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 家に着き、少し前から泣き出していたという赤ん坊を引き取った。

 とにかく、この子にお乳を飲ませて、二人を休ませなければならなかった。二人は寝付いた。わたしは昂ぶりが鎮まらず、レオンから受け取ったノートをパラパラと捲り、気になる箇所を拾い読みしていった。

「女性に好かれる方法」と書いてある頁があった。「女を燃え上がらせるには……」とか、「女は激しい愛撫にすぐ慣れてしまう。女には不満を感じさせるくらいが丁度いい」とか、どこからか聞いてきたのか、自身で実践したのかよく判らないことが記されていた。確かに、レオンの落ち着いた態度に飽き足らずに気を揉んだ。小憎らしいけれど、わたしには合っていた方法だったのだろう。

 頁を進め、終わりの方になり、わたしは、はっとした。自分の読み間違いではないか、解釈がおかしいのではないのか、何度か読み返した。深く突き刺さる言葉に、わたしはノートを閉じ、胸の傷を押さえるように手を当て、深呼吸をした。



 ――レオン、あなたは知っていたのね。



 わたしはレオンの胸の温かさを、口付けの甘さを想った。それがあなたの愛、やさしさなのだ。

 雨が降り出した。その激しさに窓を閉めた。

 椅子に掛け直し、いつの間にか泥のように眠りこけていた。

 朝、扉を叩く者がいた。義姉が実家の徒弟だと確認して、扉を開けた。その徒弟の知らせに義姉は失神した。

 巴里の民衆たちの組織は右往左往し、ロベスピエールは自ら決起するのをためらい、時宜を失った。夜半の雨で、市庁舎に詰め掛けていた民衆は波が引くように、家に帰っていった。恐怖政治の下、各地区の民衆自ら動く力が弱まり、またロベスピエールは自分は暴君ではない、市民と供にあるとこだわり、国民公会を暴力で黙らせようと決断できなかった。周囲からの説得でやっとロベスピエールが市民蜂起の命令書にサインをしようとしたところに、国民公会側の兵たちが市庁舎へ乱入してきた。

 この混乱の中、兄は短銃で自殺した。ロベスピエールも銃で顎を負傷した。オーギュスタン・ロベスピエールは逃げ惑い、クートンは足が不自由なため小突きまわされ、二人とも怪我を負った。レオンは黙って両手を差し出した。

 義姉の実家でも、デュプレ夫人が恐慌状態だと徒弟は続けた。

 その日、目を覚ましてもぼんやりして、体を起こせなかった義姉がやっとはっきりとした意識を取り戻し、起き上がれるようになるまで数時間掛かった。

 義姉の介抱をしているうちにわたしは心を決めた。

「これからどうしたらいいの?」

「エリザベート、ここではなく、デュプレさんの家に行くべきだわ。ここにいても女ばかり。あなたも実家にいた方が心強いでしょう。さあ、赤ちゃんを連れて、この人と行って!」

「アンリエット、あなたも来るでしょう?」

「ええ、ここをきちんと片付けて、貴重品を持ってすぐ後を追うから。あなたはあなたと赤ちゃんフィリップの準備をして」

 そして徒弟さんに少しの間待って、エリザベートとデュプレ家に戻るようにお願いした。徒弟は肯いた。

 赤ん坊が何事かと泣き出すので、義姉は赤ん坊にかかりきりになり、わたしは自分で準備を始めた。昨日も多少は荷物をまとめてあるから簡単だ。わずかながらの貴重品、現金をぼろにくるみ、赤ん坊の肌着や使っていない布地を出してきた。籠にそれらを入れながら、レオンのノートを忍び込ませた。あとは義姉の着替えや身の回りの物。だいたいこのくらいかと出してきて、義姉に確認する。義姉が籠に詰め込んでいる間、代わりに赤ん坊を抱きながら、小声で、ごめんなさいと告げた。

「ごめんなさい。あなたのお父さんとの約束を叔母さんは守れない。でもお母さんが付いている。小姑よりも実の姉妹の方が、お母さんも気が楽だと思うわ。なにより元からの家族だもの」

 義姉が荷物をまとめ終えると、赤ん坊を抱え、徒弟が荷物を持った。

「アンリエット、必ず来るのよ」

「ええ、判っているわ、エリザベート。とにかく、デュプレのお父さんやエレオノールの所に行って」

「じゃあまた(オー・ヴォワール)」

「ええ、またね(オー・ヴォワール)」

 心の中ではアデューと呟いた。

 義姉と甥を見送り、わたしはまずは戸締りをした。ロベスピエール一派が法律の保護から外されたとなれば、どうなるか決まっている。革命裁判所に連れていかれるが、それは形式。わたしは目立たない服を選び、外に出た。

