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1-2

 石畳の道を、駆ける、駆ける、ひたすらに駆ける。


 道の両脇には、木造の家屋が立ち並んでいる。大抵が職人の工房を兼ねているため、ひとつひとつがそれなりに大きい。そしてそれぞれの家の壁や窓枠、屋根などには、見本市のように様々な装飾が施されている。華美なもの、無骨なもの、流麗なもの。それぞれに、そこに暮らす職人たちの技術が反映されている。


 職人たるもの、住まいにもこだわらねばならない。そんな誇りが、そこには垣間見える。


 ただ、今の少女の目には、そうしたものを映す余裕はない。彼女は流れる家々は漠然と見つつ、神経を耳に集中した。


 広場の声が、遠のいていくのがわかる。さらにそれは小さくなっていき――やがて聞こえなくなった。


 それを自身の中で確信して、少女はようやく足を止める。


 呼吸を整えるように、荒い呼吸を繰り返す。胸が苦しい。走ったから。それだけじゃない。


「……シルワ族……って、言われ、ちゃった……」


 そう呟かれる寸前の、人々の顔を思い出す。まるで珍しい動物に会ったような、好奇のまなざし。その動物が、自分たちに害をなす攻撃性を有すると知っていながらも、興味が勝ってしまう。そういう……見慣れた顔だった。


 そう、見慣れている。だから……気にする必要なんてない。


 自分にそうやって言い聞かせる。しだいに、呼吸も気分も落ち着いてきた。


「……帰ろう」


 改めてフードを引っ張ってから、少女はゆっくりと歩き出した。


 歩きはじめて少しして、先ほどの競りを思い返す。


「はぁ……また、何も手に入らなかったな……」


 このクレモニアのそばには広大な森が広がっており、さらに河が流れている。それを利用して木材の運搬がスムーズに行えることから、自然と木材を扱う職人たちが集まるようになり、いつしか職人の町と呼ばれるようになった。


 ただ、町が有名になって職人が集まりすぎたことで、木材の取り合いが起こるようになった。不正を働くのはもちろん、暴力沙汰も日常茶飯事になってしまい、治安の悪化を見かねた領主は、木材調達のルールを定めていった。


 そして最終的に行き着いたのが、あの競りの形だ。


 逆に言えばあの場でなければ、いい木材は入手できない。


 あの場にいた屈強な男たちも、自ら森に入っていくような愚はおかさない。


 森に入っていくのは、木こりのような命知らずたちだけだ。


 この町の人々にとって、森は畏怖の対象だった。


 そのことを強く意識させるのが、シルワ族の存在だ。


 森の民と言われる、森と共に暮らす民族。彼らは森の守護者を自称し、ときに森の知識を木こりたちに伝えるが、木こりがその忠告に従わないときや、貴族が森で狩りをするときには牙を剥く。


 そのときに彼らが響かせる威嚇の声は、まさに魔物の唸り声のようだという。


「シルワ族……か……」


 木材のことを考えていたはずなのに、少女の思考はいつしかシルワ族のことへと引っ張られてしまっていた。そのことに気づいて、首をぶんぶんと横に振る。フードを押さえるのも、忘れない。これが取れたら、自分は目立ってしまう。それは嫌だ。


 ただ、町の人間からしてみれば、そのフードこそが彼女の目印であり、それをかぶってもなおオドオドしているゆえに、余計に目立ってしまっていることを、彼女自身は知らない。


「あれ、アンナじゃん」


 と、不意に声をかけられて、少女――アンナは、ビクリ、と体をこわばらせた。


 フードの中から恐る恐るうかがうと、声をかけてきたのは、三〇代くらいの、サッパリとした雰囲気の女性。この町にある食堂兼酒場の女あるじだった。


「あ……マスター……」


 女主人であれば、「ミストレス」などと称すべきなのかもしれないが、荒っぽい性格の人間も多いこの町で見事に店を切り盛りしている彼女に敬意を表して、この町の人間は、彼女を「マスター」と呼んでいる。


