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 ルリが目を覚ました時、ナナはまだ眠っていた。カーテンを通ってくるぼんやりとした光の中に浮かび上がる美しい寝顔を見つける。いつもはナナの方が先に起きるため、普段の光り輝いて活き活きしている様とは異なり、静謐な芸術品を思わせる寝顔を見ることができるのは珍しい。

 裸眼のまましばらく見つめていたが、尿意を思い出して、名残惜しそうに立ち上がる。用を足して、部屋に戻ろうとした時、玄関に何かがいることに気が付いた。

 黒い影と低い音。

 ルリの大きな身体が硬直した。そのままの姿勢で目を凝らすが、玄関は薄暗く、何より眼鏡をかけていない為に何がいるのかは判然としない。動きが無いことを確認しながら、ゆっくりと部屋へ戻る。

 しかし途中でその動きを止める。玄関に注意しつつ周囲を見回すが、武器になりそうなものは見つからない。トイレへ戻って消臭剤のスプレー缶を手に取る。

 缶部分を持って素振りをすると中からカランと甲高い音がした。慌てて玄関を見るが影に動きは無い。安堵しながらボタンに指を沿えていつでも噴射できるようにし、じりじりと近づいていく。

 影の一部からは剛毛が生えているように見える。近づくにつれて饐えた臭いが漂ってくる。

 このまま進むべきかどうか。ルリは足を止めて思案する。脂汗が流れ落ちる。

 その時、突然影が動いた。同時に低い唸り声を出す。「うわああああぁああっ」

 消臭剤を撒き散らしながらルリは悲鳴を上げて後退するが狭い廊下だすぐに壁にぶつかった。パニックになりかけたところで急に部屋が明るくなり、冷ややかな言葉が投げかけられた。

「何やってるの?」

 電灯のスイッチに手をかけたまま、ナナが呆れ果てた

目をして立っていた。

「げ、玄関に何かいるんだ」

 ルリは震えながらも廊下の真ん中で身構える。影がナナに襲い掛かったりしないように。

 しかし明るくなった玄関にいる者にそんな恐れがないことは、眼鏡をかけていなくても分かった。

「また玄関で寝てるんだから」

 ナナはルリの手から缶を取り上げると、玄関に消臭剤を振りまいた。

「カッチン。これがあなたの尊敬している人の正体よ」

 影は泥酔して寝ているナナの叔母、九季文佳だったのだ。白いバッグを枕にして、ショートヘアの髪を乱して眠っている。薄手のダークブラウンのコートの衿がゴージャスなファーになっている。ここが獣のように見えたのだ。下半身は土間に落ちており、黒の裾フレアタイトスカートから柄ストッキングを履いたすらりとした脚が放り出されている。最後の力を振り絞ったのか、ハイヒールが脱ぎ散らかされている。

 それは女子高生に憧れを抱かせるキャリアウーマンの姿ではなかった。

「……、こんな日もあるだろう」

 なんとか擁護しようとする。

「まだ希望を捨てないの?確かに、ここまで酔っ払って帰ってくるのわ珍しいわね。珍しいけど、無いわけじゃないわ。月に一度ぐらいね」

「十分多いじゃないか」

 ルリはがっかりした表情をするがそれでも諦めない。

「男社会の中で負けずに頑張っているんだ。酔いたいことだってあるだろ。仕事をちゃんとこなしているなら、たまには酔っ払うぐらい飲んだっていいだろ」

「良いも悪いも、干渉する気はないわ」

 ナナは洗面所へと向かう。

「このまま置いておくのか?」

「いつもはそうしているけど、カッチンなら部屋まで担いでいけるんじゃない」

「私はパワー系じゃないんだぞ」

 ぼやきながら文佳に近づき、どうやって持つかを思案する。手を差し込む場所をあれこれ変えてみるが、持ち上がる気がしない。せめて下半身を土間から上げようとそっと両足を持ち上げた。

