一
レオンは兄の親友だった。レオンが我が家に遊びに来たり、兄に連れられてロベスピエールの許を訪れたりしているうちに、レオンと、ロベスピエールの片腕となって働く男と親しくなった。
わたしは初め、レオンが恐ろしかった。陽に透けてしまうくらい蒼白い肌と、細面の、女性的と言ってもいい程の優しい美貌の持ち主だったが、氷のように冷たい青い瞳の青年はわたしを怯えさせた。尊大で、虚無的で、一部の隙もない身のこなしの哲学者、大貴族の令息といってもおかしくはない気品と典雅さを漂わせながら、若い娘を憧憬で胸ときめかすよりも、畏怖の念を抱かせた。だが、わたしの気持ちはすぐに変化していった。かれが側にいても緊張で金縛りになるようなことがなくなり、澄んだ輝きを持つ瞳を怖がるよりも尊敬するようになった。恐れから期待感へとわたしの胸は震え、かれの姿を追い、かれの氷のような情熱を想い、かれの言葉をそっと何度も繰り返した。
わたしは初めて恋をした。
レオンは気難しい所のある青年だったが、次第に打ち解け、妹のようにわたしを可愛がってくれた。レオンは無口で無愛想で、不遜な男と言われていたが、そんなことは決してなかった。彼は誠実で、厳格な清廉の人物であり、それゆえに人の目には気取り屋で、全ての人間を見下している残酷な男と映る寂しい人だった。
去年の秋、レオンやロベスピエールが公安委員となり、恐怖政治の計画を建てていた頃のことだ。レオンはわたしに結婚を申し込んできた。
「出会って間もないのに求婚するなど、不真面目な男だと思わないで欲しい。私は決して浮わついた気持ちで言っているのではない。私はあなたを愛している。あなたほど聡明で、心の清らかな人はいない。
それにあなたは優しい笑顔を見せてくれる。あなたの微笑だけで私は仕合せになれる」
レオンの申し出を聞いているうちに、わたしは可笑しくなってきた。初対面のとき、あれほど怖いと思った男性は実に神妙な顔をして、落ち着かない様子。普段のかれらしくもなく、緊張していた。わたしはやさしい気持ちで胸が充たされるのを感じた。レオンは誰よりもいとしい人だった。
恋している相手から恋されているとは、なんて素敵なことなのだろう。
婚約の直後、レオンと兄は全権派遣委員に任命され、アルザスのライン戦線に向かうことになった。アルザス地方は独逸に近く、反革命の意識の強い激戦地だった。レオンと兄の役割は軍の建て直しと、戦線の拡大。仏蘭西革命の生命にも関わる重要な任務だった。その任務にレオンと兄はわたしと義姉を連れていった。義姉が妊娠したので、兄は新婚の妻を一人放っておくことができなかったのである。妊婦には女性が付き添うべきだとわたしも同行となった。レオンも兄も優しく、細やかな心配りをしてくれたが、仕事を忘れたりはしなかった。わたしと義姉に勝手に外に出ないこと、軍務に余計な口出しをしないことを命令して、戦場に赴いた。レオンは厳しい態度で戦局に臨み、見事に任務を果した。
わたしは仕合せだった。危険な長い旅の中ではあったが、レオンと一緒にいられた。見かわす瞳と瞳に愛があった。ふとした仕草に、言葉に、湧き出る清水のような新鮮な喜びがあった。レオンや兄が銃弾飛び交う戦場を駆け巡ることに心配はしたけれど、恐れを知らぬ全権委員たちの活躍は目覚ましく、わたしは酔った。果敢で冷酷な革命の大天使、わたしのいとしい人。敵を震え上がらせ、自ら剣を取って戦う騎士。肩先で揺れる重い色の巻き毛の一本一本にわたしの魂は慄え、魅せられた。このままはかなくなってもいい、と思ったほど、充たされていた。
しかし、わたしはいつしか不安や疑問を覚えるようになった。レオンはわたしに優しかった。優しすぎるほどだった。九つの歳の差の所為なのだろうか。だが、稚いわたしを溺愛し、見守る愛情というにはあまりにもレオンは静かすぎた。わたしがいくら我が儘を言っても、レオンは怒らなかった。わたしが煙草を吸って見せても、かれは煙草は嫌いだと言ったきり。わたしが精一杯愛を訴えても、悪ぶった真似をして注意を引こうとしても、レオンは何も映さぬ鏡のごとく沈黙していた。わたしがお洒落ばかりしているのが気に入らないのなら、将来の夫として忠告すればいい、煙草が嫌いなら怒鳴ってもいい、ぶってもいい、なぜ止めさせようとしなかったのか。わたしの趣味を尊重するのなら、なぜ無表情にわたしを見詰めていたのか。わたしは強い焦りを感じた。わたしは春の陽気や秋の静けさ、冬の木洩れ日よりも、夏の身を灼くような日差しを好む女だ。わたしは全身全霊をかけてレオンを愛した。同じような強さで愛して欲しかった。かれに我が儘を言ってもらいたかった。わたしを困らせ、束縛し、私だけを見詰め、呼吸さえも忘れるほど激しく魂を奪い去って欲しかった。
――あなたは恐怖政治の大天使の名を高めていくにつれ、わたしから遠ざかっていくようでしたね……。