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母のこと


 心の中に自分だけのお花畑を持っている私の母は、緑の指の持ち主だ。


 緑の指の持ち主。

 植物を生き生きと育てたり、枯れかかった植物を再生させることが得意な人のことをそう呼ぶらしい。

 園芸家にとっては、またとない褒め言葉でもあるようだ。


 ちなみに私の母の場合、単なる褒め言葉ではなく、真実だったりする。


「子供の頃から、なんとなく植物たちの気持ちがわかるの」


 母が言うには、植物たちが求めているお世話の仕方が自然にわかってしまうのだとか。

 そして植物たちも母の願いがわかるようで、彼女の願いに応えるようにすくすく成長していく。

 そう、通常の倍近いスピードで、そりゃもうすくすくと見事に育っていく。


 小学校の時、学校で育てた朝顔の観察日記を書くべく夏休みに自宅へ持ち帰った時などは。


「芽生ちゃんが観察しやすいように、早く大きな花をつけてね」


 そんな風に母が声をかけたせいか、朝顔がすくすくと異常なスピードで育ち、ちょっとあり得ない大きさの花を咲かせて新種ではと騒ぎになったことがあるぐらいだ。



 植物との親和性が異常に高い母の子供の頃の夢は、お花屋さんになることだった。

 だから高校生になると同時に花屋でバイトをはじめたそうだ。

 そこでは母の不思議な能力に気づいた店長夫妻に気に入られて、高校を卒業したらうちで働いてくれないかと言われていたという。


 だが母は子供の頃の夢を叶えることはなかった。

 仕事にするには植物を愛しすぎていたからだ。

 

 特別な裏技などなくとも、母が世話をする切り花は通常の何倍も長持ちする。

 それでもどうしても売れ残りは出る。

 売り物にならないと捨てられていく花々を見るのが辛かった母は、当時ひとり暮らしをしていたアパートに廃棄処分される花をすべて持ち帰っていた。


 持ち帰られた花々は母に世話をされることで寿命を延ばした。

 それらが全て枯れる前に、また次の花を持ち帰るということを繰り返していたら、ふと気づくと狭いアパートは花だらけになっていたそうだ。

 切り花だけでなく、枯れかかって売りものにならない鉢植えも処分されるぐらいならと家に持ち帰っていたそうだから、それこそ足の踏み場もないぐらいだったのだろう。


 これが植物ではなく犬猫だったら、多頭飼育崩壊と言われてもおかしくない有り様だ。


「狭いアパートに大量の花瓶と鉢植えでどうしても湿度が上がって、あちこちカビが発生しちゃって……。あの生活を続けてたら、身体を壊しちゃってたかもね」


 植物が大好きだからこそ、自分は花屋には向かない。

 母は泣く泣く夢を諦めた。


 現在、母は自営業者である父のサポートをしつつ専業主婦をしている。

 自宅マンションには父が母の為に作ってくれたミニ温室があって、そこで個人的にのんびり薔薇の品種改良などをして楽しんでいる。

 そして、かつて世話になった花屋や、その伝手で知り合った園芸関係の人達に助力を請われた時だけ、自分の力を仕事として使っていた。




 金曜日の夕方、私達一家は華道家の田口さんのアトリエに行くことになっていた。

 本当なら私の帰宅を待って家族で映画を見に行く予定だったが、田口さんから急に母への協力要請が入って予定変更になったのだ。

 映画は無理でも母の仕事が終わったら外食しようと、父と私も田口さんに許可をもらって同行することにした。


 フラワーショップとアレンジメント教室も併設されたアトリエに到着すると、年齢不詳の美魔女である田口さんが大喜びで奥から顔を出した。


夕香(ゆうか)さん、来てくれて嬉しいわ! 孝俊(たかとし)さんと芽生ちゃんも久しぶりね」


 笑顔と同時に、2センチ弱の光の玉が田口さんからぽんぽぽんと弾けるように飛び出してくる。

 飛び出てきた淡い薄桃色の光のほとんどが母の元に引きつけられるように近寄っていき、母の長い髪にまとわりついたり、周囲をくるくるふわふわと楽しげに舞い踊ったりしている。

