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それでも彼女は花を摘む

【注意事項】尿意という単語が12回でてくる、少し頭のおかしい話です。



 この世界は乙女ゲームの世界だ。


「……熱い、死ぬ、犬くせぇ」


 前世の私はイカの刺身がヌルついているから苦手だったけど、新鮮なイカは透明で甘味と旨味がじわる事を知っていて、わさび醤油があれば何でも美味しく食べられるごく一般的な17歳だった。


「喉乾いた……くそったれ……なんで私が」


 そう、ごく一般的な17歳だったのだ。


 ――私は、今、犬小屋に閉じ込められている。


「……はぁ、死ぬ」


 事の発端を語ろう。

 前世で遊んだ乙女ゲームに出てくる魔法学校が舞台の世界に転生した私は魔力チートな一般生徒だった。

 乙女ゲームの登場人物でもなく彼らとは学年も違い、まったくと言っていい程接点もなく興味もない。

 下手に前世持ちやら転生やらがバレて巻き込まれたくもない。

 私は私として魔法学校生活を送っていたのだ。

 この世界でも一般家庭で育った私は、将来良い就職先につけるように程よく魔力チートを活用し、下手に一般人をよそわず優秀な成績を収めていた。


 のに。


 目を覚ましたらこれだ。

 私がいったい何をした。

 犬が出入りするであろう扉は何かでふさがれ、暗くて狭くてキツイ。

 魔力封じの腕輪プラスこの犬小屋にも何かしらの呪いをかけているのであろう、思考回路が働かない。正確に言うと学園主催のティーパーティーから記憶があやふやなのだ。


 背中を丸めて膝を抱え込み喉元をそろえ膝小僧につける姿勢で、身体のあちこちも悲鳴をあげている。

 私を閉じ込めたのは、誰かわからない。

 正体がわからない犯人と、理由なき悪意はこたえる。

 そして、私にまた敵があらわれたのだ。


 ――尿意だ。


 膝をさっきよりもギュッと抱きしめ、意識を別の所にもっていく。

 こういう時、素数を数えたら無心になれるときいたよね。


「2、3,5、7、11……あれ? 13で…15は違うな。えっと……」


 ダメだ。頭がぼーっとして次がでてこない。次は、円周率だ。


「3.1415……苺、国……92! そう92! で、……え゛っどぉぉぉぉ」


 やっぱり、ダメだ。

 尿意さんは自己主張が凄いっす。

 ぱねぇっすよ、流石っすねぇ。

 このままではおパンツさんを濡らしてしまうっすよ。

 そして、私をここに閉じ込めた犯人が変態なら喜ばせてしまうっす。

 最後に、私の学校生活が終わってしまうっす!っすす!


 死んだ。


 ああ、何が前世だ。魔力チートだ。転生だ。

 尿意の前に、私はこんなにも無力だ。

 紙はないのでしょうか……いや、神ね。ティッシュ(紙)もないけどね! なんかうまいこといえた感があるけれど、まったくもって、背中がゾクゾクくるね! 尿意で!


「花を摘みにいかせろおぉぉぉ!!!!」


 もう、耐えられない! と、立ち上がった。

 え? ……立ち上がれた?


 なんと犬小屋には床がなかったようで、頭に犬小屋を被っている状態。

 なんという事でしょう。思い込みによる盲点だったとは!

 おらああああああ!!! と、邪魔な犬小屋を投げ捨て、トイレまでダッシュを決めようとした時、私の周りを囲んでいる人影に気付いたのだ。


「ほらほらほら!!!! “花を摘みに行く”っていった! ダウトだよ!」


 私に向かって指差すフワフワ系ヒロイン。


「花摘みなんて微笑ましいじゃないか」


 腕を組みなんとなしに納得している金髪王子。


「いや、違うっ! 花を摘む。それは、向こうの世界でのトザンヨウゴで、女性がトイレに行く暗喩なのです!!」


 眼鏡を持ち上げ胸元から本を取り出した魔法学部教授。


「空言じゃなくて?」


 眉を顰め、モコモコと華美な装飾だらけの扇で口元を隠す悪役令嬢。


 なんで、乙女ゲームの主要キャラクターがこんな所に。

 しかーし!! こんな事で臆する私ではない!


