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茜さんのこと 1


城崎(きざき)くんから連絡が来たよ。水曜日で大丈夫だそうだ」


 夕食の席で父が言った。

 茜さんが普段バイトしている喫茶店の定休日が水曜日なので、都合がよければ話をしながら夕食を一緒にどうかと、城崎さんを通して茜さんを誘っていたのだ。


「夕食のメニューはなにがいいか聞いてくれた?」

「女性にしては大食いで、肉さえ食べさせておけばご機嫌なんだそうだ」

「肉……肉ねぇ」

「じゃあ、大きなローストビーフの固まりを、どーん! とテーブルの真ん中に置くのはどう? 好きなだけたっぷり切り分けて食べられるように」

「いいわね。それをメインにメニューを組み立ててみるわ。ふたり共、水曜日は学校から帰ったらすぐにお手伝いしてね」

「はーい」

「任せてください」


 ここ最近、私と都子(いちこ)ちゃんはいつも夕食の支度を手伝っている。

 私は基本的にサラダ担当で、都子ちゃんは母の助手のようなことをやりながら料理のコツを教わっている。

 サラダ担当と言っても、生野菜を洗って千切ったり切ったりするだけの簡単な作業なのだが、それでも父にとっては充分なようで、毎日嬉しそうにサラダを食べてくれている。この前なんて苦手なはずの生のピーマンが入ったサラダまで食べていた。私には無理だったので、そっと父の皿にピーマンを移動させたらそれもちゃんと食べてくれた。父の愛には感謝しかない。……母からは叱られたけど


「そうだ、都子ちゃん。夏休みはどうするの?」

「どうって、なにが?」

「こっちにいられる?」


 うちの高校には少数ながらも親と離れて暮らす生徒がいる。

 都子ちゃんのように他県から入学した者や、親の仕事の都合で離れて暮らす者達だ。そうした生徒達は、長期休みには親元に帰るようなのだが、都子ちゃんの場合はどうなんだろう?

 不安げに聞いた私に、都子ちゃんは笑って答えた。


「もちろん。祖母からは帰って来るなって言われてるから、ずっとこっちにいられるわ。普段の連絡も家政婦さんにしてるぐらいなのよ」


 都子ちゃんは、月に一度、生活費の入金を確認した時だけ、お礼の電話をすることを義務づけられているらしい。その電話にも祖母が出ることはないのだとか。

 だからこそ、今こうして我が家で暮らしていることも気づかれずに済んでいるのだ。


「……都子ちゃんのお母さんとは?」

「没交渉。……案外、私の顔を見ずに済んで、ほっとしてるのかもね」


 ちょっとだけその気持ちがわかるかも、と都子ちゃんが言う。

 両親の間に挟まれ悩んでいたかつての自分も、両親の離婚が決まった時に少しだけほっとしてしまったからと。


 都子ちゃんは、母親の言いなりになって父親に冷たい態度を取ってしまったことをやっぱり今も後悔しているようだ。

 その証拠に、苺ちゃん達もすっかり元気を無くして動きを止めている。


 都子ちゃんは今うっすら微笑んでいるけど、これは自虐の笑みだ。

 見ていて辛くなる表情だ。


 こういう時、どうしたらいいんだろう。

 なんて声をかければいいんだろう。


 友達が出来たからと言って、人間的に成長出来たわけじゃない。

 相変わらず私は、人間関係に無知な子供のままだ。


 困っていると、先に父が口を開いた。


「たぶん夏休み前には都子ちゃんのお父さんも帰国するだろう。先のことは、その時々で考えていけばいいよ」

「そうですね。――芽生ちゃん、まだどうなるかわからないけど、夏休み中はいっぱい遊ぼうね」

「そだね。旅行にも一緒に行こうよ」


 我が家では、夏休みはいつもお墓参りを兼ねて九州地方のテーマパークや観光地に遊びに行くのが恒例になっていた。

 都子ちゃんと一緒ならきっと楽しいだろう。


「っと、まだ言ってなかったな。芽生、今年の旅行は無しだ」

「えー、なんで?」

「お祖父ちゃんが入院中だから」

「……そんなに悪かったの?」


 容態は安定したと聞いて安心していたのだが……。


「う~ん。お祖父ちゃんは麻痺がかなり残っててリハビリが大変っぽいけど、それ以外に問題があってだな。……芽生に、お祖父ちゃんの弟――おまえにとっては大叔父になるのか――の話をしたことがあったっけ?」