 それに応じるように母の身体からも1センチくらいの光がふわっとたくさん浮き出てきた。まるで、田口さんの光とじゃれあうかのように一緒の空を舞っていて楽しげに見える。

 母の放つ光は、光で透かし見た若葉の色。宝石のペリドットにも似ていて、とても綺麗だ。


 父と私の元には、薄桃色の光が一個だけふわふわと飛んできて、私達の間をいったりきたりしている。

 まるで、他の子達がはしゃいじゃってすみませんね、貴方達のことも忘れてないんですよと気遣ってくれているようで、ちょっと笑える。


 光の動きは、生み出した人の心の動き。

 華道家である田口さんは、緑の指の持ち主である母が大好きなのだ。

 田口さんが母を知ったのは、母が高校時代にバイトしていた時だと聞いている。

 母をひとめ見て、まるで新種の綺麗な花を見つけたような嬉しい気持ちになったのだそうだ。


「自分でも不思議だったのよ。女の子相手に一目惚れもないでしょう? でも、後から緑の指のことを知らされて、ああ、それでだったのかって納得したわ」


 華道に人生を捧げた者としては、植物たちから愛されている母は自然界からの贈り物ように感じられて、心惹かれるのも当然のことだと感じたのだという。

 母の能力に関しては、知る人ぞ知るといった感じでオープンにはしていない。

 独身時代には、その力を見世物などに利用しようと近付いて来る人もいたらしく、バイト先の店長さんや田口さん達が守ってくれたこともあったのだとか。

 そのせいか、母も田口さんのことを頼れるお姉さんのように感じているようだ。


「呼びつけてしまってごめんなさいね。家族でお出かけするところだったんでしょう?」

「気にしないでください。映画は今日じゃなくても見られますから」


 田口さんの説明によると、日曜日に某有名歌手のデビュー三十周年記念パーティーが行われることになっていて、その会場中央に飾る大型のフラワーアレンジメントの依頼を受けていたらしい。

 そのフラワーアレンジメントには、歌手の一番好きな花を大量に使う計画で、タイミングよく開花するよう一年も前から業者に依頼してあったそうなのだが。


「ここ最近、天気が悪くて気温も低かったでしょう? それで予定より開花が遅れてしまって、この通りまだ蕾なのよ」


 歌手の愛する花はアプリコットファンデーションという薔薇で、ピンク色のコロンと丸い形の優しげな花が咲く品種だ。

 既に切り花になった状態で昨日入荷したのだが、思った以上に蕾が固くて困ってしまったようだ。


「このままじゃ日曜日に開花は無理そうですね」

「ええ。光を当てたり室温を上げたり音楽を聴かせてみたり、出来ることはすべてやってみたんだけど全然駄目。明日の午後には会場に搬入して飾り付けをしないと間に合わないのよ。夕香さんの力でなんとかならないかしら?」