「あんた、今日は競りがあるんじゃ――って、その様子じゃダメだったか」


 呆れるでもなく、怒るでもなく、アンナに寄り添うように、マスターは苦笑した。そんな彼女相手には、アンナも多少言葉を紡ぐことができる。


「あの……フード、はずれて、シルワ族だって、言われて……」

「あぁ、競りはよそからも人が来るからね。あんたのこと、知らないんだよ。だから言ったろ? そんなのいちいち気にしててもしょうがないってさ」


 実際、アンナはシルワ族の出身である。四歳までは彼女もまた、他のシルワ族同様、森で暮らしていた。けれど、四歳になってすぐの頃、アンナは病気にかかり、両親に捨てられた。


 その後、ある人物に拾われたアンナは、結果的に病から回復。以降、十八歳になる現在まで、シルワ族との関わりはない。


「でも……それは、やっぱり、無理……」


 もはや幼少期の記憶もおぼろげで、シルワ族であるという実感は希薄になってきているといっていい。けれど、彼女の見た目はたしかにその出自が森の民にあることを示しており、事情を知らない人が見れば、アンナはやはりシルワ族ということになってしまうのだ。


「ま、あたしもいきなりは難しいと思ったけど……もうアンドレアさんに頼るわけにもいかないんだよ?」


 シルワ族から捨てられたアンナの面倒を見てくれたのは、アンドレアという名の職人だった。彼はシルワ族と交流があった、変わり者だった。アンナもかすかながら、両親と会話する彼の姿を見た記憶がある。


 彼は、作っているもの自体も変わっていた。それは、彼自身が考案した楽器――名を、バイオリンという。


 これまでの弦楽器に比べて遥かに大きな音を響かせるその楽器を作るのがアンドレアの仕事であり、アンナはその弟子だった。


 つまりアンドレアはアンナにとって、親代わりであるとともに、仕事上の師でもあった。その存在は、アンナにとってとてつもなく大きなものだったといっていい。


 その彼が、亡くなった。もう、一年も前のことになる。


 他に生きる道もないアンナは、そのままアンドレアの工房に居残り、彼の仕事を引き継いだ。


 とはいえ、いまだに一件の仕事もこなしていないのが現実だ。


 いや、それどころか新しい材料の入手さえ、まともにできてはいない。


 今の工房を支えているのは、アンドレアが残した金であり、材料である。


 アンナはしょせん、それらを消費しているだけにすぎない。


「わ……わかってる……」


 もちろん、アンナ自身もこのままではいけないと思っている。だからこそ、木材の競りにも顔を出した。いい材料も、自分なりに見極めたつもりだった。


 けれど、いざ競りの場面になるとダメだった。自分から、何かを主張することができない。もしそんなことをして、目立ってしまったらと不安になる。


 あるいは客が待っているとなれば違うのかもしれないが、アンドレアのときでさえ少なかった客は、今ではすっかりゼロになってしまっていた。


「……ま、あたしがとやかく言うもんでもないんだろうけどね。でも、少しは自分で動かないとダメだよ。今、領主のところには音学院の人間が来てるっていうし、チャンスじゃん? 領主のとこなら、ニコラに頼めばなんとかなるかもしれないし」


 ニコラ、という名前を出されたとたんに、アンナはまた体をびくり、と震わせた。


「わ、わかってる……でも今は、その……こ、工房に戻るから!」


 まともな言い訳もできぬまま、それ以上マスターが何かを言う前に、アンナは駆け出した。


 あぁ、なんか逃げてばっかりだなぁ……とは思う。


 しかし、ニコラに頼むなんてことは無理だ。


 ニコラはアンドレアの息子で、領主に仕え、秘書のような仕事をしている。


 彼にはアンドレアの跡を継ぐという選択肢もあったはずだが、それは選ばなかった。


 アンドレアとニコラの親子は、ずっと不仲だったのだ。


 その原因は、おそらく自分にある。


 自分は、ニコラに嫌われている。


 だから、彼に会うことなど、できるはずがないのだ。

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