甘味処のこと 1
「芽生ちゃん、どうだった?」
「ギリギリセーフ。都子ちゃんのおかげだよ」
戻ってきた期末テストの答案用紙を手に、私はにっこりした。
補習まであと二点というギリギリ具合の教科もあったが、とにかく補習や追加の宿題からは逃れられたのだからそれでいいのだ。
「都子ちゃんもセーフだよね?」
「うん。あっちは……ああ、駄目だったみたいね」
都子ちゃんの視線の先には美結がいた。
美結に話しかけている杏ちゃんの表情も暗いから、きっと二人とも補習組なんだろう。
「あの二人、テスト期間中はずっと筋トレしてたらしいよ。自業自得」
ニヤニヤ委員長、咲希ちゃんが肩を竦める。我がクラスで一番の才媛だけに余裕の表情だ。
とにもかくにも、テスト返却が終われば夏休みである。
今年は遊ぶぞーっと張り切っていた私だが、美結と杏ちゃんの期末テストの惨敗っぷりでブレーキをかけられた。
複数教科の補習に加えて、怒った親から塾の夏講習のスケジュールをみっちり入れられてしまったのだ。
「ごめんね。部活の大会もあるし、遊べるとしたら夏休み後半になりそう」
なんとか一度ぐらいは遊園地かプールに行こうと相談したのだが、屋外だと熱中症の不安もある。脳筋二人組の希望で、お台場にあるスポーツ系の施設が充実した屋内のアミューズメントパークに行くことになった。
「花火大会は?」
「夕方からだから大丈夫でしょ。浴衣で行きましょうよ」
「はいはい。細かいことはトークアプリで相談しましょ。とにかくあんた達ふたりは真面目に補習を受けて追試に合格しなさいよ。でないと、夏休み後半まで補習まみれになっちゃうからね。あと宿題は自力でやること。手伝わないからね」
「了解」
というわけで、友達と遊びに行く予定がふたつできた。
もっと沢山遊びたかった気持ちが顔に出たのか、「仕方ないでしょ。補習があるんだから」と美結のオレンジ色の光がコツンとおでこにぶつかってきた。
「部活に差し入れに来てもいいわよ」
「ん~、考えとく」
「暇だったら家に遊びにきたら」
「咲希ちゃんち?」
「甘味処なの。夏休み中はずっとうちの手伝いをしてるから、かき氷ぐらいなら奢ってあげる」
それはいいことを聞いたと私はにんまりした。
例年、夏休み突入後三日間は、ずっと父の書庫に籠もって読書三昧していた。
だが今年は都子ちゃんが「宿題は計画的にやるから」とはりきっているので、きっちりとした学習スケジュールに則って生活することになりそうだ。
ちなみに、私達のこの話し合いを見ていた両親が、「この調子なら、夏休み終了間際に数学の問題集を手伝わされずにすむな」「そうね」とついうっかり失言したせいで、「芽生ちゃんを甘やかしすぎです」と都子ちゃんから親子三人で説教されることになった。
自分が甘ったれだってことは自覚していたし、両親も思うところがあったようで三人とも大人しく反省して、はっきり指摘してくれた都子ちゃんに頭を垂れた。
そうやってはじまった夏休み。最初の一週間は、宿題強化期間として真面目に宿題に取り組む予定である。
以前の私だったら絶対に飽きて初日で断念するところだが、都子ちゃんとのテスト勉強で忍耐力がついたのか順調に進んでいる。わからないところをすぐに相談できる相手が側にいて、ストレスが溜まらないのが良かったのかもしれない。
「凄いよ都子ちゃん。数学の問題集半分近くまでできちゃった。さっさと採点して早く終わらせちゃおうね」
苦手の数学さえ終わらせてしまえば後はなんとでもなる。浮き浮きした私に都子ちゃんは首を横に振った。
「採点は夏休みの終わりにやるのよ」