 文佳は触れられて飛び起きることも無く、軽い寝息を立ててなすがままにされる。

 幸せそうに寝ている横顔はナナによく似ている。

 どうするのか悩んでいる間に姪っ子は朝食を作り始め、美味しそうな匂いが鼻をくすぐる。

「ねぇ、手伝ってよ」

というナナの言葉にようやく踏ん切りがつき、脚だけは土間から上げた文佳をその場に残してルリはキッチンに向かった。ちょっと戻ってきて、玄関の明かりを消した。


 悲鳴が聞こえてきたのは朝食を終える頃だった。

 ナナ手作りの美味しい食事にテンションは上がったが、今日もまた勉強漬けになることに、自業自得とは言えルリの気分は重くなっていた頃合だった。

 悲鳴の後に、玄関でバタバタと暴れる音が聞こえてくる。

 ルリが飛び出ていくと、文佳はバッグを逆さまにして振って、中のものを周囲にばら撒いていた。

「どうしたんですか?」

 ルリは目上の人と話す時には敬語になる。

「無いのっ!」

 文佳は血走った目をしながら叫ぶ。

「何が無いんですか?」

「パソコンっ」

 悲鳴のように叫びながら、ばら撒いたものを引っかき回し始める。

「どんなに小さいパソコンを探してるのよ」

 ようやくやってきたナナが呆れながら訊く。

「どんなってこれぐらいの……」

 空中に手で四角形を作って、ようやく我に返る。

「……無いわね」

「そうでしょうね」

 居候させている姪っ子に冷たくあしらわれた文佳は呆然とした表情で、ばら撒いたものをバッグの中に戻す。ルリは拾うのを手伝ってあげる。

「ありがとう……、なんでルリがいるの?」

「泊まりに来るって言ったでしょう。テスト勉強」

 ナナが答える。

「そうだったかしら?ああ、私が忘れていただけで泊まっているのは問題ないのよ。勉強頑張って」

「頑張りますけど、パソコンはどうするんですか?」

「どうしよう……」

「とりあえず水でも飲んだら」

「そうね」

 文佳はフラフラとダイニングへ行き、テーブルの前に座る。ナナが水の入ったグラスを置く。

「パソコンを持って行ってたの?」

「違う。会社のパソコン」

 文佳は一気に飲み干した後、頭を抱える。

「なんで家にもあるのに持って帰ってくるの?」

 ナナは詰問口調だ。

「今日中に送らないといけない資料があって、それは会社のパソコンでないと作れないのよ」

「いつもは休日出勤するじゃない」

「今日はフロア清掃をするから会社に入れないのよ。だから家でやろうと思って持ち出したの」

「フロア清掃?やっぱり立派な会社は掃除をするのも業者が入るんですね」

「上の方針にも寄ると思うけど、それなりの規模のところ、特にIT系のオフィスでは自分で掃除したりはしないわね。個人経営みたいなところでも、見栄を張って頼んでいるところがあるけど。このマンションより狭い事務所でですよ」

 具体的な例を思い出しているらしく、顔を上げて鼻で笑う。水のお代わりを要求する。

「必要最小限の人間でできる範囲の仕事だけをして後は全部外注化すれば固定負債は下げられるだろうけど、他人任せってことなんだから、他人にそっぽ向かれたらお終いよ。特にITなんて人が資本なんだから、固定資産を確保すると考えるべきで、だったらまずはあの程度の規模の会社なら掃除ぐらいは自分でするべきよ」

