第15話 貸切りの空間
数年振りに訪れたこの温泉。
貸切り状態に戸惑いもあり嬉しさもありでゆっくりと浸かろうとするが、相変わらずの高温に怯む僕だった。
以前訪れた時と変わらぬ佇まいで、入口も何ら変わっていなかった。
まだ真新しいお気に入りの黒いエンジニアブーツを入って左手にある古ぼけた下駄箱の一番上に置いた。
受付にいる愛想のいい初老の男性に入浴料金500円を支払い、軽く会釈をして緩やかな階段を降りて行く。
男性と書かれた青い暖簾をくぐり、脱衣所へと入って行った。
秘境に近くかつ無名な事もあり、そして入浴とはまるでかけ離れた時間だったせいか脱衣所に置かれている荷物や洋服は皆無だった。
多少迷いつつ有り余るプラスチック製の篭から一番奥で一番上のそれを選ぶ。
持参したバスタオルと下着を無造作に投げ込み、誰一人いない事も手伝って何の恥じらいも無く着衣を脱ぎ捨て、同じ様に白い篭に投げ入れた。
当然ながら先客は猫一匹すらいなく、まるで貸切りの様な錯覚に陥る。
昔、君と訪れた時は地元と思われる初老の男性が数人いた事を思い出したが、今は自分ただ一人。
とりあえずど真ん中の鏡の前に腰を下ろし、先程かいた寝汗を洗い流す事にした。
備え付けの固形石鹸とシャンプーを使って少し乱暴目に身体を洗い、これまた古びたシャワーで一気に洗い流す。
さっぱりとしたところでいざ湯船に浸かろうとした時、ふと君の形見であるリングを気にかけた。
あれ以来、肌身離さず首から下げている形見のリングだが、硫黄泉であるこの温泉にそのまま入ってしまっては変色してしまう事を思い出したのだ。
当時身に付けていたアクセサリーが真っ黒になって、君と大笑いした記憶がある。
僕は未だ誰一人としていない脱衣所に戻り、古びた篭の奥底にそっと形見のリングをしまい、それからもう一度浴場に戻った。
恐る恐る右足を湯船に入れてみようとするが、端から見ればおかしな光景なのだが、なかなか勇気が湧かない。
そう、相も変わらずかなり熱いのだ。
猫舌ならぬ猫肌である僕にとっては少々キツい温度で、室内に設置してある温度計は47℃を差していた。
勇気を振り絞り、覚悟を決めて勢いよく湯船に入った。
おそらく10秒くらいか、堪らず湯船から飛び出し大きな深呼吸をする。
本当に相変わらずだな
そんな事を思いながら、まだ少しだけマシな併設された露天風呂へと向かう。
幸運にも露天風呂の温度は僕が入る事が出来るギリギリくらいの温度だった。
御世辞にも広いとは言えないけれど、心地良い春風を受けながらの露天風呂はこの上なく気持ちがいい。
猫肌で、なおかつすぐに逆上せてしまう僕であったが、この時ばかりは出来るだけ長く湯船に浸かっていたいと感じていた。