新学期のこと 2
夏休み明け二日目は丸一日かけての実力テストだ。
どんよりした気持ちで登校すると、さらにどんよりする事態が起こっていた。
弥生ちゃんが自主的に保健室登校へと戻ってしまったのだ。
「説得したんだけど逆に怒っちゃって、顔も見たくないって言われちゃった」
「引っ込みがつかなくなってるだけだと思うの。もう少し話をしてみるから怒らないであげてね」
弥生ちゃんの友達ふたりが、ごめんねと私の所に説明にきてくれた。
昨日、彼女たちは弥生ちゃんとずっと一緒にいたけれど、私が見た限りではあの黒い靄に伝染していなかった。弥生ちゃんの意見に流されずに頑張ってくれていたんだと思う。
「怒ったりしないよ。私はなんにも気にしてないから心配しないで。早く普通に登校できるようになるといいね」
申し訳なさそうな顔をするふたりに、私は頑張ってねとにっこり笑いかけた。
都子ちゃんと美結は私の対応が甘すぎると言うが、私には怒らなきゃならないポイントがどこにあるのかわからない。
「美結だって最初のうちは、私に「呪う気でしょ」って言ってたじゃない。それでも私怒らなかったよ」
「陸上部で走ってこいって言われたけどね」
「あれはこれとは違うよ。都子ちゃんに酷いことしたお返しだもん」
「……弥生は今、浦島太郎になってるのかもね」
咲希ちゃんが独り言のように呟いた。
「玉手箱?」
「そっちじゃなくて、竜宮城で何日か過ごして地上に戻ったら、何十年も経ってたほう。以前と状況が変わりすぎてて困惑してるんじゃないかなって思って」
「変わったのは芽生ちゃんの扱いだけよ。芽生ちゃんが人を呪うような人じゃないってわかってくれるだけで馴染める程度の変化でしょ? なのに人の話を聞きもしないで、頭っから芽生ちゃんを悪者扱いするなんて酷いわ」
都子ちゃんは、グルルっと唸る声が聞こえてきそうなぐらいに怒っている。
弥生ちゃんの光が黒い靄を纏っていることを私が教えてしまったせいで、余計に怒ってしまったのだ。
『それって、事故の後からずっと、芽生ちゃんのせいで怪我をしたんだって思い込んで悪意を募らせてきたってことでしょう? 有り得ないわ』
事故を起こした加害者やその家族と顔を合わせて謝罪される機会もあっただろう。治療費だって受け取ったはずだ。
それなのに、事故原因は芽生が呪ったせいだと言い張っている。
それでは完全に矛盾してるし、余りにも彼女だけに都合がよすぎるということらしい。
私としてはそこまで怒らなくてもいいんじゃないかなという感じだ。
怪我した足が痛くて、リハビリも辛くて、その苛々をどこかに向けなくてはやっていけなかったのかもしれないし……。
『芽生ちゃんを都合よくサンドバッグ代わりにしてるってこと? そんなの絶対に駄目よ! ――芽生ちゃんも、そういう理不尽は許しちゃ駄目だからね!』
流れ弾が飛んできて、昨日は私まで怒られたのだった。
そんなこんなでどんよりしたまま実力テストを終えて家に帰った。
「あら、テストうまくできなかったの?」
「ううん。都子ちゃんのおかげでばっちりだよ」
「そのわりに表情暗いのね」
「うん。……ちょっとお父さんと話してくる」
私はその場に鞄を置くと隣の父の仕事場に向かった。
母の呼び止める声が聞こえたが、鞄を放り出したことへのお叱りだろうと思ったので、後で聞くことにした。
◆ ◇ ◆
「あら、行っちゃった。――なにかあったの?」
「昨日の続きです。怪我から戻ってきた子が、クラスの変化についてこれなくて、また保健室登校に戻っちゃったんです」
「そう……。都子ちゃんも向こうに行く?」
「いえ。この件に関しては、私も芽生ちゃんと意見が合わないから……。それで余計に混乱してるみたい」
「ああ、芽生ちゃんお友達との付き合いかたがまだ不馴れだものね。気を使わせちゃってごめんなさい」
夕香に謝られた都子は、いいえと首を横に振る。
「うまく合わせてあげられたらいいんでしょうけど、私も頑固だから……」
「それでいいのよ。話を聞いた限りでは、私も都子ちゃん寄りだしね。――芽生ちゃんの周りは大人だけで、ずっと甘やかされて育ってきたから、人と意見が正面からぶつかりあったり、理不尽な怒りを向けられることってなかったのよ。きっと、どう反応したらいいのか分からなくて困っちゃってるんでしょう」
「甘やかされて育ったにしては、芽生ちゃんって我が儘じゃないですよね」
甘ったれだけど、と都子がつけ加えると、夕香はふふっと微笑む。
「それは孝俊さんのおかげよ。芽生ちゃんの足りない部分を補おうとずっと頑張ってくれてたから」
さて、と夕香は気分を切り替える。
「芽生ちゃんがいないからはっきり言っちゃうけど、もうじき都子ちゃんもお父さんと一緒に暮らせるようになるでしょう? それまでにもうちょっと料理のレパートリーを増やしましょうか」
