茜さんのこと 4
「弟さんの名前を聞いてもいい?」
「太一です」
狐憑きなのかもしれない。そんな自分の中の不安と戦うと決めた茜さんは、まっすぐ顔を上げて母の質問に答えた。
「太一くんは今も家で暮らしてるの?」
「いえ。今年の春に東北のほうの大学に進学しました」
茜さんが家を出た後にも色々あったようで、太一さんはもう二度と家には帰らないと言っているようだ。
親の金には頼りたくないと奨学金を貰ってバイトしながら頑張っていて、茜さんは手つかずだった母親のお金を太一さんに渡し、それ以外にも月々少しずつだが仕送りをしているらしい。
「仕送りしてるなんて聞いてねぇぞ。そういうことは黙ってねぇで言えよ」
どうやらこっちが地らしく、城崎さんが急に乱暴な口調になる。
「言ったらバイト代上げてくれる?」
「いや、それはちょっと……。あ、でも家賃値下げの交渉の手伝いはしてやるぞ」
「それは無理。値下げ要求出来るほど払ってないから」
現在茜さんは、城崎さんの弟さんが経営している喫茶店の二階で寝泊まりしている。
半ば物置として使っている部屋で、お風呂はついていないから近所の銭湯に通っているのだ。いまだに荷物も置きっぱなしらしく、その分家賃は凄く安くて値切る余地もないほどなのだとか。
「お風呂がない部屋なんて不便じゃない? もし良かったら、うちに来ない? 少し窮屈かもしれないけど」
「え、いえ……さすがにそれはご迷惑でしょうし……」
「迷惑だなんて、そんなこと気にしなくて良い。もし一緒に暮らすのが面倒なら、この隣の俺の仕事場ならどうだ? アシスタントの仮眠用に開けてる部屋があるんだが、ここ五年ぐらい誰も使ってないんだ」
「あら、それもいいわね」
母からすれば茜さんは自分と同じ境遇だ。放ってはおけないのだろう。
父はたぶん母と私に良く似た茜さんを他人とは思えず、やはり心配なんだろうと思う。
両親は畳みかけるように茜さんに同居を勧めている。
でも、これは茜さんに対しては悪手。ただのありがた迷惑だ。
私は茜さんを助けるべく声を上げた。
「お父さんもお母さんも落ち着いて。ちゃんと茜さんの意思を尊重しなきゃ駄目だよ」
「もちろんわかってるわよ。――ねえ、茜さん。どうかしら?」
「お気持ちは嬉しいです。でも私、今の生活に満足してますから……」
ふわふわっと宙を舞う茜さんの桜色の光が、ぺとぺとっと城崎さんの髪や顔にくっついていく。
まるで、この人から離れたくないと言っているみたいだ。
「だが、ずっとバイト生活を続ける訳にはいかないだろう。今後のことを考える為にも、一度うちに来てみないか?」
安心できる住居を得た上で、落ち着いて就職先を探すなり、スキルを得る為に職業訓練を受けるなりすればいいと父が言う。
「なあ、茜。俺も悪くない話だと思うぞ」
「……あそこにあたしがいたら迷惑?」
「そんなこと言ってないだろ。お前はよく働いてくれるから、俺も弟も正直助かってるんだ。でもなぁ、界太先生が言うように、ずっとこのままって訳にもいかないだろう」
「それはそうだけど……」
城崎さんの正論に茜さんがぐっと詰まる。
これはいけない。
「だから駄目だってば。それじゃ親切の押し売りだよ。茜さんはどこにも行きたくないんだから」
「芽生ちゃん、なんでそう思うの?」
「だって一目瞭然だし」
私は城崎さんを、というか、城崎さんにぺとっとくっついている桜色の光を見て、にんまり笑った。
「あのね――」
「ちょっ、芽生ちゃん⁉」
「なに?」
「さっきからなに見てるの?」
「なにって……あ、そっか。茜さんには見えないのか」
あのね、とまた言いかけた途端、ガタンと茜さんが立ち上がり、ツカツカと私の側に来て強引に私の椅子を引いた。
「芽生ちゃん、さっきの子――苺ちゃんだったっけ?」
「都子ちゃんだよ」
「ああ、都子ちゃんね。都子ちゃんがさっきのこと気にしてるといけないから、ちょっと話がしたいの。部屋に案内してくれる?」
「え、でも」
「案内してくれるわよね? ――夕香叔母さん、私もう少しひとりで頑張ってみたいので、居候の話はまた今度機会があったらお願いします」
ぐいっと二の腕を掴まれて立ち上がった私は、ずるずると茜さんに引きずられるようにして都子ちゃんの消えた扉からリビングを出た。
「都子ちゃんの部屋はこっちだけど……」
「それより先に話がしたいから、あんたの部屋に行こうか」
「……私の部屋はあっち」
