第二章「疑う彼らと、信じる彼女ら。」
僕たちは困惑していた。目の前に転がる黒い物体、かつて人間だったそれを目の当たりにした誰もが言葉を出せずにいた。
あるものは死体を見つめて怯え、あるものは顔を覆って嗚咽を漏らし、あるものは驚愕に目を見開き、またあるものは思いつめたようにその死体を見つめていた。だってこんな状況、現実的にありえるのだろうか?きっと普通に考えればそう思うのだろう。そういった思いがとどまる空間。しばらく沈黙が続いた。
「か、神様……?悪魔様……?嘘だろ、そんなの。何かの間違いだよな?」
最初に沈黙を打ち破ったのは、一人の少年だった。彼は出水弥七。赤茶色に染色されており無造作に伸びた前髪から覗く鋭い三白眼、耳につけたピアスなど、見た目はあからさまにガラが悪そうなのだが、そこまで素行が悪いわけではない。しかし決して優等生ではない。普段は怖いもの知らずに見える彼が目を丸くして恐怖心をあらわにしていることからも、事態の深刻さが伺える。
なにせ人が一人死んでいるのだ。まるでこの世のものとは思えないほどに黒くこげた何かに変わり果ててしまった委員長こと、上本双葉はその空間に現実味を持たせる象徴として教室のど真ん中に頓挫していた。それを見つめ続けていることにたまらずに泣き出してしまった女子生徒や各々が不安を促す言葉を口にし始めた時だった。
「み、みんな、落ち着け!」
ひときわ大きな声がその空間にこだまする。その声の主は宮原六実、このクラスの副委員長だ。その声に反応し、教室にいる全員の視線が彼女に集まる。
「正直、私もわけがわからない。だが、安心しろ、みんなは、私が必ず守る。上本がいなくなってしまった今、そうするのが私の……副委員長としての役目だからな」
その声は隠しきれない恐怖による震えを帯びていたが、彼女の目は迷いが見られない、真っ直ぐなものだった。
「Fu〜!さすがムツミのアネゴだぜ!サムライに掛かれば、怖いものはないよな!オレは一生、アネゴについてくぜ!」
この場に漏れる恐怖恐怖など露知らずといったふうに能天気な声をあげるのは志島樹。国籍も血統も日本のものなのだが、幼い頃よりアメリカで生活しており、高校入学に合わせてこちらに帰ってきた、いわば帰国子女だ。アメリカで生活しながらも、母国の文化に憧れを抱いていた彼は、日本古来の文化が大好きだ。そのため、剣道部のムツミを見たときから、侍だと思い込んでしたっているのだ。
「まず、この場にいる者の確認を取ろう。出水弥七、志島樹、空見椎太、卯岳甘音、尚居零、皆間恋心、佐渡咲良、それから……おい、小泉。こんな時くらいヘッドフォンは外したらどうだ?それに、いつまでも机に座っている場合でもないだろう」
彼女の声に渋々ヘッドフォンを外して机から立ち上がり、こちらへ歩み寄る者が一人。彼が小泉、小泉厄守だ。
「落ち着けって言ったのは、お前の方だろ。ならでしゃばらずに平常心で居るべきなんじゃないか?守るなんてたいそれたこと言うが、お前程度にそれができるのか?ここにいる全員の命を預かるなんてことを、お前にする権利があるのか?」
口を開いたかと思えば彼は不満げにそう言った。
「ひどいよヤクモくん!ムツミちゃんは、みんなを落ち着かせようとしてくれたんだよ?」
ムツミが彼の言葉に反応するよりも先に、一人の女子生徒が割って入った。彼女は卯岳甘音、先程この場の雰囲気に耐え切れず泣き出してしまったココロこと、皆間恋心に駆け寄っていたわってやったり、今もヤクモの言葉に物申してムツミの味方をしたりと、何かと友達思いの少女だ。
ヤクモは黙ってアマネを目を細くして見つめるが、結局彼女に対して反論することはなく、みんなの方へ視線を向け直した。
「いいか、今は誰が敵か、誰が味方かなんてわからない。今ここで善人ぶってるやつにもしかしたら寝首をかかれるかもしれない……なんてこともありえるんだよ。上本のように、思いもしない状況で命を落としてしまうかもしれないような状況だ。この空間じゃ、現実の理屈すら信用ならない。信じられるのは自分だけだと思っておけ」
彼の言葉に、その場の全員が息を飲んだようだった。
「し、しかし……情報の共有くらいはしておいてもいいのではないか?」
少し気が弱そうになってしまったムツミだったが、ヤクモの言葉に反論する。
「そうだよ!それにきっと、みんなが協力すればすぐにここから出られるよ!」
アマネにも迫られて観念したようにため息をつく。
