茜さんのこと 2
ちょっと暗めの話になります。
山内さんが神職として勤めている神社には、大きな池がある。
隣接する山から清流が流れ込み、なかなかに綺麗な風情なのだと城崎さんは言った。
「そこに亀がいるんです」
池の主と呼ばれる亀で、山内さんの祖父の代から生きているのだとか。
「それがどうかしたの? 亀って万年生きるんでしょ」
ぴーちゃんについて話しておきたいことがあると真剣な顔で言われて緊張していた私は、いきなりの亀の話にむすっとした。
「いやいや、芽生ちゃん。万年生きてたら地球は亀だらけになっちゃうから」
外国では二百年以上生きたと言われる亀もいるらしいが、その池に生息しているのは和亀で平均的な寿命は二十~四十年ぐらいなのだとか。
「でもその亀は百年以上生きているんだ。神社に残っている文献を調べると、池の主と言われる個体は大体百五十年から二百年ほど生きて代替わりするらしい。そして池の主は、災厄を予知するとも言われてる」
神社近くの木に雷が落ちて火事になりかけた日の朝は、わざわざ池から出て境内を掃き清めていた神職達の前に現れて、雷の落ちる木を見上げてみせたそうだ。日本に大きな災害が起きる前に、山内さんの夢の中に現れて、災害が起きるビジョンを見せたこともあったらしい。
「それは亀じゃなく、山内さんが凄いんじゃないのか」
「ビジョンを受け取れるという意味ではそうなんでしょうね」
父の指摘に城崎さんは頷いた。
だが山内さん本人は、亀は神からのメッセージを伝えてくれている神の使いだと言って感謝しているのだとか。
「ここからが本題なんですが、先日その亀を茜に見せてみたんですよ。茜が言うには、その亀、神気の卵を食ってるみたいなんです」
その亀は池に置かれた岩の上で日向ぼっこしながら、神社内に満ちている清浄な神気の卵を、ぱくりぱくりと食べ続けていたのだそうだ。
「ぴーちゃんと一緒?」
「そうなんだ。亀が食べるのは神社内の神気だけで、人間のものには見向きもしないから、その点は違うけどね」
茜さんが言うには、神社の亀から発生する神気の卵の色は、神社の神気と同じで神々しい銀色なのだとか。
「なるほど。まさに神の使いだ」
「そうなんですよ。で、山内さんにぴーちゃんのことを話してみたら、人間の神気の卵を食べるのなら神の使いではないと。ただ、もう普通の猫でもないだろうと言われたんだ」
「ぴーちゃんは猫だよ」
「そうだけど、なんというか生き物としての質が変わってしまってるんじゃないかって話でね」
ぴーちゃんのこちらの言葉が分かっているような態度や妙に人間くさい仕草はそのせいなのではないかと、城崎さんが言う。
「たぶん、妖怪とか妖精とか言われる存在に近付いてるんじゃないかと山内さんは言ってたな。亀同様、寿命が少し延びるかもしれないとも」
「ほんと!?」
それは朗報だ。
私は大喜びしたが、父は微妙に顔色を悪くした。
「芽生にも同じことが起きる可能性は?」
「光なんて食べたことないよ」
「だが間違って口に入らないとも限らないだろう」
心配そうな父に、「心配ないですよ」と城崎さんは苦笑した。
「亀が神気の卵を食べているのを見た茜が、こっそり試してみたようなんです。吸収できなかったそうですよ」
城崎さんが茜さんを指差す。
茜さんは気まずそうな顔になった。
「口の中に入れても、次に口を開いくと出ていっちゃうんです。飲み込もうとしても駄目」
「味は?」
「しなかった。神気の卵を食べて力が増すんなら簡単でいいと思ったんだけど……」
「そっかー。苺ちゃんとか綺麗な色だし、いつも美味しそうだなって思ってたのに」
くるくるっと目の前を飛ぶ苺ちゃんに狙いを定めて口を開けたら、それを察した都子ちゃんにぐいっと襟首を掴まれて引っ張られた。
「芽生ちゃん、駄目!」
「芽生、止めとけ。光は人の感情に直結してるんだろう? 他人の感情を自分の中に入れるなんて良いことだとは思えない」
「はーい」
まあ、確かに。友達の感情を食べるのは良くないか……。
反省した私は、ちらっとぴーちゃんを見た。
さっきまではしゃいで光を追いかけ回していたぴーちゃんは、疲れたのかソファに寝そべって毛繕いしている。
「ぴーちゃんはいいの?」
「止めたところで無理だろう。今のところ特に問題はないし、様子見だな」
