伝言のこと 1
「都子ちゃん、大丈夫?」
「……えっ、あ、うん。平気、大丈夫よ」
鳴り続ける着信音を放置したまま、都子ちゃんがひきつった顔で私に笑いかけてくる。
私は絵筆を置いて、両手でそっと都子ちゃんの手を握った。
「あの着信音、誰の?」
「……お祖母さまよ。今まで一度も向こうからかかってきたことなんてなかったのに……」
なんで今ごろ……という都子ちゃんの手はかすかに震えていた。
苺ちゃん達もその場にホバリングするように留まってブルブルと震えている。多分、怯えているんだと思う。
なんとなくふたりともそのままの体勢で、テーブルの上で鳴り続けるスマホを怖々と見つめていたが、やがて着信音も途絶えた。
「もう一回かかってくるかな?」
「できれば、うっかりミスの間違い電話であって欲しいんだけど……」
その場でじっとしたままスマホを眺めていると、またしても着信音が鳴りはじめる。
普段の都子ちゃんは居留守とか絶対にやらない真面目なタイプだけに、どうも罪悪感があるらしい。出た方がいいのか迷っているようだったから、「嫌なら出なくていいよ」と私は引き止めた。
「後で文句をいわれても、友達と映画を見てたとか言えばきっと誤魔化せるよ」
「でも、急ぎの用事だったら……」
「後から、いつも連絡取ってるお手伝いさんのスマホにかけて聞いてみたら?」
「そうね。……そうしようかな」
頷きながらも、やはり都子ちゃんの表情からは罪悪感がぬぐえない。
罪悪感なんてない私は、自分のお尻に先の尖った悪魔の尻尾が揺れているような錯覚を覚えた。
でも話に聞く限り、都子ちゃんの祖母は相当に強烈で性悪な人物だ。いずれ都子ちゃんは父親に引き取られて、向こうとは縁を切る予定なんだから、今から接触を避けたって構わないはずだ。
都子ちゃんのスマホは三回着信音を鳴らした後で、やっと沈黙した。
「諦めた……のかな?」
「どうかしら」
スマホの画面を覗き込むと、伝言メモの表示があった。
「……三件も受信してる」
伝言メモの制限時間は一分程度だ。それでは足りなくて何度も電話を掛けてきたのだろう。
「聞いてみるわね」
スピーカーにして、都子ちゃんが伝言メモの一件目を再生する。
と、その途端。
『この阿婆擦れがっ‼』
小説では何度かお目にかかったことがあるが、現実では耳にしたことのない汚い言葉が耳に叩きつけられた。
『どこをほっつき歩いてるんだい⁉ よくも私に恥をかかせてくれたね。あのろくでなしの血を引くだけあって――』
多分これが都子ちゃんの祖母なんだろう。きんきんと甲高い女性の声が、都子ちゃんと都子ちゃんの父親のことを延々と汚い言葉で悪し様に罵り続ける。その声は一分程で唐突にぶつっと途切れた。
「次も聞くね」
現実では耳にしたことのない汚い言葉のオンパレードに私が絶句してフリーズしている間に、真っ青な顔をした都子ちゃんはまたスマホを操作して次の伝言メモを再生した。
その途端、再びはじまる罵声。だが途中で録音時間が短い事に気づいたのか、都子ちゃんの祖母は慌てて用件を話しはじめ、そしてまたその声はふつっと途切れた。そして三度目の再生。
やっと全ての用件を話し終えた都子ちゃんの祖母は、満足したように通話を切った。
「え? ……なにこれ? 現実?」
余りにも酷い内容に、耳から入ってきた情報を上手く処理できない。
「戸沢さんって、もしかして前に話してくれた五十過ぎのおじさん?」
「そうよ。お祖母さま曰く、私の婚約者」
都子ちゃんの祖母は、戸沢さんが待ってるからさっさとマンションに戻れと言っていた。どうせ結婚するのだから、今からせいぜい媚びを売ってご機嫌を取っておけと……。
