父のこと
私が通っているのは、豊麗女学院という私立の女子校だ。
校内にはチャペルっぽいものもあるがカトリック系ではない。
創設者は、ごきげんようと挨拶するようなお嬢さま校にしたかったのかもしれないが、宗教という結びつき、というか、くびきがない状態では、その望みも中途半端にしか叶えることができなかったようだ。
その結果、中途半端に規則が厳しい、そこそこレベルのお嬢さま校ができあがった。
偏差値は中の上といったところ。部活動に力を入れていて全国レベルの部もあり、そういう意味では人気が高い。
ちなみに、私がこの高校を選んだ理由はふたつある。
まず一番に家から近いこと。徒歩でもギリギリ通える距離だし、バスを使えば十五分程度しかかからない。
二番目は、女子校という特異性のせいか、同じ中学から進学を希望していたのが私ひとりだったことだ。
それを知った時、ここしかないと思った。
周囲に誰ひとり知る人がいない環境で、いちから対人関係をやり直すチャンスだと。
だが、現実はそう甘くない。
同学年にはいなくとも、上の学年には同じ中学出身者がいたのだ。
それに部活動や塾関係などで他校の生徒との交流もあったし、なにより今はSNS時代。ほんのちょっとしたきっかけで、私の情報はあっという間に校内に拡散され、気が付くと注目の的になってしまっていた。
いやいや大袈裟な。ちょっとばかりホラーな変わり者だからと言って、校内中から注目を浴びるなんてことありえない。自意識過剰なんじゃないのと思われるかもしれないが、これは事実だ。
なにしろ、私の目には光が見えている。
登校中の今現在も、私の周囲には色とりどり大小様々な光が浮かんでいる。
発生源は少し離れた所を歩く同じ学校の生徒達だ。
光の動きは心の動き。まるで怖い物見たさで目が離せないと言っているかのごとく、光は私から一定の距離を開けつつしつこくつきまとってくる。
正直、ちょっとうっとうしい。
まるで私を威嚇するように、あなたなんて怖くなんてないんだからねと、ぶんぶん目の前を飛び回る元気な光の方が好ましいぐらいだ。
「あ、あの……。藤麻さん、ちょっといい?」
教室の手前の廊下で、おどおどしている二人の女生徒に呼び止められた。
リボンの色は臙脂だから、二年生か。
「はい。なんでしょうか?」
「これなんだけど……。サインをお願いしてもらえないかな」
あの目でじいっと見つめられると呪われるとか言われている私の噂を知っているのだろう。震える手で差し出されたのは一冊の漫画本。
作者は清風界太。本名は藤麻孝俊、私の父だ。
「サインは父から断るように言われてます。すみません」
父のファンである女生徒に恐怖を与えないよう、なるべく彼女達から視線をそらしながら深々と頭を下げた私は、その場からそそくさと逃げだした。
清風界太、こと父が週刊少年誌でデビューしたのは大学時代。
デビュー作で書いた短編が話題になり、そのまま週刊連載へ。
連載は十年続き、単行本は番外編や後日談を含めシリーズで二十三巻まで発行され、アニメだけじゃなく映画にもなった押しも押されもせぬ有名漫画家である。
その娘である私が注目されるのも当然の成りゆきで、そこに怪談話までくっついているんだから、校内の有名人になってしまうのも致し方ない流れなんだろう。
「怪談扱いは酷いけど、そのせいでつきまとい被害には遭わないんだから善し悪しだな」
私の現状を知る父はそんな風に言って苦笑していた。
実際、有名漫画家の子供の中には、親からサインやイラストをもらってこいと脅されたり、父親に紹介しろとつきまといの被害にあう子もいるらしい。
それを思えば、怪談扱いされるのも悪くない……の……かな? う~ん、やっぱりちょっと微妙。
父の初連載にして出世作である作品はSFアクションものだった。
人類が宇宙から飛来した謎の生命体に支配されている時代。そんな中、支配者達と戦うべく進化した少年少女の成長と熱い友情、そして地球という星に秘められた秘密を解き明かしていく物語だ。
