マリーゴールド
世界は、こんなにも黒かっただろうか。
世界は、こんなにも絶望にくれていただろうか。
俺の世界は……いつから、こんなにも病んでしまったのだろうか。
デリーズ師匠から、武術を教わった。アイツに……復讐を下すために。俺の母さんを、父さんを、そして、村人たちを焼き払った「スウェイン」に、今度は俺が絶望をくれてやるために……。
だが、そのスウェインに師匠までもが殺された。
果たして、俺に勝目はあるのだろうか……。
「エス~!」
レティだ。旅の途中で出会った、くるくるとしたくせっ毛の女の子らしい少女。手には、何やら、落ち葉を持っている。
「どうした?」
時計台の下で、休憩をしているときだ。幼馴染で、「あの日」の惨劇から生き残ったもうひとり、「ルミナ」は今、天気を心配して急遽、ここで宿を取ろうと宿屋を探している。
何故、三人で一緒に行かなかったのかというと、まずはここの町は割と大きく、どこに宿屋があるのか分からないということ。そして、俺が今、脚を怪我してしまったということにある。ルミナが、レティとここで待っているように言うものだから、言葉に甘えて待たせてもらうことにした。
「見てみて! たくさんの落ち葉!」
俺は、くすっと笑った。そんなことは、見れば分かる。
「この世での、役目を終えたんだよ。この子たちは……」
「役目?」
「そう、役目」
すると、ふわっと落ち葉を空に向かって投げた。すると、落ち葉は宙に舞ってひらひらと地面に落ちていく。赤色や、黄色がメインで、舞う姿は落ち葉の割には綺麗だった。
「光合成して、呼吸して。花を咲かせたり、実をつけたり。この子たちは、色々な役目を負って生まれてきてね? そして、役目を終えたの」
「……葉っぱだ。ただ、生えてきただけだろう?」
「ものは、考え様……っていうことだよ」
ふふ……っと笑うと、レティは地面に落ちた黄色の葉っぱを手にとった。
「エスは、黄色」
「……?」
そのとき、レティは眉尻を下げ、どこか儚げな顔つきで俺の顔を見た。
「注意が必要。エスは、生き急いでいる。もっと、ゆっくりでいいんだよ」
「俺は、別に……」
「そうやって、はぐらかすのはよくない」
「はぐらかしてなんか……」
レティは時折、いや、常に鋭い。ただ、何を考えているのか、分からないことも多々ある。
レティは、金髪でピンクのメッシュを入れた俺の髪に、黄色の葉っぱをちょこんと置いた。
「……何をやっているんだ?」
「可愛いのに……エス」
「は?」
母親ゆずりの青い瞳で、レティを見た。レティの瞳の中には、きょとんとした間抜け面の俺の顔が映りこんでいた。
「仇討ちなんて、やめたほうがいいよ」
「……」
俺は顔色を曇らせた。俺は今まで、仇討ちをするためだけに生きてきたんだ。今更、それをやめるなんてことは出来ない。
夏も終わり、秋の気配が強まる頃。
日が傾けば半袖では肌寒くなってきた。
「寒くないか、レティ」
「話をそらさないで」
「……レティ」
「エス、お願い。馬鹿な真似はやめよう? 仇討ちなんて、悲しいだけだよ」
「レティ、いいから黙れ」
「仇討ちをしたら、家族やみんなは戻ってくるの? エスの気持ちは晴れるの?」
「レティ!」
思わず声を荒げない訳にはいかなかった。胸が苦しい。動悸がする。息遣いが荒く、酸素を求めて肩を上下させる。
本当は、わかっているんだ。
こんなことに、意味はないということに……。
ただ、それに気づかないフリをして、今まで生きてきたんだ。
そうでもしなければ、自分を保てないから。
涙が溢れて……。
止まらないから。
「……っ!」
頭痛がするとともに、目頭が熱くなり、一気に涙が溢れ出した。同時に、豪快に笑う母さん……エイスト、優しく見守る父さん……カッティルの、最期の姿が頭に浮かぶ。
