第2話 笑顔の告別式
告別式に参列した僕は、普段は流す事がない涙を延々と流す。
だが、最後には笑顔で式場を後にするのであった。
外は夜半から引き続き冷たい小雨が降っていて、昨日までの小春日和に裏切られた様な気がしていた。
まだ2、3回しか袖を通していない、少しだけ新しい喪服を着て君の告別式に向かった。
昼間の都営新宿線は、朝の混雑がまるで嘘の様に乗客がまばらで空席が目立ったのだけれど、僕はその有り余るどの空席にも座る気がしなかった。
地下鉄故に外の景色は何ら変わる事なく、普段なら面白味も何もないのだが、もしその有り余る空席に腰を下ろし、まばらに座っている乗客の顔を見てしまったら、例えそれが初老の男性だとしても涙を堪える自信が僕には無かった。
普段から人前で涙を流す事にかなり抵抗がある自分にとって、その数十分間の車内は苦痛以外の何物でもなかった。
本当は誰かにすがり、そして大声を出して泣きたかった。
でも、この目的地へと向かう空間では出来ない。
いや、正確に言うと勇気が無かったのかもしれない。
泣きたいという哀しみのストレートな表現を自身の心で抑圧する為に、唯一の抵抗する術として、扉の端に寄り掛かり、ただ外を眺めていたのだった。
数時間にも感じられた都営新宿線を降り、君の自宅のある最寄駅に着いた時には、霧の様だった小雨が、何時しか本降りになっていた。
別にずぶ濡れになっても良かった。
むしろその方が、ずっと必死に堪えていた涙を流せるいいチャンスだった。
ただ、時間が押し迫っていた事もあって、いかにも暇そうに路上駐車していたタクシーに乗り込み、式場へと向かった。
2メーター程で到着し、運転手に軽く会釈をして、一つ大きな溜息を吐きつつ、小走りで中へ入っていった。
久し振りに再会した君は、決して僕に話しかけてくれる事など無く、お喋り好きだった様子は微塵も感じられ無かった。
でも、綺麗に化粧をされた君の表情は本当に安らかで、僕にはほんの少し微笑んでいる様に思えた。
君の笑顔が誰よりも輝いていて、そして誰よりもその笑顔が好きだった僕にとって、棺の中に居る君が、最期までその笑顔を絶やさないで居てくれた様に思えて、今まで必死に我慢していた涙が、人目を気にする事など関係無く溢れて出ていた。
僕は暫くの間、君の側から離れる事が出来なかった。
正確に言うと、自分の身体がまるで金縛りにあった様に動けなくなっていた。
もうすぐ君のその安らかで、微笑んだ顔が灰になってしまうかと思うと、足が棒の様になり、その場から離れるなんて思考は持ち合わせていなかった。
ようやく動ける様になった僕は、何とか部屋の隅まで歩き、そこにあった古びた椅子に腰を下ろした。
そこでどのくらいかは憶えていないが、君がくれた言葉、そして君との沢山の想い出が走馬灯の様に駆け巡った。
そして一つ、君が僕にくれた大切な言葉を、僕はふと思い出した。
辛い時こそ笑っていてね
僕の身体は脱力感で気だるかったけれど、大きな深呼吸と共に立ち上がり、もう一度君の側まで行った。
僕は精一杯の笑顔を、安らかに眠る君に見せた。
そしてもうそこには涙は無かった。
最後に僕は君の両親に深々と頭を下げ、式場を出る間際に再び頭を下げた。
気が付くと、あれだけ降っていた雨はすっかり止んでいた。
彼方此方に水溜まりが出来上がっていたせいで、歩き辛いとは思ったけれど、無性に歩きたい自分がいた。
知り合いに一緒に帰ろうと誘われたのだが、何だか独りで歩きたかった。
丁重に断り、僕は独り、帰路についた。