表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/43

2-3

 夏のクレモニアは、活気に満ちている。


 子供を肩車して、楽しげに歩く父親。木陰に設置されたベンチに座り、互いを労うように寄り添う老夫婦。店先に並べられた木工アクセサリを楽しげに眺める男女。そして、昼間から麦酒をあおり、大笑する屈強な男たち。


 普段は夜しかやっていないような酒場も、この時期は昼からやっている。マスターの店も客で溢れ、彼女はグラスを両手にせわしく立ち回っている。その顔には、笑顔が弾けていた。


「……最近、ずいぶん賑やかよね。今の時期なんて、小麦の収穫でバタバタしてるところが多いけど、それとは違うみたいだし」

「うん……このあたりでは、小麦の栽培は、あんまりしてないから」


 この地方では、農作物のメインである小麦は十、十一月に植え、翌年の夏に収穫する。だから、夏は働き盛りの季節なのだが、クレモニアにはむしろ解放感のようなものが溢れている。


「どういうこと?」とエルネスタが目で問うので、アンナは言葉を重ねた。


「この時期……貴族の人たちは、議会? とかいうので、大きな都市に集まるんだって。それでえっと、社交界? で人を呼ぶようになるから、家具とかを新調する人が多いんだ。だから……秋ごろから注文を受け出して、冬から春にかけて作って、納品するの。今は、それも一区切りついたから、ひと休み……ってところかな」

「なるほどね。たしかに、社交界の盛りは議会の時期だし。けど、議会の後も、今度はそれぞれが治める土地に人を呼んで、狩りとかをするはずだけど?」

「あ……うん、そう。だから……駆け込みの注文が入ることもある。でもたいていの貴族は、王都の屋敷と領地の屋敷と、両方の注文を一度にしていくよ。領地に運ぶほうが、時間がかかる場合が多いし……それに、そうしたほうが材料の確保がきちんとできるから。駆け込みだとその……材料も、余り物、というか……」

「へぇ……職人の町も、いろいろとあるのね。でもそれだと、聖奏祭のときなんて、忙しいんじゃないの?」

「う、うん……。そう言う人もいる。けどやっぱり、神様への感謝も、大切だから……」


 聖奏祭で演奏される曲は、神への感謝を捧げる曲。ただその根底には、小麦の豊作への祈りも含まれている。


 すなわち、収穫を待ちわびる春、収穫の喜びに満ちる夏、来年の豊作を祈り、タネをまく秋、そして一年の感謝をするとともに、じっとたえる冬。


 曲の構成はそのようになっている。ただ、それはクレモニアの生活とは微妙にずれており、首を傾げる人間がいるのもたしかだ。


「ふん……。押しつけられてする感謝に、どれだけの価値があるんだか……」


 その呟きにアンナが返答できずにいると、ちょうど服飾店についた。


「あ、こ、ここだよ、服屋さん……」


 この町で唯一といっていい服屋。とはいえ、それほど大きな店というわけではない。そもそも、この町はあまり服装に興味がない人間が多いのだ。だからこの店も、新しい生地を仕入れたりするよりも、町の人間から服を買い取り、それを仕立て直すことの方が多い。


 それでも、他に服を手に入れようと思ったら、気まぐれに来る行商人を待つしかないので、現状の選択肢としてはここしかないのだ。


 というかこの店でさえ、アンナは足を踏み入れたことがないのだが。


 中はそれほど広くはなく、服は店の一角に置いてあるのみだった。なぜか店員の姿はない。


「……この中から選べってこと?」


 着る本人であるアンナをよそに、エルネスタは真剣な眼差しで、ハンガーにかけられた服を吟味していく。


 アンナ自身はどうせ見てもわからないので、彼女に任せていると、店の奥から物音がした。


「あら、お客さん?」


 現れたのは、中性的な容姿の……おそらく男性だった。まとっている雰囲気は、女性的だけれど。


「あ、あ、あの、か、勝手に入って、ごめんなさい……」


 慌ててフードで顔を隠そうとするが、今日はエルネスタに禁止されたので、身につけていないのだった。彼女と話しているだけなら気にならなかったが、こうして見知らぬ人物相手となると、やはり心細い。


