第二話:正夢
闇は深く、底知れなかった。
夢の中でソランは、どこまでも続く黒い大地に立っていた。空には星も月もなくあたりは闇に包まれていた。
「ソラン…」
名を呼ばれ、彼は振り向いた。
そこにいたのは、人の形をしていながら、人ではない存在だった。顔は霧に包まれ、声だけがはっきりと響く。
「お前は選ばれし者だ…この世界を支配する者……グランを討つべき勇者…」
突然の言葉に、ソランは思わず一歩退いた。
「……冗談だろ。俺はただの少年だ」
だが存在は否定を許さないように続ける。
「血も…魂も…運命も…すべてがそれを示している…グランは世界を支配し…いずれすべてを奪う…止められるのは…お前だけだ」
ソランの胸に、怒りとも恐怖とも言えない感情が込み上げた。
「……だったら無理だ」
強く、はっきりと彼は言った。
「俺には母さんがいる。病気なんだ。俺がいなきゃ、生きていけない。世界よりも、母さんのほうが大事だ」
沈黙が落ちた。
やがて、存在は静かに言葉を紡ぐ。
「ならば…約束しよう…」
世界が一時的に強く輝き、景色が変わる。
そこに映ったのは母の姿だった。今より少し若く、穏やかに微笑んでいる。
「グランを倒せば…世界は救われる…そして……お前の母も…救われる可能性が生まれる」
ソランは息を呑んだ。
「だが…旅の途中で戻ることはできない…諦めれば…すべてを失う…それでも行くか…?」
震える拳を、ソランは強く握りしめた。
母の泣き顔、疲れ切った背中、そして「大丈夫」と嘘をついた自分の声が脳裏をよぎる。
「……約束する」
彼は顔を上げ、光を真っ直ぐに見つめた。
「必ず生きて帰る。グランを倒して、母さんのところへ戻る」
その瞬間、光が弾け、世界が崩れ落ちた。
ソランは、はっと目を覚ました。
夜明け前の薄暗い部屋。母は隣の寝台で静かに眠っている。
――夢、だったのか?
だが胸の奥に残る確かな熱と、掌に刻まれた微かな光が、それを否定していた。
ソランは音を立てぬよう身支度を整え、古着を羽織る。
机の上には、一枚の紙をそっと置いた。
「必ず帰る」
それだけを書き残し、彼は振り返らなかった。
扉を開け、夜の冷たい空気の中へ踏み出す。
こうして、ひとりの少年の旅立ちは、誰にも知られることなく始まった。