「……いいだろう、情報の共有くらいなら認めてやるよ。ならまず第一に、俺たちには考えなければならないことがあるだろう……その悪魔の呪いとやらの正体だ」
「悪魔の、呪い……」
ココロが、その小柄な体から小さくつぶやく。臆病な彼女はやはりこんなときでも、今にも崩れだしてしまいそうなほどにその身を震わせている。
「あっ!あたし知ってるよ、悪魔様」
アマネが『悪魔』という言葉を耳にした途端、こちらに向き直り喋り始めた。
「この鷹ノ宮高校の七不思議のひとつ、『なんでも願いを叶えてくれる悪魔様』!最近話題なんだよ!悪魔様は本当にいる、ってね」
情報通の彼女はこういう話をするとき、誰よりも嬉しそうな顔をするのだ。今も先ほどの諍いなどなかったかのように目を輝かせている。
「悪魔様にお願いしたら、なんでもお願いを叶えてくれるらしいの!でもその代わりに代償を持っていかれるらしくて……」
「そ、それって、さっきの『神様』ちゃんにちょっと似てないッスか?あの子も、代償がどうって言ってたし……さては、あいつがラスボス!?」
ゲームの好きな少年、シータがいつものようにゲームに例えた言葉を交えて推測する。
「う〜ん、それはわからないんだけどね、でも七不思議はほかにもあってね、『黒猫アイちゃん』っていうのが『悪魔様』の次くらいに有名なんだ」
「ん、その黒猫なんだかってのはまた、なんなんだよ?」
「いい質問ですね〜ヤシチくん。お答えしましょう、黒猫アイちゃんとは、夕方の学校に現れるという黒猫で、なんと尻尾がとっても長くて、ハートマークの形を作っているのです!でもねでもね、アイちゃんを可愛がっていた人は、行方不明になってしまうの。どこか異世界に飛ばされてしまうとか……学園のどこかに閉じ込められているとか……」
「バカバカしい……んなもん、ただのでっちあげだろ?」
ヤシチが疑り深い視線をアマネに向けると、アマネは待ってましたと言わんばかりに胸を張る。
「ところが、実際にアイちゃんと遊んで帰ってきた人物が実在するのです!それが、サクラちゃーん!!」
アマネが両手を大げさにサクラへ向けると、サクラはバツが悪そうに苦笑を浮かべる。アマネはなおも話を続ける。
「同じクラスだからさすがに知ってると思うけど、サクラちゃん、五月のはじめから2週間くらい学校を休んでたんだよね。理由はみんなには公表されてなかったけど、これは何かある!と思ったあたしは、サクラちゃんに独占インタビュー!その結果〜?」
「あ、うん……私ね、入学した時にアイちゃんを裏庭で見つけたの。校内に猫なんてすっごく珍しいし、なんだか不思議な感じがして可愛かったから、毎日可愛がってたんだ。そしたら……」
アマネに促されて喋り始めたものの、それ以降は愛想笑いで言葉を濁して何も言わなかった。
「その状況、今の状況に似ていないか?」
考え込んでいたヤクモがハッとしたように顔を上げた。
「本当だ!これはもしかして詰んだんじゃないかって思ったけど攻略法発見ッスね!つまり黒猫を見つければ、何かイベントが発生する可能性が……」
シータも顔を明るくする。が、僕はどうも今の状況に納得いかない。
「ちょっと待ってよ?みんな、まさか悪魔様なんて信じてるわけじゃないよね?おかしいよ。悪魔なんて、ましてや神様なんているわけないじゃない。常識的に考えてみてよ?そんな存在、あり得ると思う?」
「お前今更何言ってんだよ……」
素直に僕の考えを伝えたのだが、ヤシチがそれに呆れたように口を挟む。
「さっきフタバは、オレらの目の前で死んでたろ。それも、訳のわかんねー理屈で」
彼の鋭い視線に若干気圧されて目をそらしながらも、僕は続ける。
「ほ、ほら、きっと窓の外に何か仕掛けがあったんだよ!よく映画とかであるじゃない、触ると電流が走る赤外線とか……だって……ここに居る僕らみんな、ただの人間なんだからさ!」
とっさに非現実的な思いつきをしてしまった。しかしそれも神様や悪魔様の仕業というよりはあるいは現実的であろう。
「それは映画の話っしょ。それこそ現実味ないよー。な?アネゴもそう思うだろ?」
「ああ……尚居の考えも、なくはないだろうが、いったい誰がそんなものを用意できるのかと考えてしまうとな……」
イツキやムツミにも否定されて、言葉を紡げなくなる。思考が追いつかない。どうもおかしい。この状況の常識的で現実的な解が見つからない。神様?悪魔様?そんな者、存在するはずがない。ではこれは、やはり窓の外に仕掛けが?いったい誰にそんなことができる?そんなの神様でもなければ無理だ。いや、待て僕。そんなもの、存在しない。だって神様がいるとすれば僕は
