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1-6

 翌朝、さっそくアンナは自作のバイオリンを手に、その音学院の人間との接触を試みた。


 師匠のものではなく、自分のものを選んだのは、マスターのアドバイスだった。仮にアンドレアのもので認められても、先はない。それではきっと、ニコラは納得しない。だから、アンナのつくったものが認められなくてはならない。


 自信はないが、マスターの言うことももっともなので、夜通し悩みつづけ、一挺のバイオリンを選んできた。


 あとの問題は、どうやって接触するかだ。ニコラに頼めば確実なのかもしれないが、昨日の今日で彼に会う勇気は、アンナにはない。


 ただ、そうなると音学院の人間の動向はつかめなくなる。そこでどうするか。アンナの出した結論は、領主の屋敷付近で待ち伏せする、というものだった。


 いつ出てくるかはわからない。けれどさすがに、ずっと閉じこもってるわけでもないだろう。


 幸い、自分は存在感が薄いので、領主の屋敷の周りでウロチョロしていても、見咎められるようなことはない。


 だから、その人が出てくるまでずっと待ってやる。それが、アンナが決めてしまった覚悟だった。


 それから、時間が経過し、時刻は昼になろうとしていた。


 領主の屋敷の周りは、それほど人通りがあるわけではないが、時折通る人たちは、アンナを訝しげに見た後「なんだアンナか」と通り過ぎていく。


 どうせニコラあたりに用事があるんだろうけど、なかなか踏み込めずにいるだけだろう、というのが町の人間の認識だった。


 そうした周りの反応も知らず、アンナはひたすら待ち人を待った。


 そして、その時はやってきた。


 領主の館から、三人の人間が出てきた。


 そのうち二人には、見覚えがある。ヒゲ面でピリピリした感じの五十前後の男と、どこか気だるげな二十代後半と思しき細身の男。この町の自警団を名乗る二人だ。


 実際、パトロールしている姿はよく見かけるし、ケンカの仲裁をしたという話もたびたび聞く。


 アンナ自身はこの町の中でも活動範囲が狭いし、何か揉め事の気配がしたときは、即座に逃げてしまうことに加え、トラブルを起こすこともないため、関わる機会はほぼないが。


 ただ、あの二人が一緒にいるということは、おそらくその人が重要人物だから。


「あれが……」


 自警団の二人に守られるようにして屋敷から出てきたのは、少女だった。年齢は一五、六歳といったところ。身長はアンナと同じくらいだが、顔立ちがやや幼い。


 背中にかかる金色の髪はサラサラで、日ざしを受けて輝く様は、まるで最高級の絹のよう。透き通る青空を思わせる瞳は、宝石を埋め込んだようにさえ見える。


「きれい……」


 まるで、熟練の職人がつくり上げた至高の作品のような……そんな、人間ばなれした美しさが少女にはあった。


 容姿だけじゃない。立ち居振る舞いがすでに、人を惹きつける華がある。


 光を、喝采を浴びるために生まれてきた存在。そんな感じがした。


 自分とは、まるで違う。


 あんな輝きを放つ存在に近づいたら、自分は焼かれてしまうのではないか。そんな予感さえあった。けれどそれゆえに、吸い込まれるような魅力を感じてしまう。


 この一瞬でアンナは、たしかに少女に魅せられていた。


「さ、さすがにお一人でというのは……!」

「問題ありませんよ。少し、町を見て回るだけですから」

「しかし……御身に万が一のことがあれば……」

「いーじゃないっすか、団長。この町にゃあ、音学院に反感抱いてるようなやつもいませんし」

「お前は仕事をサボりたいだけだろう!」

「ですが、それも一理ありますよ。私が来てから、ずっと気を張り詰めているでしょう? 少しぐらいは休まないと、体に障りますよ? それとも、この町はそんなに危険なのですか?」

「いえ、決してそのようなことは。我々が常日頃から目を光らせておりますので……」


 そのとき、三人のそばに人影が現れた。フードを目深にかぶった怪しい人物。


「あ、あの……」


 不意に話しかけられて、音学院の少女は目を丸くした。


 が、それと同時に声をかけたアンナ自身が、自らの行動に驚いていた。


 少女の美しさに見惚れているうちに、まるで吸い寄せられるように近づいてしまっていたのだ。


 だが、こうなったらもう、いくしかない。


「あの、これ……ば、バイオリン、と、いいます。えと……あの……弾いてみてくれませんかっ!?」


 がばっと頭を下げながら、アンナはバイオリンを差し出した。


 その行動に、少女はますます目を見開いた。音学院の人間にこんな形で演奏を依頼するなど、衝撃だったに違いない。


 けれど少女以上に衝撃を受けたのは、自警団の二人だった。


「お、お前……アンドレアのところの!?」

「ちょいちょいちょい、面倒ごとは勘弁っすよ〜」


 危険人物はいないと言い切った直後にこの事態だ。二人が狼狽する中、少女はいち早く落ち着きを取り戻し、穏やかな声音で言った。


「バイオリン……ですか。きれいな楽器ですね」


 褒め言葉を耳にして、アンナの期待は一気に高まった。


「あ、ありがとう、ございます! あの……音も、とっても素敵なので、どうか弾いてみて――」


 言いながら顔を上げて、アンナは固まった。


 そこにあったのは、少女の笑顔だった。


 身長がほぼ同じなので、ちょうど正面にくるそれは、静かで、とても美しい。けれどそこに温かさはない。あるのはむしろ、相手を突き放す冷たさ……。


 嘲笑とも違う。あしらうために、貼りつけた笑顔。


「あ……」


 とてつもなく、嫌な予感がした。そして、それはすぐに現実となる。


「ごめんなさい。見ず知らずの楽器を演奏できるほど、音学院(わたしたち)の腕は安くないの」


 優しい声音だったのに、アンナの頭には、それが重く、いつまでも響いていた。


「あ……う……」


 衝撃にさらされて、どうしたらいいのかわからなくなる。


 逃げ出したい。いっそ消え去りたい。


 でも、だめだ。そうしたら、バイオリンは終わってしまう。師匠から受け継いだものが、途絶えてしまう。


 勇気を振り絞って、もう一度縋るように少女を見る。


 けれど、ダメだ。


 少女は相変わらず、感情の読めない笑みを浮かべたまま。気が変わる気配なんて、微塵もない。


 うっかり、涙が出そうになる。


 自分なりに、勇気を出したつもりだった。それがこんなにも優しく、簡単にあしらわれてしまうなんて。


 潤んだ瞳から、涙がこぼれ出る――その瞬間、アンナは走り出していた。


 それは、泣き顔は見せないという最後の意地か。それとも、留まる気力がなくなったのか。


 もはや本人にさえよくわからないまま、アンナはその場を走り去っていった。

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