第5話
私が四苦八苦しながらシャワーを浴び、浴室から出ると、白いタオルと着替えが籠の中に入れられていた。代わりに私の脱いだ服は消えていて、きっとあのグウィンという青年が持って行ったのだろうと考えながら、用意された服を着る。ネイビーのシャツとグレーのベスト、同じ色のネクタイとスラックス、シャツはリネンを染色したものだろう。ベストはウールで、ネクタイは絹で作られていた。黒い靴下と濃い茶色の革靴を履くと、丁度同じく廊下にいたらしいグウィンと出くわした。彼は私を上から下まで見分すると満足げに笑む。
「良いじゃないか。似合っているよ」
「ありがとうございます。これは、貴方の服ですか?」
「いや、前に住んでいた人のものだよ。君と背格好が似ていたから、着れるんじゃないかと思ったんだ。もちろん、複数ある服の中から組み合わせを選んだのは俺だけどね」
自慢げに言うと、彼は私を二階に案内してくれた。この階に扉は一つしか無く、上へ続く階段がある。扉の前で立ち止まると、グウィンはばつが悪そうな顔で私に向き直った。
「そういえば、言わなきゃいけないことがあったんだ。君の服なんだけど、どうしても観察してみたいとせがまれて、この部屋の主人に預けちゃったんだ。ごめんね」
てっきりこの青年が持っていると思ったので、私は少し驚いた。第一、私の服など見てどうするというのだろうか。気味悪く思ったが、見ず知らずの私に快く対応してくれた恩人に文句を言うわけにもいかず「いえ、構いません」と一言返すだけだった。そんな私の困惑を見て取ったのだろう。
「本当にごめんね。だけど、彼は君の服をきっと丁寧に扱っていると思うよ。汚したり、破いたりすることは絶対にないから。オルメスはちょっと、そうだな……探求心が強すぎるというか、変わった人なんだ。ただ悪人じゃない事だけは保証するよ」
しかし私は「俺が見る限り」という小声で付け足された一言に不安を感じざるを得なかった。私の不安をよそに、言うべきことを言ったグウィンは躊躇なく扉を開く。
部屋の中には二人の男性がいた。一人掛けのソファに座り、肘をかけながら片手でパイプを吹かしている、先ほどエルスハイマーと呼ばれていた赤毛の男性。そしてもう一人、窓の近くで何やらブツブツと独り言を呟いている男性。白いシャツと黒いズボン、サスペンダーを身に着けた黒髪の男性は、机の上に並べた私の服を眺め、時には窓からの太陽光に当てながら悩むように唸っている。
エルスハイマーは此方に気が付くと「おぉ!」と楽しそうな声を上げた。
「似合うじゃないか! 変わった服装をしていたから心配したが、中々様になってるぞ」
「ありがとうございます、エルスハイマーさん」
「いやいや、構わんよ。風邪を引かなくて良かった。おい、オルメス。その服の持ち主が来たぞ」
すると、先ほどから私の服に執着していた男性は、私を見ると玩具を見つけた子供のような瞳で足早に近寄って来た。
「やぁ、どうも! 貴方のこの服はとても珍しいですね。意匠はもちろんだが、何より生地の素材が問題だ。綿や羊毛なら僕にもよく分かるが、これは見たことが無い」
そう言ってオルメスという男性が、黒のジャケットを私に見せて来た。明らかな人口素材で出来たそれを、キラキラとした目で観察している。
「これは、多分ポリエステルだと思いますよ」
「ポリエステル? それはどんな繊維ですか?」
答えに詰まった。衣服や化学の専門的知識が無い私は、どう説明したら良いものかと考えを巡らせる。
「えぇっと、そうですね……僕は専門家ではないので、説明が非常に難しいんですが、石油の成分から原料を作り出して出来る、人工的な繊維です」
「石油……?」
私以外の全員がおかしな顔をしたことで、この世界、少なくとも彼らの知識に石油というものが無いのだと理解した。
「そうですね、何というか……簡単に言えば油です」
そう言うと男性は驚きと喜びが混ざったような表情で私に詰め寄った。油はこちらにもあって通じる言葉なのだと知り、ひとまず安心する。
「油!? 繊維が油から作れるのか!? それは面白い! 流石は異世界の生地だ!」
「えっ!? ちょっと待って下さい。異世界とは、どういうことですか?」
サラリと出た言葉に慌てて反応する。しかし男性は服に見せた興奮とは反対に、私の言葉に対して当然だと言う顔をした。
「もちろん、貴方は私たちにとって異世界人であるということですよ。貴方にとっては、ここが異世界で、僕らが異世界人ということになるのでしょう」
「確かに、ここには見たことも無い人がいますし、僕の住んでいた場所とは全く違います。ですが、僕は今の体験を現実かどうか判断しかねているんです」
「夢だとでも? もし貴方が今ここで死んだら、目が覚めることは無いと断言します」
「怖いことを言わないで下さい……だとしても、証明できるものは何も無いはずですよ」
自分で死ぬなんて真似は、夢だとしてもまず出来ないし、目の前の彼も私を殺せるような人間では無さそうだ。確かめる方法など無い。すると、男性はおかしそうに笑った。
「確かに! 信じないと決めている人に信じさせる術は無いですね。だとしても、僕にとってこれは現実で、この服が異世界のものだということには変わりがありません。ここでは貴方のような存在が時たま現れるんですよ」
それを聞いて私は驚き、言葉を失った。それは、私やあの池で出会った男性のような人たちが、他にも迷い込んでいるということだ。
すると、私の服を机に置いた男性は、書棚から紙束を取り出して、さほど時間をかけずにその中の一枚を選び取った。
お付き合い頂きありがとうございました。