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 ライン戦線での成功と、レオンの衆に優れた才能が、かれを一つ所に置かせなかった。レオンは派遣委員に何度も任命されて仏蘭西中を駆け巡り、巴里に戻れば公安委員としての職務が山積みされていた。仕事に追われ、顔色は蠟のように白く透き通った。それでもあの人は休息を求めようとはしなかった。憑かれたように革命のために働いていた。

 わたしはレオンの情熱を理解しようと努力した。仏蘭西という国が安定した未来を得るまで、あの人に休息はない、長く困難な道程を走りゆく人に待ったの声を掛けて邪魔してはならない。かれを信じて待っていよう。そんなふうに自分の辛い気持ちを慰めていた。けれども、それは誤魔化しだ。充たされぬ心の飢えがそれで治まる訳がなかった。レオンとの絆を信じこもうとしても、わたしは暗い感情を捨て去れないままであった。

 あるとき、わたしは兄からの伝言をことづかって、公安委員のレオンの許を訪ねた。丁度レオンは部屋を留守にしていたが、わたしは部屋に通され、かれを待った。テーブルに幾つかの手紙と、かれがいつも持ち歩いている、そして誰にも見せたことのないノートが広げてあった。わたしは好奇心からかれのノートを取り、読みはじめた。細かい字でびっしりと書きこまれいてるその頁は、演説や論文の草稿ではなかった。はかない恋人たちの逢瀬が描かれている、回想録めいたものだった。わたしは怒りのあまり、ノートを取り落としそうになった。

 わたしは交際しはじめた頃にレオン自身の口から聞かされ、事情は知っていた。相愛の女性との中を無理矢理引き裂かれた悲しい初恋の思い出。もう終わったことで、その一つ年上の女性は他人の妻として静かに暮らしているのだ、とも聞かされた。わたしは、レオンの心に負った深い傷が痛ましく、初恋の女性以上にかれを大切にし、仕合せにしてあげたいと思っていた。けれども、その想いが踏みにじられていたことを知った。新雪を泥だらけの靴で汚すのと同じだ。石のかけらを宝玉と偽って売りつけるのと同じだ。この屈辱感!

 文中の青年はレオンであり、女は初恋の相手と簡単に推測できた。

 不幸な恋人たちは寝床で抱き合い、優しい恨み言を交わしていた。幾度も幾度も変わらぬ愛を誓っていた。こうして会っていても、また別れていかなければならない運命に女は泣いた。弱々しく、運命に逆らう術を知らぬ愚かな女を、青年は心から愛していた。弱気を乗り越えようと、青年は言った。別れてもう二度と二人は会ってはならない。私は君と別れて、君とよく似た別の女と結婚する。たとえ君が私を忘れてしまっても、きっとそうする。君はそんな私の心をよく知っているだろう?

 なんと残酷な言葉なのだろう。

 レオンはわたしを愛したのではなかった。レオンの瞳も愛の言葉のわたしへのものではなかった。すべてはわたしを通り抜け、他人の妻となってしまった女の為に捧げられていたのだ。

 わたしは生涯掛けて愛すると誓った女と、よく似ているだけの女!

 わたしは心の平衡を失い、泣き続けた。

 恋などしなければよかった。愛に気付かねばよかった。レオンに心奪われなければ、何も知らなくても、平和に生きていられはず。こんな悲しみも苦しみも知らず過せたはずなのだ。

 白い手をした恐怖の騎士よ。あなたがわたしの魂を奪い去り、わたしの誇りを傷付けたのです。



 巴里は血なまぐさかった。毎日毎日断頭台で人が死んでいった。人々は恐怖政治の所為、ロベスピエールの所為と言っている。かも知れない。が、忘れてはならない。そんな人殺しに政権を預けたのは我々民衆だということを。我々が恐怖政治で流された血に酔い痴れたことを。

 統一の名の下、足並みを揃えぬ者の首を片端から喜んで切り落とした。しまいには歩調の堅苦しさを嫌ってロベスピエールも切った。

 それが遂には革命の凍結となった。




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