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伝言のこと 2

 怒り狂った父が出て行った後、私は落ち着かない気持ちを持て余してうろうろしていた。


「芽生ちゃん、紅茶でも飲んで落ち着きなさい。都子ちゃんもいらっしゃい」


 母が入れてくれたレディグレイのアイスティーを飲んでもやはり気持ちは落ち着かない。

 仕方ないのでぴーちゃんに頼み込んでブラッシングをさせてもらったが、気もそぞろだったせいか、もっとちゃんとブラッシングしなさいと、カッと空気砲を打たれて叱られた。

 結局、アニマルセラピーでも落ち着かなかったので、そっと都子ちゃんに提案してみる。


「……あの……都子ちゃん。お父さんを追ってマンションに――」

「駄目よ。行かない。戸沢さんに会いたくないし……」


 岐阜にある母親の実家で暮らしている時に、戸沢さんとは何度か顔を合わせたことがあるのだと都子ちゃんは言った。

 その度に凄く気持ち悪い目で見られて吐きそうになったと……。


「それに、あんな人を芽生ちゃんには見せたくない。なにか変なものが見えそうだし……」

「変なもの?」

「……色欲……とか?」

「ああ。大丈夫、そういうのは見えないよ。ただ光が、その色欲の対象にぺとぺとっとくっついて行くのは見えちゃうかもしれないけど……」

「……くっつく?」

「うん。……たいていは、その人の好きな部分にくっつくね」


 好意を持つ相手に光はぺとっとくっつく。

 純粋な愛情や友愛の場合は、髪の毛や頬、肩など見ていてほのぼのする場所にくっつくのだが、色欲の場合はその対象となる部位にくっつく。具体的に言ってしまえば、でっかい胸とかすらりとした足とかだ。

 以前、通りすがりのカップルの女性が足首周りにびっしり光を纏わせていたことがあって、きっと彼氏が足首フェチなんだろうなと父と話し合ったこともある。


 都子ちゃんにその話をしたら、猛烈に反対された。


「いや~っ! もう気持ち悪い! 絶対に行かないから!」


 まあ確かに、大っ嫌いなおじさんの光が自分の身体にぺとぺとっとくっつくのを想像するだけでも鳥肌モノだというのは理解できる。

 興奮した苺ちゃん達がビュンビュン飛び交う中、私は、父を追いかけていくことをしぶしぶ諦めた。



 三時頃に、お客さんをひとり連れ帰るから夕食の支度を頼むと父から連絡があった。

 この流れから言えば、十中八九そのお客さんは都子ちゃんの父親である、孝おじさんだろう。


「都子ちゃん、お父さんの好物って知ってる?」

「えっと……たぶん中華料理が好きだったような気がします。外食はたいてい中華だったし。特に酢豚は絶対に注文してました」

「酢豚なら冷凍してあるお肉もあるし作れるわ。餃子も作り置きを冷凍してあるし、後はサラダとスープと……」


 母が冷蔵庫の中身を確認しながら、次々にメニューを組み立てていく。

 私と都子ちゃんも母に指示されるまま、せっせと手伝った。


 毎日お手伝いをしていたから、もう都子ちゃんはひとりで大抵のことはできるようになっていた。

 私はというと、母の厳しい指導の成果もあって、やっと包丁をひとりで使う許可を得られるようになっていた。今後はフライパンの使い方を一から教えてもらうことになっている。

 見た感じ簡単そうに見えるのだが、母も都子ちゃんも危険だから絶対にひとりでフライパンを握ってはいけないと言う。

 かつて私が始終見学していた小学校の家庭科実習で、みんながオムレツをつくっていたような気がするのだが、現状の私の評価は小学生以下ということなんだろうか?