茜さんは笑顔だけどなんだか怖い。
私は大人しく自分の部屋に行って、ドアを開けた。
「あ、都子ちゃん、やっぱりこっちにいたんだ」
都子ちゃんはラグの上に直接座って、私のベッドの上で寝転がっているぴーちゃんの背中を撫でていた。
寝る時以外はずっと私と一緒だから、きっと都子ちゃんもこっちにいるだろうと予想していたけど、居てくれてちょっとほっとした。
私の後ろから部屋に入ってきた茜さんが、小さく「げっ」と呟く声がする。
「茜さん。さっきはすみませんでした」
「気にしなくていいわ。図星だったし。――それより、ちょっと席を外してくれる? この子と話したいことがあるから」
「このままいてもらっても同じだよ。どうせ後でしゃべっちゃうし」
「……あたしは内緒話をしたいの」
「無理。隠し事って苦手だし……」
「確かにそうね。芽生ちゃんは素直すぎて顔に出るから、隠し事には向いてないもの。それに私も、怖い顔をしたあなたと芽生ちゃんが二人でなにを話したのか、きっと凄く気になって後で絶対に聞いちゃうと思う」
にこにこと都子ちゃんが笑ってる。
恐る恐る振り返ると、茜さんはムッとした顔をしていた。
「わかったわよ。あんたも居ていいわ。――で、芽生。さっきなにを言おうとしたの?」
どうやら城崎さん同様、茜さんも猫を被っていたようだ。
ラグの上に直接座った茜さんに怖い顔で睨まれたけど、桜色の光がくるくるっと楽しげに宙を舞ってるからあまり怖くない。
私は都子ちゃんの隣りに座ってから答えた。
「あのね、茜さんの光が城崎さんにぺとっとくっついてるって言いたかったの。あれを見たら、好きな人と一緒にいたがってるのが一目瞭然だもん。邪魔したら駄目だよね」
「ちょっ、芽生ちゃん」
都子ちゃんがギョッとして、私と茜さんの顔を交互に見る。
「もしかして、叔父さん達の前でそれを言おうとしたの?」
「そだよ」
「それはさすがにちょっと……」
「駄目だった?」
「たぶん。……あの、おふたりは恋人同士だったりします?」
「違う。ただの雇用主とバイトの関係」
「え? そうなの?」
「芽生ちゃん、これはまずいわ。まだ告白もしてないのに、皆の前でバラされたりしたら茜さんが可哀想よ」
「ご、ごめんなさい」
てっきりふたりはもう恋人同士なんだろうと思っていた。
勘違いしていた私は素直に謝った。
「ったく。慌てさせないでよ」
「うん。城崎さんの光も茜さんにぺとっとくっついてたから、両思いなんだろうと思っちゃった」
「神気の光がくっついてるだけでつき合ってることになるなら、あんたらふたりだってそうでしょ?」
「ホント? 私の光、都子ちゃんにくっついてる?」
「くっついてるわよ。もうべったり」
「そっか」
自分の光は見えないから、今まで確信が持てなかったのだ。
私は嬉しくなって、都子ちゃんににっこり笑いかけた。
「私の光も芽生ちゃんにくっついてるの?」
「うん、そだよ。たまに、こっつんと突っ込みを入れてくる苺ちゃんもいるけど」
私がうっかり今みたいな失敗をする度に、苺ちゃん達はこっつんと突っ込みを入れてくるのだ。
そして都子ちゃんは、心で思うだけじゃなく、ちゃんと言葉でも私にはっきり駄目なことは駄目だと注意してくれる。
凛々しくて格好いい自慢の友達だ。
「ああ、またもうべたべたと……」
どうやら私の光がまたしても都子ちゃんにぺとぺとっとくっつきまくっているようだ。
茜さんがなぜかうんざりした顔をしている。
「ねえねえ、茜さん」
「なによ」
「人を好きになるって、どんな気持ち?」
「はあ?」
好奇心満々で聞く私を、茜さんは呆れた目で見た。
「あんた、一応そんななりでも高校生なんでしょ? 初恋まだなの?」
「うん、まだ。教えて?」
「そんなの、そこのお友達に聞いたらいいでしょ」
「あ、ごめんなさい。私もまだです」
「嘘でしょ?」
「本当ですよ。私の両親、恋愛結婚だったのに不仲で離婚しちゃったんです。そのせいか恋愛には全然興味持てなかったんですよ。でもここでお世話になって、芽生ちゃんのご両親を見ていたら、恋愛も悪くないかなぁって思えるようになって」
だから私も興味あります、と都子ちゃんも好奇心満々だ。
「ねえ、茜さん。教えて」
「教えてって言われても……そんな言葉にして言えるようなものでもないし……」
「だったら、いつ好きになったんですか? 夕香さん達みたいに一目惚れとか?」