「人は固定負債じゃなくて固定資産だってことですか?」

「流動資産でもなくてね」

「固定と流動ってどう違うんですか?」

「カッチン。それは今のあなたにとって大事なこと?」

 熱を帯び始めた二人にナナが太い釘を刺す。

「んん、いや、でもしかし……」

 憧れのキャリアウーマンっぽい話に輝いていたルリの目が濁る。

「今すぐには役に立たなくても、社会に出たときに知っておいて損はない話よ」

「社会に出る前にやっておかなきゃいけないことがあるんじゃないかしら。落第したら、社会に出ることもできないわ」

「落第って、そんなにやばいの?」

「……はい」

 ルリの撃沈したナナは、文佳の助け舟も看破しに行く。

「それに、社会に出ていらっしゃる方は、他人の心配をしている場合ではなくて、目の前にもっと切実な問題を抱えているんじゃないかしら」

「パソコンっ」

 文佳は再び頭を抱える。

「持って出たのは確かなの?」

 訊ねるナナの顔は叔母の危機を心配しているものには見えず、むしろ楽しんでいるかのように笑みが浮かんできていた。

「ええ、バッグが重かったもの」

「と言うことは、まずお店に忘れてきたのかもしれない」

 細く長い指を一本立てる。

「そもそも、仕事を終わってもいないのに飲みに行ったのが間違いだったんじゃない?」

「大切な取引先の接待だったんだから仕方が無いでしょ。仕事のうちよ」

「大切なパソコンを忘れるほど酔っ払っていても接待できるの?」

「接待中は大丈夫ですよっ」

 突然胸を張るが全く説得力は無い。

「大丈夫だったかどうかはともかく、店に電話してみたら?」

「そうね」

 バッグからスマートフォンを取り出してタップ、フリックする。

「メールが来てる」

 ナナは画面を覗き込もうとするが、巧妙にブロックされる。

「うわー、催促が来てる。夕方で良いっていったくせに」

 恨み節を唄うが、パソコンに関するメールは来ていなかったらしく、電話をかけると席を立ち、隣の部屋の窓の近くまで歩いていった。

「おはようございます。九季と申しますが、」

 トーンが二つぐらい上がった声で話し始める。受話器を当てている耳元を反対側の手で覆う。

「九季です。九季文佳。そうです、そうです私です。朝早くから申し訳ありません。そうですよね、はい。ちょっとお尋ねしたいことがありまして、昨夜、ノートパソコンの忘れ物は無かったでしょうか?ええ、B4サイズの黒いノートパソコンです。あー、昨夜は営業後の掃除は……、そうですか。分かりました、ありがとうございます。いえ、大丈夫です。大丈夫じゃないけど大丈夫です。ちなみに昨夜の様子は……」

 文佳が急に声を潜めたので、話している内容が分からなくなった。しばらくひそひそ話を続けた後、電話を切ってキッチンに戻ってくる。

「無いって」

「良く行くお店なの?」

 ナナが訊ねる。

「何回か使っているけど、どうして?」

「やけに親しそうだったから」

「そんなことないわ。向こうは覚えてくれてるみたいだけど顔見知りってほどじゃないし」

「ふーん」

 ナナは薄く笑いながら疑いの目を向ける。

「思ったんですけど、会社へは連絡しなくて良いんですか?」

「駄目よ!会社になんか連絡できない」

 文佳は強く否定する。

「パソコンを無くしたなんて言ったら大変よ。どうなることか。始末書なんかじゃすまないわ。減給や降格の可能性もあるし、なにより全社的にセキュリティシステムを一度リセットする必要があるから、私のヘマのせいで面倒くさいことになったって皆から見られるの。もちろん、誰が無くしたのかなんてことは公開されないわ、でもその手の情報は必ず広まるものなのですよ」

