這いずるもの
「ねえ、遊ばない?」
昼休み、お弁当を食べ終えた直後に、ニヤニヤ委員長――咲希ちゃんからトランプに誘われた。
長年ぼっちだった私にとって、友達とトランプ遊びをするなんて夢のまた夢。
この素敵な誘いに、私は大喜びで飛びついた……のだが……。
「なんで全然勝てないのかな……」
帰りのバスの中、私はしょんぼりうなだれていた。
咲希ちゃんの提案で、私と都子ちゃん、そして杏ちゃんと、そのおまけの美結とでババ抜きをしたのだが、昼休みに二戦してどっちも私の負けだった。
五時間目が終わった後の休み時間に、お願いしてもう一戦してもらったが、やっぱりあっさり負けた。
都子ちゃんはともかく、美結にまで負けて高笑いされたのが、もう悔しくて悔しくて。
「芽生ちゃんは素直だから、全部顔に出ちゃうのよ」
しょんぼりする私を見て都子ちゃんが苦笑する。
「そうなの?」
「うん。ジョーカーを持ってるのが一目瞭然。駆け引き以前の問題ね。ポーカーフェイスの訓練する?」
「する。つきあってくれる?」
「もちろん。でも、咲希がトランプしたがるのは今日だけかもね」
「なんで?」
「う~ん……あのね。芽生ちゃんが呪いをかけてるって誤解は解けたでしょう?」
「うん、そだね」
そうなのだ。先日の一件から一週間、私の呪術師疑惑は完全に払拭された。
登下校の際、道端にしゃがみ込んで塩や除菌消臭スプレーをまいていたことに関しては、実はこっそり道端の植物の手入れをしていたのだという、なんとも乙女チックな偽情報を都子ちゃんが流してくれている。雑草の手入れをしているのが恥ずかしかったからこそこそしていたという理由づけなのだが、意外にもうまく浸透しつつあるらしい。
「でもね、その代わりに、芽生ちゃんは超能力少女なんじゃないかって噂が流れちゃってるみたいなの」
「はあ?」
――なんでそうなった。
私はあまりにもびっくりしてぽかんと口を開けてしまった。
都子ちゃんが言うには、美結と言い争いをした際、私が杏ちゃん達クラスメイトに発言を促したタイミングが、あまりにも神がかり過ぎていたのがまずかったらしい。
「あれは勘が良いってレベルじゃなかったから、実はテレパシーで心を読んでるんじゃないかって疑われちゃったみたい。だからね、たぶん今日のトランプもそれを確かめるためだったんだと思うの。本当にテレパシーがあったら、ババ抜きをやったらきっと負け無しだろうし……」
「……全敗だったけどね」
自分でも気づかぬうちに、超能力少女疑惑も払拭していたようだ。
結果的には良かったんだろうけど、なんか咲希ちゃんにしてやられた感があってちょっと悔しい。
「咲希は好奇心の塊だから、明日からも別の方法でちょっかいかけてくると思う。……もし嫌だったら邪魔するけど、どうする?」
「邪魔しなくて良いよ。今日も楽しかったし」
負けて悔しかったけど、それも含めて楽しかった。
学校の休み時間にあんな風に遊んだのははじめてだったから……。
幼稚園からずっとぼっちだった私は、美結の一件以来、クラスメイトからも、遠慮気味にではあるものの普通に挨拶してもらえるようになった。
そうなってからは、興味津々っぽい光に距離を置かれつつまとわりつかれることも少なくなっている。
教室内で私が異物扱いされなくなったことは喜ばしいのだが、常に周囲にまとわりついていた大小様々な光が少なくなると、それはそれでちょっと寂しいと感じてしまうから不思議だ。
我ながら贅沢な感傷だと思う。
「ただいまー」
「ただいま帰りました」
警戒して玄関を開けたが、今日はぴーちゃんの出迎えはなし。
その代わり、家の中から騒がしい音がしている。
リビングに行くと、両親が慌ただしく旅行の準備をしていた。
父から発生した光がいつもより活発に動き回っていて、それを狙ったぴーちゃんもリビング内を慌ただしくダッシュしまくっている。
「おう、お帰り」
「芽生ちゃん、都子ちゃん、おかえりなさい」
「ただいまー。――お父さん、どっか行くの?」
この時間いつもは仕事場にいるはずの父が、シェーバーや洗顔セットをキャリーバッグに放り込んでいる。母が手にしているのは父の服ばかりなので、出掛けるのは父だけなんだろう。
「田舎に戻らなきゃならなくなった」
「お祖父ちゃんがさっき倒れたんですって」
「……危ないの?」
