痕跡のこと 4
「ぴーちゃんも芽生ちゃんと同じものが見えてるのよね?」
「うん。そだよ」
都子ちゃんの質問に私は頷いた。
見えているはずなのに、澱みを気にすること無く、ぺろぺろと三毛猫を毛繕いしているぴーちゃんを私は心から尊敬した。
私も三毛猫が生きていることを確認したくて何度か直接触れてみたけれど、澱みに対する嫌悪感が大きすぎて長時間触ることはどうしてもできなかったからだ。
「そういえば、私がはじめてこの家に泊まった夜も、ずっとぴーちゃんがあんな風に寄り添って慰めてくれてたっけ……。あ、もちろん、芽生ちゃんもね」
「……うん」
付け足しみたいに言われて、私は苦笑した。
「私ね、あの日はどうやって都子ちゃんを慰めていいのか分からなかったから、ぴーちゃんの真似をしてたんだよ」
「そうだったの」
「うん。ぴーちゃんって優しいよね」
「そうね」
私に対してだけはなぜか塩対応だけど、それでもぴーちゃんは優しい。
きっと今も、私達がどうしたらいいのか分からずに困っているのを察して、しょうがないわねと手を貸してくれているんだろう。
「……ああやって、撫でてあげればよかったんだね」
人間に傷つけられ、悪意に満ちた澱みに汚染されて、自ら澱みを発生させてしまうほどにすさんでしまった三毛猫の心。
この子を助けるには、ただ澱みを取り払おうとするだけじゃ足りなかった。
ごめんねと謝って、痛くて辛かったねと慰めて、もう怖いことは終わったから安心してねと宥めてあげることが必要だったのだ。
それなのに私は、澱みを取り払おうと水晶を取っ替え引っ替えして騒がしくしたり、怖がって指先でちょんと触れたりするばかり。
優しい言葉をかけることも、優しく撫でてあげることすらしなかった。
きっとぴーちゃんは、そんな私を見かねて、仕方ないわねと手を貸してくれたのだ。
なにしろぴーちゃんは、私のお姉ちゃんのつもりらしいから……。
眉間や喉の周り、耳の中や背中まで、ぴーちゃんは優しく三毛猫の毛繕いを続けていた。
そうこうしているうちに、薬で眠っているはずの三毛猫からごろごろと喉を鳴らす音が聞こえてくる。
「きっと夢を見ているのね」
「そうだな。母親と一緒に過ごしていた頃の夢でも見てるんだろう」
夢見がちな両親の会話に、私と都子ちゃんも黙ったまま頷いていた。
本当にそうであって欲しい。
せめて最期ぐらいは、優しい夢を見ながら旅立って欲しい。
祈るように見つめていると、徐々に三毛猫を覆う澱みに変化がおきはじめた。
「凄い。澱みがみるみる薄くなってきてる。三毛の模様も見えるよ」
「ああ、よかった」
「うん。ほんとに……。限りなく白猫に近い三毛ちゃんだったんだね」
三毛模様は頭と尻尾、そして背中にちょっとだけで他は真っ白。なかなか上品な柄だ。
柄と同時に、三毛猫の怪我もはっきりと見えた。
目をそらすものかと唇を噛みしめる。
柔らかくて小さな命に、こんな酷いことが出来る人間がいることがショックだったし許せないと思う。
「まだ子猫だね。春生まれだったのかな」
「たぶんね。ねえ、芽生ちゃん。この子、野良猫にしてはちょっと白すぎると思わない?」
言われてみれば確かにそうだ。
血の汚れが残っているものの、それ以外の毛並みはとても綺麗な白だった。野良猫だったら、こんなに白いままではいられなかっただろう。
「誘拐されたのかな?」
「里親詐欺の可能性もあるな。気をつけていても被害に遭うことがあるって聞いたことがある」
犬猫の里親ボランティアをしている友達を持つ父が、やるせなさそうに言う。
そんなことを話している間に、ふと気づくとごろごろと喉を鳴らす音が聞こえなくなっていた。
皆もそれに気づいたようで、黙ったまま三毛猫を見つめていた。
ぴーちゃんに毛繕いされている三毛猫は、やがてゆっくりと大きな息を吐いて動かなくなった。
たった今、逝ってしまったのだ。
そう悟ると同時に、自然と涙が溢れた。
人間の悪意によってこの命は失われた。
そう思うと、悲しさと同時に悔しさや情けなさがこみ上げてきて我慢できなかった。
父がそっと三毛猫の口元に手を近づけて呼吸の有無を確かめてから、三毛猫をそっと撫でる。
「人間の勝手で酷い目に遭わせてごめんな。ゆっくりお休み。――ぴーちゃん、最期まで面倒をみてくれてありがとう」
「にゃあ」
「お水で口を湿らせてあげましょうね」
少し涙声になった母が立ち上がってキッチンへ向かう。
私はといえば、涙を流し呆然としたまま三毛猫を見つめていた。