 一気にまくし立てた。

「それは見つからなければでしょう。見つける方法があるかもしれないじゃない。例えば、位置が分かる奴……」

「GPS?」

「それ」

「残念ながらうちのパソコンには付いてないわ。見つかったとしても、無くしたなんてばれたら社内での評価は急降下。ギリギリまで連絡なんかできない」

「でも、催促のメールが来てるんでしょ」

「そうなのよねぇぇぇぇぇぇ」

 テーブルに突っ伏して途方にくれる文佳を、ルリは戸惑いの目で見る。

「私が知っている文佳さんはこんな感じじゃなかった」

「だから言っているでしょう。カッチンの中にいる文ちゃんは幻想の人だって」

「勝手に期待して勝手に絶望しないで」

 文佳はむくりと身体を起こした。

「私は私であって、それを偽ったりはしていないわ」

「いえ、絶望したりはしていませんから」

 ルリは慌てて弁解する。

「文ちゃんの正体がばれたところで、パソコン探しに戻らない?会社に連絡しないのは分かったけど、警察には連絡するの?」

「警察には……連絡したほうがいいわよね?会社に連絡が行ったりするのかしら?」

「もし、会社のものだと分かる印があれば、会社に連絡が行くでしょうね。まさか、文ちゃんの名前と連絡先が書いてあるわけじゃないでしょ」

「会社の名前……、書いてないと思うけど?でもそうね、警察には連絡しておいたほうが良いわよね」

 イスを鳴らして立ち上がる。

「籠目署に知り合いの刑事がいるけど、紹介しようか?」

「アマレスの人?とりあえず遠慮しておくわ」

「セイラさんは推理力は無いけれど、根は真面目だから忘れ物は真面目に探してもらえると思うわよ」

「考えておく。とりあえずシャワーを浴びてくる」

「急いでいるんでしょ」

「警察に行くなら、それなりの格好で行かないとね」

 それまで着たままだったコートをようやく脱ぎ、座っていたイスの背もたれにかけると自分の部屋に入っていった。

「お前は聖良さんをどんな風に話しているんだ?」

 石川聖良は籠目署の新米刑事だ。ある事件をきっかけに知り合いになった。

「目に映るがままよ」

「お前の目に映るがままとか、恐ろしくて聞けないな」

「あら。カッチンの目にはどう映っていると言うの?」

 話していると、着替えを持った文佳が戻ってくる。

「あなた達は勉強するんでしょ。どうぞやってて。話を聞いてくれたおかげで落ち着いたわ。ありがとう」

 文佳が脱衣所のドアを閉めると、ナナはルリにすっと顔を近づけ、密やかに話す。

「文ちゃんは何かを隠しているわ」

「何を?」

「分からなかった?」

「電話は怪しかったけどな」

「そうでしょう」

 さっとテーブルの上に置かれたままになっていた文佳のスマートフォンを手に取る。

「おい」

 ルリが窘めるが、ナナは気にせず画面をタップする。

「暗証番号だわ」

 躊躇わずに数字を入力するが軽い電子音に弾かれる。続けて三回トライしたが結果は同じだった。諦めてルリに手渡す。

 文佳はシャワーの前にメイクを落としているらしく、洗面台を使っている音が聞こえてくる。

「ネットでスマホのパスワードを解除する方法を見たことがある。画面に指で触れるだろう?パスワードに当てはまる数字の部分には指紋がつく。後は順番を組み合わせれば良い。暗号に使われる数字は四つだから、組み合わせ数は……」