「なんで?」
「もう。芽生ちゃんったら、ちゃんと説明聞いてなかったのね。夏休み明けのテストの問題がこの問題集から出るって言われてたでしょ」
だからこそ、夏休み終了目前に採点することで同時に試験勉強もしてしまおうという一石二鳥の作戦なんだとか。
「……だったら、問題集もその時に解けば」
「それで、もう時間ない、どうしようって泣きたいのね?」
にっこり都子ちゃんに微笑みかけられた私は、大人しく問題集の続きに取りかかった。
夏休み四日目の午前中、トークアプリに『暇だったらかき氷食べに来ない?』と咲希ちゃんから連絡が入った。
ちょっと宿題に飽きてきたところだったので、喜んで都子ちゃんとふたりでお招きに応じることにした。
咲希ちゃんちまでは、いつも通学に使っているバスで最寄り駅まで行き、そこから電車で三駅ほど。近くに有名な神社があるそうで、参道から少し外れているものの観光客が多い商店街の中程にあるそうだ。
「うう、夏場の十分を舐めてたかも……」
駅から店までは徒歩で十分ほどだと聞かされた私は、その程度なら楽勝だと高をくくっていた。
だが二時過ぎの夏場の気温は当然ながら体感にして三十五度を軽く超え、太陽に熱された歩道からも熱気がじわじわと登ってきてうんざりするほど暑い。
「だから帽子を被るようにって言ったのに。熱中症になっちゃうわよ」
母から譲り受けた涼しげな水玉模様のワンピースを着た都子ちゃんが、私に日傘を差し掛けた。
「ありがと」
咲希ちゃんに見せようと、彼女が選んでくれたサマーニットのタンクトップとデニム地のショートパンツを着た私は、喜んで日傘が作る日陰に飛び込んだ。
「けっこう歴史のある商店街なんだね」
「そうね。はじめて来たけど老舗の店が多いみたい」
一方通行の細い道路を挟んで連なっている商店街は、神社の観光客向けとして発展してきたのか、お土産のお菓子や小物等を取り扱う店がずらりと並んでいた。店頭に飾られたガラスの風鈴がチリンチリンと涼しげな音を立てている。
所々に味噌屋や和菓子店、漬け物屋等の古い看板を掲げた店もあって、味覚が大人な都子ちゃんは漬け物屋さんに興味津々だ。
「お土産に買って帰ろうか」
「うん。どうせなら神社にも参拝して帰らない?」
「いいね」
きょろきょろとお土産屋さんをひやかしながら通りを歩く。
咲希ちゃんから聞かされていたとおり、商店街の中程に『甘味処ほしの』はあった。
「木彫りの看板が渋ーい」
「暖簾も素敵な色。……ねえ、芽生ちゃん見て。凄く美味しそうなあんみつ」
「抹茶のパフェも美味しそうだよ」
店頭に飾られた食品サンプルに私達がきゃっきゃしていると、ガラッと格子戸が開いて、あずき色の作務衣を着た咲希ちゃんが顔を出した。
「もう、炎天下でなにやってんの」
中にもお品書きがあるから入ってと叱られて、店の中に入る。
「わー、すずしー」
「でしょ? かき氷、なににする?」
「ん~、どうしよっかな。あんみつとか抹茶パフェとかも美味しそうだったし……」
「だったら、ハーフサイズにしてあげる。それなら他のも食べられるでしょ」
「うん。ありがと」
私は苺、都子ちゃんは抹茶を頼んだ。
しばらくして咲希ちゃんが持ってきてくれたハーフサイズのかき氷にはたっぷり練乳も掛かっていて大喜びだ。
自家製だという苺シロップはフレッシュで甘酸っぱくて、外の暑さに火照った身体には最高のご馳走だ。かき氷自体もふわふわで口溶けがよく、あっという間に半分以上食べ終わってしまっていた。
「手間が掛かってる分だけやっぱり美味しいね」
「抹茶も美味しいわよ」
「でしょ?」
