親子のこと 1
試験中の教室はいつも賑やかだ。
無言で答案用紙に向かう生徒達とは対称的に、教室内は色とりどりの光で溢れかえっている。
ああ、もう駄目だ~と、意気消沈してふらふらと力なく落下していく光。
ヤマが当たったと、大喜びしてくるくるっと舞い踊る光。
くそっ、全然わかんねーと、ギザギザと角張った動きで暴走する光。
試験中で言葉を発することが出来ない鬱憤を晴らすかのように、光は教室中を暴れ回る。
目で追うのが難しいぐらいだ。
頑張って勉強した甲斐あって都子ちゃんは絶好調らしく、さっきから苺ちゃん達が楽しそうにくるくるしてる。
私はというと、昨夜覚えたはずの公式をど忘れしてしまい困り果てていた。
思い出そうと頑張ってはいるのだが、さっきからなぜか美結のオレンジ色の光がコッツンコッツンぶつかってきて気が散ってしかたない。
光の動きは心の動き。
美結め。試験中だというのに、一体なにを考えているんだか……。
と、ちょっと怒っていたら、逆に怒られた。
「テスト中になにもない空間をぼうっと見るのやめてよ! 怖くて集中できなかったでしょ!」
「ぼうっとなんてしてないよ。公式ど忘れしたから必死で思い出そうとしてたの」
こんな風に、とやってみせると、「それ、私もたまにやる」と杏ちゃんも近寄ってきた。
「なんでかな。なにかを思い出そうとするときって斜め上を見ちゃうんだよね」
「思い出そうとする時は左上。嘘をつく時は右上って話らしいよ」
ニヤニヤと咲希ちゃんが笑う。
右上を見ていた私は、慌てて左上を見た。
少しだけ学校に居残って、テスト期間中の気晴らしにみんなとおしゃべりを楽しんでから家路についた。
「それで、公式は思い出せたの?」
帰りのバスの中、都子ちゃんに聞かれて私はしょんぼりした。
「駄目だった。で、でも他の問題は大丈夫だったから、たぶん補習は免れると思う」
「芽生ちゃん、目線が右上」
「……ごめんなさい。ちょっと自信ない」
ううう、とまたしょんぼり。
「今は落ち込んじゃ駄目。とりあえず終わったテストは忘れて、明日のことを考えましょう」
「明日……。明日は、保健と漢文と物理だよね。三科目かぁ。多いな」
「でも芽生ちゃん物理はけっこういけるでしょう?」
「うん、得意っぽい。今日は漢文を重点的にがんばる」
「保健もおさらいしようね」
「ざっとね。保健は補習ないんでしょ?」
「でも赤点とると、夏休み中に追試代わりの宿題出されるって話よ」
「えー、宿題増えるのやだなぁ」
副教科だからといって甘く見てはいけなかったようだ。
楽しい夏休みの為に、あと二日死にものぐるいで頑張るしかない。
自分を鼓舞して家に帰ったら、ぴーちゃんの出迎えは無し。
昼寝中かなと思いつつリビングに向かうと、まだお昼にはなってないのに父がいた。
ぴーちゃんは、読書中だった父の膝の上だ。
「ただいまー。お父さん、今日は休みにしたの?」
「ただいま帰りました」
「おう、二人ともお帰り。休みじゃない。おまえ達を待ってたんだ」
「お帰りなさい。二人とも着替えて手を洗ってらっしゃい。ちょっと早いけど、お話をしがてらお昼にしちゃいましょう」
母に促され、急いで着替えて食卓についた。
今日のお昼は、父が言うところの『懐かしの喫茶店風ナポリタン』とグリーンサラダだ。
甘めの味付けで子供の頃から大好きなメニューなんだけど、ピーマンだけはどうしてもいただけない。
輪切りにされたピーマンをフォークで集め、そっと父の皿に移そうとしていた私は、「めっ」と母に叱られて渋々元に戻した。
「ピーマンそんなに駄目か? これはこれでうまいんだけどな」
「苦いからヤダ。――で、お父さん、話ってなに?」
「ああ、都子ちゃんのお父さんの件なんだ」