 革命広場へ向かった。街の人々はもうロベスピエールの味方ではなかった。国民公会での非難の嵐をそのまま真似たかのように、「ロベスピエールは暴君」、「暴君は死刑になるべきだ」と罵っていた。

「今までどれだけの人間が処刑されてきたか、思い知れ」

「革命裁判所で有罪と決まったそうだ」

 違う、違う、と声を上げたかった。こみ上げてくる気持ちを抑え、わたしは歩いた。歩き続けた。

 退け、退けの叫びと車の音がしてきた。路の端に寄り、車を見た。

 なんと懐かしく思える人たちなのか。傷だらけになり、顔の下半分を包帯に覆われたロベスピエール。髪を短く切られたレオン。そして続く車には兄の死体。

 レオンは前方を向いており、わたしには気付かなかっただろう。

 わたしはほかの人々と一緒に護送車の後を追い続けた。護送車は一度デュプレ家の館で止まった。騒ぎ立てる子どもの一人が、肉屋から持ってきた血の入ったバケツの中身を館の扉にぶちまけた。エリザベートと赤ん坊は家の中で息を潜めているだろう。わたしの決断は残酷だったかも知れない。でも、もう決めたからには引き返さない。

 広場に着いて、公開処刑が始まった。多くの人が詰め掛け、ごった返していた。近く行けそうもなかったし、その方が良かった。

 次々と処刑台に上り、或いは上らせられて、断頭台の刃は落ちていった。レオンの順番が来た時、クートンを抱き締め、ロベスピエールに声を掛け、ゆったりとした歩調で進んでいった。レオンは処刑台に横たえられ、サンソンは紐を離した。

 刃は落ちた。

 処刑人の掲げるレオンの首を見てはいられなかった。きっと鮮血に彩られて、美しい違いなかった。わたしは目を閉じ、背を向けた。そして、家へと帰った。無論、デュプレ家ではない、わたしが巴里で暮らしてきた家にだ。

 家に着いた頃は暗かった。わたしは真直ぐに台所へ行った。

 ごめんなさい、フィリップ、わたしはあなたの妻と子どもを守らない、あんな酷いことがあったけれど、きっとデュプレさんの家族は生き抜くだろう。エリザベートがいくら弱い女性でも可愛い息子がいるのだから、息子のために生きる、そう夫婦で言葉を交わした。義姉はそれで生きていける。

 でも、わたしには子どもがいない。あるのはレオンとの愛。昔の女は関係ない。

 レオン、ルイ・アントワーヌ・レオン・ド・サン=ジュスト、昨晩、わたし、アンリエットはあなたの妻となった。あなたはそう言った。

 あなたは親友とも呼べる同志たちと供に葬られるので満足でしょう。でもわたしはそうではない。

 あなたは死を切望していた。死はあなたにとって恵みであり、慰めであった。あなたはノートに書いていた。確かこんな言葉。

「革命は凍結した。強い酒が味覚を鈍らせるように、恐怖政治は犯罪への感覚を鈍らせた」

「墓よ、私はお前を求める。我が祖国と人類に対して企てられた犯罪が罰せられずにいるのを、もう見ていられない。このまま共犯者、無力な目撃者として生き長らえるのなら、死は容易(たやす)い」

 あなたはこの日が来るのを知っていた、待っていた!

 道具はお粗末だけれど、あなたの焦がれた古代のギリシヤやローマの哲人のようにわたしも死にます。

 さあ、このナイフを首に突き立てれば、済む。あなたに会える。

 たとえ死の世界に赴いても、あなたはわたしのもの。離しはしない。






  参考文献は後書きに掲載しております。作者惠美子より。



  自己解題と参考文献


 拙作をお読みくださり、誠に有難うございます。お礼申し上げます。

 西暦1989年、平成元年はフランス革命200周年であり、本屋の歴史の棚に行くと、数多くのフランス革命の関連本が積まれていました。

 また、わたしが短大生の時の西洋史の講義もフランス革命に関する内容でした。

 西洋史の先生が、「『ベルサイユのばら』を読んだことのある人、手を上げて」と問うと、ほとんどが手を上げました。女子短大なので、リアルタイムでなくても当然といえば当然の結果でもありました。

