花火のこと 2
「たぶん、俺の説明の仕方が悪かったんだろうなぁ」
和也さんは、ただでさえ撫で肩の肩を、さらにがっくり落とした。
漫画家になると決意した和也さんは、それに反対する実家と縁を切った。そんな中、なにか困ったことがあったら頼りなさいと、こっそり祖母が竜也さんの連絡先を教えてくれたのだそうだ。
「竜也とは六歳離れてるんだ。その間にも兄がひとり」
「三人兄弟?」
「いや、俺の下に妹もいる」
「四人か。多いねぇ」
竜也さんは子供の頃からとても優秀で、両親の自慢の子供だったらしい。だが大学を卒業すると同時に絶縁して家を出て行った。
「当時は事情を教えてもらえなかったから、なにがどうなってるのかさっぱりわからなくて悔しかったよ」
そして、家と縁を切ることで経済的に困窮してきた和也さんは、祖母の勧めに従って竜也さんに連絡を取って、兄の真実を知ることとなった。
「びっくりした?」
「した。同時に、そういうことだったのかって納得もした」
和也さんの現状を知った竜也さんは、『とりあえず自力で生活できるようになるまでは住む場所を提供するわ。学費も出世払いで貸してあげるから、大学だけはちゃんと卒業してね』と、迷わず救いの手を差し伸べてくれた。
「そんなあれこれを担当の高遠さんには話してあったんだよ。ただ、竜也との関係を説明する時にちょっと言い淀んじゃったんだよね」
「さっきみたいに?」
「あれより酷かったと思う。あの頃は、まだ竜也のことを人にどう説明したらいいか迷っていたから」
兄だけど姉と紹介すべきだろうか?
迷う心が言葉を詰まらせた。
高遠さんにどういう関係の人と聞かれた和也さんは、「俺のあ……」と言い淀み、それを高遠さんは「俺の愛する人」と勝手に誤変換したようだ。
その後、職業などを聞かれたときは、「二丁目じゃないんですけど、女装してバーのマスターをしてます」言い淀まずにすんなり答えることができた。
その結果、高遠さんは、和也さんの愛する人は年上で女装していると勘違いしてしまったのだ。
「困ったなぁ。騙すつもりはなかったんだけど」
「わざとじゃないんだから気にすることないよ」
私は和也さんを見上げてにっこりした。
高木さんが誤解してくれたお蔭で、和也さんがアシスタントとしてわが家に来てくれたのだから、結果オーライだ。
「でも今の俺だと、界太先生のアシスタントの条件からは外れてしまうから、正直に話さないと」
「え……別にわざわざ言わなくてもいいよ」
私の初恋の相手である和也さんがゲイではなくフリーだと知ったら、絶対に父がごねはじめるに決まってる。
私は和也さんに黙秘を勧めたが、頷いてもらえなかった。
「界太先生を尊敬してるんだ。信頼を裏切るようなことはできないよ。――でもクビは嫌だなぁ。できれば、もう少しだけあそこで勉強したかった」
残念だと肩を落とす和也さんの頭上で、綺麗なサマーグリーンの光がふらふら~と力なく下降していくのが見える。
本気でがっかりしているのに、嘘をつくのをよしとはしないのだ。
――ほらね、やっぱり素敵な人だった。
この人に一目惚れしたのは間違いじゃなかったと、私はつるペタの胸を張る。
……どうでもいいけど、浴衣だと誤魔化しがきかないからつるペタなのが丸わかりすぎて、ちょっとだけ切ない。……いや、本当にどうでもいいんだけど。
とにかく、私の初恋はここに復活した!
