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異端の科学者〜魔法世界に物理法則を灯す者  作者: 花咲かおる
序章:異世界への扉

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第10話:科学の実践

 翌朝、理人は早くから活動を開始した。エルヴンハイムの朝は、鳥のさえずりと木々のざわめきで始まる。澄んだ空気が肺を満たし、マナの流れが体を巡る感覚が心地よかった。

 長老たちが指定した場所は、村の中央広場だった。既に多くのエルフが集まっており、好奇心と警戒心が入り混じった視線が理人たちに向けられていた。

「では、始めましょう」

 理人は準備してきた道具を並べた。大きな鍋、清潔な布、石鹸の代わりになる植物由来の洗浄剤。グランツが昨夜、急いで作ってくれたものだ。

「皆さん、今日は病気を防ぐための基本的な方法をお教えします」

 エルフたちは興味深そうに、しかし懐疑的に見ていた。

「まず、最も重要なのは手を洗うことです」

「手を洗う?」若いエルフが尋ねた「それは普段からやっているが」

「ええ、しかし正しい方法で洗っているでしょうか」

 理人は水を張った桶を用意し、実演を始めた。

「手のひら、手の甲、指の間、爪の周り。すべての部分を丁寧に洗います。そして、この洗浄剤を使います」

 理人が丁寧に手を洗う様子を、エルフたちは静かに見守った。

「なぜ、そこまで丁寧に洗う必要があるのだ?」老人のエルフが尋ねた。

「手には、目に見えない病原菌が付着しています。昨日お見せした顕微鏡で見た、あの微生物です。それらが体内に入ると、病気になります」

「しかし、我々は魔法で体を清潔に保っている」

「魔法での浄化も効果的でしょう。しかし、マナを使わずにできる方法があれば、より多くの人が実践できます」

 理人は続けて、水の煮沸について説明した。

「次に、水についてです。飲料水は必ず煮沸してから使用してください」

「煮沸?なぜだ?」

「水の中にも病原菌がいます。熱することで、それらを殺すことができます」

 理人は鍋に水を入れ、火にかけた。沸騰するまでの間、彼は説明を続けた。

「水が沸騰すると、ほとんどの病原菌は死にます。これは魔法を使わずにできる、最も効果的な予防法の一つです」

「だが、煮沸には時間がかかる。魔法で浄化すれば一瞬だ」

「その通りです」理人は認めた「しかし、魔法が使えない子供や、マナが少ない老人はどうしますか?科学の方法は、誰にでもできます」

 エルフたちは顔を見合わせた。確かに、魔法には個人差がある。

 水が沸騰した。理人はそれを別の容器に移し、冷ました。

「この水は安全です。病原菌はいません」

「それを、どうやって証明する?」

「顕微鏡で確認できます」

 理人は煮沸前の水と煮沸後の水、両方のサンプルを顕微鏡で観察できるように準備した。

「こちらが煮沸前の水です。覗いてみてください」

 何人かのエルフが順番に覗いた。微生物が動いているのが見える。

「次に、煮沸後の水です」

 今度は、微生物がほとんど見えなかった。いくつかの死骸が浮いているだけだ。

「本当だ......微生物が消えている」

「正確には、死んでいます。熱によって」

 エルフたちの表情が変わり始めた。懐疑から、興味へ。

 エドワードが次の説明を引き継いだ。

「次に、食品の保存についてです。食べ物が腐るのも、微生物の働きによるものです」

「我々は魔法の冷却で保存している」

「それも効果的です。しかし、魔法を使わない方法もあります」

 エドワードは、塩漬け、乾燥、燻製といった保存方法を説明した。エルフたちの中には、すでに実践している者もいたが、その原理を理解している者はいなかった。

「塩が微生物の活動を抑える。乾燥させることで、微生物が生きるために必要な水分を奪う。燻製の煙には、殺菌効果がある」

「なるほど......我らは経験的に知っていたが、理由は理解していなかった」

「それが科学です」理人が言った「『なぜそうなるのか』を理解すること。理解すれば、より効果的に応用できます」

 その時、群衆の中から一人の若いエルフの女性が前に出た。

「私の弟が、今病気で苦しんでいます。あなたの科学で、治せますか?」

 理人は慎重に答えた。

「どんな症状ですか?」

「高熱と、激しい咳です。治癒魔法を使っても、良くなりません」

「見せていただけますか?」

 女性は理人たちを自宅へと案内した。長老たちもついてきた。

 家の中、簡素なベッドに若いエルフの男性が横たわっていた。顔は紅潮し、苦しそうに呼吸している。

 理人は慎重に診察した。もちろん、彼は医者ではない。だが、基本的な医学知識は持っている。

「肺の炎症のようです。おそらく、細菌性の肺炎」

「治せるのか?」長老が尋ねた。

「私は医者ではありません。ただ、症状を和らげることはできるかもしれません」

 理人はエドワードに指示した。

「エドワードさん、温かい蒸気を作ってください。それから、解熱効果のある植物はありますか?」

「柳の樹皮があれば......」リーナが答えた。

「それを煎じてください」

 理人は患者の周りの環境を整えた。まず、部屋の換気。窓を開け、新鮮な空気を入れる。次に、清潔な水を用意し、患者に少しずつ飲ませる。