「たぶん大丈夫だ。だが脳梗塞らしいから、今後どうなるか……。とにかく、はっきりしたら連絡するから。――いいか。お父さんが居ない間は、いつもより戸締まりに気をつけるんだぞ。夜寝る前に窓の鍵もちゃんと確認しろよ。それと宅配便は宅配ロッカーに配達させるように。直接配達は駄目だ。もしも何かあったら、田中さんか水原さんを呼ぶように」
普段から過保護な父だけに、不在中の家のことが心配でならないらしい。支度しながら、何度も何度もしつこく注意してくる。
「ああ、それと都子ちゃん、こんな時になんだが、お父さんが見つかったよ」
「本当ですか?」
父の言葉に、都子ちゃんがぱあっと嬉しそうな顔になる。
「詳しい話は夕香も知ってるから、後で聞いてくれ。――それじゃあ行ってくる」
「いってらっしゃーい」
急遽予約を入れた飛行機の時間がぎりぎりみたいで、父は慌ただしく出掛けていった。
「お祖父ちゃん、たいしたことないといいね」
「そうね。――さて、今日はフルーツババロアをつくってみたのよ。着替えてらっしゃい。おやつを食べながら、都子ちゃんのお父さんの話をしましょう」
「はーい」「はい!」
一刻も早く話を聞きたかった私達は、先を争うように互いの部屋に戻り、急いで着替えてリビングに戻った。
「まず前置きとして、まだ調査途中で、これは定時連絡の情報なの。だから確実ではないけれど、話を聞いた限りではそれなりに信憑性はあると思ってるわ」
「はい。それで父は今どこに?」
都子ちゃんが前のめり気味に聞く。
「それがね。海外なんですって」
「え?」
「移住したとか、そういう話じゃないのよ。仕事で長期出張してるだけなの。今はアンティークの家具を取り扱う店にお勤めで、その買い出しの為にヨーロッパの方に長期出張に行ってるんですって」
「アンティークですか?」
都子ちゃんが怪訝そうな顔をした。
「父はIT関連の仕事をしていたように記憶してるんですけど……。以前務めていた会社を辞めたらしいとは聞いてますが、あまりに畑違い過ぎてなんだかおかしな感じです」
「高校時代からのお友達の会社を手伝ってらっしゃるんですって。――本人が日本にいらっしゃらないから、調査員の方はそのお友達からお話を伺ってきたんだそうよ」
そのお友達、加藤さんが言うには、都子ちゃんの父親は離婚後に結構大変な目に遭っていたらしい。
社内や取引先に不倫で離婚したという噂が悪意の尾ひれをつけて流され、退職を余儀なくされたそうだ。その上、再就職先にまで似たような悪い噂が流されて、またしても退職せざるを得なくなり……ということが繰り返されて、困った末に加藤さんの勧めで今の仕事についたのだとか。
「加藤さんの話では、全て都子ちゃんのお母さんの実家、田宮家からの妨害なんじゃないかって」
「あの家なら、やりそうですね」
「それとね。離婚原因に関しても田宮家が絡んでいるらしいの。そこら辺は、伝聞よりもご本人が帰国してから聞いたほうがいいだろうから今は言わずにおくわ。ただね、都子ちゃんのお父さんが、離婚した直後から都子ちゃんとの面会を望んでいたことだけは確かよ」
「え……でも、今まで一度も会えてないんですけど」
「田宮家の方で断り続けているみたい。思春期の娘が不倫をした父親に反発しているから、もう少し待つようにと言い続けてるんですって」
「そんな……。そんなこと一度も言ってないのに……」
自分の知らないところで、父親を拒絶していることにさせられた都子ちゃんはショックを受けているようだった。
「都子ちゃん、誤解はこれから解けばいいんだよ。私も一緒に説得するから」
「……うん。ありがと」
頑張ろうねと言い合う私達を見て、母が微笑む。
「そこは心配しなくても大丈夫だと思うわ。都子ちゃんのお父さんも、田宮家が邪魔をしているのはわかっているようだから……。加藤さんが言うには、田宮家の異常性を良く知っているからこそ、お父さんは都子ちゃんのことをとても心配しているんですって。――都子ちゃんの現状を知ったら、きっと力になってくれるんじゃないかしら」
あくまでも話を聞いた調査員の印象で確実な話ではないのだけれどと、母はつけ加えた。
だが、それで充分だ。
父親は自分のことを嫌ってない。
都子ちゃんはそれを知って、心からほっとしたようだった。
「父はいつ頃帰国するんですか?」
「当初の予定では一ヶ月以上先だったみたいだけど、なるべく予定を早めるつもりですって。――携帯の番号を聞いてあるから、自分で連絡とってみる?」
「……いえ。仕事の邪魔をしたくないから番号だけ教えてください。それとあの……父が知りたがったら、私の携帯の番号を教えておいてもらえませんか?」