「ない……と思う」

「その人がお父さんのことをあまり良く思ってなくてさ」



 祖父が倒れたと連絡を受けて帰省した父に、大叔父さんは始終冷たい態度をとり続けたのだそうだ。

 父と大叔父さんは、元からあまり友好的な関係ではなかったせいもあって、毎年家族連れでこっそりお墓参りに行っていることも内緒にしていた。そのせいもあって、絶縁以来初めて父が帰省したと勘違いした大叔父は、かなり酷いことを父に言ったようだ。


 ――父親が危ないと知って即座に帰って来るとは遺産狙いか。この恩知らずのハイエナめ。


 オブラートに包みながらの父の説明を私なりに解読すると、そんな感じのことを言われたようだ。


「家族連れで帰省したら、おまえ達にまで暴言吐きそうな剣幕でね。今はなるべくなら近寄りたくないんだ。安定しているとはいえお祖父ちゃんに万が一がないとも限らないから、あまり遠出もしたくないし……。だから今年は旅行は無しにして、ごく近場に一泊か日帰りで遊びに行こうと思ってたんだ。――それだと嫌か?」

「ううん。全然いいよ」


 きっとその方が都子ちゃんも、余計な遠慮をせずに一緒に遊んでくれそうだ。 


「そうか。じゃあ、都子ちゃんとふたりで、どこに遊びに行きたいか相談しておいてくれ」

「わかった」


 近場と言われて、ぴこんと脳裏に浮かんだのは、埋め立て地に生息している服を着たネズミのテーマパークだ。

 両親と一緒なら、テーマパーク内のホテルに泊まることもできるだろう。

 この場でそれを言うと、両親の手前、都子ちゃんも本音を言えないかもしれないから、後でふたりきりの時に相談してみよう。


 はじめて友達と過ごす夏休み。

 都子ちゃんや咲希ちゃん達、みんなとたくさん遊ぼう。

 