「わかった」
止められずに済んでほっとした。
光を食べることでぴーちゃんが少しでも長生きする可能性があるのなら、このままでいさせて欲しかったから……。
どうせ食べるなら、なるべく楽しい感情だけ食べさせてあげたいなぁとも思った。
絶対に余るだろうと思っていた肉料理の数々は、茜さんの胃袋の中に綺麗に消えた。
夕食の間にすっかり我が家に打ち解けた茜さんは、ゆったりしたワンピースを着ていてよかったと笑っていた。
その後、お持たせのロールケーキを出したら甘い物は別腹だと言って喜んだ。
ロールケーキは、キウイと苺と桜桃と洋梨がたっぷりの生クリームと共にふわふわのスポンジに包まれていて、とっても美味しかった。
美味しいねと都子ちゃんときゃっきゃしていたが、「そろそろ昔の話をしましょうか」という母の声で場が引き締まる。
「茜さんが、自分のことを狐憑きだと言っていると聞いたのだけど、本当なのかしら」
「ずっとそう言われてきましたから……。夕香叔母さんが増やした狐が、私に取り憑いたんだって……」
茜さんは、母からふいっと目線を逸らした。
家に来たばかりの時に茜さんから光がまったく出て来なかったのは、きっとこのせいだ。
母もまた狐憑きだと思っていたから、警戒していたのだ。
「あの人達、私が増やしたって言ってるのね」
母は溜め息をついて立ち上がると、リビングに置いてある植物の所に行って優しく手をかざした。
母から発生したライムグリーンの光がくるくるっと植物の上で踊る。
その光に呼応するかのように、植物達からは白金の光の粒が浮き上がってきてパチンパチンと弾けて光の粒になって消えていく。
子供の頃から見慣れていた眩しい光景に目を細めていると、私と同じ光を見ているだろう茜さんが呟いた。
「……綺麗」
だが光が見えていない都子ちゃんと城崎さんは、私達とは違うものを見ている。
「どうなってるの?」
「風……じゃないか……。なんで揺れてるんだ」
母の手の平の下、風もないのにゆらゆら揺れている植物達が不思議なのだろう。怪訝そうな二人の言葉に、茜さんも植物達が動いていることに気づいて、「どういうこと?」とびっくりしていた。
「これが私の力なの。子供の頃からこんな風に側にいる植物が勝手に動くせいで狐憑きだって言われてたのよ」
「あのね、茜さん。お母さんはね、植物を育てる力を持ってるの。緑の指の持ち主なんだよ」
得意気に言う私を、茜さんが不思議そうに見る。
「狐憑きじゃないの?」
「狐なんて見たことないよ。茜さんはあるの?」
「ないけど……。でも……」
「だから狐なんて憑いてないんだって。山内さんも違うって言ってるだろう」
「でも、山内さんに見えてないだけかもしれないし……」
「狐が見えている人なんて、どこにもいないのよ。全部、嘘なの」
母は悲しそうな顔で戻ってきて椅子に座った。
「私も子供の頃からずっとそう言われて、自分が狐憑きなんだと思っていたわ。お前は不幸を招くんだって言われて、ずっと家族の中でひとりだけ虐げられて育ってきたの」
「酷い……。お母さんを庇ってくれる人はいなかったの?」
「いなかったわ。両親も兄も……みんな私のことを嫌ってた。……今から思えば、一種のスケープゴートだったんでしょうね」
生きていれば誰にだって不幸のひとつやふたつは訪れるだろうし、取り返しのつかない失敗だってする。
その原因を他人に押しつけることで、自分は悪くないのだと思い込んで気を楽にしたかったのだろう。
母はそんな風に言った。
だが、その当時の母は、自分が全て悪いのだと思い込んでいたそうだ。
一緒に暮らす家族から、ずっとそう言われ続けていたから、疑うことすらできなかったのだ。
「一種の洗脳状態だったんでしょうね。高校生になったばかりの頃、お前がいると皆が不幸になるから出て行けと言われた時も抵抗できなかった」
古いアパートに部屋を与えられ、三年間だけ部屋代は払ってやるから学費や生活費は自分で稼げと言われた母は、仕方ないと諦めて素直に言うことを聞いたのだそうだ。
「瑞歩さんだけが、それは違うって言ってくれたの。そして謝ってくれた」
――ごめんなさい。私達一家が転がり込んできたせいね。
当時、結婚したばかりだった母の兄、私にとっての伯父さんが失業し、生活できなくなって一家揃って実家に帰ってきたのだ。