「俺はあの十年間で一生分稼いだ」
そんなことを口癖のように言う父は、さすがに週刊誌連載をもう一度やる気力はないと月刊誌に活動の場を移動して、今はそこで連載を持っている。
幻獣や妖精達の暮らす世界を描いたファンタジー作品で、ほのぼの路線の中に大きなスパンで妖精界の危機などのバトル要素も絡めつつ、のんびり連載を続けている。
デビュー作とは雰囲気も作風もがらりと変わってしまっているのは、たぶん心の中にお花畑を持っている母の影響が大きいんだろう。
連載も三年目に突入し、最近ではアニメ化の話も出ているようで順調な漫画家人生だ。
その日、帰宅すると食欲をそそるいい香りがした。
「ただいま! お母さん、ケーキ焼いたの?」
「芽生ちゃん、お帰りなさい。そうよ。お父さんのリクエストでスフレチーズケーキを焼いてみたの。仕事場で一緒に食べましょう」
「はーい」
その場に学校指定の鞄を放り出し、母と一緒に父の仕事場に向かう。
父の仕事場は同じマンション内の隣の部屋なので通勤に一分もかからない。
「お父さん、来たよー」
「おう。休憩か。――みっちゃんは、これ食ったら今日はもう帰っていいぞ。その分、明日はちょっと遅くまで頼むな」
「了解です」
ぴっと敬礼してみせたのは、京野翠さん。
父のアシスタントを十年務めてくれている人で、ひょろっと細長く髪もベリーショートにしているせいで性別不詳だが、歴とした女性だ。最近幼馴染みと結婚したばかりの新婚さんでもある。
「あら、それならここで食べるより、お土産にしたほうがいいんじゃない? 旦那さんの分も一緒に包むわよ」
「わ、嬉しい。夕香さん、まじ女神」
「そうだろうそうだろう。うちの奥さんは誰が見ても紛れもない女神だ」
翠さんの言葉が嬉しかったのか、ぽぽぽぽんっと父から大量に光が発生して、部屋中をびゅんびゅん飛び回る。
父から発生する光は、私が知る中では最大サイズの5センチ。
色は植物から出る光と似ている白金で、植物のそれより金色がかっていてとても眩しい。
大きいし眩しいしで、小さな頃から迷惑を被っている私は、父の光を見えないものとして極力意識しないように訓練しているぐらいだ。
「はいはい女神女神。――夕香さん、ジャムはラズベリーにしてもらえます?」
「いいわよ。でも、翠ちゃんはあんずジャムのほうが好きなんじゃなかったっけ?」
「旦那がラズベリー好きなんで」
「あら、そう。それならラズベリーとあんず、二種類つけるわね」
「さすが女神。ありがとうございます!」
楽しげに話しながら仕事場のキッチンに向かう母をうっとり見送っていた父は、ふと私に視線を戻した。
「そうだ。XT文庫の今月の新刊届いたぞ。読むか?」
「読む! 書庫?」
「ああ。ちゃんと明るくして読めよ」
「はーい」
私は仕事場から出ると、第一書庫と呼ばれている隣の部屋に向かった。
そこは作り付けの書棚が林立している部屋で、父が幼少の頃から集めてきた漫画や小説などがぎっしり隙間なく並べられている。
ちなみに第二書庫もあって、そこはちょっとエロい本もあるらしく未成年のうちは出入り禁止だと言い渡されていた。母や翠さんもたまに出入りしているようなので、児童ポルノ系などのやばい書籍はないだろう。……ないはずだ。
「あった。これこれ、新刊」
入ってすぐの未整理本の棚から目当ての本を見つけ出した私は、窓際にあるソファに座ってさっそく読み始めた。
読んでいるのは、私がいま一番はまっている異世界転移もののシリーズだ。
同じ車両に乗り合わせた乗客達がそのまま全員異世界に転移して、その世界で生き残る為に知略を絞って戦っていくといった内容で、三人のメイン主人公の視点を中心に語られていく群像劇だ。
最初に世話になった領地に留まり内政に励む者、元の世界に戻る方法を探るべく王国や教団に潜入する者、冒険者になって自由気ままに楽しく生きる道を選んだ者。
