一目惚れのこと 1
「もしもぴーちゃんが妖怪に変化したら、やっぱり猫又になると思う?」
「そうね」
私の問いかけに、都子ちゃんは珍しく素っ気ない声で答えた。
「尻尾が二本になったら、きっと可愛いよね」
「そうね」
「猫又ってたしか行灯の油を舐めるんだっけ」
「そうだったかもね」
「ぴーちゃんが油を舐めたがったら、健康にいいのをチョイスしてあげないと。オリーブオイルか、ココナッツオイルか……。どんなのがいいと思う?」
「普通に私達が使ってるオイルでいいんじゃない」
「そだね。……もしも妖精になったら、どんな風になるんだろ? やっぱりケットシーかな」
「ケットシー?」
ずっと素っ気なかった都子ちゃんが顔を上げ興味を示してくれた。
私はしめしめとにっこりする。
「長ぐつをはいたネコのモデルになった猫妖精だよ。二本足で歩いて言葉をしゃべるの。ぴーちゃんは黒猫だから、鮮やかな原色のベストとか着せたららきっと似合うよね。蝶ネクタイもいいな」
「ぴーちゃんは嫌がるんじゃない? 今だってそれで首輪してないんでしょ?」
「そだね。……絶対に可愛いのに……」
ベッドの上に寝転がっていたぴーちゃんが、やめてよねと不満を表明するかのごとく尻尾をパシッと布団に叩きつける。
私がしょんぼりしたら都子ちゃんは溜め息をつきながら苦笑した。
「芽生ちゃん、勉強飽きちゃった?」
「うん。飽きた。私こんなに勉強したのはじめて」
今日は土曜日。来週からテスト期間に入るので、学校から帰って昼食を食べ終わるとすぐにふたりでテスト勉強に励んでいた。というか、先週からずっと勉強漬けの毎日だ。
今まで私は、だいたいテスト期間一週間前から、平均して三時間程度勉強してきた。だが今は平日は四時間以上、土日は六~八時間ぐらい勉強しているような気がする。
これが普通なのだろうか?
「たぶん、そうだと思う。私もよく分からなかったから、芽生ちゃんに勉強教えることになった時に、塾に通ってる咲希達に聞いてみたのよ。そしたら塾ではこれぐらいの勉強時間を推奨してるって言ってたから」
「じゃあ、都子ちゃんも普段はこんなには勉強してないんだ」
「そうね。いつもより一、二時間ぐらいは多めに勉強してるかな。芽生ちゃんはいつもは三時間か」
「もうすでにいつもの倍は勉強してるような気がするよ。たぶん今の状態でも補習には引っかからないかも……」
ちょっと休憩したいなぁと上目遣いで見ると、都子ちゃんは苦笑して頷いてくれた。
「しょうがないわね。集中しないまま勉強しても意味ないし、ちょっと息抜きする?」
「うん! だったらさ、書庫に行こうよ。好きなシリーズの新刊が届いたんだ。都子ちゃんも前に借りた本もう読み終わってるんでしょ?」
「ばれてたか。それなら今日明日は、二時間勉強したら、三十分プラスそこから切りの良いところまで読むってことで読書時間を取ろうか」
「それ最高! 賛成!」
都子ちゃんも読書の楽しさを知ってるだけに話が分かる。
私は大喜びで都子ちゃんと一緒に隣の父の仕事場に向かった。
「お父さん、来たよー。書庫の本借りてくねー」
「おう。テスト勉強はもういいのか?」
いつものように勝手に鍵を開けて隣の部屋に入り、扉を開けて父に声をかけた。
父は仕事用の机ではなく奥まった場所にある応接スペースの方にいて、パーテーション越しに返事をしてくれた。
「息抜き中。都子ちゃんも一緒だから」
「そうか。それならいい。時間があるなら、ちょっとこっちに顔出せ」
はいはーいとパーテーションの端っこから応接スペースの中を覗くと、そこには父の他に男の人がふたりいた。
「髙遠さん、こんにちは」
「やあ、芽生ちゃん、ひさしぶり。そっちのお嬢さんははじめましてだよね?」
「ああ、彼女は芽生の友達で田宮都子ちゃん。訳あってうちで預かってるんだ」
「はじめまして」
「こちらこそはじめまして。俺は界太先生の担当の髙遠です。よろしく」
髙遠さんは確か三十代になったばかりの、ちょっとお腹の出た編集者だ。
気さくな性格で、直接顔を出す時は美味しいお菓子を差し入れてくれるとてもいい人だ。
「その人もはじめましてだよね?」
私は髙遠さんの隣りに座っている人を見た。
年齢はたぶん二十代、座っているからはっきりとはわからないけどたぶんかなり背が高い人だ。
革張りのソファに座っているその姿は、痩せぎすの猫背で、少しだけ首が前に出ていて凄く姿勢が悪い。天パーなのか髪はくしゃくしゃで長い前髪で目が隠れている。
全体的にもさっとした印象の人だった。
「彼は、津原和也くんだ。来週からアシスタントとして働いてもらうことになったんだ。――和也くん、俺の天使とその友達だ」
「どうも。よろしく」
父の相変わらずの紹介に、和也さんは言葉少なに挨拶して、口元を少しだけほころばせた。