ふたりは、俺を庇って死んでしまった。俺と、遊びに来ていたルミナをベッドの下……は、ありきたりだからと、床下に収蔵庫が造ってあった為、そこに入れられ、飛び交う銃撃の音が収まり、翌朝が来るまで、静かにしていたんだ。当時、まだ幼い子どもだった俺たちには、きっと、なにも出来なかったはずだ。だが、見殺しにしたことは、変えられない。
「エス……ルミナと、エスに、どんな酷いことをしたのか。多くは知らない。だから、私の言葉は、詭弁でしかないかもしれない」
「……」
「でも! でもね、エス。悲しみは、悲しみしか生み出さない。いつまでも、後悔と復讐心に縛られていても、負の連鎖しか生み出さないんだよ!」
「……ぃ」
「だから、戦うの。自分と、戦うの。憎むな……とは言わない。でも、赦すこころを持つことは、大切なの。憎んでばかりいても、何も……」
「うるさい!」
俺は遂に耐え切れなくなり、この場から去ろうとした。独りになれば、きっとこんなにも苦しい思いをすることもない。「大切」なものを再び持ってしまったから……そして、幼馴染である「ルミナ」をも、巻き込んでしまったから、ここまで苦しいんだと思った。
癖っ毛のある「レティ」に、俺は……少なからず、好意を抱いている。
そのレティを、嫌いにはなりたくはない。
嫌われたいとも思わなかった……だが、これ以上巻き込み、そして、俺のこころの中に踏み込まれることを、俺は恐れた。
俺は、自分を保てなくなる……俺は、それが怖い。
「エス」
優しい声がする。
拒絶し、そして怒鳴り声をあげている俺に対して、臆することなく……むしろ、それすらも包み込むかのように、少女は声を発する。
「大丈夫……泣いてもいい。怒ってもいい。私のこと、嫌いになってもいい」
「……」
「でもね、約束をしよう? 誰も殺さない。誰にも、手をあげない。エスは強い……それは知ってるから」
「俺は……」
「その強さは、弱いものの為に……エスやルミナのようには戦えない。そう、私みたに何のチカラも持たない弱者のために、使う……って、約束しよう? ううん。約束だよ、エス」
「俺は、強くなんか……ないよ」
一方的に話を進める少女、レティ。
レティの言葉に俺のこころは少しずつ。昔の刺々しさの無かったあの頃に……まだ、無垢であったあの頃に。
戻してくれているようだった。
こころが洗われていく。
荒んだこころが、汚れたこころが、救われていく。
そう、思えたんだ。
「お母さんとお父さんは、エスのことが大好きだったんだよ。だから、守ってくれたの。エスのその手を、血に染めたくて消えていったんじゃないの」
「……でも、もっと、生きたかったはずなんだ」
「こんな考え方は、冷めているとか思うかもしれない。でも……ひとも、すべての生きるものが、役目を終えるとこの世から姿を消してしまうの」
「それじゃあ、母さんと父さんは、この世に必要ないとでも言うのか!?」
「待って? 違うよ、違うの」
「違わない。レティが言うことは、そういうことだ……!」
レティは、じっと俺の目を見つめた。揺るがない瞳だ。
「姿は消えてしまっても……生きている」
「意味が分からない」
「ここに……生きている」
トントン……。
レティが、俺の胸を優しく叩いた。
「ここに、居る。ちゃんと、生きてる」
「……」
「お母さん、お父さんの意思も残ってる。ふたりの遺伝子も、ここに残ってる。エスが生きている限り、エスがまた、誰かと縁あってつながっていく限り、ふたりは生き続けるんだよ」
胸が疼いた。
今、浮かぶものは……母さん、父さん。
ふたりの、笑顔だ。
「ふたりの役目は……何だったんだ」
「それは、エス。今となっては、あなたにしか分からない」
「……そうか」
ふと、視線を下に向けた。
大きな粒の雫がこぼれおちる。
「そうか……そうだな」
