。



 そして昼休み。

 私と都子ちゃんはお弁当を家から持ってきているが、咲希ちゃんと美結は購買に昼食を買いに行った。杏ちゃんだけは打ち身が痛むらしく、美結に買い物を任せて残っている。

 さっそく教えてと迫ったが、咲希ちゃん達が戻ってからとかわされた。


「芽生ちゃん、落ち着いて。机くっつけとこうか」

「うん」


 ご飯を食べる準備をしてじりじり待ち、咲希ちゃん達が戻ってきていただきますをしてから、やっと話が聞けた。


「って言っても、さっき話したのでほぼ全部よ? 他になにが聞きたいの?」

「犯人はちゃんと謝った?」

「謝ってはいないけど、罰は受けると思うわよ。なにしろ、テニス部はしばらく部活動停止になるからね。イジメなんてくだらない真似をして原因を作った先輩達は、これからきっと針のむしろよ」


 ふふふと笑う杏ちゃんは、なにか吹っ切れたような顔をしている。


「……杏ちゃん。先輩達に苛められてたこと、内緒にするのやめたんだ」

「芽生ちゃんも気づいてたのね。花火の時のあれを見たら気づかないわけないか」

「うん。都子ちゃんから色々聞いた」

「私は咲希から聞いたの」

「なによ。あたし以外はみんな気づいてたのね」


 昨夜本人から聞いたばかりだという美結は、仲間外れだとむっとしている。

 知ってしまった以上、美結なら仕返しに行くんじゃないか?

 もし行くつもりなら同行しようと思って、「先輩達に仕返しに行く?」と聞いてみた。


「行かないわよ。バカらしい。あたし達には負け犬に構ってる暇なんてないの。ふたりして陸上部の星になるんだから!」

「陸上部っ⁉」

「うん。怪我が治ったら入部する予定なの」


 美結が朝から妙に浮かれていた理由はこれだったらしい。

 一番の仲良しの杏ちゃんとまた一緒の部活で頑張れるのが、きっと嬉しくてしかたないのだ。


「テニス部はすんなり退部できそうなの? あそこ、コーチが部員数を減らしたくなくて、しつこく引き止めようとするって有名だけど」


 心配そうな咲希ちゃんに、杏ちゃんは「大丈夫よ」とにっこり笑った。


「昨夜、病院で辞めるって宣言してきたから」


 怪我をして病院に運び込まれた杏ちゃんが治療を終え、待合室で家族の迎えを待っていると、ちょうどそこにテニス部の顧問とコーチ、そして部長が来たのだそうだ。


『もめ事は困る。内々で収めるために、その怪我はおまえが勝手にやったことにしろ』


 満身創痍の杏ちゃんにコーチがそう宣言して、顧問や部長も隣で頷いていたらしい。 


「それ聞いたら、なんかもう色々とどうでもよくなっちゃった。高校のテニス部でいい成績を残したくて頑張ってきたけど、あんな人達と一緒じゃこれ以上頑張れそうにないし……。だからね。はっきり言ってやったの」


『お断りします。部内のイジメがきっかけの怪我だと学校にも報告しますから。もちろん、あの先輩達からのイジメを顧問の先生や部長に相談したことも話します。考えすぎじゃないか、自分でなんとかしろって言われたって』


「そしたら、コーチに叩かれちゃった」


 えへっと杏ちゃんが笑う。


「えっ! そのほっぺたってそうなの?」

「うん。平手だったんだけど、けっこう腫れちゃってびっくりした。でね、凄いタイミングなんだけど、ちょうどそこにうちの親と学年主任の先生が来ちゃったの」


 杏ちゃんはその直後にもう一度治療の為に診察室に戻ったから見られなかったそうだが、かなりの騒ぎになったらしい。

 当然だ。コーチのやったことは体罰ですらない。ただの暴力だ。絶対に許されない。


「今日の放課後に親同伴での話し合いがあるの」


 コーチの処分だけじゃなく、イジメ行為を黙認していたテニス部に対する処分もそこで決められることになる。


「厳罰希望!」


 握りしめた私の拳は、杏ちゃんにまあまあとまた宥められた。


「処罰の大小には拘るつもりはないの。無かったことにされなければそれでいい。元々、あのコーチはたまに体罰をしてたから、それもちゃんと報告して対処してもらう。怒りを抑えきれずにすぐに手が出るような自制心のない人に指導されても、きっと強くなんてなれないと思うし」

「そうね。私もそう思うわ」


 都子ちゃんが深々と頷く。


「美結の分もテニス部で頑張ろうと思ってたから、昨夜美結にテニス部を辞めちゃったことを謝ったんだけどね。そんなろくでもない環境で我慢して頑張っても力はつかないから、それでいいんだって言ってくれて。それで、どうせなら一緒に陸上部で頑張ろうっていうからOKしちゃった」

「一緒にハードルやるんだもんね?」

「ハードルはちょっと……。どちらかというと中距離走のほうがいいな」

「えっ、ハードル楽しいよ」

「でもほら、私、美結と違って背が低いから足の長さが……」


 杏ちゃんはこれからのことを美結と楽しそうに話している。

 テニス部でのことは、彼女の中でもう過去になってしまったらしい。

 見事なほどの切り替えの早さに、私はちょっとびっくりしていた。






「私は咲希から聞いて知ってたけど、見るとやっぱりびっくりするよね」


 帰りのバスの中、私が杏ちゃんの切り替えの早さにびっくりしたと言うと都子ちゃんも頷いていた。


「杏が部活で苛められてるみたいだって気づいて、先に相談したときに言われたのよ」


『杏はほっといても大丈夫。我慢できなくなったら、自力でなんとかするよ。むしろ、変にちょっかい出さないほうがいいと思う。柳みたいな性格なのよ』


 ちょっとした風にもゆらゆら揺れて弱そうに見えても、しなやかで折れることがない。強く押さえつけられて曲がれば曲がるほど、反動でぶんと大きく弾ける。

 力を溜め込む前に下手に手を出して途中で気を抜かせてしまうと、逆に耐える時間が長くなるかもしれないから放っておいたほうがいいと、咲希ちゃんに忠告されたのだそうだ。


「柳かぁ……。むしろ、ゴムパッチンっぽいような気もするけど」


 杏ちゃんが耐えた分だけ、ゴムを引っ張った人達は大きな反動を受けることになる。

 今日の話し合いの結果、テニス部関係者の処分がどうなるか、なかなか楽しみだ。


 たぶんだけど、光に黒い靄をまとわりつかせていた先輩達も、イジメの対象だった杏ちゃんと離れたら黒い靄を出すこともなくなるんじゃないだろうか?

 そうなればいいなと思う。

 とにもかくにも、ここしばらくずっと心に引っかかってた杏ちゃんのいじめ問題が無事に解決してなによりだ。


「杏ちゃんを叩いたコーチがどんな処分になるか、ちょっと楽しみだね」

「案外、三ヶ月ぐらいの減給処分で濁されるかもよ」

「えー、それは嫌だな」

「それより問題は、杏を苛めてた先輩達よ。謹慎処分になればいいのに」

「あ、それ賛成」



 杏ちゃんの問題か解決してちょっと浮かれていた私達は、明日のことをあれこれ予想した。

 予想外のことが起きつつあることをまったく知らないまま……。

読んでいただきありがとうございます。


次話は、それなら戦争だ!

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