「水分補給が重要です。脱水症状を防ぎます」

 蒸気が用意された。理人は患者にそれを吸わせた。

「蒸気を吸うことで、気道の炎症が和らぎます。呼吸が楽になるはずです」

 実際に、数分後、患者の呼吸が少し楽になったように見えた。

 柳の樹皮を煎じた液体ができた。理人は慎重に患者に飲ませた。

「これには、解熱効果があります。ただし、魔法のように即効性はありません。時間をかけて、徐々に効いていきます」

 長老たちは黙って見守っていた。

「後は、安静にして、栄養のあるものを食べることです。体力が回復すれば、自然に治ります」

「自然に?治癒魔法を使わずに?」

「はい。人間の体には、自己治癒力があります。適切な環境と栄養を与えれば、体は自ら病気と戦います」

 長老の一人が尋ねた。

「では、我らの治癒魔法は無意味なのか?」

「いいえ」理人は首を振った「治癒魔法は素晴らしい力です。ただ、それだけでは不十分な場合もある。科学的な方法と組み合わせれば、より効果的になります」

「魔法と科学の組み合わせ......」

「そうです。対立するのではなく、補完し合うのです」

 理人は姉に指示を出した。

「今後、部屋は常に清潔に保ってください。手をよく洗い、水は煮沸したものを使う。そして、定期的に換気をしてください」

「分かりました」

 翌日、理人は再び患者を訪れた。驚くべきことに、熱が下がり、呼吸も楽になっていた。

「本当に......良くなっている」姉は涙を流した。

「まだ完全ではありません。引き続き、清潔と栄養に気をつけてください」

 この噂は瞬く間にエルヴンハイム中に広がった。

「ヒューマンの者が、魔法を使わずに病人を治した」 「科学とかいうもので」 「本当に効果があるのか?」

 長老たちは再び理人を呼び出した。

「理人殿、見事だった」中央の長老が認めた「あの少年は、確かに回復している」

「ありがとうございます」

「だが、一つの事例では不十分だ。もっと多くの証拠が必要だ」

「もちろんです」

 理人は提案した。

「では、エルヴンハイム全体で、衛生管理を徹底させましょう。手洗い、水の煮沸、清潔の維持。それを一か月続ければ、病気の発生率が下がることが証明できます」

「一か月......」

「はい。科学は即効性はありませんが、確実です」

 長老たちは協議した。

「分かった。試してみよう。全住民に、お前の指示に従うよう命じる」

「ありがとうございます」

 その後の一週間、理人たちは村中を回って衛生指導を行った。

 最初は抵抗もあった。

「面倒くさい」 「魔法の方が早い」 「本当に効果があるのか?」

 だが、理人は根気強く説明し、実演した。グランツは衛生器具を大量に製作し、リーナは子供たちに手洗いの歌を教えた。エドワードは各家庭を訪問し、個別指導を行った。

 そして、エルフたちも徐々に変わり始めた。

 特に、病人の家族たちは熱心だった。愛する者を失いたくない。その想いが、彼らを動かした。

 二週間後。

 明らかな変化が現れた。

 風邪の症状を訴える者が減った。胃腸の不調を訴える者も減った。そして何より、子供たちが元気になった。

「手を洗うようになってから、お腹が痛くならなくなった」 「水を煮沸するようになってから、下痢をしなくなった」 「部屋を清潔にするようになってから、咳が減った」

 エルフたちの声は、次第に肯定的になっていった。

 三週間後。

 長老たちは公式に、理人の科学的方法を認めた。

「理人殿、お前の言う通りだった。病気が確実に減っている」

「これは魔法ではない。だが、効果は確実だ」

「我らは、科学というものを認めよう。そして、お前たちをエルヴンハイムの客人として、正式に歓迎する」

 広場には多くのエルフが集まっていた。彼らは拍手をした。

 理人は深く頭を下げた。

「ありがとうございます。科学と魔法は、対立するものではありません。共に、人々を幸せにするためのものです」

 その夜、祝宴が開かれた。

 エルフたちは歌い、踊り、理人たちを歓迎した。初めて、彼らは心から受け入れられたのだ。

「理人さん、成功しましたね」エドワードが嬉しそうに言った。

「まだ始まりです。でも、大きな一歩を踏み出せました」

 グランツが豪快に笑った。

「エルフども、最初は固かったが、悪い奴らじゃないな」

 リーナは故郷の仲間たちが笑顔で過ごす姿を見て、涙を流していた。

「母さん......やっと、あなたの死が無駄じゃなかったと言えます」

 理人は夜空を見上げた。この世界の星々が、優しく輝いている。

「父さん、母さん。僕は今、この世界で科学を広めています。それが、元の世界に戻る道にもつながると信じて」

 だが、理人は知らなかった。

 遠く離れた王都で、新たな動きが起きていることを。

 聖教皇国の使節団が、エルヴンハイムの噂を耳にした。

「森で、科学を広めている者がいるらしい」 「エルフたちが、異端思想に染まりつつある」 「これは見過ごせない」

 暗雲が、再び近づこうとしていた。

 しかし、今の理人たちには、仲間がいた。エルフたちの信頼を得た。そして、科学の力を証明した。

 来るべき試練に、彼らは立ち向かえるのか。

 物語は、新たな段階へと進もうとしていた。


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