私が一番気に入っているのは冒険者になった高校生達のグループで、今回の新刊は彼らの話がメインだったので、そりゃもう夢中になって読み耽った。
「芽生ちゃん。目に悪いから、もうちょっと本を離したほうがいいわよ」
「……うん」
途中、母がケーキとアイスティーを持ってきてくれたが、どうしても本から目を離すことができず返事も上の空になってしまった。ごめんなさい。
友達と遊ぶことのない私は、その分の時間を父の書庫の本を読むことに費やしてきた。
漫画や小説は素敵だ。
こんな私でも楽しい学校生活を疑似体験できるし、見たことのない異世界を冒険することだってできる。
友情、恋、裏切り、未知の世界に対する憬れ、極限状態に陥った時の心理、努力して犠牲も払った後に得た勝利とその達成感。
現実では体験できない感情を、私は本から沢山学び影響を受けてきた。
書庫の持ち主は父なので、女の子向けのライトノベルや少女漫画はあまりない。
そのせいで女の子らしさはちょっと学びそこねてしまったかもだけど、今後必要になるとも思えないので気にならない。
「読書で学べることは多い。でも、それはあくまでも疑似体験なんだ。実体験じゃない。そこを勘違いしちゃ駄目だ」
読書に没頭する私に、父がよくそんなことを言う。
「本に書かれた他人の人生を疑似体験することは、現実に生きる他人の人生を覗き見るようなものだ。自分以外の誰かにも想いがあり願いもある。本を読むことで、自分ひとりでは理解できない他人の思考や感情を理解するきっかけをもらうこともある。もちろん、あくまでもきっかけだよ。人の考えは、ひとりひとり違うものだからね」
――大事なのは人の気持ちを考える糸口を自分で見つけられるようになること。考えを広げる為の想像力を養うこと。
「本を読んで共感して感動することと、現実で体験して実感することは違う。今の芽生は知識ばかりで、頭でっかちになってるってことは自覚しておいたほうがいい」
知ったかぶりで語られて、さすがにちょっとムッとした。
でもたぶん、父の言葉は大筋では間違ってはいない。
それがわかるから、むっと唇を尖らせつつも頷くしかなかった。
「……芽生。めーい。こら、戻って来い」
パチンと、いきなり目の前で父の光が弾けた。
読書に熱中していた私は、その眩しさに思わず顔を背けてしまう。
「もう、お父さん、眩しいっ」
「そう言われても、見えないお父さんにはどうにもできないんだから諦めろ。――ほら、もう家に戻る時間だぞ。まだ読み終わってないなら、部屋に持ち帰ってもいいから」
「う~ん、睡眠不足になりそうだから止めとく。また明日読みにくるよ」
「そんなに面白かったか」
「うん、あのね」
「待て! ネタバレ禁止だ! お父さん、締め切り終わるまで読めないんだから勘弁してくれ」
「はーい。――じゃ、帰ろっか」
いつの間にか窓の外は真っ暗だ。
気がつくと、お腹もしっかり減っている。
小説の中で、モンスターの肉をたらふく食べるシーンを読んだばかりだった私は、お腹をさすってちょっと笑った。
「……これが実感かな」
「ん?」
「今日の夕食、なにかなーって」
「それなら分かるぞ。リクエストしたからな」
締め切りが近付くとちょっと我が儘になる父が得意気に言う。
「なになに?」
「カレーピラフだ。スパイスから炒める本格的なやつ」
「あ、じゃあ、お母さんにとろとろのオムレツもお願いしなきゃ。お父さんの好みだと辛すぎるから」
早く早くと父の背中を押しながら、すぐ隣の家に帰る。
玄関のドアを開けると、食欲をそそるスパイスの良い香りが私を出迎えてくれた。
次話のメインは猫。
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イラストレーターはLaruhaさま、ペンネームはクロッチカから黒田ちかに変更しています。
でっかい謎の猫、大さんが活躍するファンタジーホラー。
よろしくお願いします。