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茜さんのこと 3

都子(いちこ)ちゃんが言ってた通り、私の力はお母さん譲りだったんだね」

「でしょ」


 私は都子ちゃんと微笑みあった。


「なんで教えてくれなかったの?」と両親に聞いたら、「芽生に教えたら、向こうの親戚に会いたいって言い出すだろう」と苦笑された。


「俺達からすれば、向こうの家の人間は危険人物だ。絶対におまえに近づけるわけにはいかなかったんだよ」


 だからこそ、もう少し分別がつくようになるまではと真実を隠していたのだと父が言う。

 なるほどと私は納得した。

 父方の親戚とはつき合いがあるとはいえ、東京と九州で距離が離れていたし、祖父に知られないよう会うのはレストランの個室やホテルの部屋ばかりだった。

 普通の親戚付き合いというものをしたことがなかったから、近場に母方の親戚がいると知ったらきっと私は無邪気に会いたがっただろう。

 母を売ろうとした祖父母が、私に対して愛情を感じてくれるはずもない。

 それが分かっていたから、両親は私を危険から遠ざけていてくれたのだ。


「その為に実家には関わらないようにしていたから、茜さんが狐憑きと言われて虐げられていたことも、瑞歩さんが亡くなったことも知らなかったの。ごめんなさいね、茜さん」

「……いえ」


 両親の話を聞いている間、ずっと俯いたまま無言だった茜さんは小さく首を振った。


「狐憑きなんかじゃないって分かってくれた?」


 母に聞かれて、茜さんはまた首を振る。


「叔父さんが本当のことを言ってるとは限らないでしょう? 夕香叔母さんを励ますために嘘の話を作りだした可能性だってあるし……」

「あのな、茜――」

城崎(きざき)くん、いいから」


 茜さんに怒りかけた城崎さんを父が止めた。


「今日会ったばかりの人間の言葉を信じられない気持ちはわかるよ。長年言われ続けてきたことが、全部ひとりの女性の悪意の嘘からはじまったんだと言われても、すぐに信じる気持ちになれないのもわかる。――でもね、これは真実だ。俺の妻や娘も、そして君も、決して狐憑きなんかじゃない。むしろ神職の家系の人間なんだ。当時の調査資料は今でも保管しているし、夕香の祖父の弟――君にとっては曾お祖父さんの弟の家とは、今でも年賀状のやり取りだけは続けてる。直接昔の話を聞きに行くことも可能だ」

「ねえ、茜さん。私達ともっと話をしましょう。姿形が似ているから親戚だってことは一目でわかるけど、どんな風に生きて来たのかは話してもらわないとわからないもの。――私の話はしたわ。次はあなたの話も聞かせてくれないかしら?」


 穏やかに語りかける母に、茜さんは俯いたまましばらくの間黙っていたが、やがて小さく頷いてぼそぼそと話し出した。


「私も、家では狐憑きだって言われて虐げられてた。……でも、母と弟がいたから、たぶん夕香叔母さんよりはましだったと思うけど……」

「私と比べなくてもいいのよ。状況がどうであれ、虐げられて辛いと感じる気持ちは同じだもの」


 茜さんはまた小さく頷き、話を続けた。


 茜さんにとっては、自分のことを虐げる祖父母や父親から庇ってくれる母親の存在が救いだったのだそうだ。

 その母親は、茜さんが高校生になった年に癌になり、入退院を繰り返すようになった。茜さんは、そんな母親の代わりに家の家事を全て引き受け、病院にも毎日かよって献身的に看病をし続けた。

 だが、茜さんが高校を卒業するのを待っていたかのように母親は亡くなってしまう。

 そして葬式の直後、茜さんは弟から逃げろと言われた。


 ――姉ちゃんを家から逃がせって、母ちゃんから言われてたんだ。


『私が居なくなった家にこのまま居続ければ、茜は確実に奴隷のような扱いを受けることになる。そうなる前に、お前が背中を押して茜を外の世界に逃がしてあげてちょうだい』


 弟は母親からそう言われて、茜さん名義の通帳を預かっていたのだそうだ。


「瑞歩さんは、茜さんが私みたいな目に遭わないように逃がそうと準備していたのね」

「……私は、母は絶対に治るんだって、死んだりしないって思い込んでいたから、母が自分の死後の話をしようとする度に拒絶して逃げてたんです。だから、母は弟に遺言を託したんだと思います」


