第7話
「……彼は、何の仕事を? 科学者? それとも医者?」
私の服の繊維に興味を示していたし、科学や医学の発展などと話していたから、一体何の仕事をしているのだろうかと先ほどから気になっていた。その疑問を残された二人にぶつけてみると、それぞれ面白そうな、言い難そうな、何とも言えない顔で笑っていた。
「そうだなぁ……あいつとは3年の付き合いになるが、未だによく分かっていない」
「分かっていない?」
「医学や科学に強い興味を示すが、研究員ではないし医者でもない。魔術についてもよく理解しているが魔術師でもない」
エルスハイマーが、パイプを持っていない方の手で髭を整えながら言う。
「グウィンは? 大家なら何か知っているんじゃないか?」
「いやぁ、それがね、彼は自分の仕事の話をほとんどしないんだ。こちらが知りたい情報を上手くかわしているというか。それでいて、彼自身が聞いて欲しいことはこっちが理解できなくても、構わず喋って来るからね。つい最近は、エルフの血液の話を延々と聞かされたけど、何を言っているのか半分も理解できなかったよ」
そう言って肩をすくめて見せた。血液の話をしておいて、医者ではないというのか。
「だから、あいつがヒロヤにきちんと報酬を払うのか、それは本当に心配だ。何だったら俺が職の面倒を見ても良いぞ」
有り難いエルスハイマーの申し出に、私は首を横に振った。ここに滞在させてもらえるのであれば、その間は無償で働くのも当然だと考えたからだ。
「お金を貰うのは申し訳ないから、無償でなら喜んで働かせてもらうよ」
「無償! 異世界人の感覚というのは分からんな。俺は何よりもタダ働きが嫌いだが。まあいい。もし金が必要になったら言ってくれ。お前ひとり分の働き口なら、あっという間に用意してみせるぞ」
彼は自信満々に笑う。ふと視線を上げ木製の壁掛け時計を見ると、その表情は一気に崩れ目をひん剥いた。勢いよくソファから立ち上がり、慌てて扉まで駆けていく。
「まずい、まずいぞ! もうこんな時間じゃないか!」
「どうしたんだ?」
本人からの返答は無かったが、その後を追いながら階段を下りる途中、グウィンがこっそりと耳元で教えてくれた。
「帰りが遅いと、奥方が怒るんだよ。最悪、家に入れてもらえない」
私は納得して一つ頷く。どうやら彼も、あの池に集う男と同じような立場にいるらしく、どこか親近感を覚えた。
「ああ、そうだ! 忘れるところだった」
エルスハイマーは出入り口で立ち止まり、私に向き直る。
「ヒロヤ、さっき無償で働いてくれると言ったな?」
「もちろん言ったよ」
「なら、一つ頼まれてくれないか。別に難しい仕事じゃない。ただ、預かりものをして欲しいだけなんだ」
「預かるものにもよるけど……高価なものは自信が無いから」
「なら大丈夫だ!」
そう言うと、エルスハイマーはジャケットのポケットから、薄桃色の小さな卵を取り出した。
「昨日拾ったものだ。お前がいた湖、あの対岸には森があってな。そこで拾ったんだが、巣にあったから温めてやればその内生まれるはずだ。お前が育ててくれないか」
「温めるって、どうやって? 巣に戻したら?」
「いや、駄目だ。近くで親が死んでいた。あのままじゃ、こいつは食われて終わる。俺が育ててやりたいが妻にこっぴどく叱られてな。あの湖に行ったのも、こいつを戻そうかどうしようか、悩んでいたところだったんだ。俺の悪い癖で、こういうのを拾ってきては妻やオルメスに叱られている」
差し出された卵を受け取る。手のひらに乗せるとウズラの卵ほどの大きさで、殻からはじんわりと熱が伝わって来た。それが中に命の入っている証拠だと思うと、思わず持ってきてしまったエルスハイマーの気持ちも分かるような気がする。
「分かった、引き受けるよ」
承諾すると彼は安心したように破顔して、手ぶらな私の左手を両手で強く握りしめた。
「ありがとう。お前の友情と誠実さに、心から感謝するよ」
大げさだと思ったが、彼は本心でそう言ってくれているらしかった。私はその心遣いを受け取ることにして、グウィンと二人、慌てて帰路に着くエルスハイマーを見送った。