「できると思います。でもこの子達は切り花だから、急いで咲かせた分だけ寿命も短くなりますよ」


 硝子張りの小さな温室の中、大量の花筒に活けられた二百本以上の薔薇の花を前にして、母と田口さんが難しい顔で話し合っている。

 母が言うには、鉢植えならともかく、根が断たれている切り花に無理をさせると、あっという間に枯れてしまうのだとか。

 命を縮めさせてしまうのは可哀想だが、歌手をお祝いする為に育てられてきたこの薔薇達は、使命を果たせないまま無為に枯れてしまうことを望んでいないらしい。

 だから協力すると母は言った。


「パーティ終了後に、状態のいい薔薇を花束にして自宅に届けて欲しいって頼まれてたんだけど止めたほうがいいわね。急に枯れたりしたら、縁起が悪いって思われそう」

「それならポプリやローズウォーターに加工したらどうでしょう? プリザーブドフラワーでもいいかしら」

「なるほど……。良い記念になりそうね」


 ちょっとスタッフと話し合ってみるわと、田口さんが事務所に走っていく。

 父と私は、母の元に歩み寄った。


「夕香、どれぐらいかかりそう?」

「これなら、たぶん一時間ぐらいかな。その間どうしてる?」

「それなら、ここで見学してるよ」

「あら、暇じゃない? 芽生ちゃんは待てる?」

「平気。むしろ見学させて。お母さんが力を使うと、キラキラして綺麗だから」

「そうなの? それなら、芽生ちゃんの為にもお母さん頑張るわね。――あ、でも、どうしても気が散るから、とりあえず見学は温室の外でお願い」

「はーい」


 父とふたり温室を出てガラス越しに母を見守った。


 温室の中、ひとりになった母は、目をつぶり深呼吸をして気を沈めている。

 やがて目を開くと、薔薇のつぼみひとつひとつにゆっくりと手をかざしはじめた。


 普通の人にとっては、ただそれだけの光景。

 だが、私の目には違うものが見えていた。


 人間だけではなく、植物もまた光を放つ。

 植物から放たれる光は白金の小さな粒状で、ただふわふわと浮き上がっては十秒ほどでパチンと消えてしまう。

 普段、植物の光は思い出したように時たま放出される程度だが、母が側にいるだけでその頻度が増す。


 まるで母の存在を祝福するかのように、薔薇の花からは次から次へと白金の光が浮き上がってきて、母の周囲でパチンと弾けてはキラキラと散っていく。

 と同時に、母の身体から放たれたライムグリーンの光もふわふわくるくると薔薇たちの上空を舞い踊り、やがてパチンと弾けて薔薇のつぼみに光の粒を降り注いでいく。


「……キラキラして綺麗」


 それは光に満ちあふれた幻想的な光景。

 薔薇から放たれる光が母に降り注ぎ、母から放たれる光は薔薇に降り注ぐ。

 たぶん互いの間を循環している光が、何らかの成長エネルギーを薔薇に与えているのかもしれない。


「うん、綺麗だ。うちの奥さんは、まるで花の女王様みたいだ」


 母にべた惚れの父が、私の言葉につられたように恥ずかしい言葉を呟く。


「お父さんがお母さんを大好きなのはわかってるけど、花の女王様は言いすぎじゃない?」

「いや、そうでもないだろ。見てみろよ。拝謁して恐悦至極に存じますって感じで、夕香に手をかざされた薔薇が頭を垂れてるじゃないか」

「え?」


 父の言葉に、私は改めて母を見た。

 今まではキラキラしている光ばかりに目がいって、薔薇の姿そのものを気にしていなかったが、確かに薔薇たちはまるで母の手の動きに応じるようにゆらゆらと蕾を揺らしている。


「ホントだ。温室内で風もないのに揺れてる」

「今まで気づいてなかったのか? お母さんが世話してる植物は、大抵勝手に動いてるぞ」

「光ばっかり見てたから気づかなかった。不思議だね」


 光が見えている私が言うのも変かもしれないが、母も大概不思議な人だと思う。


「……お母さんな、子供の頃からあんな風だったって。近くにある植物が勝手に動くから、周囲の人達に気持ち悪がられてたそうだ」


 うちは母方の親戚と疎遠なのだが、それもそのせいなのだと父が言う。

 はじめて知る事実に、私はしばし絶句してしまった。


「友達ができないとか、怪談話にされてたとか、全部お母さんも通って来た道らしい。そのせいもあって、芽生のことを凄く心配してる」

「……うん」

「学校が辛くなったらちゃんと言え。一緒に考えるから」

「うん。でも大丈夫だよ。苛められてるわけじゃないし」

「そっか」

「うん。私にはお父さんとお母さんがいるからね」


 父を見上げて笑いかけると、父は嬉しそうに笑って頭をぐしゃぐしゃと撫でてくれた。

 髪の毛がすっかり乱れてしまったが、温かな手の平がとても嬉しい。

 だが高校時代の母には、きっとこんな風に頭を撫でてくれる両親はいなかった。

 現在も疎遠なのだから、そういうことなのだろう。


「私も、お母さんみたいに強くなりたいな」

「無理せず自然体でいいよ。芽生はお母さん似だからな。きっとお母さんと同じように、お父さんみたいに頼れる男に一目惚れされてお嫁さんに……いや、それは駄目だ。嫁になんかいかせないぞ。今どきの女性は男に頼らず自立したほうがいい。うちでお父さんの仕事を手伝うのもありか。それならいつまでも家族三人仲良く暮らせる」


 それでは全然自立になってないと思う。

 そう突っ込みたいところだが、妻と娘が大好きモードに入ってしまった父にはなにを言っても無駄なので、ひとりで盛り上がっている父を無視して温室内の母を眺めた。


 温室の中、白金とライムグリーンの光に包まれた母。

 子供の頃から見慣れた幻想的で眩しい光景に、私は目を細める。


 緑の指の力は、子供時代の母を孤独にした。

 孤独になればなるほど、母の植物に対する親和性は増したのだろう。

 高校時代の母が、持ち帰った花々で部屋中をあふれかえらせてしまったのは、きっと寂しかったからだと思う。

 だが緑の指の力は、バイト先の花屋さんや田口さんのように、孤独だった母を公私において支えてくれる大人達とも出会わせてくれた。


 光が見える私の目と、緑を揺らす母の指。


 力自体は違うけれど、周囲の人達の目に映る異質さはきっとそう変わらない。

 いつか私にも、母のように理解者ができればいいのだけれど……。


 じいっと見つめている私の視線に気づいたのか、母がふと顔を上げて私に微笑みかけた。

 それと同時にライムグリーンの光がひとつ、温室のガラスをすり抜けて近寄ってきて、まるでキスするように私の頬に触れてからパチンと弾けてキラキラ光った。





 後日、仕事を手伝ってくれたお礼にと、田口さんから母と私の元に綺麗なプリザーブドフラワーが送られてきた。

 コロンと丸い形のピンク色の愛らしい一輪の薔薇に、真珠とリボンをあしらったシンプルで上品な置物だ。


「とてもいいパーティだったみたいね。この子達も喜んでもらえて幸せだったって言ってるわ」


 プリザーブドフラワーを眺めながら安心したように母が呟く。

 真珠を乗せた花びらが小さく揺れたような気がした。

タイトルを少しだけ変更しました。

それからジャンルをヒューマンドラマからローファンタジーに移動します。

ローファンタジーかオカルトか、ジャンルを決めかねていて、仕方なくヒューマンドラマに仮置きしていたので。


オカルトを名乗るほどには怖くならないはず……。

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