母の実家はあまり広い家ではなかったから、伯父さん一家の部屋を確保する為に母は追い出されることになったようだ。
「当時の私は、兄が失業したのも狐憑きの私のせいだと言われて、そうなんだろうと思ってしまっていたから、なぜ瑞歩さんが謝るのか理解できなかったわ。私が悪いんだから仕方ないんだって言ったら、瑞歩さんは私の為に泣いてくれたの」
生まれたばかりの茜さんを抱っこさせてもらったのは、その時だそうだ。
その後、家を出た母は、水原さん夫妻が経営する花屋でバイトをしながら高校に通い続けた。
バイトで得られる金銭で学費や生活費を捻出して高校に通うなんて本来なら無理な話だったが、事情を知った水原さん夫婦が親身になって面倒を見てくれたお蔭で、なんとか生活出来ていたのだそうだ。
植物との親和性が高かった母は、ちょうど高校生の頃に植物に入れ込みすぎて、実生活がおろそかになり身体を壊しかけたことがあったと聞いている。きっと親兄弟に捨てられるようにひとり暮らしをはじめた寂しさから、余計に植物達に傾倒してしまったんだろう。
「その後も色々あって、結局親とは縁を切ったけど、なんとか無事に高校を卒業することができたの」
「色々って?」
この際だからちゃんと聞いておこうと思って聞いてみたら、母はとても苦しそうな顔になった。
「あまり楽しい話じゃないわよ。それでも聞く?」
「うん。聞きたい。ちゃんとお母さんがハッピーエンドに辿り着いたんだって知ってるから、なにを聞いても大丈夫だよ」
母は不運を乗り越えて父と出会い結婚した。
幸せな結末を迎えることが分かっているから、途中で苦しいことがあったとしても平気だ。
というか、中途半端に聞かされた状態だと、実際にはなにが起きたんだろうと無駄に想像して逆に怖い思いをしそうだから、ちゃんと知っておきたい。
「そういうポジティブなところ、芽生ちゃんはお父さん似ね」
母は嬉しそうに微笑んだ。
「じゃあ話すけど、お母さんね、十六歳ぐらいの時に、親から宗教団体に売られそうになったのよ。養女と言う名の愛人枠で」
思ってたより酷い話だった。
その宗教団体は、母の植物を育てる力に目をつけたのだ。
母は水原さん夫妻や園芸家の田口さんなど、それまでに知り合った植物繋がりの知人に助けられ匿われた。
助けてくれた人の関係者にマスコミ業界の人がいて、その教団の悪い噂を探り当てて記事にすると同時に警察にリークもしてくれた。
その結果、教祖は警察に捕まり教団は解散することになった。
母を売ろうとした祖父母は、母に実害がなくまだ金を受け取っていなかったこともあって前科はつかなかったらしい。
「それで実家と縁を切ったの?」
「そうよ。散々罵られたけどね。……自分達が警察に捕まりかけたのも、宗教団体が崩壊したのも、狐憑きの私に関わったせいだって……」
「その話……たぶん聞いたことあります。内容は全然変わってたけど」
家出をした母が危険な宗教団体に関わったせいで、自分達まで巻き込まれて大金を失い警察に捕まりかけた。そう祖父母が言っていたと茜さんが言う。
「全然違ってたんですね」
「ええ。違うわ。……瑞歩さんはなにか言ってなかった?」
「私がその話を聞いたのは、母が癌で入院していた時だったので……」
茜さんは、闘病中の母親に嫌な話は聞かせたくなかったから確認しなかったのだ。
「ただ、家の中で母だけは、夕香叔母さんのことを悪く言ってなかったんです。夕香叔母さんと同じように狐憑きだと言われてる私を庇う為だと思ってたんですけど……」
「そう。あの家にいても瑞歩さんは変わらなかったのね。優しいだけじゃなく、とても強い人だったんだわ」
歪んだ結束力で固まっている家族の中で、ひとりだけ違う意見を持ち続けるのは確かに難しいことかもしれない。
話を聞く限り母方の祖父母や伯父にはこれからも会いたいとは思えないが、瑞歩さんにだけは会ってみたかったと思う。
「その点、私は全然駄目だった。水原さん達に助けられて、今までの自分が家族から虐待じみた洗脳を受けてきたんだって説得されても、なかなか考えを改めることができずにいたの。……茜さんと一緒よ。自分は狐憑きかもしれないっていう不安から逃れられなかったの」
そして母は父と出会った。