僕は――
「あ、あの……」
ココロの弱々しい声に顔を上げる。
「わたしもね、すごく怖くて……頭の中真っ白になっちゃいそうだけど、でもさっき、アマネちゃんが言ったみたいに、みんなで協力すれば、きっとでられると思うの。だからね……まずは存在する、しないよりもみんなで脱出する方法を考えようよ」
「協力するかどうとかはともかく、そいつの言うとおりだな」
珍しくヤクモが他人に同意を示した。
「存在するかわからないものの存在を証明するなど、それこそ文字通り悪魔の証明だ。そんなことをしている暇があったら、さっさとここから出る方法を見つける方が得策だろう」
悪魔の証明……確かとある物事が『ある派』と『ない派』に対立した時、ない派は膨大な数の証拠からそれが存在しないことを証明しなければないらないが、ある派はたった一つでも証拠を提示すれば立証することができるため、ない派の立証は困難を極める。そのため、無いことを証明することは無茶であるといった原則だったはずだ。
そうだ、まだたった一つ、少しばかり不可解なことが起きただけだ。これは何かの偶然かもしれない。ここで『ない派』の僕が神様も悪魔様も存在しないことを証明する方法。それは、無事にここから脱出することだ。
そうだ、自分を見失ってはいけない。僕は神様も悪魔様も存在しないことを証明するために、ここからでなければならない。
「……うん、わかったよ。じゃあ、まずはその黒猫とやらを探そう。アマネさんやサクラさんは、何か知らないの?」
「あたし知ってるよ!サクラちゃんによると、アイちゃんは校舎裏に出没するそうです!」
アマネがサクラに視線を向けると、サクラも控えめに頷いた。
「そんじゃ、校舎裏の探索開始ッスね!」
「で、でも……校舎から外に出たらまた……」
勢いよく探索に臨もうとするシータに対してココロがつぶやく。先ほどの光景を思いだしたのか、目元には涙を浮かべている。怯える彼女の肩にシータがポンっと手を置いた。
「そのことなら大丈夫ッスボクが『神様』ちゃんからもらったスキルは、『もうひとりの自分を作り出す能力』ッスから!そいつに中庭の方へ向かわせれば……」
「おいおい、それで分身の方が真っ黒焦げになっちまったら、アンタはどうすんのさ」
イツキが口を挟む。
「ところがどっこい、このスキルで作った分身は、外に直接出すことができるみたいなんスよ!それにこの分身がどんなに傷ついたり怪我したりしても、ダンジョンから戻ってこいって念じちゃえばもと通り!」
「Oh!すげーじゃんか!」
「でも、このスキルもただのチートじゃなくって、弱点があるみたいなんス。それは、分身を作ってるあいだ、ボクはHABCDS全ステータス半減状態の、無防備なキャラになっちまうことッス。なんせ二つの体をひとつの脳みそで動かしてるんスからね。けどチュートリアルもしてないのに、初期状態からここまでスキルの仕様をわかってるなんて、ちょっと不気味ッスね……」
彼はアハハ、と苦笑いしてみせる彼に、ヤクモはあまりいい表情をしなかった。
「……最初に言っただろう。ここでは誰が敵か、誰が味方か、そんなものはわからない。あまりむやみに能力の弱点などあからさまにするな」
「そ、そうッスね……申し訳ねぇッス」
「まあいい。なら校舎裏の探索はお前に任せた。じっとしていても時間の無駄なので、俺は校舎内に何か手がかりがないかを探しに行く。ちなみに校舎内には、俺たち以外誰もいないようだぞ」
なぜそんなことがわかるのだろうと疑問に思ったのだが、彼は背を向けてさっさと行ってしまった。
「それでは、お前たちも各々できることを考えて行動してくれ。私はあいつと同じように校舎内の探索をしよう。空見はここにいて、分身の制御に集中してくれ」
彼女が目を合わせるとシータはコクリと頷いて、それからゆっくりと目を閉じた。おそらく『本体』の視界を遮ることで分身のコントロールに集中しようとしているのだ。彼女もそれを察したようで、シータに背を向けて教室から出た。
「待ってくれよアネゴ〜!」
と、イツキも彼女の背中を追いかける。それから残ったのが女子ばかりになったため居心地が悪くなったのかヤシチも出ていき、僕も慌てて教室を出た。いよいよ教室内が僕以外女子しかいなくなっていることに気づくと、僕も慌てて教室から離れた。教室に残ったのは女子とシータのみ。その後のことはよく知らないけど、この時の僕はここでもっとよく考えてから教室を出なかったことを、後に後悔することになるとは、思いもしなかった。