第6話 勇気を出して
君の母親との約束の日。
少し早目に家を出た自分だが、妙に落ち着かない。
意を決して家の近所に到着した僕に近寄ってくる気配。
それは君の母親だった。
デシャブではないけれど、車内はあの告別式の日と同様、朝の混雑が嘘の様に目に余る程の空席がある。
ただあの日と異なるのは、扉の側にもたれかかるのではなく、真っ先に目に入った角の空席に腰を降ろした。
決して疲れていた訳でもなく、ましてや涙が溢れ落ちそうだった訳でもない。
座って、そして自分自身の落ち着きを取り戻そうとしていた。
笹塚で待ち合わせをしていた都営新宿線に乗り換え、そこから十数分で君が使っていた最寄り駅に到着した。
自分で落ち着きを取り戻すことに必死だったせいか、妙にあっさりと到着した事に少しの違和感がある。
だが、気にする事は出来ない。
いや、気にするべきではないと言った方が正解か。
あっさりと到着した空席だらけのその車内で、いつの間にか腹を据えていたらしく、頭の中には君の家に向かう事だけを考えていた。
以前の様な、明らかに暇そうな客待ちのタクシーは駐車していない。
仕方なく流しのタクシー目当てに、目の前に走る片側2車線の通りへと一歩二歩出てみると、幸運な事にものの数秒で緑色のタクシーが目の前で止まってくれた。
僕にしては愛想良く行き先を告げ、運転手の歯切れの良い返事と共に車は走り出した。
渋滞もなく程なくして君の家に着いたのだが、左手にしたオメガの時計の差す時刻は10時半。
まだ少し早い。
これから起こるであろう未知なる出来事に、高揚しつつある自分の気持ちを抑えようと思い、先の曲がり角まで行く自分。
そしてボトムのベルトにぶら下げてある円筒型の携帯灰皿を片手にクールマイルドに火を付けた。
思いの外苦く、メンソール特有の香りがいつもより感じられない。
不味いと感じながらも半分弱まで無理矢理吸い、その黒い携帯灰皿にねじこんだ。
結局15分近くを潰し、10時45分を過ぎた頃、向こうから僕をめがけて真っ直ぐに歩いてくる気配を感じ取った。
数回だけの面識だったので顔はうろ覚えだったが、直感でわかった僕がいる。
そう、君の母親だったのだ。
よく来てくれたわね
10時から待っていたから、そんなところで時間を潰さなくてもよかったのよ
電話の向こうと変わらない、か細く、そして透き通った声。
庭先から全て見ていたらしい。
少し恥ずかしく顔を赤らめた僕に君と同じ笑顔を、いや、君の産みの親だから、これが本物かもしれないが、それを見せてくれた。
立ち話もあれだから、さぁ中に入って
優しく促されるまま、恐る恐る僕は君の家へと足を踏み入れて行く。