第10話
「特に何も見つからなかったな」
そう言うと、オルメスは首を横に振る。
「いや、いくつか手がかりがあった」
「どこに?」
「ぬかるんだ地面なのに、僕ら以外の足跡が無い。しかし、何かが這ったような跡はある。それはこの家の壁に、透明な粘液という形でも残っている」
「……ナメクジ?」
壁の素材自体が太陽光に反射していたわけでは無かったことを知り、私の中ではあのヌメヌメした軟体動物が外壁を這っている光景が思い浮かんだ。
「異世界にもいるんだな。だが違うと思うよ。ナメクジよりもっと大きなものだ。とりあえずこの家で調べることはもう無いだろう。宿に行こうじゃないか。歩きながら、また話せることもあるだろう」
私たちは、馬車で来た道を徒歩で戻り始めた。大体察しがついているらしいオルメスに、もっと詳しい話をせがもうとしたが、それはオルメスの思い立ったような声に遮られてしまった。
「そうだ。今回の事件の話をしておこう。昨日、僕は用事があると言って家を出たが、それはジナ=レティ嬢と会っていたからだ」
「彼女とは親しいのか?」
「いや、そうでもない。いくつか相談事を受けたくらいだね」
私はその言葉に、ほっと胸を撫で下ろす。
「ジナ=レティ嬢も、このウェジーに駐在している騎士から相談をされたらしい。この家で夫婦の死体が発見された。それも、家じゅうに魚の死体が散らばっていると言う奇妙な状況で。夫は首を吊り、妻は刺された状態で発見された。それを見て、少なくとも騎士たちは無理心中だと判断した。
それだけで終わるのなら、僕のところに依頼は来ない。ジナ=レティ嬢が言うには、ここは呪われた家なのだと。今までいくつかの家族が住んだらしいが、皆数カ月で出て行ってしまうらしい。そして口を揃えて言うそうだ。魔女に呪われた家にはいられない、とね」
私の背筋に怖気が走り、同時に興奮で頭の中が熱くなった。彼の話は、あの男性の話よりずっと不思議で、魅力的に思えたのである。
「凄く興味を惹かれる話だけど、オルメス」
私は努めて冷静になって、淡々と話しかけた。
「そういう話は、俺をここに連れてくる前にして欲しかった。馬車の中で、あんなに時間があったじゃないか」
するとオルメスは親指を顎に当て、少し考え込んだ後、私に真っすぐ向き直る。
「確かに、言われてみればそうだな。すまない。こういうことに人を連れてきたのは初めてで、失念していた」
「……人から『どうして大事なことを言わないんだ』って責められたことはあるか?」
「どうして分かったんだ!?」
私は「当然だろう」という言葉を飲み込んだ。彼はきっと、人付き合いの範囲が狭く、そして積極的ではなく、社交性に欠ける人物だ。目の前のことしか見えないタイプの、非常にマイペースな男なのだろうと、短い付き合いの中で想像が出来た。
オルメスは私の思考を途切れさせるかのように「君には観察眼と推理力がある」と褒めてくれていたが、違う、そういうことじゃない。
「……まあいいや。続きを聞かせてくれ」
「そうだな。実際、この家には魔女が住んでいたそうだ。しかし、その魔女が死んで1年経つと、別の家族がこの家に住み始めた。すると、その家族は皆が同じように、魔女の幻影を見たり、不気味な音や声を聞いたりするようになった。それはその後に住んだ人たちも同様で、全員がすぐに引っ越してしまった。
しかし、死者が出たのは魔女を除けば今回が初めてだ。死人が出れば、治安維持を職務としている騎士団はしかるべき調査をし、原因を取り除かなければならないが、呪いであれば剣は何の役にも立たない。どうするべきかと相談を受けた。もちろん、本当に魔女の呪いの類であれば、僕にとっても管轄外だから、魔術師か聖職者にでも相談しろと助言するさ。しかしこの話を聞いて、僕は魔女の呪いなんかじゃないと思った。
だってそうだろう。本当に魔女の呪いなら、今までの住人だって、皆が死んでなきゃおかしいじゃないか。だから僕は、これは解決できる事件なんじゃないかと思って、こうして遠路はるばるやってきたわけさ」