父がそう言った途端、苺ちゃん達がパチンパチンと弾けて、隣に座る都子ちゃんが微かに身じろぎした。
普段は一切口に出さずに過ごしているけど、ずっと父親の動向が気になっていたんだろう。
「父がどうかしたんですか?」
「うん。予定を早めて帰国するって話だっただろう? 当初の予定では、おまえ達のテストが終わった翌日に帰って来ることになってたんだ」
「えー、もっと早くに教えてくれればよかったのに」
「ちょうどテスト勉強をしはじめた頃にその知らせが入ったんだ。下手に知らせて気が散らないようテスト明けに知らせるつもりだったんだよ。でも、ちょっと予定が狂っちゃってね」
父が言うには、都子ちゃんの父親の仕事は予定より一日早く終わったらしい。そしてたまたま日本行きの飛行機に空きがあるのを見つけ、娘に一刻も早く会いたがっていた彼は予定を早めて飛行機に飛び乗った。
「で、現在も機内の人だ。日本到着は夜になるそうだ」
「夜……」
「そう。順調にいって家に到着するのは夜の九時を過ぎた頃だろうね。どうする?」
今日の夜に会うか、それとも明日の昼に会うか、もしくはテスト明けにするか。
三択を迫られた都子ちゃんは、迷うことなく今日の夜に会いたいと言った。
「夜遅くにご迷惑かもしれませんけど……」
「うちは別に構わないよ。テストに差し支えなければそれでいいんだ」
「ありがとうございます。――芽生ちゃん、騒がしくなっちゃうけどいい?」
「もちろんだよ。都子ちゃんのお蔭で、いつもよりいっぱい勉強して準備してきたし平気」
「ありがとう」
私が自信満々につるぺたの胸を張ると、都子ちゃんはほっとしたように微笑んだ。
「ねえねえ、都子ちゃんのお父さんって、どんな人? 都子ちゃんに似てる?」
「そうね。父親似だって言われてたわ」
「身長はどれぐらい?」
「おじさんより、ちょっと高いくらいかな」
「けっこう大きいね。体格は? 太ってる? 痩せてる?」
「普通よ。あ、でもデスクワークだったから、ちょっとだけお腹が出てたわね。――っていうか、芽生ちゃん。ちゃんと勉強して。私のことで浮ついて補習になったりしたら嫌よ」
「はぁい」
補習は私も嫌だ。
ちゃんと頑張ろうと漢文の例題に視線を落としたが、妙に気持ちが浮き立っていてどうしても集中できない。
父が都子ちゃんの父親の帰国スケジュールをぎりぎりまで黙っていようとしたのは、きっと私のこういう性格のせいなんだろう。
つまりは、都子ちゃんは私のせいで今まで父親の動向を知ることが出来ずにいたわけだ。
うん、これはいけない。
友達の邪魔にならないよう、もうちょっと落ち着こう。
私は深呼吸してから、もう一度例文に視線を落とした。
夕食後には母の勧めで、早々に交代でお風呂に入った。
都子ちゃんの父親が順調に九時過ぎにうちに到着したとして、その後の話し合いやらなんやらで夜遅くなるのは確実。寝不足で試験に影響が出ないよう、少しでも早く眠る為に。
その後は、さすがの都子ちゃんもそわそわしだして机に向える状態ではなくなったので、リビングのソファで保健の教科書を開き、互いに問題の出しっこをして過ごした。
飛行機の到着が少し遅れたそうで、都子ちゃんの父親が訪ねてきたのは十時近くになってからだった。
両親が出迎えて、都子ちゃんの父親を招き入れる。
リビングに入ってきた彼は、都子ちゃんを見て目尻を下げた。
「都子……。大きくなったなぁ」
長いフライトのせいか、ちょっと全体的にヨレッとしていて、とても日焼けしていた。お腹が出ているどころか、むしろ痩せているようにも見える。いや、やつれていると言ったほうが正しいかもしれない
父親に声をかけられた都子ちゃんは、なぜか固まったまま動かない。