もう一度、自分自身に言い聞かせると、俺は花壇を見つけた。そこには、マリーゴールドが咲いている。風が吹いてもそこまで揺れることのない背丈だ。
「黄色だな」
「今はね、白だよ」
「白?」
何のことかと、俺は問いかけた。
「今のエスは、白。世界が変わったんだから……今から、また、色付けをはじめるんだよ」
「あぁ……そうだな」
ふー……っと、長く息を吐くと俺は残りの涙を手で拭った。重い過去に浸り、過去の住民でいるのはここまでだ。俺は知っている。ルミナはとっくに、「このとき」を乗り越えているということを。いつまでも、グダグダとしている俺についてきてくれているだけであり、心底「仇討ち」をしようと思っている訳ではないことには、感づいていた。
「約束、だよ?」
「あぁ、約束だ」
「よかった!」
レティは、にこっと笑うと不意に俺から距離をとった。それに、違和感を覚えた俺はレティの腕を掴もうと腕を伸ばした。けれども、届かない。
「私の役目も、終わり」
「え……っ?」
「さよなら、するの。ときも、いのちも、ひとも、みんな流れるものだから……私もまた、流れるよ」
「流れるって……仲間だろ?」
レティは、薄く笑った。
「ありがとう。そんな風に言ってくれるひと……今まで、居なかった」
「レティ?」
「私も、白くならなくちゃ」
「何を言っているんだ、レティ。レティは、純白じゃないか」
レティは悲しげな表情で、首を横に振った。
「スウェイン……」
「!?」
その言葉を聞いて、俺は目を見開いた。
レティの口から、出るはずがない言葉。
俺も、ルミナも、レティに「スウェイン」の名をこぼしてはいないはずだ。
「私の……パパの名前。罪を犯し続けたひとの名前」
「……」
声が出ない。
「今は、小さな教会で牧師をしているの。信じられないでしょ? 人生、何があるか、分からないね」
「……」
「ルミナにも、ちゃんとさよなら告げたかったけど……顔みたら、寂しくなっちゃうから。私、行くね!」
「……レ……ティ」
また、俺は人知れず……涙を流していた。
ひとは、流れるもの。
役目を果たすために、この世に生を授かる。
そして、役目を受け継がせるために、生きる。
役目を終え、この世から姿を消した先のことは、今の俺には分からない。
俺はまだ、生きているから。
「ルミナ……今度はどこへ行くんだ」
「えっ? なに? 聞こえないんだけど!」
「だから……はぁ」
俺とルミナは、相変わらず旅を続けていた。勿論、「レティ」と交わした約束は、守っている。それに、牧師となった「アイツ」を倒すなんて真似は……もう、出来ないだろう。
詳しい事情は、ルミナには話していない。ただ俺が「仇討ちはやめる」と告げると、どこか……嬉しそうな顔をしたことを、今でも覚えている。
あれからもう……レティが去ってから、二年の月日が流れていた。
「ジープ、直った?」
「いや、まだ。エンジン音がおかしいな」
「やっぱり、安すぎたんだよ……この中古車。失敗したね」
ブルォォン……ブルォォン……ブル、ブル、ブ……。
「また、エンストか……」
「ま、いいんじゃない? 急ぎの用がある訳でもないんだしさ」
ジープの上から、エンジンを素人ながらに自力で直そうとする健気な俺を見守る幼馴染、ルミナは、黒の髪の毛に青のメッシュを入れ、ずっとボブスタイルだった髪の毛をツインテールに結べるほど、伸ばしていた。ルミナなりのイメージチェンジだそうだ。どうせなら、色を抜けばいいのにと勧めたが、俺のような天然モノの金髪じゃないのは、ルミナとしてはイヤという返答が来た。
ルミナは助手席にもたれかかりながら、グーっと腕を空に向けて突き上げた。
「今日もいい天気! 青のメッシュが生えるわ!」
「金髪にピンクも、いいだろ?」
