第7話 尊い言葉
君の母親と話す僕。
これから何が待ち構えているのかと思っていた自分に、君の母親が僕に差し出したモノは意外にも見覚えのある形見だった。
何処かで覚えのある、棘のない丸みを帯びた澄んだ香り。
線香から漂う嫌いではない匂いに混ざってはいるが、間違いなく昔僕の大好きだった君の香り。
まるで今にも君が、塵一つない廊下の中程にある階段から降りてきそうな不思議な感覚に包まれたが、すぐに自分を取り戻し君の遺影の前に静かに座った。
目を閉じて無心で数分間手を合わせた後、促されるままにリビングへ向かい、いかにも高級そうな黒いレザーのソファーに腰を浅めに掛けた。 不安と緊張とでカラカラになった喉を潤す為に、差し出してくれたアイスコーヒーを一口。
止まらず、半分近く迄飲んだ頃、君の母親が僕の目を真っ直ぐに見つめるながら口を開いた。
貴方に渡したいモノがあって、今日来て頂いたのよ
それは意外な言葉だった。
朝起きて、電車の中、ここまでの道程で散々考え、悩み、悶々としていた自分が呆気なく否定され力が抜けた自分。
と同時に複雑ではあるが、安堵の気持ちが沸き上がる。
君の母親に何をぶつけられると思い、そして僕は何を求めていたのだろうか
様々な思いが巡るその表情を察してか、君の母親は微笑みながら淡い琥珀色をしたハンカチに包まれた何かをそっと目の前に差し出した。
そっと両手で開き、唾を飲み込み中身を凝視する。
意外にも見覚えのあるシルバーのリングだった。
数年前、僕が君に贈ったリングだった。
何故?
わからない
首をほんの少しかしげて、視線を君の母親の大きな瞳に合わせる。
君の母親は変わりない、か細く、そして透き通った声で優しく、淡々と語り始めた。
正直、耳に全く入っていかなかった。
ただ、これが君の形見だという事だけは明白に理解出来た。
話の最後に君の母親がテーブルの上に丁寧に置いた手紙。 遺書、いや遺書というよりも君が綴った最後の手紙と言った方が正しい。
それをゆっくりと目を通し、ようやく耳に入ってこなかった君の母親の話を飲み込む事が出来た。
貴方に貰って欲しいの
それが娘の願いでもあるから
今にも溢れ出しそうな涙を必死に堪え、素早く立ち上がり深々と心から頭を下げた。
帰り際、綺麗に整理されている広めの玄関でもう一度、君の母親に頭を下げる。
娘の分まで必死に生きてね
その尊く、本当に重い言葉に、僕は涙を止める力など残っていなかった。