「ところでさ。お客さんいないけど、大丈夫?」
他にお客さんがいないから遠慮せずきゃっきゃと騒げていいのだが、ちょっとだけ心配になって聞いてみた。
その途端、ふわふわと宙を舞っていた咲希ちゃんの深緑の光が、こっつんこっつんと頭にぶつかってくる。
「この時間帯はお客が少ないのよ。これでも雑誌で取り上げられるような人気店なんだからね」
「ふうん。そうなんだ」
磨き込まれた濃茶のテーブルと丸形の和紙照明、お品書きや調味料入れに至るまで渋い和風で統一されていていかにも老舗らしい。
感心しながらぐるっと店内を見渡した私は、店に入ってすぐの角にある二人掛けのテーブルに違和感を感じた。
「んん?」
なぜかその一帯だけが妙に暗いような気がする。
隅っこで照明が当たりにくいせいかとも思ったが、よくよく見るとそうじゃない。
――澱みだ。
角の椅子とテーブルにべっとり黒い澱みがくっついている。
澱みが床に伝い落ちていないところを見ると、ついさっきまで発生源である人物がそこに座っていたんだろう。
私は慌てて咲希ちゃんを見た。
「咲希ちゃん、その場でくるっと回って」
「なんでよ」
「その制服、ちゃんと見たいから」
変な子と言いながら、咲希ちゃんがくるっと回る。
咲希ちゃんに澱みがくっついていないのを確認して私はほっとした。
たまたま変なお客さんが来てしまっただけだならそれでいい。
だが、あの椅子とテーブルは問題だ。
このままだと、あそこに座ったお客さんにあの澱みがくっついてしまう。
時間が経てば自然に離れていくものだが、それでもあれがくっついている間はどうしても負の感情に捕らわれやすくなってしまう。
それで誰かと喧嘩したり、苛々して事故を起こしたりしないとも限らない。
「芽生ちゃん、ぼうっとして、どうかしたの?」
咲希ちゃんが不思議そうに私を見ている。
なにかの拍子で咲希ちゃんがあの席に座る可能性もあるのだと思ったら黙っていられなかった。
「うん。どうかした」
頷いて、あの席を指差す。
「あの椅子と机を、お日様が当たる……できれば庭みたいに土がむき出しの所に移動して欲しいの」
「芽生ちゃん、それって……」
なにが起こってるか察してギョッとした都子ちゃんに、私はそうだよと頷き返した。
「持って行くときはちゃんと手袋してね。軍手でもキッチン用のでもいいから。で、運び終わったらその手袋もお日様の当たる場所に干して」
「……わかった。どれぐらいの期間、干せばいいの?」
唐突な私の要求に、咲希ちゃんは怪訝そうに眉をひそめつつも頷いてくれた。
「いま外に出せば、明日のお昼ぐらいにはもう大丈夫だと思う」
「そう。じゃ、ちょっと行ってくるわ。……その間に注文決めておいて。戻ったら説明もよろしく」
「はーい」
咲希ちゃんは慌ただしく手袋を取りに行き、がたがたとまず椅子から運び出していく。
その脇で私と都子ちゃんは溶けかけたかき氷を食べながら、コソコソ声をひそめて話していた。
「澱みが見えたの?」
「うん。あの椅子と机にべっとりついてた。前に見たのよりべたーっと粘着質な感じのやつ」
「そう……。黙っていられなかったのね。さすがに、咲希相手だと適当なこと言って誤魔化せないと思うけど、大丈夫?」
「うん。……ちゃんと話してみる。信じてもらえないかもしれないけど」
「たぶん、咲希は信じると思う。前に美結のこともあったし……。でもね芽生ちゃん。光が見えることは言わないほうが良いと思う」
「なんで?」
「光の動きで、ある程度なら相手の感情がわかるんでしょう? そういうのって、心を読まれてるみたいで気持ち悪がる人もいると思う。それに感情を悟られてるって知れば、意識してしまってぎこちなくなってしまう可能性もあるから」