「まさか。違うわよ。翔平の最初の印象は最悪だったし……」
城崎さんの弟さんは喫茶店のマスターだけあって物腰柔らかな人らしいが、城崎さんは逆で、初対面から頭ごなしに怒ってきたのだとか。
「何度も違うって言ってるのに、勝手に人のこと家出娘扱いして。さっさと家に帰れって怒鳴りつけられたのよ。すっごい怖かったんだから」
それでも帰る場所のない茜さんは頑張って食い下がり、城崎兄弟の誤解に乗っかってうまく住処を確保することにも成功した。
なかなかちゃっかりしている。
「普通だったらそんな怖い人が出入りするところで働きたいなんて思いませんよね? やっぱり初対面からなにか感じるところがあったとか?」
「ううん。違う」
そもそも茜さんが城崎さんの弟さんが経営する喫茶店をバイト先に選んだのにはそれなりの理由があったのだ。
「マスターって、占い師なのよ」
本職ではないが当たると評判で、週に二度ほど予約を受けた人達を占ったり相談に乗ったりしている。
茜さんはその情報をネットで見つけたから、その喫茶店をバイト先に選んだのだ。
「本物の占い師だったら、勝手に危険を避けてくれるんじゃないかと思ってさ」
「それって、自分を狐憑きだと思ってたから?」
「そうよ。――あ、怒らないでよ。私はもう親父の言葉に惑わされるのは止めたんだから」
狐憑きという言葉で、はっとした都子ちゃんに、茜さんが苦笑する。
「自分で言うのもなんだけど、あの頃は母さんが死んだ直後でけっこう弱っててさ。自分のせいで誰かが不幸になるのが嫌だったんだ。だから、自称占い師のバイト先を選んだのよ」
占いで危険を避けてくれるなら良し、エセ占い師だったのなら不幸になっても自業自得だ。
そんな考えで向かった面接で、茜さんは思いがけずお人好しな兄弟に出会った。
「茜さんのことをずっと未成年の家出娘だって勘違いしてたんだから、占い師って言ってもたいしたことないんじゃない」
「勘違いしてたのは翔平だけだと思う。たぶんマスターは最初から色々とわかってて、知らないふりをしてくれてたんじゃないかな。そんな気がする」
――俺には君の悩みを解決してあげることはできない。でも、寝泊まりする場所だけなら提供できるよ。
マスターはそう言って、未成年の家出娘を雇うのはまずいだろうと怒る城崎さんをのらりくらりと宥めながら、茜さんに仕事と寝る場所を与えてくれたのだそうだ。
「だからね、最初のうちはどっちかというとマスターのほうが気になってたんだ。まあ、すぐに恋人がいるってわかって駄目になっちゃったけど」
城崎さんは口が悪いし態度も悪いし、茜さんを家出人だと思ってるから色々と探りを入れてくるしで、最初のうちは正直鬱陶しいと思っていたようだ。
でも、城崎さんの仕事の話を聞いているうちに、徐々に興味を持つようになっていった。
怖い物知らずのオカルトライター。
城崎さんは、皆が恐れる心霊スポットに行っても、絶対に霊障を受けないといつも豪語していた。
そして、危機察知能力が高いから、自分の手に負えない場所には絶対に近寄らない。危ないと感じたらさっさと逃げるとも言っていた。
「でも、翔平は私から逃げなかった」
虎目石のような不思議な色をした城崎さんの神気の光は、通常のものよりずっと濃くて強い。
もしも自分が本当に狐憑きだったとしても、この人なら一緒にいても不幸になったりしないんじゃないか。
茜さんはそう考えたのだ。
「母さんみたいに病気になって欲しくなかったから、弟ともスマホで連絡とってばかりで直接会わないようにしてたんだ。この先もずっとひとりで生きていかなきゃならないのかなぁなんて考えたら、けっこう寂しかったんだよね。でも翔平なら一緒にいても大丈夫かもしれないって気づいちゃったら、なんかもう翔平しか見えなくなっちゃって……」
だから茜さんは、城崎さんに自分から近付いていった。
家族以外には内緒にしていた、自分だけに見える光や澱みのことも全て話して、城崎さんの仕事の手伝いが出来ないかとこちらから持ちかけた。
少しでも役に立てるよう、霊を見るための修行もしてみた。
「茜さんって、すっごく健気」
「神気の卵を食べてみたのもそのせいなんですね。生き物としての質が変わるかもしれないって言われたら、私だったら怖くて絶対に食べたりできないと思ったから、不思議だったんです」
「私もやろうとしたけど」
「芽生ちゃんのは考えなしなだけ。もう二度とやっちゃ駄目だからね」