「芽生ちゃん、大丈夫?」
心配そうな都子ちゃんにそっと背中を撫でられ、ハッと我に返った私は、三毛猫を指さした。
「そ、そこにも三毛ちゃんがいるんだけど……」
横たわったままの三毛猫と、欠けた所のない綺麗な身体の三毛猫。
綺麗な身体の三毛猫はすっくと自分の足で立ち上がり、不思議そうにぐったりしている自分の身体を見下ろしていた。
「幽霊……なのかな? 身体のまわりに、うっすらと黒いもやみたいな澱みがまとわりついてる」
「悪霊化しちゃったの?」
心配そうな都子ちゃんに、「違うと思う」と私は首を振った。
「怖い感じはしないから……。でも、この状態ってあんまり良くないよね?」
「だろうな。まいった。この場合どうすりゃいいんだか……」
以前茜さんが、神気や邪気が絡んだ状態でなら幽霊が見えると言っていたけれど、たぶんこれもそういうことなんだろう。
「邪気に汚染されたままだと成仏できないのかな? なんか、三毛ちゃん自身も戸惑ってるみたいに見えるんだけど……」
困ったようにきょろきょろしていた三毛猫は、やがてぴーちゃんに救いを求めるようにすり寄っていく。
ぴーちゃんは、深く溜め息をついた。
――もう、しょうがないわね。
立ち上がったぴーちゃんは、そのまま珍しいことに私の膝の上に乗ってきた。
「ぴーちゃん、なにがしたいの?」
これ幸いと私が抱き上げると、「にゃあ」と一声鳴いてから目を閉じる。
「え?」
不意に、ぴーちゃんの身体からくったりと力が抜けた。
柔らかくなったぴーちゃんにびっくりしていると、するっとその身体からぴーちゃんがもう一匹抜け出してくる。
分裂した……わけじゃなさそうだ。
周囲の皆がなにも言わないところをみると、どうやら抜け出たぴーちゃんが見えているのは私だけみたいだし。
ということは、単純に分裂したわけじゃなくて……。
「ぴーちゃんも幽霊になっちゃった!」
「死んじゃったの?」
「死んでない! 温かいしドキドキしてるから。でも身体から、ぴーちゃんが抜け出ちゃったの」
「幽体離脱したのか」
「まあ、そんな特技を持ってたなんて」
驚いてパニックになっている私達をよそに、ぴーちゃんはスタスタと三毛猫の幽霊に近付いていく。
その身体はほんのり淡いピンク色の光に覆われていて、元々が神秘的な黒猫だけになんだか神々しく見えるほどだ。
「ぴーちゃん、三毛ちゃんにすりよって舐めてあげてる。……三毛ちゃん、凄く嬉しそうに甘えてる。もっと舐めてって言ってるみたい」
私は、見えない皆の為に実況中継をした。
ぴーちゃんにじゃれて甘える三毛猫は、まるっきり子猫の仕草で、その可愛さに幽霊だとわかっていても思わず口元が緩む。
やがて三毛猫はぴーちゃんに促されるように、するりと窓を抜けてベランダへと出て行った。
お日様の光を浴びると同時に、三毛猫の身体にまとわりついていた澱みが消えて、その姿も見えなくなる。
「今見えるのはぴーちゃんだけ……。たぶん、見えない三毛ちゃんを舐めてあげてるみたい」
ぺろぺろと見えない三毛ちゃんを舐める仕草を見せていたぴーちゃんは、やがて動きを止めてじっと空を見上げた。
たぶん空に上がる三毛猫を見送ってあげているんだろう。
そうならいいと私は思った。
「あ、ぴーちゃん戻ってきた」
私の実況中継につられるように一緒に空を見上げていた皆が、一斉に私の腕の中でくったりしているぴーちゃんを見た。
戻ってきたぴーちゃんが、くったりした身体の中に吸い込まれるように消える。
ぴくっとぴーちゃんが震え、ぴぴぴっとまず耳が動き、やがてぱちっとピスタチオのような翠の目が開いた。
「ぴーちゃん、三毛猫は無事に旅立ったのか?」
「にゃ」
そうよと、人間くさい仕草でぴーちゃんが頷くのを見て、皆でほっとした。
その後、ぴーちゃんは我に返ったかのようにいきなり暴れて私の腕の中から逃げだしていった。
「あ~あ、もうお終いなんだ。もうちょっと抱っこさせてくれてもいいのに」
「それでも、やっぱりぴーちゃんは芽生ちゃんを一番信用してるのね。だから抜け殻になる身体を芽生ちゃんに預けたんだわ」
がっかりする私に、都子ちゃんが嬉しいことを言ってくれる。
ぴーちゃん自身は、誰かさんに抱っこされたせいで毛並みが乱れちゃったわと言わんばかりに、ソファの上で毛繕いをはじめていたのだけれど……。
その後、やっと城崎さんと連絡がついたのだが、三毛猫の旅立ちに際する出来事を聞いて、その場に立ち会えなかったことをそりゃもう悔しがっていた。