 そして茜さんは生まれ育った家から逃げ出した。

 とはいえ、ひとりでどうやって生きていったらいいのかわからず、とりあえず漫画喫茶に寝泊まりしながら仕事を探した。


「じゃあ、弟の店に面接に来たのは家を出た直後か?」

「うん」

「それなら、私と一緒ね。信頼出来る人達にすぐに出会えてよかったわ」


 母は心からほっとしたようだった。


「ねえ、茜さん。瑞歩さんは、狐憑きのことなんて言ってた?」

「母はそんなの迷信だって……。狐憑きだなんて言ってる人達のほうがおかしいんだって……」

「そうよね。それなのに、なぜあなたは今も自分のことを狐憑きかもしれないと疑うの? 瑞歩さんを信じられない?」

「……ずっと信じてました。でも……癌になったから……」


 ――瑞歩が癌になったのはお前のせいだ。お前が狐憑きだから、不幸になったんだ。


 母親が入院して家からいなくなると、茜さんは祖父母や父親からそんな風に言われて責められるようになった。

 最初はそんなことあるわけないと信じずにいたが、母親の治療がうまく行かず、入退院を繰り返すようになると、徐々に不安になってきた。


「もしかしたら、私がずっと側にいるせいで病気が治らないのかもって……」


 癌患者の家族が心配のあまり、科学的な根拠のない代替療法や宗教に傾倒してしまうことがあると聞いたことがある。

 茜さんも母親の病気を思い悩むあまりに、祖父母や父親の言葉を否定しきれなくなってしまったのかもしれない。

 狐憑きの自分が側にいなければ、母親は癌にならなかったのかもしれない。治療もうまくいっていたのかもしれないと……。


 もしそうなら、そんなの辛すぎる。


 いつの間にか、俯いたまま黙り込んでしまった茜さんの周囲からは桜色の光が消えていた。

 怒りを外に向けることもなく、誰かに救いを求めてもいない。

 まるで辛い気持ちを自分ひとりで全て抱え込んでいるように感じられる。


 こういう時、どんな風に声をかけたらいいんだろう?


 なんとかしなきゃと思っていると、突然、都子ちゃんが叫んだ。


「なに悲劇のヒロインぶってるのよ! 大切にしてくれた母親より、虐げてきた父親の言うことをなんで信じたりするの⁉ それじゃあ、あなたを守ってきた母親が可哀想すぎるでしょ‼」


 苺ちゃん達が一斉に茜さんにぶつかって、コツンコツンと勢いよく跳ね飛ばされて宙を舞う。


「い、都子ちゃん?」


 びっくりして振り返ると、都子ちゃんも叫んでしまった自分にびっくりしているようだった。


「あ、あの……ごめんなさい。私、部屋に戻ってます」


 自分自身の言動に狼狽えた都子ちゃんは、かあっと真っ赤になって慌ててリビングから逃げ出していってしまった。

 私は後を追いかけようとして腰を浮かしかけたが、思い直してもう一度座り直した。


「あのね、茜さん。都子ちゃんは、子供の頃から不仲な両親の間で板挟みになってずっと苦しんできたの。だから、どうしても茜さんのこと他人事に思えなくて怒っちゃったんだと思う」


 ごめんなさい、と都子ちゃんの代わりに改めて謝ってから、でも、と続けた。


「私も都子ちゃんと同じ意見。それじゃあ、瑞歩伯母さんが可哀想だと思う。自分が病気になったせいで、茜さんが自分のことを狐憑きなんじゃないかって疑うようになったって知ったら、絶対に悲しむよ」

「同感だな」


 茜さんは黙ったままだが、父が私の言葉に頷いてくれた。


「それから――これは夕香もそうだったんだが――狐憑きという状態に関して誤解があるようだ。一般的に狐憑きという言葉は、精神疾患に陥って異常な言動を取る人のことを指して使うものだ」


 でもこれは君達には当てはまらないよね、と、父はいきなり狐憑きについての考察をはじめた。


「狐、オサキ、管狐といったものが、守護霊のように伝わる家系を憑き物筋ということがある。君達の場合は。こっちのパターンで狐憑きという言葉を使っているんだと思う。でもね、この場合、狐は取り憑いた相手に富を運んでくれるものなんだ。もしくは憎い相手に不幸を運ぶこともある。――茜さんは、瑞歩さんを憎んでいたのかい?」

「馬鹿言わないで! そんなわけないでしょ!」

「だよね。もし本当に茜さんが狐憑きだったら、君を虐げた人達こそが不幸になって、君自身は幸せになっているはずなんだ。君を守っていた瑞歩さんを病気にするわけがない」

「ああ、そりゃそうだ。さすが界太先生。その通りですよ。――茜、良かったな」


 城崎さんは嬉しそうな顔で、茜さんの背中をばしっと叩いた。


「……ちょっ、痛いって」

「おまえが狐憑きじゃないって、これで証明されたぞ」


 叩かれた茜さんは、軽くむせながら顔を上げた。

 その顔は、キョトンとしている。


「そう……なのかな」

「ああ。前から俺がずっと言ってただろ? お前には狐なんて憑いてないんだ。山内さんだってそう言ってるだろ。間違いない。俺を信じろ!」


 ぽぽぽぽんっと、城崎さんから虎目石みたいな光が飛び出てきて、茜さんの周りをくるくるっと飛び回る。

 虎目石の光の動きにつられたのか、茜さんからは桜色の光が恐る恐るといった風にちょっとだけ浮き上がりかけている。


「取り憑いている狐なんていないのよ。あなたは誰も不幸になんてしてない。最後まであなたの幸福を祈っていた瑞歩さんの為にも、悪意の嘘からはじまったこの不幸の連鎖を、ここで断ち切ってちょうだい」