「ま、まさか!! 犬小屋に閉じ込めたのは、あなた方なのですか!? もしかしなくても、この摩封じのリングも!? どうしてそんな事を?! 学年も違う、何も接点もないごく一般な学生である私になんの恨みがあるんですか? はっ!? もしかして、この魔力ですか? 豊潤で千年に一人と言われた魔力の事ですか!? 安心してください。謀反を考えてはいません。将来はこの国の為に活用することをお約束いたします」

「……ちょっと、待とうじゃないか」

「話しながらじりじりと後ろに下がって、逃げる気ですか」

「違うわ!!!」


 私の捲し立てに若干引き気味の王子と眼鏡のずれをひたすら気にしている教授が私の行く手を遮るのにイラついて、つい口調が乱暴になったのは致し方がない。

 というか、何かに集中していないと、尿意が頭を占めてしまう!

 冷や汗か脂汗が尋常じゃない。パンパンの水風船。はっきり言おう。


 漏れる。


 そこに、まつげバサバサ、瞳に星が住んでいるキラキラヒロインが、プルプルと震えている私の肩を掴んだ。


「お花を摘みたいだけなのね?」

「はいっ!!」

「我慢できないのよね?」

「はいっ!!」

「トイレに行く?」

「はいっ!!」

「貴女、転生少女でしょ?!」

「はい……いぃぃぃ?! いえ! 違いますっ!!」


 見事な誘導尋問である。流石この世界のヒロイン様は半端ないっす!

 冷や汗も脂汗もだらだら。

 尿意だけでも目の前のヒロインに瞬間移動ができないものか。

 そんなことを考えるくらいに、私は追い詰められている。


「3か月前、モンスターがでましたよね」


 ヒロインはクルリと回転し両手を後ろに回して握り、青空を見上げてマイペースに語りだした。

 3か月前のモンスターといえばイベントだけど。

 今、そんな話をする?! 長くなる? なるようならいくらヒロイン様でも召すよ?


「その共通ルートのイベントで、モンスターをみて貴女が言ったのよ」


 物騒な事でいっぱいになった私の心と裏腹に、優しい色のスカートを舞わせ腰を少しかがめてヒロインは言った。

 キメ顔で言った。


「“わさび醤油で食べたい”」


 いちいち動作が芝居がかっているやら共通ルートのメタ発言はこの際横に置いておく。

 言った。確かに私は言ったのだ。

 だいおうイカが生徒たちを襲った。

 そのだいおうイカの子分である小さくて新鮮なイカを見て、つい口から滑り出てしまった。

 動揺している私に、ヒロインはここぞとばかりに畳み込んでいく。


「マグロといったら?!」

「マ、マグロ付け丼!!!」

「タコといったら?!」

「タコわさっ!!」

「イカといったら?!」

「イカソェェェェーメン!!!!」


 脚をクロスさせ、別のところに集中し、半分キレてやけくそだ。

 私の答えにヒロインの後ろにいる三人が目を見開いた。


「どういう事だ?」

「文献通りだ……」

「なんて野蛮な」


 そういえば、この世界では“生”でものを食べない。

 前世の世界と同じ食材があるくせに、乙女ゲームの世界だからなのか、メルヘンチックな料理ばかりなのだ。

 だから、刺身しかり、マグロ付け丼、タコわさ、イカソーメン。わさび醤油が合うような食べ物がまったくない。


「“莫大な魔力を持ちし転生少女は、別の世界からやってくる。我々の世界に介入し、未来を読み、かき回す。控えめな振りをして自己主張が激しい。特に日本人に多く、生を好み……味噌、醤油、米など言い出したらほぼ確定だ”……文献通りだ!!!!」