苺ちゃん達も、まるでホバリングしているみたいにその場に留まったままだ。
「都子ちゃん?」
私はそっと都子ちゃんと手を繋いで引っ張って、都子ちゃんの父親の前まで進み出た。
「はじめまして。藤麻芽生です。都子ちゃんの友達です。よろしくお願いします」
友達の親に挨拶するなんてはじめてだ。
なるべく礼儀正しくしたいと緊張しつつ、ぺこりと頭を下げる。
「これはご丁寧にどうも。都子の父親で、三ツ谷孝といいます。君のお蔭で都子と連絡がついたって聞いてるよ。本当にどうもありがとう」
「いえ。私はなにも……。父が動いてくれたんです。それと、都子ちゃんがずっとひとりでお父さんを探してたから……。ね?」
繋いだままだった都子ちゃんの手を離して、孝おじさんに向けてそっと背中を押した。
都子ちゃんはふらふらっと前に出て、恐る恐る孝おじさんの顔を見あげる。
「パパ、あの……私……」
いつもハキハキしている都子ちゃんらしからぬ、おどおどした態度は、都子ちゃんの不安の表れだ。
母親の言いなりになって父親に酷い態度を取っていたことで、父親に嫌われているんじゃないかという……。
でも孝おじさんの表情を見れば、それが杞憂だってすぐにわかる。
都子ちゃんには分からないのだろうか?
助言したほうが良いのかなと私が迷っているうちに、孝おじさんが動いた。
「都子、ありがとうな。パパを探してくれて……」
孝おじさんは、そうっと都子ちゃんを抱き締めた。
その腕は微かに震えていて、泣きそうなのか声も僅かにうわずっている。
「ずっとひとりにしてごめんな」
「……パパ……っ……」
都子ちゃんもぎゅっと孝おじさんに抱きつくと、こらえきれないように泣き出してしまった。
少し娘とふたりだけで話がしたいと孝おじさんが言うので、都子ちゃんの部屋に案内した。
閉じられた扉の中で、二人がどんな話をしているのか気になってしかたない。
しばらくの間、廊下をうろうろしていたが母に捕まって部屋に連行された。
「都子ちゃんが心配なのはわかるけど邪魔しちゃ駄目よ」
明日のテストで赤点を取ったりしたらきっと都子ちゃんが気に病むだろうから、都子ちゃんのことを思うならちゃんと勉強しなさいと言われて、渋々ノートを開いた。
その間、ずっと私のベッドの上で寝そべっていたぴーちゃんは、しょうが無い子ねと呆れたように溜め息をついていた。
一時間ぐらい経っただろうか。少しぼうっとした様子の都子ちゃんが私の部屋に来た。
孝おじさんは、両親と都子ちゃんの今後について相談する為にリビングに戻ったそうだ。
「それで、どうだった? ちゃんと謝れた?」
私が勢い込んで聞くと、都子ちゃんは無言で首を横に振った。
「駄目だったの? じゃあ、私も一緒に謝るよ」
一緒に頑張ろうよと、ぎゅっと都子ちゃんの手を握る。
黙ったまま握られた手をじっと見ていた都子ちゃんの目から、前触れも無くぼろぼろと大きな涙が零れてきて、私は心底びっくりした。
「どうしたの? お父さんから悲しくなるようなこと言われたの?」
「違う。……違うの。そ、そうじゃ……な……くて……」
都子ちゃんはしゃくり上げながら私の手を両手でつかんで、まるで祈るように額に押し当てて泣き続ける。
どうしたらいいのか分からず困ってしまった私は、助けを求めてベッドの上で寝そべっているぴーちゃんを見た。
ぴーちゃんはやっぱり呆れたように溜め息をついて、ふとその視線を天井に向けた。
――本当にしょうがない子ね。ちゃんと見なさいよ。
ぴーちゃんにそう言われたような気がして、私も視線を上に向ける。
視線の先では、苺ちゃん達がくるくるっくるくるっといつになく楽しそうに舞い踊っていた。
読んでいただいてありがとうございます。
次話は、あやまちと寝落ち。