もう無理に恋を終わらせようとしなくてもいいんだ。
嬉しくて、顔が勝手にニコニコしてしまう。
「大丈夫だよ。私が応援してあげる! 和也さんが悪いことするような人じゃないって、ちゃんとわかってるもの」
任せといてと、つるペタの胸をポンと叩く。
「ありがとう。すごく心強いよ」
見上げた先にある、もさもさの長い前髪の下で、和也さんの糸目が嬉しそうにきゅうっと弓のように曲がるのが見えた。
屋台が並ぶ道の入り口に到着したところで作戦会議だ。
ここの花火大会は小規模なので花火の本数が少ないのだそうだ。あっという間に終わらないよう、花火が上がる間隔がかなり長いらしい。そこで、待ってる間の暇潰しも兼ねて、大量の食料を買い込んでいく予定になっていた。
「いい? お互いにメニューが重ならないように確認しながら買ってね。飲み物は先に買うとぬるくなっちゃうから最後に買うこと。それとクジ関係のお店にはお金を注ぎ込まないこと。不審者には近寄らない、知らない人にジュースとか勧められても絶対に呑まないこと。特に芽生ちゃん、気をつけてね」
「はーい。……それ、父にも言われたよ。私、そんなに危なっかしいかなぁ」
「チビだから、どうしてもガキっぽく見えちゃうのよ」
美結がたゆんと大きな胸を張って、ふふんと高いところから私を見下ろす。
ここで反論すると余計に子供っぽく見えてしまう。和也さんもいることだし、私はぐっと我慢した。
「でもさ、今日一番注意しなきゃなのは、咲希ちゃんだよね?」
「わかってる。芽生ちゃんの側にいれば、必然的に和也さんが守ってくれるでしょ?」
「そうだね。――俺がこっちの三人につくから、そっちのふたりは竜也に任せていいかな?」
「もちろん。それじゃお嬢さん達、行きましょうか。なにが食べたいの?」
「牛串!」
「唐揚げも食べたいです!」
美結と杏ちゃん、体育会系のふたりは竜也さんの両脇にくっついて屋台通りへと入っていく。
「それじゃ私達も行きましょうか。芽生ちゃんはなにが食べたい?」
「たこ焼きとベビーカステラ! あとお土産に林檎飴も!」
「都子は?」
「私はお芋料理があったら」
「私はやっぱり焼きそばかなぁ。あちこち見て美味しそうなの買おうね」
都子ちゃんと咲希ちゃんが両脇から私と腕を組んで歩き出す。少し離れて和也さんがついてくるのを確認すると、咲希ちゃんが「よかったわね」と私の顔を見てにやりと笑った。
「なにが?」
「失恋してなかったんでしょ?」
「あ、聞こえてた?」
「うん。聞いちゃった。ついでに、咲希にも事情を話しちゃったけど、いい?」
「もちろん」
「芽生ちゃんってああいうのがタイプなのね。あの竜也さんの弟だし、やっぱり和也さんも前髪上げると美形なの?」
「ううん。美形じゃないよ。でも、優しそうな顔なの」
「優しそうっていうか、ぬぼーっとしてる感じよね。あのもさもさの前髪の下も糸目だし」
「都子ちゃん酷ーい」
「今の芽生ちゃんは惚れた欲目で目が曇ってるから、咲希に真実を教えてあげてるのよ」
三人で顔を付き合わせて、こそこそおしゃべりするのは凄く楽しかった。
待ち合わせ場所に到着したときはまだ全然明るかったのに、いつの間にか周囲は薄暗くなりかかっている。屋台の灯りがその暗さを跳ね返すように強く輝き、行き交う人達の顔もみんな楽しそうだ。
「あ、見て。由緒正しい飴細工の店もあるわ。お土産に買って帰ろうかな」
「あれって食べられるの?」
「もちろん食べられるわよ。でもうちでは店に飾ったりもするわね」
父が好きなのよと咲希ちゃんは微笑む。
「咲希ちゃんちは、屋台出したりしないの?」
「しないしない。花火当日は持ち帰りの注文が多いし、花火帰りの人がお店にも来るしで忙しいのよ。私もさっきまでずっと働いてたんだから」
「ふうん」
あちこちの屋台に立ち寄り、しっかり食料を買い込んでから、小学校のグラウンドに向かった。グラウンドでは杏ちゃんのご両親と近所の人達が私達の分の場所も確保してくれていたので、そこにありがたく陣取る。
「ちょうどいいタイミングだったわね」
座るとすぐに、花火大会の始まりを告げるアナウンスが流れた。
ドーンと大きな花火が上がって、待ってましたとばかりにみんなが歓声をあげて拍手する。
面白いことに、アナウンスはDJっぽい砕けた口調で、花火を提供した企業や商店名等を告げるだけじゃなく、そのメッセージを軽い調子で読みあげていた。
内容は、業務内容の説明や社員募集や商品説明など、なんでもありだ。中には孫が産まれたとか、結婚相手を募集しているとか、そんな個人的な内容も含まれていてとてもアットホームな雰囲気だった。
花火の本数は確かに少なかったが、のんびりと次の花火を待つ間に屋台の食料を食べながらおしゃべりするのが凄く楽しい。