 そんなこんなで空が夕焼け色に染まった頃、父がお客さんをつれて帰ってきた。


「都子、もう大丈夫だぞ! あの男はパパが追っ払ってきてやったからな」


 なにがあったのか、孝おじさんは興奮気味だった。

 出迎えた私達の中に都子ちゃんを見つけて、満面の笑みで都子ちゃんに歩み寄ってぎゅっと抱き締める。


「怖かっただろう? 助けるのが遅くなってごめんな」

「うん。……パパ、ありがとう」


 都子ちゃんもそうっと孝おじさんの服に手を伸ばして、ぎゅっと強く握った。少し涙声だったのは聞かなかったことにする。


「お父さん、なにがあったの?」


 好奇心を抑えられない私は、そっと父の側に近づいて聞いてみた。


「まあ、訴えられない程度に色々と……」


 夕食を食べながら話すよと焦らされて、私はまたしても落ち着かない気持ちになってしまったのだった。




 都子ちゃんが母に教わりながら味付けした酢豚を、孝おじさんは美味い美味いと喜んで食べた。

 都子ちゃんは嬉しそうにそれを見ている。


「それで、なにがどうなったの?」

「うん? まあ、あの後、まず三ツ谷さんに連絡して車で拾ってから、弁護士事務所に行ったんだ」


 そこで都子ちゃんのスマホに残された伝言を聞かせ、怒り狂う孝おじさんを抑えつつ、今後の方針を決めたのだそうだ。

 そして都子ちゃんが暮らしていたマンションに乗り込んで、戸沢さんに録音を聞かせて、まあ、私達にはあまり話したくないようなことを色々してきたらしい。残念ながら具体的なことは教えてもらえなかった。


「弁護士さんも同席していたから、法に触れることはしてないぞ。……たぶん」


 その結果、戸沢さんは、快く証言と念書を提出してくださったのだとか。


 証言とは、都子ちゃんの祖母が、都子ちゃんの身柄と引き換えに商売上の都合をつけてくれるように依頼してきたこと。念書のほうは、今後一切都子ちゃんにかかわらないという内容らしい。


 そしてそれを持って、孝おじさんと弁護士さんが、岐阜の祖母の元に乗り込む予定だ。書類を送りつけてもきっと無視されるだろうと考えたのだ。


「弁護士さんの予定が詰まってるから、岐阜に行くのは一週間後になりそうなんだ。そこで都子の親権をもぎ取ってくるから」

「向こうの家も、都子ちゃんに強要しようとした内容を公的機関に訴えられたくはないだろう。児童福祉法や青少年保護育成条例に明らかに引っかかる内容だからね。勝ったも同然だよ」


 都子ちゃんのスマホにあの伝言を残してしまった時点で、向こうの敗北は確定していたと父が言う。


「正直、正攻法で親権を取りに行くのは難しそうだったから、向こうがボロを出してくれて助かったよ」

「よかったね、都子ちゃん」

「うん。――あの……ありがとうございます」

「いや、いいんだ。娘を持つ親として、こんなこと許しておけないからね」

「都子、親権を取れたら今度こそ一緒に暮らそうな。とりあえず、それまでに自分の部屋を整えておいてくれ」


 孝おじさんが都子ちゃんに鍵を渡した。都子ちゃんと暮らすべく新しく借りたマンションの部屋の鍵だ。

 都子ちゃんは宝物のようにその鍵を握りしめていた。




 後日、その部屋に都子ちゃんにくっついて行ってみた。

 家からだと徒歩五分弱、ドア・ツー・ドアで七~八分といったところか。嬉しいことに本当に近い。

 間取りは3LDKで、リビングダイニングがかなりゆったりしているので親子ふたり暮らしならば充分な広さだ。


「孝おじさん、もうここで暮らしてるって言ってたよね?」

「うん。そのわりに荷物が少ないけど……」


 都子ちゃんの部屋には、以前注文していたカーテンやベッド、机などが詰め込まれていたが、それ以外の部屋は最低限の家具しかない。

 離婚後の孝おじさんがどういう生活をしていたのか、想像してちょっと悲しくなった。

 キッチンを見回しても、やはり最低限のものしかないようだ。

 冷蔵庫の中身も空っぽで、孝おじさんの食生活がしのばれる。


「もらい物で箱に入ったままの鍋とか食器とかが納戸にいっぱい余ってるから、見つくろって持ってこようか?」

「それはさすがに悪いわ」

「平気だよ。翠さんも結婚するときいっぱい持ち出してたし、どうせ使う予定のないもので場所塞ぎになってるんだから使っちゃってよ」


 母に相談すると、二つ返事で協力してくれた。セットになっている茶器や食器類、カラトリーなんかも奥から引っ張り出してくる。


「鍋は古いものより、最近のもののほうが良いと思うわ。焦げつきにくい加工がされているものがあるから。あとは使い切れないタオル類がいっぱいあるのよ。好きな色柄のものを捜してみて」


 納戸をひっくり返して使えそうなものをあれこれ捜す。一段落ついたときには、ぎっしり物が詰まっていた納戸にもちょっとしたスペースができて母が大喜びしていた。これもある意味、WIN WINだと思う。