「そうなんだ」
思ってもみなかった指摘に、私はびっくりした。
「だったら、都子ちゃんは? 気持ち悪くないの?」
「全然。私の場合はお互い様だしね」
心配になって聞くと、苺ちゃん達がまるで笑い転げてるみたいにくるくるっと宙を舞った。
お互い様の意味が分からず首を傾げる私に、「だって芽生ちゃんってば、感情がそのまま顔に出るんだもの」と都子ちゃんも笑う。
なるほどそれならば、確かにお互い様だ。
なんとなく気恥ずかしくなった私は、両手で自分の顔を挟んでむにむにと揉んでみた。
「注文決めましょ?」
「うん。……私、さっきの抹茶パフェが気になる」
抹茶アイスメインで、小豆とフルーツと白玉と栗と生クリームがたっぷり乗っている贅沢な一品だ。
「私はやっぱりクリームあんみつかなぁ。黒蜜が好きなの。……ねえ、お行儀悪いけど、一口ちょーだいしてもいい?」
「もちろん。私もするよ」
えへへっと笑い合っていると、咲希ちゃんが戻ってきた。
「注文決まった?」
「うん。都子ちゃんお願い」
都子ちゃんに注文して貰っている間に、私はポシェットに入れてあった除菌消臭スプレーを取り出して、咲希ちゃんの作務衣のお腹の辺りにシュッシュッと吹き付けた。そこに少しだけ澱みがくっついていたのだ。運んだ際に付いたのだろう。
「……それ、なに?」
「除菌消臭スプレーだよ。……ねえ、咲希ちゃん。その制服の替えはある?」
「あるわよ」
「だったら、すぐに着替えて、いま着てるのはお日様に当てて。あと、あの机のあった所に塩を撒いても良い?」
「いいけど……。後でちゃんと説明してよね」
首を傾げつつ咲希ちゃんが厨房に戻っていくのを見送ってから、ポシェットから取り出した食卓塩を床に撒いた。
「ちゃんと持ってきてたのね」
「うん。もう習慣になっちゃってるから」
床に零れ落ちた澱みは、塩を撒いてもあまり反応しなかった。さっきの作務衣についていた澱みも、やっぱり除菌消臭スプレーをかけてもほとんど変化しなかったのだ。
これだけねっとりと濃い澱みを見たのははじめてだ。
困惑した私は、席に戻って都子ちゃんに愚痴った。
「塩を撒いても小さくならなかったよ」
「……まずいんじゃない?」
「ん~、あそこにあるのは雫程度の小さい粒だから大丈夫だと思う。……ただ、あそこに座ってた人が常連客だったらちょっと心配」
「そうね」
一見さんだったら問題ない。
だが、あの澱みを発生させた人が定期的に通ってくる常連客だったりしたら大問題だ。
澱みで店を汚染されるのも困るけど、この店の近くでなにか悪いことをやらかす可能性があるからだ。
う~んと悩んでいると、人の良さそうな優しげなおばさんが注文の品を持ってやってきた。
「いらっしゃいませ。咲希のお友達なんですってね。咲希の母です。あの子ったら、迷惑かけてないかしら」
「とんでもない。咲希さんにはいつもお世話になってます。田宮都子です」
「と、藤麻芽生です。よろしくお願いしますっ」
友達の親と相対する緊張感からちょっとどもりつつ、ぺこっと頭を下げる。
「これからも仲良くしてやってちょうだい。あんずをサービスしておいたからね」
ごゆっくりと、おばさんはにっこり笑った。
笑った目元が咲希ちゃんにそっくりだ。
似てるのにニヤニヤ笑っているように見えないのは、口元が優しげにほころんでいるせいだろうか。
緊張感のない優しい笑顔に、私もつられてへらっと笑ってしまった。
読んでいただいてありがとうございます。
次話は、咲希の悩み。




