第19話 居心地の良い家
男性の家に上がった僕。
互いに自己紹介的な事を済ませ、不思議かつ居心地の良い時間に吸い込まれていく。
外見とは裏腹に玄関の扉は雪国特有の二枚になっていて、ここが冬は雪深い土地柄という事が容易に想像出来る。
ここは信州で、なおかつ大分山道を上がって来たのだから当然と言えばそうなのだが、コンクリートジャングルが生活拠点である僕にとっては真新しく映り、少しの違和感を覚えた。
男性に促され、狭い事は狭いが意外に片付いている玄関でエンジニアブーツを脱ぐ。
お邪魔します、を大きな声で言い、一礼と共に男性の家の中へと上がった。
玄関同様、意外にも家の中は広く整理整頓されていて、男性が几帳面である事が想像出来た。
借りてきた猫の様に落ち着かない様子を見抜いたのか、男性は手招きをしながら、ここに座りなよ、と言ってくれた。
手招きしてくれた部屋は居間というかリビングというかどちらとも言い難い部屋ではあったが、ほのかに井草の香りがする空間で居心地が良く感じられる。
とりあえず中央にあるテーブルに合わせ、窓際に背を向けて座る事にした。
片付いている部屋の中をただ何となく眺めていると、多少煤けた仏壇と共に綺麗な女性の遺影が目に入った。
話の口火に問い掛けてみようかと考えたが、それが良いのか悪いのかわからず、とりあえず黙っている事にした。
程なくして男性が台所からグラスに入った見るからに冷えていそうな麦茶を持ってくる。
テーブルを挟んで対面に座り、持ってきた麦茶を差し出してくれた。
奥さんですか?
黙っているつもりだったのに、つい言ってしまった。
そうだよ
10年前に亡くなったけどね
少しだけ寂しそうな表情を見せた男性に申し訳ないとばかりに小声で、すみません、とだけ言った。
男性はすぐに笑顔を見せて、気にしないでいいよと言う。
そして続けて言った。
もう10年になるからね
寂しいのも慣れたよ
そうだ、話しは変わるけど名前聞いてなかったね
私は佐伯って言うんだ
僕は自分の名前や住んでいるところをまるで自己紹介の様に話した。
不思議な感覚だった。
見ず知らずの家に上がり、見ず知らずの人と話す。
僕の性格や生活パターンからいって絶対に有り得ない事で、自分でも信じられない事だ。
ただ、何故だか不快感は1ミリも感じなかった。
お腹空いたかい?
適当に作るけどいいかな
なにせ独り暮らしだからさ
何でも大丈夫ですよ
佐伯さんにお任せしますよ
何でも手伝いますから
何もしなくていいよ、とニコッとだけ笑い、佐伯さんは狭い小綺麗な台所に向かった。