つまり彼の仕事は、探偵か調査員のようなものらしい。
「僕の仕事は、この事件の原因を探り当て、可能ならば排除すること。そして、この家を安全に住める状態に戻すことだ」
「それは危険じゃないのか?」
「もちろん危険だとも。でも大丈夫だ。僕はこういうことに慣れているから。それに、今回は一人じゃないわけだし」
そう言って私を見た。当てにされていることは嬉しいが、自分が何を出来るか、何をすべきか、全く思いつきもしなかった。ただ、この事件に関する疑問は沸々と湧いてくる。
「それなら、どうしてあの夫婦は殺されなきゃならなかったんだろう。それに、魚のバラバラ死体も謎だ。どういう意味があって、そんな面倒なことをしたんだ?」
「あの夫婦が殺された動機は、今のところハッキリしないが……魚のバラバラ死体に関しては、恐らく、妻の血が出ていないことを隠すためと、一番の理由はにおいを誤魔化すためだろう」
「におい?」
「さっきも言った通り、毒には独特のにおいがあってね。あの二人からは、薔薇と熟れた果実を足したような、甘い香りがした。それを大量の魚で誤魔化そうとしたんだ。相当強いにおいを発する生物だろう。僕は、犯人がガルゲンメンラインという植物型の魔物だと確信している」
「ガルゲンメンライン……?」
「そうとも。根っこを足の代わりに移動し、基本的に人間を敵視している。まあ、無理もないけどね。彼らはマンドラゴラという植物の一種だが、聞いたことは?」
マンドラゴラという単語自体は、聞き覚えがあった。別名をマンドレイクというナス科の植物。戯曲やファンタジー小説にも魔法薬の材料としてよく出て来る名前である。
「優秀な薬草として有名だ。引き抜くと悲鳴を上げて、その悲鳴を聞いた者は死んでしまうとか……」
「随分と奇怪な特徴を持っているな」
異世界人に奇怪と言われてしまうのも、何となく腑に落ちない。
「だが、薬草として使われると言うのは共通している。ガルゲンメンラインも同じだ。毒性は強いが、正しく調合すれば良く効く鎮痛剤や解熱剤になる。だから求める人は沢山いるし、売れば高値が付く。人間は、彼らにとって天敵なのさ。
人間に常に狙われている彼らは、追いかけられれば根っこを足のように使って逃げるが、ガルゲンメンラインは人間の姿になることも出来る。だから、人間社会に適応して暮らしたり、空き家を住処にしたりということも多々あるわけだ」
「嫌いな人間の中に溶け込めるのか?」
「完全には無理だね。中には割り切っている奴もいるだろうが、大抵はすぐに森や山へ戻るか、正体を現して薬の材料にされるか、周囲の人間を殺してしまう。
特に、隣人が盗賊だった場合は最悪だ。ガルゲンメンラインは盗みの冤罪や、やむを得ない理由で盗みを働くしか無かった者が処刑されて生まれた存在だ。盗み自体を否定する生物ではないが、盗賊のような盗みたくて盗む人間を特に嫌う」
「処刑されて生まれた……?」
呟くと、オルメスは私の顔を観察し、少し考えるような仕草をした。
「ふむ……ヒロヤ、君は死刑執行の現場を見たことは?」
「無いよ。あるわけがない」
「なるほど。こちらでは、大衆の面前で行われる死刑というものが珍しくないんだ。その多くは絞首刑になる。刑の執行後、遺体の下にまき散らされた汚物や体液から芽が出て、成長した存在がガルゲンメンラインだ」
私の脳裏に、一枚の絵が浮かんだ。絞首台を前にして、陽気に踊る人やそれをただ見ているだけの男たち、そして絞首台の上にじっと佇む一羽のカササギ。不思議な遠近感の絞首台と長閑な田舎の風景が、その色彩も合わさって、異様で不気味な雰囲気を感じたことを思い出す。
私の中で、あのカササギとガルゲンメンラインという化け物が重なった。私は初めてあの絞首台の絵を見た時、首をくくられた囚人の魂をカササギになぞらえた。同じように、無念の魂が鳥では無く、ガルゲンメンラインという魔物になってしまったのだろうかと考えたのである。
お付き合い頂きありがとうございました。