「う~ん、お父さんに直接じゃなく、間に何人か挟まることになるだろうから、都子ちゃんの携帯の番号を教えるのはお勧めしないわね。家の番号を代理として教えておくわ。それでもいい?」
「はい。お気遣いありがとうございます」
都子ちゃんは、しっかり頷いて頭を下げた。
「どういたしまして。――都子ちゃんは礼儀正しくていいわね」
「そだね。私も見習わなきゃ」
いつも両親と一緒だったから、私はひとりで大人と対峙したことがない。
都子ちゃんみたいな立場に自分がなった時、きちんと対応できる自信がなかった。
近々会うことになるかもしれない都子ちゃんのお父さんに、良い友達だと思ってもらえるようになりたい。
私は、都子ちゃんの礼儀正しさを見習おうとこっそり決意していた。
その日の夕飯は餃子の予定だったのだが、リクエストした父が不在だった為、急遽変更してカレーになった。
ちなみに、作るのは私と都子ちゃんだ。
母としては、一番簡単な料理を作らせることで、私達の料理の腕を確認するつもりだったようなのだが……。
「もっと早くから教えておくべきだったかしら」
都子ちゃんは三ヶ月とはいえひとり暮らしをしていたから、ある程度の料理はできている。
だが私はこれが初体験。
ちなみに学校での調理実習の際は、皆から少し離れて洗い物ばかりやっていたので調理らしきことはほとんどしてない。
ぼっちだったせいじゃなく、私を気味悪がっている人達に、自分の手が触れた料理を食べさせるのは気が引けたので遠慮したのだ。
「まさか、包丁すら使えないなんて……」
皮むきはピーラーがあるから楽勝だったが、野菜を切り分ける段階でストップを掛けられた。
どうやら私は包丁の使い方が壊滅的に下手らしい。
野菜を抑える手はちゃんと猫の手にしたのに……。
「ダンって叩いて切っちゃ駄目。包丁は押したり引いたりして切るものなの」
都子ちゃんに教わりながら野菜類を切り分けたが、切り終わる頃には側で見ていた母がげっそりしていたので、きっとかなり危なっかしかったんだろう。
「都子ちゃんが来てくれて良かったわ。でなきゃ、この惨状をずっと知らないままだったもの。料理するのを側で見ているから、ある程度は自然に覚えてくれてると期待していたんだけど……」
甘かったと母がやたらとがっかりしていて、なんだかとても申し訳ない気持ちになる。
「……ごめんなさい」
「ううん。芽生ちゃんは悪くないわ。甘やかしてきたお母さんがいけないの。――これからはビシビシ鍛えるからね」
「はーい。頑張ります」
母の厳しい声に、私は背筋を伸ばしたのだった。
その後、跳ねる油に大騒ぎしながら炒めたり、乱暴にかき混ぜすぎてじゃがいもが半分煮崩れちゃったりしつつも、無事にカレーは完成した。
母が作る時は、父好みの独自配合のスパイスを使うのだが、今回は簡単に市販のルーを使った。
子供舌の私には、市販のルーの方が甘くて美味しく感じられたことは、母には内緒にしておく。
食後はリビングで、ポーカーフェイスを学ぶべく、三人でババ抜きをやった。
「……芽生ちゃん、変な顔になってるよ?」
「え、そう?」
「瞬きの回数も多いわね」
手札の中にジョーカーがあると、ポーカーフェイスを意識し過ぎてどうしても緊張してしまう。
その緊張した顔がよっぽど変なのか、都子ちゃんも母も笑いをこらえるのに必死だ。
苺ちゃん達も母のライムグリーンの光と一緒になって、楽しげにくるくるっとリビング中を転げ回ってる。
ぴーちゃんも大喜びしてはしゃいでいるんじゃないかと振り返った私は、玄関に通じる廊下に面したドアの前で、ぴーちゃんが全身の毛を逆立ているのを見つけた。
「ぴーちゃん? どうかしたの」
太くなった尻尾を弓なりにしならせたぴーちゃんが、玄関の方を見たままウーッと低く唸っている。
「あら、どうしたのかしら。――さっき、ちゃんと鍵締めたわよね?」
「うん。チェーンもかけたよ」
「私も確認しました」
顔を見合わせた私達は、一斉に立ち上がってぴーちゃんの所にいった。
「芽生ちゃん、ぴーちゃんを抱っこしてて」
母に言われて、ずっと唸り続けているぴーちゃんに手を伸ばした。
いつもだったら、絶対にぴーちゃんは私に抱かれるのを拒否するのに、今日は大人しく腕の中に収まってくれる。
その小さな身体が小刻みに震えていた。
「待って、お母さん!」
嫌な予感がした私は、玄関に通じる磨りガラスがはまった扉を開けようとしている母を慌てて止めた。