「二十四。四の階乗。階乗は分かるわよね」

「かける奴だろ」

「何を」

「……数字」

「問答をやっているんじゃないのよ。それで、暗証番号は何番なの?」

「ちょっと待て」

 ルリはしばらくスマートフォンを斜めから見たりしながら、その表面をよく観察した。大きく息をつく。

「お前の指紋だらけだな」

「すっごいつまらないんだけど」

 本気で不機嫌な顔をする。それでも美しいままなのがナナのナナたる所以だ。

「本当のことなんだから仕方がないだろ」

「待って。思い出したわ」

 剣呑としていた顔が一瞬で輝く。

「文ちゃんは電話をかけ終わった後、スマホをスカートに押し当ててた。指紋を消したのよ。私達を警戒したのかしら」

「ただのクセだろ」

 ルリは言いながら寝巻き代わりのトレーナーの袖で画面についた指紋をふき取り、机に置いた。

「画面を拭くのは良いけど、いつもスカートで拭いているのだとすれば感心できないわね」

「他人のコートのポケットに勝手に手を突っ込んでいるお前に言われたくはないだろうがな」

 ルリは飽きれた口調で言うだけで、ナナを止めようとはしない。

 バスルームからはシャワーを浴び始めたらしい音が聞こえてくる。

 イスにかけられたコートのポケットから複数の紙片を探り当て、ナナは喜ぶ。

「名刺か……。大手企業じゃないか」

 何枚かを渡されたルリが驚きの声を上げる。記されている社名は日本を代表する電気機器メーカーだった。八王子工場の部門長や課長と言った役職らしい。

「こちらの方は執行役員ですって。大切な接待だったって言うのは本当みたいね」

 一枚の名刺を二本の指で挟んでひらひらさせる。

「やっぱり文佳さんは凄いんだな」

「凄いかどうかは分からないわよ。ただの賑やかしかもしれないし」

「賑やかしでも、呼ばれるだけ大したものだろ」

「そうかもね。あら、これは何かしら?」

 コートの反対側のポケットから取り出したのは同じく名刺だったが、その装丁は先ほどの名刺とはかなり違っていた。

 四辺が額縁のような柄で赤く飾られている。社名は入っておらず、真ん中に斜体で「kokomi」と印刷されている。しかもそれが五枚も入っていた。

「なんだこれは?」

「うーん、いわゆる夜のお姉さんの名刺かしら?」

「キャバ嬢とかホステスって奴か。なんでそんな人の名刺が文佳さんのコートに入ってるんだ。しかも五枚も」

「接待ならその手のお店に行くこともあるだろうけど、女の人までついていくものかしら。ついていったとしても、名刺を五枚ももらうのはおかしいわよね」

 ナナは名刺を熱心に観察する。

「会社の人の名刺も五枚だな」

「ええ、そこに何か関係があるんじゃないかしら。ねぇ、この傷は偶然だと思う?」

 ルリはナナが指先で指し示す名刺の一角を見る。そこには爪先でつけたように見える傷があった。

「全部に入っているの」

 ナナの言葉通り、五枚の名刺全てに同じような傷があった。但しその場所はそれぞれ違う。

 下についているもの、右上角についているもの、左右についているもの、上部に五つついているもの、名前の下と左上角についているもの。

「偶然つくような傷には見えないな。だとすると傷の場所に意味があるのか」

「この柄と関係があるのかとも思ったんだけど、分からなかったわ」

「隠し文字とか数字があるのかな」

 眼鏡越しに目を凝らすが、そのようなものは発見できない。

「こっちは、執行役員さんの名刺にだけ傷があるわ」

 ナナが示した名刺には、名前の下と、左右に二つ傷がついていた。

「暗号か?」

「その可能性が高いと思って考えてるんだけど、難しいわね」

 二人で頭を捻るが解は見つからない。

 バスルームから聞こえてきていたシャワーの水音が消えた。

「お前と一緒で風呂が長いな」

「カッチンが短過ぎるのよ。もう諦めましょう」

 ナナは名刺を集めてコートのポケットに戻した。しかし諦めたのは名刺に書かれた暗号の解読で、文佳の隠し事を探ることではなかった。

 玄関に置きっぱなしになっていた白いバッグを持ってきて、中を探ると赤い長財布を取り出した。

「良い色だな。文佳さんにぴったりだ」

「でもミュウミュウよ」

「駄目なのか?」

「いい歳なんだからプラダぐらい持てばいいのにって思わない?」

「ブランドのことは分からないな」

「カッチンが分かるのはナイキとかアディダスよね」

「そんなことはない」

 さすがに憮然と反論する。

「中まで見るのか?」

「捜査のためよ」

 ナナは窘められても気にせず、長財布を開けた。

「タクシーの領収書を発見」

 得意な顔をする。

「降りた時間は二時三分。長い間、玄関で寝ていたのね。一万二千円もかかってるわ?」

 言いながらルリに領収書を見せる。

「新宿からここまでタクシーに乗ったことなんか無い。深夜料金だからじゃないのか?」

「それでも六千、せいぜい七千円で済むと思うわ」

「酔っ払ってたからちゃんと場所を指定できなくて、遠回りをしていたんじゃないか」

「だとしたらかなりの遠回りね」

 ナナは領収書を見ながら、自分の携帯電話をプッシュする。

「お尋ねしますけど、今日深夜にそちらのタクシーを使ったんですけど、忘れ物はなかったでしょうか。車番号は1338です。はい……。はい、ノートパソコンです。そうですね、はい。あのもう一つ、酔っていて記憶が定かでないんですけど、どこからに乗ったか分かったら教えていただきたいんですけど。そうですか。分かりました。ありがとうございました」

 電話を切ったナナにルリが感心する。

「お前でもまともな受け答えができるんだな」

「当たり前でしょ。私をなんだと思ってるの」

「失礼な奴」

「汚名を雪げて良かったわ」

 満足気に髪をかき上げる。

「で、どこから乗ったかは分かったのか?」

「運転手の勤務が今日は終わったから分からないって」

「夜勤だったからな。でも、そもそも新宿から乗ったとは限らないんじゃないか?飲んでいたのが他の場所だった可能性もある」

「そうよね……」

 ナナは呟きながら、再び財布を探る。

 新宿のコンビニで昼頃に買い物をしたレシートの次に出てきたのは、クリーニング店の受け取り票だった。

 じっと凝視していたナナの顔が嬉しそうに笑い始める。

「怪しいものが出てきたわ。普段使っているのとは違う店よ。しかも、なんと八王子の店だわ」

「八王子?」

「驚くことはまだあるわよ。クリーニングに出したのは、ドレスが一着ですって」

「ドレス?」

 ルリは眉を寄せる。

「どんな接待だったんだ?パーティーか?」

「パーティーだったとしても、なんで八王子でクリーニングに出したの?まだあるわ」

 ナナは喜色満面の笑みを浮かべる。

「パーティーが終わったのは何時?帰ってきたのが二時だったということは、早くても十二時頃よ。そんな時間に開いている店がある?あったとしても、土地勘が無いはずの八王子でそんな店が都合よく目の前に現れたの?」

「つまりどういうことだ?」

「確かめましょう」

 ナナはスナップをきかせて再び携帯電話を手に取り、受け取り票に書かれた番号をプッシュした。

 楽しそうに活き活きと話す時のナナは、美貌に加えて声にも艶が増える。姿は見えなくても、声だけでその魔力にかけてしまう。

 話している内容の全ては分からないが、電話の向こうの相手は熱に浮かされたように全てをぶちまけているのだろう。

 電話を切ったナナは満足至極といった表情だった。電話の内容を得意満面に説明しようとしたところで、文佳が戻ってきた。

「まだ勉強してないの?って、何してるの!」

「バッグの中を勝手に見たことは悪かったわ」

 ナナは全く悪びれずに笑い、バッグに突進しようとする文佳の前に指を一本立てて手を突き出し、静止させた。

「パソコンは見つけてあげたわ」

「本当に?」

 文佳は顔を綻ばすが、ナナはそれを見て更に嬉しそうに笑う。残酷な笑みだ。

「その前に……」

 突き出していた手をくるりと返す。握っていた四本の指が開かれると、中から紙片が現れた。

「色々と教えてもらおうかしら。ココミさん」

 文佳は色々と言い訳を考えているようであったが、結局はがっくりとうな垂れた。

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