「不幸の連鎖?」

「そうよ。ここで、あなたが断ち切れなければ、あなたやあなたの弟さんの子供達にまで、この馬鹿げた悪意の嘘を引き継がせてしまうことになるわ。それだけは避けなければ」

「……でも……」

「不安な気持ちはよくわかるわ。私もそうだったから……。でもね、狐憑きかもしれないって不安を抱えたままじゃ駄目なの。どうしても怖じ気づいてしまって、幸せが目の前にあっても手を伸ばせなくなってしまうから……。それじゃあ駄目。自分の中の不安と戦わなくちゃ。私はずっと戦ってきたわ。結婚してからも何度も不安になった。芽生ちゃんに不思議な力があるって気づいた時だって不安だった。それでも、ずっと戦い続けて来たの」

「その成果がこの子だな」


 父が、私を見て微笑んだ。


「芽生、お前に狐は憑いてるか?」

「そんなの憑いてないよ」


 私は当たり前のことをあっけらかんと答えた。


「ほらね。夕香はこうしてちゃんと悪意の嘘の連鎖を断ち切った。君はどうする? 戦いを放棄して、今のままでいるつもりかい」


 茜さんは答えない。

 父や母から視線をそらし、励ますようにくるくるっと目の前で踊っている虎目石の光からも目をそらして……。


「茜?」


 答えを促すように名を呼ばれて、茜さんはビクッと肩をふるわせた。


「ずっと違うって言い続けてたの。私は狐憑きなんかじゃないって……」

「そうか」

「でもお母さんが癌になって、やせ細っていって……どうしても治らなくて……死んじゃって……。けっきょく家からも逃げ出しちゃって……。そしら、もう違うって言えなくなっちゃって……」


 ――逃げなきゃならなくなったのは、自分に悪いところがあったからなのかもしれない。


 母親の死をきっかけに家を出たことが、茜さんの中の信念を壊してしまった。


 もしかしたら、本当に自分は狐憑きだったのかもしれない。

 だから母親は死んで、こうして自分はひとりで逃げ出さなきゃならなくなったのかもしれないと……。


 茜さんは、俯いたままぼそぼそと心の内を語った。


「逃げるのが正解だったのよ。正論が通じない人達相手に戦っても無駄だから」

「そうだな。あの人達と戦うのなら、うちみたいに弁護士を立てないと」

「なに? お母さんの実家と戦ったことあるの?」

「あるよ。結婚して随分経った後に、俺がそれなりに有名な漫画家だって気づいたみたいで色々とあったんだ」

「色々って?」


 しつこく聞いてみたが、具体的なことは教えてもらえなかった。

 ただ、脅迫じみた言動で大金を要求されたから、弁護士を立ててきっぱりはねつけたとだけ教えてくれた。


「……あの人達、そんなことまでしてたんだ」

「たぶん瑞歩さんはそういうことも全て知っていたから、あなたに逃げるようにすすめたのよ」

「敗北による逃走じゃなく、戦略的撤退だね」

「お、芽生。いいこというな」

「……戦略的撤退」


 茜さんが私の言葉を繰り返す。


「そうだよ。茜さんは負けてないよ」

「茜さん、戦うべき相手を間違っちゃ駄目よ」


 茜さんは恐る恐る顔を上げて宙を見た。


 今この部屋には、皆から出た光がたくさん飛んでいる。

 その殆どが茜さんの周囲にいて、くるくるっと目の前を横切ったり、コツンコツンとぶつかっては気を惹こうとしたり、髪や肩にぺとっとくっついたりしている。


 光の動きは心の動き。

 ここにいるのは皆、茜さんの味方だ。

 茜さんだって、私と同じものが見えているんだから一目瞭然だろう。


「……私、本当は今日、夕香叔母さんになにか一言いってやろうと思ってたんです。同じ狐憑きなのにひとりだけ幸せになって狡いって……。なんで私だけこんな目に遭うんだって思ってたから……」

「……今もそう思ってるのか?」


 城崎さんの問いに、茜さんは首を横に振った。


「さっきあの子に、悲劇のヒロインぶってるって言われたけど……ホントそうかも……。悲劇のヒロインぶって諦めちゃったほうがずっと楽だったから……。でも、違うよね」


 桜色の光がふわふわっと茜さんから浮き上がってくる。

 のろのろとした動きで心のままに宙を舞う。


「私、負けたくない。……幸せになりたい」


 茜さんがはっきりとそう言うと、桜色の光がぺとっと城崎さんの髪の毛にくっついた。

読んでいただいてありがとうございます。


次話、芽生絞められる。

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