が、すでに母は扉を少し開けて、廊下を覗き見ていた。
「……貴方達、奥の部屋に逃げなさい」
「え? なに?」
「夕香さん?」
「いいから、早く!!」
母は扉を閉めると、私達の背中を押した。
押されるままリビングの奥へと歩きながら、なにが起きたのかと私は振り返った。
「え? ……うわ」
「ひっ」
ほぼ同時に都子ちゃんも振り返ったらしく、悲鳴のような声を上げた。
私達が見たもの。
それは、一見して黒い不定形の固まりだった。
膝より下ぐらいの高さのなにかが、ずるずると廊下から扉をすり抜けてリビングに入ってくる。
全体がリビング内に入ると、それは全身が澱みまみれで這いずっている人のように見えた。
だが人は扉をすり抜けたりしない。
あれは、なにか違うものだ。
「早く! 早く奥へ!」
私達は、母に追い立てられるまま、このマンションの一番奥まったところにある私の部屋に逃げ込んだ。
「夕香さん、あれ、なんなんですか?」
「わからないわ。あんなのはじめて見た。芽生ちゃんは、あれがなにかわかる? ――芽生ちゃん?」
ぴーちゃんを抱っこしているうちに、その震えが私にも移ってしまったようだ。
ガタガタ震えている私を、母と都子ちゃんが心配そうに見ている。
「……あ、あのね。私の目には、澱みを全身に纏った人みたいに見えた」
あれが這いずった後に、なめくじの這った跡のように澱みが残るのも一緒だ。
「ふたりとも黒いものが見えてたんだよね?」
私の質問に、母と都子ちゃんは頷いた。
「私達にも見えるのなら、芽生ちゃんがいつも見ている澱みとは違うものだわ」
「うん。違う。澱みはね、ただの分泌物なんだよ。それを発生させる人の悪意とか憎しみとか、そういうのが凝って染み出てきたものなの。でも、さっきのあれには、中に人が入ってなかった」
「人間だったら、扉をすり抜けられないものね」
「うん」
中に人は入ってない。
それなのに、あれは動いていた。
明らかに私達を追ってこようとしていた。
「お母さん、あれ、ここまで来るかな?」
「たぶん来ると思うわ。……芽生ちゃん、この部屋に塩か除菌消臭スプレーは?」
「あるよ」
私は学校鞄から、いつも持ち歩いている食卓塩と携帯スプレーを取り出した。
持ち歩き用なので、小さくて心許ない。
「お母さんにちょうだい。それから、ふたりともベランダに出て、仕切り板を壊してお父さんの仕事場に逃げなさい」
都合がいいことに隣の部屋はお父さんの仕事場だ。
仕切り板を壊すのに、罪悪感を覚えずにすむ。
「お母さんも一緒に行こうよ」
「行くから、早く」
母は食卓塩の瓶の中蓋を外し、塩を手の平に握り込んだ。
「わ、もう来た!」
都子ちゃんが窓の鍵に手を掛けたところで、ずるっとドアをすり抜けて黒いものが入ってきた。
私の腕の中のぴーちゃんが、シャーッと警戒音を出す。
皆から出た光が、次々に黒いものにぶつかっていくけど、ジュワッと相殺されて消えていくばかりで、まるっきり効果がない。
そうしている間にも黒い人型のなにかは、ずるずるとこっちに這い寄ってくる。
動きが早い。
早すぎる。
逃げ出す暇がない。
明らかに人間には出せない早さで、あっという間にそれが私達へと這い寄ってきて……。
「こっちに来ないでっ!! 消えて!!」
母が握り込んでいた塩をまきながら、私達を庇うように前に立つ。
と同時に、白金の小さな光がどこかからか現れて部屋中に充満した。
「なにこれ? どうなってるの?」
数え切れない光の粒が弾けてキラキラと光を放つ。
あまりにも眩しくて、目を開けていられない。
「……消えた?」
それからしばらくして、聞こえてきた母の声に恐る恐る目を開けると、黒い人型のものはどこにも見当たらなかった。
「どうなったの? 急に消えたように見えたけど……」
「眩しくて消えるとこ見れなかった」
瞬きしながら呟くと、母と都子ちゃんがギョッとしたように私を見た。
「え?」
「眩しかった?」
「見えたの私だけ?」
ということは、あれはやっぱりいつも私が見ている光だったんだろうか。
あの小さな白金の光を私は良く知っている。
あれは、子供の頃から日常的によく見ている光だ。
私は窓辺に飾ってある観葉植物の鉢を見た。
「……枯れてる」
ついさっきまで艶々と綺麗な葉を茂らせていたのに……。
その後、家中を確認した結果、母が丹精込めて育てていた我が家の植物は全滅していた。
次話は、押し売りされます。