 家と都子ちゃん家を行ったり来たりして荷物を運び込んで片付けたり、残ったスイカを処分するために陸上部に差し入れに行ったり、皆でアミューズメントパークに遊びに行ったり、残った宿題を片付けたりしているうちに日々は過ぎ、あっという間に夏休みが終わろうとしている。


「ああ、のんびり昼寝できる楽しい日々が終わっちゃう」

「悲しんでいる暇があったら、夏休み明けのテスト勉強をしようね」


 真面目な都子ちゃんが数学のプリントを手にニコニコと私を追い立てる。

 私は泣く泣くシャーペンを手に取った。



 残念なことに、岐阜に行った孝おじさんは手ぶらで帰ってきた。

 事前に連絡を入れておいたのに訪ねていった田宮家が留守だったのだ。


「絶対に居留守だよ。有り得ない」


 孝おじさんは怒り心頭で、正式に法的に訴えると言っていた。

 都子ちゃんはがっかりしていたが、私は都子ちゃんともう少しだけ一緒に暮らせるとちょっとだけホッとしていた。

 私のお尻にはやっぱり悪魔の尻尾が生えているのかもしれない。



 そして夏休み最終日、今日は早く寝ようと早々に寝支度してお風呂に入った私は、お風呂上がりの麦茶を取りにキッチンに向かった。

 その途中、両親と都子ちゃんが揃ってテレビ画面に釘付けになっているのを見かけて「なにかあったの?」と近づいていく。


「芽生ちゃん、この人……」


 どうやらニュース番組を見ていたらしい。都子ちゃんが指差した先には、警察車両に乗せられていく青年達の姿があった。

 やがて画面は火災現場の映像に切り替わる。どうやら日中の火災だったようで、商業ビルから黒煙がモクモクとあがっていた。


「この人達、なにしたの?」

「ああ、そうか。あの時の芽生ちゃんには、顔が真っ黒に見えてたのね」


 真っ黒というのなら澱み関係だ。

 二十代の青年で澱み関係と言えば、あれしかない。


「もしかして、都子ちゃんのマンションに居座っていた人達? なにしたの?」

「暴行と放火よ」


 火災現場になったビルの地下にはクラブがあり、彼らが新たなたまり場にしていたようだ。

 素行の悪さでそこも追い出された彼らは、逆恨みしてまだ準備中のクラブに乗り込み従業員に暴行し、その場にある酒瓶を火炎瓶のようにして放り投げて逃げていったらしい。

 その結果、火災が発生した。クラブの従業員は火傷を負いながらも逃げ出せたが、同じビルの上階にあるレストランの客が何人か煙に巻かれて……ということらしい。


「……犠牲者が出たんだ」


 あれだけの澱みを発生させていた人だ。いずれなにかやらかすだろうことはわかっていた。

 それがわかっていても、私にはなにもできない。

 澱みがどうのと言ったところで誰も信じてくれないこともわかっているからだ。


 久しぶりに、にぱっと笑って、明日遊ぼと手を振ってくれたあの男の子のことを思い出して、私は自分の無力さにうなだれた。


「芽生ちゃん、そんな顔しないの」

「芽生が責任を感じることじゃないよ」


 両親が慌てて私を慰めてくれる。

 私がうなだれればすぐに両親がそうすることを私はわかっていた。それなのに、自分の感情をコントロールできない甘ったれな自分にまた落ち込む。


「芽生ちゃん、悪いほうに考えないで。芽生ちゃんは私と美結を助けてくれたのよ? 美結だって、もしかしたらさっきの事件に巻き込まれてたかもしれない。そうでしょ?」

「……うん」

「皆で行った花火もアミューズメントパークも楽しかったよね? 芽生ちゃんのお蔭だよ。芽生ちゃんが頑張ってくれなかったら、全部なかったことだよ。美結があの犯罪に巻きこまれてたら、杏も咲希ももう少し美結のためになにかできていたんじゃないかって後悔してたと思う。――皆を芽生ちゃんが助けたの。だからもっと自信を持って」

「そうだぞ、芽生。万人を助けることなんて誰にもできないんだ。自分の手の届く範囲だけで誰もが精一杯なんだから」


 欲張るな、と父が珍しく厳しい声で言う。

 抱えきれない荷物を背負っても潰れるだけだと……。


 その厳しさが嬉しくて、私は顔を上げて頷いた。

読んでいただきありがとうございます。


次話は、敵意。

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