『乙女ゲームに転生してチートな魔法少女になった私が食文化を開拓していく話』と表に書かれた文献(ライトノベル)を閉じ、教授の眼鏡は興奮で割れた。しかし、割れた破片をさっと払うと教授は新しい眼鏡をかけなおした。

 一方、カツカツカツとヒールの音をさせ、私の前を右に左に行ったり来たりしていたヒロインは「睡眠薬と尿意促進剤入りの紅茶を飲ませた私の作戦勝ちですね!」と、ドヤ顔で指を刺して犯人はお前だぁ! 的にキメてきた。


 「あなた、前世持ちでチートで! この世界のモブと思い込んでいる転生少女でしょ?!」


 私の事情を他人に言われると、とってもイタイ奴ですよね!!

 そうだよ。その通りだよ! 見事な名推理だよ。やってる事は犯罪級だけどね!

 腹がたって涙がにじみ出てきた。

 私って、チートなのに、こんな尿意に苦しまなければいけないの。


 ああ、憎い。

 この世の全てが憎い。


 ――パキリ


 はめられていた魔封じの腕輪にヒビがはいった。


「……始まったわ」


 ヒロインが神妙な顔をしてつぶやいた。

 それが合図の様に、大きな音が鼓膜を揺らす。


 ――ブホオオオオオオオオオオオオ!!!!!!


 風が舞う。

 青空を黒い雲が覆う。

 雷鳴が鳴り響く。

 豪雨が降り注ぐ。


「……まさか」


 濡れないように文献をマントの中に隠した教授の横で王子が震えた。


「そうだ。――覚醒した」





+++





 この世界は乙女ゲームの世界だ。

 魔法学校が舞台という事もあり、最終的に攻略者と手を取り魔王を倒すのだが、1万とんで365回目の時、間違ってやってしまった。

 魔王に復活できないくらいに、とどめを刺してしまったのだ。

 10366回目のスタート時、魔王不在に主要キャラたちはやばいと思った。これではこの世界が崩壊してしまう。

 流行りの婚約破棄のシナリオに転換したらどうかという話にもなったが、10000回は脳筋恋愛をしてきたメンバーだ。今更、言葉の応酬による駆け引きや笑顔で恋に落ちたりなどできるか? 答えはもちろん否だ。剣と魔法、時々拳で語り合いたい。一回は血をみない事には物足りないのだ。話は暗礁に乗り上がり、いなくなった魔王がそこにいる(てい)で、話を進めていく事となった。魔王は人外だったのでセリフもない。必要な時に誰かが雄たけびをアテレコしたりして、それはもう……簡単に言うと地獄だったのだ。