「お客さんが入ってきて、悪いことないでしょ。泥棒だったら容赦はしないけど、どう見てもあなたたちは違うし。それで、なにをお探し?」

「ここにある服はこれで全部?」


 相変わらず初対面の相手にも物怖じせず、エルネスタは淡々と言葉を紡ぐ。


「うちは基本的にオーダーメイドだから。出来合いのものももう少しはあるけど。それともなに? 『ここにはこんなものしかないのか』って意味?」

「そうじゃない。品はいいわ。技術がしっかりしてる。ただ、私のイメージした感じのがなかっただけ」


 そのエルネスタの発言に、店主は「あら」という表情を浮かべた。


「あなた……噂の音学院の学生さんでしょ? ずいぶん嬉しいことを言ってくれるじゃない」

「私は、自分の目を信用してる。それで見て、いいものならいいって言う。それだけ」

「偉い人ってね。それが案外できないものよ。プライドとか、そういうのが邪魔してね。とにかく、気に入ったわ。あなたに似合う品がご入用?」

「私じゃない。こっち」


 と、そこで店主の目がアンナのほうを見た。意識を向けられて、思わずひるんでしまう。


「あら、あなた。よく見たらアンドレアさんのとこの子じゃない。いつもみたいにフードしてないから、気づかなかった。うんうん、でもやっぱり、そっちのほうが断然いいわよ〜。いやね、もったいないと思ってたのよ。せっかくかわいいのに、いっつも隠してるもんだから」

「は、はぁ……」


 これは、褒められているのだろうか。なんだか気恥ずかしくなって、またフードを被ろうとする。が、それはない。


「それで、あなたの服が欲しいのね。一度、あなたの服は見繕ってあげたいと思ってたの。それで、音学院のお嬢さんのイメージは?」

「エルネスタよ。そうね……」


 少し思案した後、エルネスタは店主にいくつかの要望を伝えた。


 それを聞いた店主はニコニコ顔で一度奥に引っ込み、その顔のまま何着かを手に戻ってきた。


「このへんとかどうかしら?」


 店主に示された服とアンナをしばらく交互に見て、エルネスタは一つ頷いた。


「これね。アンナ、合わせてみて」

「え、あの、え、は、はい……」


 二人に促されるまま、アンナは服を着替える。エルネスタが選んだのは、うすい緑を基調としたワンピースだった。装飾はなく、簡素なつくりのため動きやすさはあるが、男物に慣れている身としては、どうにも落ち着かない。


「あら〜、似合うじゃな〜い。エルネスタちゃん、いい目してるわ〜」

「当然。……サイズも大丈夫そうね」

「そうね。それがあったのはたまたまだけど、だからこそ運命的じゃない?」

「ええ、じゃあこれで」


 アンナがそわそわしている間にも、話が進んでいっている。あわてて、会話に割って入る。


「あ、あの、でも、これ、高いんじゃ……?」


 服の値段の相場など見当がつかないが、職人的な感覚からすれば、この服の生地はけっこういいものに思える。つまり、それだけの価値があるのではないか。


「せっかく似合ってるんだから、気にする必要ないわ。私が買うし」

「ふぇ、で、でも、そういうのは……」

「いいから。……あなたには世話になってるから、これぐらいはさせなさい」


 後半はどんどん小声になって、よく聞こえなかった。「今、なんて?」と問いかけようとしたが、寸前のところでエルネスタににらまれ、引っ込んでしまった。


「いい友達持ったわねぇ。それに、少しだけ背筋も伸びた気がするわ。自信……というより、やりたいことが見つかった感じ? まったく……うちの弟にも見習ってほしいわ」

「弟さん?」

「服には興味ないからって、他の工房に弟子入りしたけど続かなくてね。結局、自警団の団長さんに拾われて、ちょっとは男らしくなるかと思ったけど、ダメね。あの人も、けっこう甘いところがあるから」


 自警団の団長のそばにいるというので、あのどこか情けない男の顔が思い浮かぶ。ただそれ以上に、団長が甘いという発言に、アンナは首を傾げた。


 それに気づいた店主が、察したように笑う。


「まぁ、あの人はアンドレアさんには厳しかったものねぇ。わりと歳も近いのに、タイプが違ったから。それに、ニコラのこともあったし……」

「ニコラ?」


 なぜそこで彼の名前が出てくるのか、アンナはまた首を傾げた。


「あら、知らなかったのね。じゃあ、ごめんなさい。聞かなかったことにしておいて」

「え、あ、はい……」


 それから店主はもう余計なことは語らず、エルネスタから代金を受け取り、出ていく二人を見送った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