「今年の夏休みは楽しくなりそう」

「芽生ちゃん、その前に期末テストがあるからね?」


 浮き浮きする私に、都子ちゃんが冷や水を浴びせた。


「うちの学校、各教科の成績が悪い方から一クラス分は夏休みに補習があるのよ。大丈夫そう?」

「……ギ、ギリギリ?」


 いや、足の小指一本ぐらいは引っかかるかもしれない。


「都子ちゃん、勉強教えてくれる?」


 ひしっとしがみつくと、「もちろん」と都子ちゃんは頼もしく頷いてくれた。


「私も夏休みは芽生ちゃんと一緒に遊びたいもの。さっそく今日からはじめようね」

「え……今日? でも、まだ一週間前にもなってないよ? もうちょっと後からでも……」

「芽生ちゃん、勉強に早すぎるってことは無いのよ」


 にっこり笑う都子ちゃんの笑顔に慈悲はない。

 救いを求めて母に視線を向けたら「がんばりなさい」とおっとり微笑み、父はそっと私から目をそらした。







 水曜日、約束通りに城崎さんが茜さんを連れて我が家にやって来た。


「これ、食後のデザートにどうかと思って」


 リビングに通され、とりあえず皆で初対面の挨拶を交わした後で、城崎さんが母に紙袋を手渡した。

 某有名ケーキ店のフルーツロールケーキらしい。


「まあ、わざわざどうも」


 おっとり微笑んで受け取った母は、改めて茜さんの顔を見て目を細めた。


「……ああ、良く似ているわ」

「そうでしょう? 夕香さんや芽生ちゃんと血が繋がってるって、一目で分かりますよね」


 城崎さんが私達を見比べながら、そう言った。


「芽生ちゃんのお姉さんみたいね」

「うん、そっくり」

「夕香の妹でも通るな」


 茜さんは、本当に私達に良く似ていた。

 身長は私より高くて百五十ぐらいか。ふわふわの癖毛を高い位置でポニーテールにしていて、胸はやっぱりつるぺただ。

 顔の輪郭や口元は良く似ているけれど、目元だけは私達と違って少し垂れ目がちだ。そのせいで幼げに見えるのかもしれないが、愛嬌があってとても可愛い。


 似てる似てると感心する私達に、母は首を横に振った。


「そうじゃなくて。茜ちゃんのお母さんに似てるのよ。特に目元がそっくり」

「母と会ったことがあるんですか?」


 それまで緊張した面持ちで黙っていた茜さんがはじめて口を開いた。


「ええ。まだ私が高校生だった頃に……。生まれたばかりのあなたのことを抱っこさせてもらったこともあったのよ。――瑞歩さんはお元気?」

「……母は、二年前に癌で亡くなりました」

「まあ……そうだったの。とても優しい方で、いつかまたお会いできればと思っていたのに……。亡くなったことも知らなかったわ。お悔やみを申し上げます」

「ありがとうございます」


 知り合いの訃報に母は本当に驚き、同時に悲しんでいるようだった。

 二年前と言えば、茜さんが喫茶店で働きはじめた頃だ。

 その当時の茜さんは漫画喫茶で寝起きしていたと聞いているが、母親の死と無関係ではないのかもしれない。


「いつまでも立ち話はないだろう。こちらへどうぞ」


 父がお客さん二人をリビングのテーブルに招き、私達は母と共に温かい料理をテーブルに運んだ。

 テーブルの真ん中には私が提案したローストビーフがどーんと鎮座している。茜さんがどの肉が好きかは分からなかったので、それ以外にも鳥や豚や羊の肉料理をこれでもかと用意している。他にはラザニアやサラダなど、テーブルの上は正直ごちゃごちゃと節操のない状態になっていた。


「お肉好きで沢山食べるって聞いたから、色々作ってみたのよ。どうかしら?」

「天国みたいです!」

「よかったわ。遠慮せず好きなだけ食べてね」


 お肉だらけのテーブルに、茜さんがぱあっと嬉しそうな顔になる。

 ちょっとしんみりしていた雰囲気が途端に明るくなった。

 同時に、茜さんからポポンと光が飛び出してきた。


「桜色だ」


 思わず口走ってしまった私を、茜さんが見る。


「もしかして、私の神気の色?」

「うん。光の色。茜さんも自分の光は見えないの?」

「そうなの。具体的にどんな色か教えてくれる?」

「ぴーちゃん……あの黒猫の光が見える?」


 私は、城崎さんから飛び出した虎目石の光に向かってダッシュしているぴーちゃんを指差した。


「あの色より、ほんのちょっとだけ赤みが強い桜色」

「そう……ああいう色なんだ」

「いいなー。私も桜色がよかったんだけど……。見える?」

「ええ。芽生ちゃんの色はオレンジがかった黄色ね。えっと、イメージとしては向日葵みたいな色かな」

「わ、芽生ちゃんにぴったり」


 ぽんっと両手を叩いて都子ちゃんが嬉しそうな顔になる。

 苺ちゃん達も一斉に飛び出して、くるくるっと宙を舞った。


「……界太先生も凄いけど、彼女の神気もかなりのものね」

「だよね」


 私は我が事のようにつるぺたの胸を張った。


「芽生ちゃん、私の神気の大きさと量ってどんな感じ?」

「え……う~ん。大きさはうちのお母さんぐらいかな。量はまだちょっとよくわかんない」


 緊張していたのか、我が家に来たばかりの時の茜さんからは、全然光が出ていなかったのだ。

 肉料理を見てやっと出てきたけれど、これが本調子かどうかまだ判断できない。


「そう。やっぱりそんなに大きいほうじゃないのね」


 茜さんは何故かがっかりしているようだ。

 綺麗な桜色の光なんて、私からすれば羨ましいばかりなのに……。


「とりあえず、乾杯しようか」


 城崎さんが車なのでアルコールは無し。

 こうして出会えたことに、みんなでジュースや炭酸水で乾杯した。


「さあ、沢山食べてね」

「はい、いただきます!」


 肉好きだというのは本当のようで、茜さんは母に勧められるままもりもり肉を食べた。

 ローストビーフに鳥の唐揚げの南蛮漬け、豚の角煮にラムチョップのバルサミコソースがけなどなど、母が悪のりして作りまくった肉料理の数々を、それは美味しそうに食べていく。

 その健啖ぶりはまるでフードファイターのようだ。


「この通り痩せの大食いで、食費がけっこう嵩むみたいなんですよ」

「喫茶店の賄いのお蔭でかなり助かってます」

「茜さん、いつもはウェイトレスやってるんだっけ」

「そうよ。ちょっとメイド服っぽい可愛い制服で、いらっしゃいませーって」

「あら、似合いそう」


 写メがあるというので見せてもらった。

 今日の茜さんは、落ち着いたカーキ色のワンピースを着ているからちょっと大人っぽく見えているけれど、メイド服っぽい可愛い制服を着ていると高校生にしか見えない。

 城崎さん兄弟が家出娘だと心配した気持ちが良く分かった。


「城崎さんのお手伝いもしてるんでしょう?」

「はい。ちょっとだけ……。もっと役に立てるように修行中なんです」

「修行?」

「翔平さんの知り合いの神職の方に、霊を見る方法を伝授してもらっているの。以前は全然見えなかったんだけど、修行の甲斐あって神気や邪気が絡んだ状態でなら見えるようになったのよ」