「数時間、体の自由を奪い、力を奪い、極めつけは尿意……彼女に最大限の負荷がかかったわ」


 ティーパーティーで出した睡眠薬と尿意促進剤いり紅茶で彼女を眠らせたのは午前。眠った所に魔封じのリングをはめ込み、手頃なところにあった犬小屋を被せておいた。

 無理やりストレスを与えられ続けて、それが解決する直前に邪魔がはいった。

 そして彼女の中のメーターが振り切ったのだ。


 どしゃぶりの雨の中、両手を腰にあてて転生少女を得意げに見つめているヒロインは今の状態に興奮していた。

 いない魔王に対して魔法を放ち、キメセリフを言う羞恥プレイはもう沢山なのだ。

 彼女たちは“魔王”を求めた。

 教授の持つ文献に書かれていた強い魔力をもつ者は、この世界の全てを理解しているという。

 魔王に替わるのはその者しかいないと思った。

 そして、白羽の矢が立ったのが目の前の彼女なのだ。


 嵐の中央に、新しい魔王がいる。

 流石、千年に一度といわれる魔力をもっている。天候を操るなんて、前の魔王にもできなかった事。


 ヒロインは笑う。

 数分前まで瞳に住んでいた星たちはもういない。光がなくなった瞳を細めて、彼女はペロリと下唇を舐めた。


 魔法に学園。冒険とそして恋。

 バッドエンドのほとんどはキャラが死んじゃうけれど、それがどうした。

 ロードしたら生き返る。選択肢前にクイックセーブするのもおすすめだ。

 今や乙女ゲームはイケメンと恋して楽しむものではない。

 いかに生き残るか。生か死か。最後に大地を踏みしめられてこそのハッピーエンドなのだ。

 やっとだ。やっと。あのワクワクするような命のやり取りを繰り広げられるかもしれない。


 稲妻が空を引き裂くように鳴り響いた。





 +++





 全身を濡らす雨が冷たい。

 雨は降り続け、膝上まで水かさが上がっている。

 カッとなって、自分が何をしたのかわからないがこの嵐は自分が起こしたものだろう。

 掌を上に雨粒を受け止めると、頭が冷えていく。

 雷雨で何も聞こえないが、向こうで4人が話しこんでいた。そして時々、私の方をみては笑っている様にみえるのだ。


「……っ!?」


 もしかして――


 カッと顔に熱が集まる。

 雨を降らしているのは、漏らしたのを誤魔化したいからと思っているのではないだろうか。

 違う! 私の中にまだ尿意はいるのだ! 断じて雨にまぎれて漏らしてしまおうとなんて考えていない!!

 私の混乱は更に空を荒れ狂わせる。

 どうしてヒロインが私をこういう目に合わせたのかはわからない。

 しかし、平気で薬を盛る外道なヒロインだ。

 漏らしていないと言っても、漏らしたように情報を操作するかもしれない。

 私がいくら優秀な成績を収めても、チートでも「あいつ、漏らしたのを雨を降らして誤魔化したんだぜ。チートの無駄遣い。プークスクス」と影口を叩かれるに決まっている。

 私は考える。

 記憶を消すにはどうしたらいいのか。

 頭に衝撃を与えてみてはどうだろうか。何か大きなものを頭に……私がそんな事を願ってしまったからだろう。


 ズサササササ、ヂャッ―――――――っ、バシャ――――ン!!!


「!!」


 大きな影が空から降ってきたのだ。

 水しぶきをたて、堂々と我々5人の前に現れたのは――三か月前にヒロインや攻略対象者たちが倒した――だいおうイカだった。

 11本の脚は縦横無尽に動き、獲物を狙う。

 早速教授が脚の餌食になって、半分以上衣装が脱げていたが眼鏡は死守されている。


「どうして……!!!!」


 だいおうイカが大きく動き、その臭いに思考が停止した。


 アンモニア臭がするのだ。


 そういえば、3か月前も臭いなと鼻をつまんだ記憶があった。

 気になってその時に調べたのだが、だいおうイカの筋肉にアンモニアを含む細胞があるらしい。

 その時は「へー」とか「刺身は無理だな……干してスルメか?」と思ったものだ。

 しかし、今はそういう状況じゃない!! ますます追い詰められている現状なのだ。

 漏らしているかも疑惑にこの匂いだ。

 確実に誤解がエスカレートしている危険性がある。

 いや、誤解をされているに違いない。

 漏らしたって思われているに違いないのだ!!!!


 ああ、こんな世界、滅びてしまえばいい。


 世界が荒れる。

 大地が揺れる。

 

 両手をひろげ、天に掲げる。

 全てが“無”になりますようにと。


 少しの間、収まっていた尿意に私はほほ笑んだ。


 安心して。後で、ちゃんとするから。

 解放してあげる。

 全てが終わったら、花を摘みに行こう。


 彼女はその場から姿を消した。









 それから、数ヶ月がたち、魔王討伐にパーティーを組んだ4人が行方不明になった。

 後日、学園内の花壇で犬小屋が4つ発見された。

 時折聞こえるうめき声、揺れる犬小屋に学園の全生徒が注目したとか。



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