家族と見るのとはまた違った楽しさで、とても有意義な体験だった。
「女子高生って、もっとこうダイエットとかに気を使うものじゃなかったかしら?」
買ってきた大量の食料をペロリと食べ尽くした私達を見て、竜也さんがちょっと呆れていた。
「若くてまだ代謝が良いからこの程度じゃ太りませんよ」
「いや、それは美結だけでしょ。私は明日からところてん生活だから」
「……あれ、杏ちゃんは?」
それは花火が終わり、片付けてさあ帰ろうという時のことだった。
私は、きょろきょろと周囲を見渡した。
「……杏なら、部活の先輩がいたから挨拶に行ってるわ。ほら、あそこ」
咲希ちゃんが指差した先に、杏ちゃんはいた。
校庭に植えられた桜の木の下で、先輩らしき人の前に俯いて立っている。
少し離れているから声は聞こえないが、ひとめ見ただけでなにか嫌な雰囲気が漂っているのが私にもわかった。
普段の私は、人混みにいるときは光を意識しないようにしている。日常生活に支障が出る程に眩しい光を発生させる父が身近にいたせいで身についた技なのだが、あえて今はそれをやめてみる。
そして、杏ちゃんとその周囲をじいっと見た。
――杏ちゃん、怯えてる。
杏ちゃんの優しい茶色の光が、自由気ままに飛ぶことなく杏ちゃんの周囲に固まってふるふると震えていた。
対称的に、杏ちゃんと向き合っている先輩達の様々な色の光は、ぎざぎざと鋭角的な動きで飛び回っている。
だが、その光の色が少し奇妙だった。
光の周囲に黒い靄のようなものが膜のようにうっすらかかっているみたいで、明らかに光量が落ちている。
「……澱み……とは違うみたいだけど……」
だが、それに近いものだと私の勘が囁いている。
「芽生ちゃん、どうかした?」
「よくわかんない。……けど声を掛けたほうが良いような気がする。――杏ちゃん!」
私が杏ちゃんに声を掛けて走り出すと、都子ちゃんも一緒についてきてくれた。
「あ、芽生ちゃん」
「帰り支度終わったよ。帰ろうよ」
「うん、でも、先輩達とちょっと……」
「先輩? 部活の?」
目の前にいるのは、三人の女子高生。
テニス部らしく、みんな健康的に日に焼けている。
そんな彼女たちを、私はじいっと見てみた。
その肌や身体には一切澱みはくっついていない。日常的に太陽の光を浴びているのだから当然だ。
でも、この光の暗さはいったいどういうことなんだろう?
本来ならば、もっと明るく光っていてもいいはずなのに、黒い靄にすっかり光量を奪われてしまっている。
「なにこの子。中学生?」
「高校生です! 藤麻芽生、同じ女子校に通ってます」
「藤麻芽生って……あの?」
「ヤバイ、祟られる」
どうやら彼女たちは、かつての私の悪い噂を知っているらしい。ビクッとして、一歩後ろに下がった。
最近はこういうことが少なくなっていたから、さすがにちょっと傷つく。
「でもあの噂、デマだったって聞いたよ」
「噂ってなんですか?」
私はわざと大きく目を開いて、瞬きをせずに、じいっと彼女たちを見つめた。
「ひっ、ちょっとなんかヤバイって」
「もういいわ。杏、また今度ね」
効果覿面、彼女たちは慌ててその場から去って行った。
良かったけど……やっぱりちょっと傷つく。
「ねえ、杏ちゃん、あの先輩達となに話してたの?」
「え、あの……今日の部活中のことよ。プレイの悪いところとか色々」
嘘だ。明らかに杏ちゃんはなにか誤魔化そうとしている。
問いただそうとしたのだが、手を繋いできた都子ちゃんに止められた。
「ねえ、芽生ちゃん。そろそろ帰りましょう。ほら、みんな待ってるし。杏も行こう?」
「う、うん。ありがとう」
「え、でも……」
それでも問いただそうとしたのだが、都子ちゃんにぎゅううっと強く手を握られて、渋々口を閉ざした。
「芽生ちゃん、お土産に林檎飴を買って帰るんでしょ?」
「うん。あと、美味しかったからベビーカステラも」
「私も弟に買って帰ろうかな」
「杏ちゃん、弟いるの?」
「いるよー。まだ小学生なの。やんちゃでうるさくて、もう大変」
何事もなかったように杏ちゃんが笑う。
そしてふるふると震えていた杏ちゃんの茶色の光は元気を取り戻し、そのいくつかが、ぺたっと私にくっついてきた。
たぶん杏ちゃんは、私があの先輩達を追い払ったことを喜んでくれてるんだろう。
――ただ、口うるさくて苦手な先輩だったのかな。
それならいいけど、でもあの黒い靄のようなものに覆われた光が気になる。
だってあれは、悪いものだから……。
こうして、楽しかった花火大会は、ちょっとだけ消化不良な気分を残して終わったのだった。
読んでいただいてありがとうございます。
次話は、都子ちゃんの危機。