「あ、じゃあ、私も見えるようになるかな?」


 興味津々で身を乗り出したら、城崎さんに「止めといたほうがいい」と止められた。


「こちらが見えるようになれば、向こうからもそれと認識される。一度チャンネルが開いてしまったら、始終幽霊と関わる生活を送ることになるんだ。その覚悟があるかい?」

「芽生ちゃん、止めておいたほうが良いと思うわ」


 都子ちゃんに心配そうに言われて、「そだね」と私は素直に頷いた。


「ずっとは無理。……茜さんは平気なの?」

「まあね。出来れば神気や邪気とは関係なく霊が見えるようになりたいんだけど、神職の方からはチャンネルが違うから無理だろうって言われてて……」


 神職の方――山内さんというらしい――が言うには、私や茜さんの目は、霊やオーラが見える人達のそれとはまったく違う種類で、かなり特殊なものらしい。


「こいつ、山内さんからは巫女の素質があるって言われてるんです。神社で働いてくれとも言われてるのに、なかなか頷かなくて……。俺みたいな不安定なライターの助手なんかより、神社に務めたほうがいいに決まってるんです。――夕香さん、ちょっと説得してやってくれませんか?」

「え、私?」


 城崎さんに頼まれた母は、ちょっと困った顔になる。


「こういうことは本人の意思が一番大事だと思うから、茜さんのことをまだ良く知らない私からはなにもいえないわ」

「翔平さん、夕香さんを困らせちゃ駄目。神社なんて敷居が高すぎて、とてもじゃないけど私には無理。今の生活が一番性に合ってるの」


 茜さんが怒った顔で城崎さんに文句を言う。

 でも茜さんから発生した桜色の光は、ふわふわと城崎さんに近寄っていって、慕わしげにぴとっとその頬や髪にくっついていく。


 あれれ?

 これって、もしかして……。


 光の動きは心の動き。

 気づいてしまったことに、私はひとりでニヤニヤしてしまった。


「あ、そうだ。界太先生、山内さんからお札を書いてもらってきました。後でお渡ししますね」


 茜さんに睨まれてたじたじになった城崎さんが、話題を逸らすべく父に視線を向けた。


「それから、四人分のお守りも貰ってきました」

「おや。サービスかい」

「いえ。違うんです。実はですね、あの後、神職の山内さんに会って、色々相談したんですが、叱られてしまいまして――」


 城崎さんは、父の許可を得た上で、我が家で起きた怪奇現象を山内さんに話して、助言を求めたのだそうだ。

 その結果、この馬鹿者と叱られたのだとか。


「先日、俺は生き霊の目当てが界太先生だろうと言いましたが、それは撤回させてください」


 霊能者ではない城崎さんには、生き霊が発する感情を読むことはできても、その目的までをも読み取る能力は無い。

 だから、先日の発言はただの憶測でしかない。


「有名漫画家の界太先生が嫉妬されることがあるのは当然として、そんな素敵な旦那さまを持つ夕香さんも嫉妬される可能性がある。さらには、そんな素敵な両親を持つ芽生ちゃんも嫉妬されているかもしれないし、仲の良い三人家族そのものが嫉妬されていてもおかしくない。それから、この家にいる女性陣は皆さんそれぞれ方向性の違う美人ですから、そのことで嫉妬されている可能性だってある」


 美人と言われても、性別不詳気味の自分に関しては首を傾げてしまうが、母や都子ちゃんが美人なのには深く同意する。


「嫉妬だらけだね」

「そうなんだ。この家で暮らす四人全員が嫉妬されている可能性を持っているだろうって山内さんに指摘されて、怒られちゃったよ」


 それで万が一のことを考えた山内さんが、直筆のお守りを四つ作ってくれたのだそうだ。

 生き霊の対象が父ではなかった場合、外出先に生き霊が出ないとも限らないからと……。


「鞄か財布にでもつけて持ち歩いてください」

「そうか。お気遣いありがとうと、山内さんにも伝えて欲しい」

「はい。それともうひとつ……。そこではしゃいでる黒猫……ぴーちゃんだったっけ? のことで、ちょっと話しておきたいことがあるんです」


 城崎さんは、宙でくるくるっと舞っている苺ちゃんをロックオンして、ぷりぷりと可愛くお尻を振っているぴーちゃんを指差した。


「うちの猫がなにか?」

「えっと……その前に、茜、どうだ?」

「うん。神社の子と一緒だよ。間違いないと思う」


 じいっとぴーちゃんを眺めながら茜さんが頷く。


「そうか。ありがとう」


 驚かないで聞いて欲しいんですが、と前置きして、城崎さんはぴーちゃんに纏わる話をしてくれた。


読んでくださってありがとうございます。


次話は、ぴーちゃんの疑惑。

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