母に一目惚れした父は、結婚を前提につき合って欲しいと即座にプロポーズしてきたのだそうだ。
だが、母は頷かなかった。
それならばせめて友達からと言われても、やはり頷かなかった。
母もまた、父に一目惚れしていたからだ。
「狐憑きの自分と関わることで、この人も不幸になるかもしれないって思えてしまって……。どうしても頷けなかったの」
「ここからは俺が話そう」
どうしても母を諦め切れなかった父は、その後も母に関わろうとし続けた。そして父が本気だと判断した水原さん夫妻が、母の事情を父に教えてくれたのだそうだ。
「その話を聞いて、とりあえず事実確認をしようと思ったんだ」
狐憑きなどと言われる憑き物筋の家系が実際にあることを父は知っていた。
そういった家系が常に周囲からの偏見に苦しんでいることも知っていたから、調査するのは簡単だろうと忙しい仕事の合間をぬって母の家系のことを遡って調べてみたそうだ。
「で、どうだったの?」
「夕香の父方母方どっちにも狐憑きだと噂されるような家系は出てこなかった。自分ひとりじゃどうにも調べきれなくて、大学の後輩にも頼んで調べてもらったんだがやっぱり出なかったよ。――ただ、父方の家系のほうで、ちょっと変わった血筋に辿り着いたんだ」
母の曾祖母が、現代まで続く由緒正しい神社の家系から出た人だったらしい。
「それも女系を重んじる家系でね。今でも婿を取って家を継いでいっているようだ」
「今でもその神社あるの?」
「あるよ。ただ夕香の曾祖母は産まれてすぐに養女に出された人だから、向こうからすれば我が家はもう他人だろうけどね」
「女系を重んじているってことは、女性のほうに神職としての力が強く出ていたってことでしょうか?」
「そうみたいだね」
城崎さんの問いに父が頷いた。
「夕香の曾祖母は地方の名家の養女になって結婚し、息子をひとり産んだ後、比較的若くに亡くなった。その後、曾祖父は後妻を迎えた。たぶんこの女性が、最初に狐憑きという言葉を使ったんだ」
曾祖父は、曾祖母が死んだ後も彼女のことを忘れられずにいたらしい。それが後妻の気に触り、後妻は曾祖母の忘れ形見である祖父を、お前は狐憑きの女が産んだ子だと虐げるようになった。
どうやら曾祖母は、母よりももっと強く植物を活性化させる力を持っていたようで、周囲の農家からはかなり感謝されていたらしい。後妻はそれも気に入らず、曾祖母の名誉を汚すようなことをその息子である祖父に吹き込み続けた。
その後、祖父は長男だったにも拘わらず、後妻の妨害にあって家督を継ぐことができずに家を追い出されて縁も切られた。
家督を継ぐことになった祖父の弟はこの成りゆきに罪悪感を抱いたのか、もしも兄が助けを求めてきたら手を貸すようにと自分の子供達に言い聞かせて育てたのだそうだ。
「これは勝手な推測なんだけどね。たぶん夕香の祖父は、後妻が仕向けたように、自分が不幸なのは全て実母が狐憑きだったせいだと考えてしまうようになっていたんじゃないかな」
やがて祖父は家庭を持ち息子に恵まれる。
そしてその息子に、後妻と同じように、自分の身に起きた不幸を吹き込んだ。
お前の身体にも狐憑きだった女の血が流れている。女が産まれたら気をつけろ、と……。
「この祖父、芽生からみると曾祖父の代では、出産後すぐに死んだ子がふたりいる。どちらも女の子だったようだ」
「それって……」
「もちろん、ただの偶然かもしれないよ」
でも違うかもしれない。
なんの罪もない子供の命が、悪意の嘘で失われた可能性がある。
想像しただけで怖くて気持ち悪くて、心がぺたんこになりそうだ。
「芽生ちゃん、大丈夫?」
「……うん」
都子ちゃんが心配そうに顔を覗き込んでくる。
苺ちゃん達もぺとぺとっと髪や肩にくっついてきてくれて、単純な私はそれだけで励まされた。
「お母さんの兄弟はお兄さんだけ? 他に姉妹はいないの?」
「ええ、いないわ。――お母さんはね、お父さんからその話を聞いて、ずっと引きずってきた狐憑きかもしれないっていう不安からやっと解放されたの。持って産まれたこの力も、決して悪いものじゃないんだって思えるようになった」
そして無事に両親は結婚し私が産まれた。
めでたしめでたしだ。
読んでいただきありがとうございます。誤字報告も感謝です。
次話は、茜さんの解放。




