女のくせにと笑われて
放課後の体育館で、私は他の部員と一緒に畳を拭いていた。
特別上手いわけでも、強いわけでもない。
ごく普通の空手部員だ。
試合に出ても目立たず、突きも蹴りも平均点。
それでも、毎日続けている。
「美咲、もう上がるよ」 先輩が声をかけてくる。
「はい、お疲れさまです」
道着を畳んで更衣室を出ると、校門の近くで遥が待っていた。
「お疲れ。今日も遅かったね」
遥は笑顔で手を振った。
でもその笑顔は、どこか引きつっている。
私はすぐに気づいた。
遥の右腕の袖が少し捲れ上がっていて、その下にうっすらと赤い痕があった。
「遥、その腕……」
「あ、これ? 転んだの。朝、階段で」
遥は慌てて袖を下ろし、いつもより大きめに笑った。
「本当に?」
「うん、本当だよ。大丈夫」
帰り道、私は何度か遥の様子を窺った。
いつもなら今日あったことを楽しそうに話すのに、今日はほとんど言葉がない。
信号待ちの間も、遥は足元ばかり見ている。
「遥」
「ん?」
「何かあったら、ちゃんと言ってね。私、聞くから」
遥は一瞬、足を止めた。
そして、すぐに首を横に振った。
「……ありがとう。でも大丈夫。本当に」
その夜、私は自分の部屋で道着を着たまま、基本の型を繰り返した。
特別上手いわけじゃない。
それでも、今日の遥の表情が頭から離れなかった。
「隠してるよな……」
鏡に映る自分に、小さく呟く。
翌日の放課後。
部活に向かう前に、私は遥の教室へ寄った。
教室にはもうほとんど人がいなくて、遥が一人で机に突っ伏している。
「遥?」
顔を上げた遥の目は、少し赤かった。
「……美咲」
「どうしたの。昨日の腕、やっぱり転んだんじゃないよね」
遥はしばらく俯いていた。
やがて、小さな声で話し始めた。
「……隣町の空手部の主将に、部活がない日に待ち伏せされて絡まれてるの」
「主将?」
「うん。桐山って人。すごく強いらしくて……。
この前は、無理やり腕を掴まれて痛くて。
私は拳を握った。
自分は普通の部員だ。
主将クラスの強さはない。
それでも、遥が苦しんでいるのは許せなかった。
「どうして今まで言わなかったの?」
「美咲に迷惑かけたくなくて。私のせいで余計なことに巻き込まれたら……嫌だなって」
「迷惑なんかじゃないよ」
私は遥の目を見て、はっきり言った。
「遥が嫌な思いしてる方が、よっぽど嫌だ」
遥の目から、ぽろっと涙が落ちた。
「……ありがとう」
「今日、一緒に帰るよ」 私はきっぱりと言った。
「部活は休む。遥を一人にしない」
遥は目を見開いた。
「でも、部活……」
「いいの。遥の方が大事」
遥は小さく頷いた。
私たちは制服のまま校門を出た。
「本当に一緒に帰ってくれるの?」
遥が少し不安そうに聞いてくる。
「当たり前だよ。今、約束したでしょ」
「……ありがとう。でも、もし桐山が来ても、無理しないでね。相手は男なんだから」
「相手がどんな奴でも、遥を一人にはしない」
いつもの帰り道を少し外れた、人気のない路地。
電柱の影に、一人の男子が立っていた。
桐山だった。
身長が高く、肩幅も広い。隣町の空手部主将らしく、余裕のある顔で私たちを見下ろす。
桐山は私に目を向け、鼻で笑った。
「なんだ、その子?」
私は前に出て、空手の型のポーズを取った。
「その子に、もう近づかないでください」
「はあ? 女のくせに空手か。」
「男よりも、弱いくせに生意気なんだよ!」
桐山は簡単に私の肩を掴み、笑いながら壁に押しつけた。
「お前みたいな普通の部員が、何できるってんだ。だいたい、女の空手なんて飾りだろ」
私は歯を食いしばり、振り払おうとした。
でも力の差は明らかだった。桐山の腕は太く、簡単には動かない。
「くっ……!」
「その女を守るつもりか?無理だろ」
桐山が拳を構える。
私は反射的に受けの形を取ったが、重い突きをまともに受けてしまい、後ろに大きく下がった。
息が上がる。
「やっぱり女の空手なんてこの程度か」
桐山がさらに踏み込んでくる。
私は必死に受け流し、カウンターの蹴りを放った。
でも桐山は軽くそれを払い、今度は私の胴に重い突きを入れた。
「がはっ……!」
私の体がくの字に折れ、片膝をつく。
「美咲!」
遥が悲鳴を上げる。
桐山が私の髪を掴み、顔を上げさせた。
「もう終わりだろ。女は黙って——」
その瞬間、遥が後ろから飛び込んだ。
「やめなさいっ!」
遥の額が、桐山の側頭部に思い切りぶつかる。
鈍い音がして、桐山の体が大きく揺れた。
「っ……! てめぇ、遥……!」
私はその隙を逃さなかった。
膝をついた状態から一気に体を起こし、桐山の脇腹に肘を打ち込む。
続けて、遥が桐山の腕に噛みつくようにしがみつく。
「今だ、美咲!」
「遥、一緒に!」
私と遥は同時に一歩後ろに下がり、正拳を構えた。
「はあっ!」
二人の正拳が、ほぼ同じタイミングで桐山の胴にめり込む。
私の突きは技術的には普通だった。
遥の突きはもっと素人に近かった。
それでも、二人が力を合わせたその一撃は、桐山の体を大きくのけ反らせた。
桐山はその場に膝をつき、やがて前のめりに崩れ落ちた。
路地に、荒い呼吸だけが残る。
私と遥は並んで立ち、倒れた桐山を見下ろした。
「……二度と、女を舐めんなよ」
私たちの声が、重なって路地に響いた。
桐山は痛みに顔を歪めたまま、何も言い返せなかった。
腕で腹を押さえ、肩で息をしている。さっきまでの余裕は完全に消えていた。
「……くっ、てめぇら……」 低く呟く声は、覇気がなく、ただの弱音に近かった。
私は遥の手を握る。 遥も、強く握り返した。
「美咲……ありがとう。本当に」
「私も、遥がいてくれたから勝てた」
遥は涙ぐみながら、小さく笑った。
「もう、一人で抱え込まないから」
「うん。私も、遥を一人にしない」
桐山は壁に手をついて立ち上がろうとしたが、すぐに膝が折れ、再び倒れ込んだ。
顔を上げたとき、私たちの目をまっすぐ見ることができなかった。
「……二度と、遥に近づくなよ!」
私が静かに言うと、桐山は小さく顎を動かしただけだった。
私たちは背を向けて路地を出た。
夕陽が、私たちの影を長く地面に落としていた。
「美咲、痛くない? さっき、すごく殴られてた」
遥が心配そうに私の顔を覗き込む。
「大丈夫。少し痛いけど……遥がいてくれたから、耐えられた」
遥は私の袖を握ったまま、しばらく黙っていた。
そして、小さな声で言った。
「次に何かあっても、絶対に一緒にいるから」
私は頷いた。
普通の空手部員の私でも、遥となら、きっと大丈夫!
久しぶりの短編でした!
スカッとする展開を意識しました。
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