第8話
料理をすっかり平らげて、食後の紅茶を飲みながら人心地が付く。グウィンの料理はどれも絶品だった。見た目こそ色が奇抜で躊躇するようなものだったが、それも最初だけで、味を知れば誰もが有名店のシェフが作ったのかと思うような、素晴らしい料理だった。
「良い食べっぷりだったね」
片づけを終えたらしいグウィンにそう言われて、今更ながら食べ過ぎただろうかと後悔する。しかし、グウィンもオルメスも特に嫌な顔をすることはなく、それぞれ紅茶を啜っている。
「そうだ。君の服、もう乾いたよ。といっても、ここで着るのは目立つからおすすめしないけど」
「ありがとう。それじゃあ、もう少しこの服を借りるよ」
「他にも何着かあるから、後で持っていくよ。どうせ誰も着ない服だから、ヒロヤの自由にしてくれて構わないよ」
有り難い申し出に、再度礼を言う。そうして談笑していると、オルメスが口を開いた。
「明日からのことなんだが、僕は数日家を空ける」
「どこへ行くんだい?」
「ウェジーまで」
「ウェジー! あんな田舎まで、何をしに?」
私は黙って二人の会話を聞いていた。オルメスの仕事に関係する旅らしいが、具体的なことは何も言いそうに無かった。
「そういうわけで、僕は何日かこの街を出る。ヒロヤ、準備をしておいてくれ」
唐突に話を向けられ、ぼんやりしていた頭が急速に働き出す。
「それは、オルメスの旅支度という意味か?」
「違う、君のだ」
「俺の? 一緒に行っていいのか? 仕事なんだろう?」
私はてっきり、彼は人に自分の仕事を一切見せないものだと思っていた。それはエルスハイマーやグウィンから聞いた話もあるし、今この場で、オルメスの態度を見て何となく感じたことだが、彼は当然のように私の旅支度をしろと言うのだ。
「君さえ良ければ、一緒に来てくれ。グウィンから何か用事でも言いつけられているか?」
「いや、何も」
私とグウィンは顔を見合わせた。すると、グウィンが「行って来たら?」と後押ししてくれたので、私は何の迷いも無く頷いた。
翌日の早朝、私たちは馬車の中に並んで座っていた。オルメスにウェジーという場所までどのくらいかかるのかと問えば「半日ほど馬車に乗っていれば着く」と言われ眩暈がした。
「もっと早く到着したいなら、ワイバーンに乗って行けば2、3時間で着くが……あれはかなり高額だから」
「金持ちの乗り物?」
「大富豪でなくとも、懐に余裕があれば乗れるだろうな。騎士や宮廷魔術師、貿易商、銀行員、医者……この辺りは頻繁に利用している。あと、エルスハイマーも」
付け足された言葉に吃驚した。確かに身綺麗にしていたが、話せば親しみやすい普通の男性が、列挙された人たちに並ぶほど裕福だとは夢にも思わなかった。
「エルスハイマーは、何の仕事を?」
「商人さ。昨日飲んだ紅茶は、エルスハイマーから買っているものだ。彼の店のものは味が良いよ。紅茶に限らず、酒でも牛乳でも。酒は飲めるか?」
「人並みには」
「それなら今度、酒場に行こう。こっちの酒も飲んでみると良い。グウィンの料理を絶賛したんだから、味覚は僕らとそう変わらないはずだ」
私たちはそれから、お互いに好きな料理の話や、動物の話で盛り上がった。オルメスは特に毒のある動物について食いつき、異世界の毒とどう違うのか検証したがっていた。お互いの世界のあらゆる話をして、高かった日が暗く沈み始めた頃、やっと馬車は一軒の家の前で停まったのである。
深い緑色の屋根が特徴的な家の前で、剣を携えた一人の女性が真っすぐに立ち、私たちが馬車から降りるのをじっと待っていた。彼女は新芽のような色艶の、美しい髪を揺らし、オルメスに向かって綺麗な礼をする。
「お待ちしておりました、オルメスさん。わざわざこんな所までご足労頂まして……」
「いえ、いえ。構いませんよ。これは僕も非常に興味を惹かれた事件ですし、何より貴女から直々に受けた依頼ですから」
「ありがとうございます」
彼女は無表情を少しだけ崩し、口元に小さな笑みを浮かべた。凛々しい表情から一変し、不意打ちで可愛らしい顔を見せられた私は、棒立ちのまま彼女に見惚れる他無かった。
すると、オルメスと会話をしていた彼女と視線がぶつかる。見つめていたことが感づかれたのではないかと思った私は、緊張のあまり身体を硬直させた。
「オルメスさん、こちらの方は?」
女性の言葉に「紹介しましょう」と笑顔で返しながら、オルメスは私の身体を少しだけ押し出した。
「新しく雇った、助手のヒロヤです」
「宜しくお願いします」
変に上ずってしまった声を誤魔化すため、私は咳払いを一つする。彼女は最初に見た凛とした表情になって、丁寧にお辞儀をした。
「初めまして、ヒロヤさん。ジナ=レティ・サルドといいます。王立騎士団第十二師団に所属している者です」
差し出された白い手を軽く握る。オルメス達とは違い少女らしく小さな手だが、掌の皮が厚く、小指の付け根にはタコが出来ていた。これが彼女の職務に対する熱心さや、生真面目な性格の証なのだと思うと、宝石のように価値があるものに見えてしまって、しっかりと握ることはとても出来そうになかった。私が出来たことというのは、離された手を未練がましく見つめるくらいのものだった。
お付き合い頂きありがとうございました。