 その頃読んでいた澁澤龍彦の本、それから『ベルサイユのばら』の中に出てくるサン=ジュストは、その時分のわたしの偶像(アイドル)でした。

 読了された方は、前半と後半で文章が違うと感じられたかも知れません。前半はわたしが十九、二十歳の小娘の頃に書いて、未完のままになっていた原稿であり、後半はごく最近になって書き上げたものです。

 全部書き直した方がいいかと迷いもしましたが、主人公のアンリエット・ルバやサン=ジュストと年齢が近い頭でっかちで、フランス革命の講義内容をちゃんと記憶している時期の文章であること、自意識や自尊心の高さ、理屈先行の捻くれ具合を鑑みて、多少の推敲のみでほとんどそのまま使用しました。

 フランス革命200周年から二十年以上が経過し、日本で、木原敏江の『杖と翼』、佐藤賢一の『小説フランス革命』が発表されています。坂本眞一のパリの処刑人サンソンを主人公とした『イノサン(ルージュ)』が連載中で、作中革命はまだ起こっていませんが、近い将来描かれるでしょう。別の青年漫画でもサン=ジュストが脇役で出ているらしいです。

 そんな中、サン=ジュストの登場する話を発表するのは愚かかも知れません。しかし、思い入れのある歴史上の人物を書いてみたいと願うのは自分にとって自然のこと。きちんと完結させて、一つの区切りを付けたかったのです。

 アンリエット・ルバはサン=ジュストと婚約したものの結婚せずに終わったとしか解りません。或いはエリザベート・ルバの回想録を原書で読めれば解るのかも知れませんが、そこまで追い掛けられませんでした。朝日選書の『フランス革命の指導者』で、アンリエットのその後は不明と記しているので、ほかの男性と結婚したか、若死にしたかのどちらかと、読み手の勝手な解釈でと、話を考えました。物語の最後は、昔から決めていたものです。

 エリザベート・ルバは、姉のエレオノールと一緒に投獄されましたが、子どもを守り抜きました。その後ルバの弟と再婚しました。子どもは長じて学者となり、少年期のナポレオン三世の家庭教師を務めました。(『フランス革命期の女たち 下』、『フランス革命夜話』)

 エリザベートとエレオノールの母親のデュプレ夫人は熱月の十日、自ら首を吊って亡くなりました。ミシュレの『フランス革命史』では暴徒に吊るされたと記されています。

 カミュの『反抗的人間』は読んでみましたが、読みこなすまでには至りませんでした。

 サン=ジュストの初恋というか、故郷で交際していた女性は、革命後のパリに出てきていたらしいですが、どこまでサン=ジュストの心に残り続けていたかは、やはり不明です。佐藤賢一の『小説フランス革命』では、(小説中で性格付けされた)サン=ジュストの女性観と相俟っていい扱いではありません。それはアンリエットについても同様といえます。

 確かに当時の女性観からいって、讃美はされても、理解や協調の対象ではなかったでしょう。

 しかし、革命家にだって家族や恋人がいた、そんな話を書いてみたかったのでした。



参考文献


『フランス革命史』世界の名著48 ミシュレ 責任編集 桑原武夫 中央公論社

『世界の歴史10 フランス革命とナポレオン』 責任編集 桑原武夫 中公文庫

『世界の歴史21 アメリカとフランスの革命』 五十嵐武士/福井憲彦 中央公論社

『フランス革命下の一市民の日記』 セレスタン・ギタール レイモン・オベール編

                  河盛好蔵監訳  中公文庫

『フランス革命期の女たち 下』 ガリーナ・セレブリャコワ 西本昭治訳 岩波新書

『フランス革命夜話』                  辰野隆   福武文庫

『フランス革命の指導者』              桑原武夫編   朝日選書

『異端の肖像』                    澁澤龍彦   河出書房

『フランス革命の文学』    ベアトリス・ディディエ  小西嘉幸訳  白水社

『フランスの歴史をつくった女たち』第5巻 ギー・ブルトン 田代葆訳 中央公論社

『歴史読本 WORLD フランス革命とナポレオン』        新人物往来社

『資料 フランス革命』                河野健二編  岩波書店

『ギロチンの祭典 死刑執行人から見たフランス革命』 モニク・ルバイイ

  柴田道子 白石敬晶 田川光照 浜名優美 福井和美 丸岡高弘 訳  ユニテ

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