「はーい」
コツンと苺ちゃんがおでこにぶつかってきて、私は思わず目をつぶった。
「本当に仲良しね。……ちょっと羨ましい」
「茜さんだって、城崎さんと仲良しでしょ?」
「嫌われてはいないけど、てんで子供扱いなんだもん。恋愛の対象にはしてもらえてないからさぁ」
あーあと茜さんが天井を見る。
そんな茜さんを見て、都子ちゃんが首を傾げた。
「でもそれって、勘違いしてたからなんじゃないですか?」
「え?」
「茜さんが未成年の家出娘だって勘違いしてたから、恋愛対象にするわけにはいかないってストッパーが掛かってたんですよ。でももうその誤解は解けたんだから」
「もしかして、チャンス到来⁉」
「そういうこと。――違いますか?」
「え? そう……なのかな」
周囲をふわふわと飛び回っていた桜色の光が、急に動きを速めてビュンビュンと飛び回りはじめる。
さっきまでベッドの上で寝ていたぴーちゃんがムクッと起き出して、桜色の光をロックオン。お尻をフリフリしだす。
「きっとそうだよ! うわ、なんかドキドキしてきちゃった」
目の前をビュンビュンと飛び回る桜色の光で目が回りそうだ。
はじめて聞く恋バナに私は浮かれた。
「茜さん! なにか私に出来ることない? なんでもするよ」
身を乗り出して茜さんにぐいっと迫ったら、都子ちゃんに襟首を掴まれて引き戻された。
「芽生ちゃん、駄目。こういうことに他人が首をつっこんじゃいけないのよ」
「他人じゃないもん。従姉妹だし」
「従姉妹でも駄目。城崎さんと茜さんを見て、にやにやしても駄目だからね。デリカシーのない子は嫌われるわよ」
「……はーい」
こつんこつんと都子ちゃん達が体当たりしてきて、私は渋々頷く。
「これからもその子しっかり抑えといてよ」
「まかせてください。その代わり、もし進展があったら報告してくださいね」
「あ、私にも!」
「……夕香叔母さんの肉料理と引き換えなら、少しは考えてやるわ」
「考えてみるだけとかは無しですよ」
「ちっ。けっこうしっかりしてるわね」
舌打ちをした茜さんは、凄く嫌そうに顔をしかめた。
そんな表情でも、初対面の挨拶を交わした時の上品なおすまし顔よりずっと親しみがもてる。
桜色の光は楽しげにくるくるっと宙を舞っているし、ぴーちゃんも楽しげにジャンプしているし。
すっかり嬉しくなった私は、ひとりでえへへと笑って、茜さんに気味悪がられた。
その後、茜さんは城崎さんと共に定期的に家に遊びにくるようになった。
目当ては母の肉料理とお土産に渡される食品類で、食費が浮いて助かると喜んでいる。
茜さんの住居問題に関しては、城崎さんが解決してくれた。
ネットの情報サイトで『訳あり物件探索』という不定期連載をはじめたのだが、その仕事中にとてもいい物件を見つけて、そこを茜さんに勧めてくれたのだ。
そこは以前自殺者がでた部屋で、その後入居した住人が次々体調不良を訴えて出ていくので、すっかりオーナーが困っていたらしい。
城崎さんがその部屋に残る残留思念を読んでみたところ、自殺ではなく事故であることがわかり、茜さんの目にも人に害をなす邪気がまったく見えなかったのだそうだ。
その結果、この部屋には祟りをもたらす霊は存在せず、たぶん以前の入居者達は自殺のあった事故物件だという先入観から過敏になって体調不良を引き起こしていただけだろうという結論に達した。
そして念の為に神職の山内さんにお祓いしてもらってから、そこに入居することにしたのだそうだ。
「八畳のワンルームなんだけど、すっごく安いんだ。相場の五割引き」
茜さんが嬉しそうに言う。
「なんとなく詐欺っぽくない?」
「いやいや、芽生ちゃん。これもwinwinなんだ。茜がその部屋で何年か暮らせば、事故物件としての悪い噂も消える。オーナーや不動産会社も大喜びってわけだ」
ちなみに『訳あり物件探索』の連載を読んでみたけれど、自殺ではなく事故死だったことだけが書いてあって、実際に悪さをする霊はいなかったことは書いて無かった。
「そうは言っても、俺には霊は見えないんだから絶対にいないとは言い切れないだろう?」
「そうよ、芽生。山内さんのお祓いで浄化したのかもしれないじゃない。翔平は嘘は書いてないんだからね」
城崎さんと茜さんはふたり揃っていい笑顔だ。
やっぱりちょっと詐欺っぽいと思う私だった。
読んでくださってありがとうございます。
次話は、芽生ひと目ぼれする。