「はい! よろしくお願いします」
都子は急いで制服から私服に着替えると、エプロンを手にキッチンに向かった。
◆ ◇ ◆
都子ちゃんと母がふたりで料理教室を開いている頃、私は父の机の隣りに椅子を持ってきて座り、今日の出来事を愚痴っていた。
「咲希ちゃんが浦島太郎だって言ってたけど、私からすると天岩戸だよ」
あれから弥生ちゃんの友達ふたりはまた弥生ちゃんの説得に行っていたし、咲希ちゃんや担任の先生も話をしたようだ。
だが、弥生ちゃんは頑なに教室に戻ってこようとしない。
『藤麻芽生と同じ部屋にいるのは嫌よ。呪われたら誰が責任を取ってくれるの?』
弥生ちゃんは教師相手にそんなことを言ってしまったのだそうだ。
学校側にまで噂が伝わってしまったことを私は一番気にしていた。
下手をすると、両親にまで迷惑がかかるかもしれないからだ。
「このことでもしも学校に呼び出されたらゴメンね」
「芽生はなにも悪いことはしてないんだから気にするな。そもそも、都子ちゃんの話だと、その子が芽生の悪口を言いふらしていたせいで呪いだなんだと変な噂が広がったみたいじゃないか」
「……そうみたいだね」
これは、私も今回のことで初めて知ったことだ。
そもそも私の中学時代の逸話を主に広げたのは弥生ちゃんだったのだそうだ。私と同じ中学に通っていた彼女の従姉妹から私の中学時代の逸話を色々聞いていたらしい。そこにさらに大袈裟な枝葉をつけ加え怪談風にアレンジした上で、あちこちに広げまくっていたらしい。
そしてその彼女が事故にあったことで、私の噂は悪い方向に真実味を帯びてしまった。
藤麻芽生が悪口を言われたことを怒って呪ったに違いないと、私の悪い噂が爆発的に広まってしまったのだ。
私と弥生ちゃんには、高校生になるまで接点はなかった。
悪口を言われる心当たりもないから、多分だけど高校での友達作りのネタにでもされてしまったんだろうと思う。
私がしょんぼりしていると、仕事の手を止めた父が、よしよしと私の頭を撫でる。
「心配するな。家に呼び出しはないさ。呼び出されるとしたら、弥生ちゃんの親の方だ」
「そうなの?」
「おまえから聞いた限りじゃそうだな。以前はともかく、今のおまえは上手にクラスメイトとつき合えているようだし、呪いだなんだとひとりで騒ぎ立てている弥生ちゃんの方がおかしいんだってみんな分かってくれるさ」
「……そっか。それならいいんだけど……。弥生ちゃん、自分のほうがおかしいんだって言われるの嫌だろうなぁ」
変だ、おかしいと、私は子供の頃からよく言われていたから馴れているけれど、普通に生きてきた子には辛い言葉だろう。女の子達は皆と同じであることを美徳とするようなところがあるから、よけいに……。
可哀想だなと同情する気持ちも少しあるが、だからと言って私が悪役になるつもりはない。
私は人を呪ったことなんてないし、人の不幸を望んだことだってないからだ。
だからこそ、弥生ちゃんの現状を思うと、きっとひとりで不安なんだろうなと悲しくなる。
はああ~っと溜め息を吐いていると、「同情してるのか。さすが俺の天使は優しいなぁ」と父の娘大好きスイッチが入った。
「天使じゃないよ。最近は悪魔の尻尾が生えてきたような気がするもん」
「人と関わるようになったから、俺の天使も人間らしい感情に目覚めはじめたんだな。いいことだ」
「もう、お父さん、正気に返って」
私が父をゆさぶっていると、ずっと気配を消して黙々と仕事をしていた和也さんが「ちょっといいかな」と声を上げた。
「なに?」
「俺には天岩戸じゃなく、北風と太陽のように思えるな」
「弥生ちゃんの現状?」
「そう。説得する声は彼女にとっては北風なんだろう。説得すればするほど頑なになる」
「それで言ったら、芽生が呪いをかけたと認めない限り、保健室登校をやめないってことになるぞ?」
冗談じゃないと怒る父を、私はどうどうと落ち着かせる。
「認めなくていいんです。ただ、芽生ちゃんはこの件のキーパーソンだ。彼女が保健室から出てくるきっかけを作ってあげられるのは、芽生ちゃんだけだと思うな」
「じゃあ、どうしたらいいの?」
身を乗り出して聞く私に、和也さんは「さあ?」と首を傾げる。
「女子高生の心情には詳しくないんだ。これが男だったら、色々やりようもあるんだけど……」
それはそうだろう。というか、詳しくなるぐらいに和也さんが女子高生と関わりがあったりしたら私が悲しい。
「……わかった。ちょっと考えてみる」
私だって女子高生だ。
人に頼ってばかりいないで、自分でちゃんと考えてみよう。
「話を聞いてくれてありがと」
私は父と和也さんにお礼を言って、家に戻った。
読んで頂きありがとうございます。
うっかり前日に投稿してしまいました。しかも中途半端なところで……。
次話はいつも通り月曜日、黒い靄と対面。