「……それで、これはどうやって温めたら良いんだろう?」
「ポケットにでも入れて、一日中持ち歩いていればいいよ。エルスハイマーもそうしていただろう? 夜は藁か布で包んでやって」
私は言われた通り、ベストのポケットにその卵を入れた。グウィンに自室へと案内されると、部屋の机に置かれていた手のひらより少し大きめの本と、筒に入れられた数本の鉛筆が目に入る。本を開いてみると何も書かれておらず、真っ白なページがひたすらに広がっていた。
「これは?」
「ああ。先住民が置いていった手帳だね。この部屋にあるものは、何でも好きに使って構わないよ」
そう言ってグウィンは部屋から出ていく。許可が下りたので、私はこの信じ難い体験を手帳に書き留めることにした。見たこと、感じたことをそのまま書き綴り、時に自分の今後を思案しながら、同居人の帰りを待つことにしたのである。
オルメスは宣言通り、日が落ちる前に帰って来た。私は新しい同居人を出迎えるため隣のリビングに行くと、ほとんど同時にオルメスも入って来た。彼は出掛ける前より機嫌良さそうな顔をしてジャケットを脱ぐと、大雑把にソファの背もたれに置いた。
「やぁ、ヒロヤ。君の部屋はどうだったかな?」
「広くて良い部屋だね。俺が住んでいる部屋より綺麗だ」
「それなら良かった。それじゃあ、約束通り食事にしよう。さっき、グウィンがもうすぐ出来ると言っていたから」
私たちは揃って1階にあるダイニングへ行き、向かい合って席に着く。キッチンから漂ってくる匂いは、私にはハッキリと判別出来なかったが、オルメスはその匂いを嗅ぎながら、時折指でテーブルをトントンと叩き、リズムを刻んでいた。
やがて運ばれてきた料理は、見覚えのあるようなものと、全く見知らぬものとあって、私を困惑させた。
「ありがとう、グウィン。さぁ、食べよう」
それだけ言うと、オルメスはスープを一口掬う。私もそれに倣って、グウィンに一言礼を言うと、紅芋のような色のスープを恐る恐る口に入れた。
「美味しい!」
何も考えずに出て来た一声がそれであった。口の中に広がるのはスッキリとした甘みと野菜が凝縮されたような旨味。スープの中に沈む、大き目のみじん切りにされた食材が何なのかは分からないが、人参のような食感とトウモロコシのような甘みのある、野菜とも果物ともとれる食材や、燻製された肉のようなものが入っていた。
「凄いな、このスープ! 本当に美味しいよ。一流の料理人みたいだ!」
グウィンはスープを食べ進める私の様子を見ながら、とても満足のいく仕事をしたような顔で笑っていた。
「君の料理は、異世界人にも通じるらしいな」
「そうみたいだね」
あっという間に無くなってしまったスープの皿を見て、グウィンが「おかわりは?」と尋ねてくれた。朝から何も食べていなかった私は即答で頼む。再度置かれた皿の中は、最初見た時とは比べ物にならないほど、美味しそうな見た目で私を誘っていた。
「ヒロヤ。スープも良いが、魚も食べると良い。僕は肉より魚が好きなんだが、グウィンの作る魚料理はかなりのものなんだ」
私はその言葉につられて、中央に置かれた大皿に目をやる。真鯛ほどの大きさもある魚を丸一匹、衣をつけて揚げた料理だ。オルメスの前にも置かれていることから、これがシェアして食べるものでは無く、一人分の量なのだと分かる。それが大きな皿に、ハーブのようなものと、クルミのような木の実と一緒にダイナミックに盛り付けられている。
その大皿を自分の方に引き寄せて、魚の腹にフォークとナイフを入れる。外側からパリッという音が聞こえた。そのまま大き目に一口分切り取って頬張ると、白身魚の甘みとフワッとした食感が口の中に広がる。鱗を取っていないらしく、鱗がパリパリに香ばしく揚げられている。身の柔らかい部分と一緒に食べると、食感の複雑さでより一層美味しくなっていた。
私は馬鹿の一つ覚えみたいに、美味しい、美味しいと連呼した。スープを飲みながら魚料理を頬張り、謎の葉野菜が使われた赤いドレッシングのサラダにも躊躇なくフォークを突き刺した。
お付き合い頂きありがとうございました。