つまり彼女は、マンションで待つ戸沢さんに対して都子ちゃんが性的なサービスをするように命令しているのだ。
徐々にそのことを理解していくと同時に、じわじわと怒りがこみ上げてくる。
血の繋がった自分の孫相手に、よくもこんな酷いことが言えるものだ。
まだ高校生の都子ちゃんの人生をこんな形で使い潰そうとするなんて余りにも酷すぎる。
最近、こんな酷いことばっかりだ。
都子ちゃんの祖母も、あの可哀想な子猫を酷い目に遭わせた奴も、杏ちゃんを苛める先輩も、どいつもこいつも大っ嫌いだ。
助けてあげたいのに、無力でなにもできない自分が腹立たしくて悲しい。
声を上げて大声で泣き叫べたら少しはすっきりするのかもしれないが、高校生にもなってそれはないだろうと、ぐっと喉の奥に力を入れて堪える。
「……最悪」
ぼそっと呟く都子ちゃんの声が奇妙なぐらい遠くに聞こえた。
「あのお祖母さまが、私の為にあんな綺麗なマンションを用意したときから変だとは思ってたのよね。きっと最初からそのつもりで私を東京に進学させたのよ。地元で私をあの男に差し出したりしたら噂になるかもしれないから」
自分のことだと言うのに、都子ちゃんはやけに冷静な声だ。
祖母から酷いことをいわれ続けて感覚が麻痺しているのか、それとも酷いことを言われても傷つかないよう、自分のことを俯瞰して見る癖がついてしまっているのか。
「当然ママだって知ってるはずよね。知ってるのに、なにも言ってくれない。そんなに私のことが嫌いなのかしら」
いやんなっちゃうと、都子ちゃんが乾いた声で笑う。
苺ちゃん達は、ふらふら~っと下降してはパチンパチンと弾けて次々に消えてしまう。
「……っ」
都子ちゃんが怒りも泣きもしないのに、私が先に泣き出すわけにはいかない。
身体の中で渦を巻くように暴れ回っている感情が、目からこぼれ落ちそうになるのをぐっと堪えようとしたのだが、駄目だった。
ぼろぼろっと涙が零れてしまって、私は慌ててしゃがみ込んで膝に顔を隠した。
「芽生ちゃん?」
「ごめっ、ごめんね。私が先に泣いちゃ駄目だよね」
「ううん。いいの。……私のために泣いてくれるんだもんね。それだけで凄く嬉しい」
都子ちゃんは私の隣りにしゃがみ込み、私の背中を撫でた。
「ママもお祖母さまも、私の気持ちなんてこれっぽっちも考えてくれてなくて、ずっと……ひとりで寂しかったから……だから、ありがとう」
都子ちゃんの声も徐々に涙声になってくる。
しゃがみ込んだまま寄り添いあって泣いていると、やがて植物たちの世話をしていた母が、バルコニーからリビングに戻ってきた。
「ふたりとも、どうしたの?」
泣いている私達を見つけた母が、心配そうに歩み寄ってくる。
なにがあったのか口で説明したくなかったし、もう二度と都子ちゃんの祖母の声も聞きたくなかった。
だから都子ちゃんのスマホから直接、都子ちゃんの祖母の三件の伝言を聞いてもらった。
伝言を聞きすすめるうちに、母の眉根が寄っていく。聞き終わると、都子ちゃんのスマホを手に父の仕事場に行ってしまった。
戻ってきたときには、父と一緒だった。
「都子ちゃん、これは大人が対処すべき案件だ。この件おじさん達にまかせてくれないか?」
「お願いします。あの……父にも連絡したいんですが」
「わかってる。三ツ谷さんと弁護士さんにも連絡して話し合うから」
怒り狂っている父は、都子ちゃんからスマホとマンションの鍵を借りると、慌ただしく家を出て行った。
読んでいただきありがとうございます。
次話は、夏休みの終わり。