オカルトライターとしては垂涎の出来事だったのかもしれないが、可哀想な三毛猫の姿に心を痛めていた私と都子ちゃんは、その態度にさすがにちょっと引いた。
あの日の城崎さんは、茜さんと共に事故物件の取材をしていたそうで、建物自体に電波は来ているのに、なぜかその部屋だけは電波状態が悪くてスマホが使えない状態だったらしい。
「ぴーちゃんは神使なのかもしれないね」
「しんし?」
「神様の使いのことだよ。ぴーちゃんと同じように見る力を持つ茜や君が巫女の家系なんだから、神様寄りの存在なんだろう」
道に迷いかけていた魂を、きちんとあの世に送り出してあげられたのだから、たいしたものだと城崎さんはぴーちゃんを誉めてくれた。
三毛猫の遺体は、ペット葬儀社に頼んで火葬にしてもらった。
その遺骨は、城崎さんの伝手で神社内の神域に埋葬してもらうことになった。
人間が傷つけたお詫びにはならないけど、人間の悪意が届かない清浄な地に眠らせてあげることができて、ちょっとだけほっとした。
咲希ちゃんの父親は、自分に詐欺を仕掛けた相手が古い友人の島村さんだということを、やっと警察に打ち明けてくれたそうだ。
あの日、咲希ちゃんが仕掛けていたカメラにはやっぱり顔を隠した人物が写っていたのだが、長いつき合いがある咲希ちゃんの父親の目には、それが島村さんだということが一目で分かってしまったのだ。
結局あの三毛猫が助からなかったことを知らされて、次は自分の家族に被害が及ぶかもしれないと恐ろしくなったらしい。
「都子に『守るべき相手を間違えないでください』って言われたのも効いたみたい」
甘味処ほしのに遊びに行って話を聞いた時、ありがとねと咲希ちゃんに言われて、都子ちゃんはちょっと気まずそうに笑っていた。
「あれは……八つ当たりみたいなものだから……」
小さかった頃、父親に守ってもらえなかったことをつい思い出して怒ってしまったのだと、ふたりきりのときに都子ちゃんに打ち明けられた。
やたらとキツい口調だったから、たぶんそうだろうなと思っていたので驚きはない。
ただ、今回のことで咲希ちゃんの父親がちゃんと娘を守ろうとして動いてくれたことは、都子ちゃんの為にもよかったんだろうなと思う。
謝ってもらって、ちゃんと許したつもりでも、一度心についた傷はそう簡単に消えないんだろう。
身体の傷と違って目に見えないぶんだけ、心の傷は難しいのかもしれないと思った。
島村さんのその後に関して少しだけ。
彼は夏休みがあけてしばらくしてから警察に捕まった。
元々グレーゾーンの金融取引に手を染めていた彼は、大きな借金を背負ってしまったことで、とある詐欺グループに手を貸すようになっていたのだそうだ。
だが甘味処ほしのを詐欺にかけようとしたのは彼の独断だったらしく、うまくいったら儲けは全て自分ひとりのものにするつもりだったらしい。
彼は咲希ちゃんの父親を完全に見下していて、騙したことがバレたとしても、自分も詐欺に引っかかったのだと言って謝れば、きっと警察沙汰にしないだろうと甘く考えていたようだ。
だが今回の詐欺事件が明るみに出ると同時に、手を貸していた詐欺グループは金を持って姿をくらました、しかも詐欺事件の主犯が彼になるよう細工が成されていたことを悟って、それはもう焦っていたらしい。
そして彼は、どうにもならない苛立ちを咲希ちゃんの父親に向けたのだ。
ずっと薄暗い生き方をしてきた彼は、身内や知人からも軒並み縁を切られていて、まともに相手をしてくれる相手が咲希ちゃんの父親ただひとりだけになっていた。
だからあの迷惑行為は、八つ当たりであると同時に、もうどうしたらいいのかわからないという、彼なりのSOSでもあったのかもしれない。
捕まった後、彼は詐欺グループに関して知っていることを全て警察に素直に話しているようだ。
そして、今までの人生の中で犯してきた罪も、芋づる式に掘り起こされつつあるのだとか。
ちなみに、詐欺行為が明らかになると同時に行方をくらましていた彼が捕まるきっかけになったのは、あの三毛猫だった。
もしかしたらあの三毛猫は里親詐欺にあったのかもしれないと考えていた父が、犬猫の里親ボランティアをしている友達に三毛猫の写真を送って、その伝手で調べてもらっていたのだ。
その結果、偽名を使って潜伏していた島村さんの居場所が明らかになった。
天網恢々疎にして漏らさず。
きっと三毛猫が一矢報いたのだと思うことにしている。
読んでいただいてありがとうございます。
次話は明るく花火と護衛。