「いつからふたりの間では、メッシュの時代になったの?」
「「!?」」
ジープの背後からひょっこり姿を現したのは、茶色のくせっ毛を、ボブスタイルに切った少女だった。髪型こそ変わっているが、その優しい瞳。そして何より、その声を忘れるはずが無かった。
「レティ!」
「本当に、レティなの!?」
「レティだよ? エス、ルミナ……久しぶりだね」
にっこり微笑むレティの姿は、二年前と変わらなかった。
「おかえり」
自然とでた言葉だった。
その言葉に、レティは目を見開いた。
「えっと……ただいま、なんて……言ってもいいのかな」
俺とルミナは、目を見合わせて答えた。
「もちろん」
「とーぜん! おかえり、レティ。長旅だったでしょ? ほらほら、車に乗って? エス! エスは早く、エンジン直してよ!」
「ルミナ、元気そうで安心した」
「元気もなにも……なんか、一気に賑やかになったな」
「なぁに? レティが戻ってきたんだもの! エスだって、嬉しい癖に……!」
「それは……」
「「それは?」」
今度は、ふたりの視線が俺に集中する。
俺は、敢えて視線をごまかさず、そのままふたりの目を見つめた。
「すごく……嬉しい」
ルミナはジープから飛び降りると、俺とレティを腕でがっしり掴んで、抱き寄せた。そして俺たちは、笑いあった。
流れた先が、永遠に交わることのない未来だとは、言い切れない。
そう、教えてくれているような瞬間だった。
それならば、絶望しないで生きることができる。
この先にはきっと、良い未来が待っていると感じるから。
そう信じて、築いていけば、未来は変わる。
出会いも別れも必然であり、宿命である。
それならば、よりよいものへと変えていかなければ……世の中は、つまらない。
変える喜びを、俺は知りたい……。
そうだ。
知りながら生き、そしていつの日か……旅立つモノとなりたい。
こんばんは、はじめまして。
小田虹里です。
「花シリーズ」の最終章、「エス」の物語となりました。
ただ、書いているうちに「エス」よりも「レティ」の動き、言葉に引っ張られる感じがしながら、最後を迎えました。
「エス」そして「ルミナ」にとってだけではなく、私にとっても「レティ」とは、なくてはならない存在だったのだと、気づかされました。
「エス」は、私の分身だったのかもしれません。
私は別に、「母」を殺された訳ではありません。ですが、「ガン」という病によって、命を奪われたのです。突然死とは違い、私には、別れが来るその瞬間まで、母とともに生きる、大事な時間を与えられました。
それは、救いだったのか……分かりません。
今はただ、悲しくて、悲しくて、苦しいのです。
そのため、必死に自分を救おうとこの物語を書き綴りました。
「エスを救わなければ」……と。
それは「自分を救わなければ」……ということを意味していたなんて、はじめは思いもしませんでした。
はじめはただの、「ルミナ」の淡い恋心の物語でした。
それが、回を重ねるたびに、テーマが「命」へと変わっていきました。
「花シリーズ」は、一応「ルミナ」「レティ」「エイスト」「エス」とタスキをつないで、それぞれの主人公たちの伝えたかったこと、主人公たちに伝えたかったことを、綴ったつもりでおります。
そのため、これにて終わりとしたいと思っておりますが……もしかしたら、また。「花シリーズを書きたい」と、そう思うときが来ましたら、つづきになるのか、それともまったく新しい話になるのかも、今のところは未定ですが、綴れたらいいなと思います。
最後に。
自分自身へも言い聞かせるために、ここに残します。
「命を大切に」そして、「命と記憶を繋いでください」……と。
この話を、このシリーズを読んでくださり、ありがとうございました。
また別の作品でも、お会いできることを願っております。