同時に、彼の周囲にふわふわ浮いていた光が、私達に近づいて来て、よろしくねと目の前でくるくるっと舞う。
和也さんの光は、父ほどではないが三センチ以上あって大きい。
光の色は鮮やかなサマーグリーン。
それは花々を優しく包み込む葉の色。
そして、明るい日差しを受けて輝く木々の色。
沢山の命を育む、優しい森の色だ。
――綺麗な色。
どくん、と鼓動が鳴る。
きゅうっと胸が苦しくなって、指先が少し痺れる。
その瞬間、自分の中でなにかが変わったような気がした。
「はじめまして」
「よ、よろしくお願いします!」
都子ちゃんの挨拶する声にはっと我に返った私は、慌ててペコッと頭を下げた。
「あたらしいアシスタントさん? だったら、翠さんは?」
「翠はつわりが酷くて休んでるんだ」
「……辞めちゃうの?」
「いや、辞めないよ。でもこの先ちょくちょく休むことになるだろうし、産休にも入るだろう? だから、彼にはその間のサポートをして貰う予定なんだ」
「和也はデビューしたばかりでね。連載を持てるようになる前に、少しプロの現場を勉強してもらおうと思って界太先生に紹介してみたんだ。これからちょくちょく顔を合わせることになると思うけど、仲良くしてやって」
「うん」
髙遠さんの言葉に、私は思わず何度も頷いていた。
目当ての本を手に家に戻ったら母に呼び止められた。
「あら、芽生ちゃん。顔が赤いけどどうしたの?」
「本当だ。もしかして熱?」
都子ちゃんが心配そうに額に手を当ててくる。
「これは違うよ。――あのね、私、一目惚れしちゃった」
少し火照ってる頬に手を当てながらそう言うと、母と都子ちゃんはぽかんと口を開けた。
「え?」
「一目惚れって……。さっき会った人に?」
「そうだよ」
「担当さんじゃない方の人だよね? でもあの人、顔の下半分しか見えなかったわよ」
「顔は関係ないよ。光の色に一目惚れしたの。お父さんほどじゃないけど大きくて、すっごく綺麗なサマーグリーンなの」
あの光を見ただけで、まるで森林浴をしたように癒される。
私は和也さんの光がどんなに綺麗な色なのか、ふたりに一生懸命説明した。
「でも……それって恋なの? ただ、光が好みの色だっただけじゃないの?」
「恋だよ」
人それぞれ、違う色の光をもっている。
私にとって光は、その人の名札のようなもので、その人を見分ける顔でもある。
光で人を見分けている私が、光の色に一目惚れしたって変じゃない。
普通の人達が相手の顔や姿形や雰囲気に一目惚れするのと同じことだ。
間違いなく恋だと、私はつるペタの胸を堂々と張った。
「都子ちゃんより先に恋を知っちゃったもんね」
「もう。それ自慢するようなこと? まあ、お父さんと同じ漫画家を目指している人だし、そういう意味でも余計に親しみを感じちゃったってこともあるのかもね」
都子ちゃんが苦笑する。
「夕香さん、この無邪気な子どうします? 放っとくとすぐに告白しに行っちゃいそうですよ」
「すぐには行かないよ」
大量の本を読んで色々と学習してきたのだ。
少年向けのライトノベルズだとヒロイン候補の女の子達が、主人公にあっさり告白したり、好意をあからさまに態度で示していたりするが、現実で会ったばかりの人にそれをやったら変な子だと思われるだけだってことぐらいちゃんと分かってる。
「まずは私のことを知ってもらわなきゃ」
残念ながら、和也さんは私に一目惚れしてくれなかった。
だから、まずは恋愛対象として見てもらえるよう頑張るところからはじめなくては。
「それとなくお父さんに、和也さんの好みのタイプを聞いてもらおうかな」
「芽生ちゃん、おじさんは絶対に協力してくれないと思うよ。ですよね、夕香さん」
「ええ。そうね。無理だと思うわ。孝俊さんは本気で芽生ちゃんをお嫁さんにしたくないみたいだから」
「お母さんは和也さんに会ったの?」
「会ってないわ。先に話だけは聞いていたけど……」
母は何故か溜め息をついた。
「まさか芽生ちゃんまで一目惚れするなんて……。そういうのも遺伝するのかしら」
「茜さんは一目惚れタイプじゃないみたいですよ?」
「あら、そうなの? 貴方達すっかり仲良しになったのね」
良かったわと母が微笑む。
「まあ、何事も経験よね。――ねえ、芽生ちゃん」
「なに?」
「夕食の時にでも、お父さんに和也さんのことを聞くといいわ」
「おじさん、芽生ちゃんが一目惚れしたって知ったら、きっと拗ねますよ。和也さんをクビにしたりしないかな?」
「え、それは駄目。……大丈夫かな? クビにすると思う」
父が私を溺愛していることは誰よりもよく分かっているので、心配になった私は母に聞いてみた。
「大丈夫よ。絶対にそんなことにはならないから」
そう断言した母は、少しだけ顔を曇らせていた。
読んでくださってありがとうございます。
次話は、父、困るw




