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夏のクレモニアは、活気に満ちている。
子供を肩車して、楽しげに歩く父親。木陰に設置されたベンチに座り、互いを労うように寄り添う老夫婦。店先に並べられた木工アクセサリを楽しげに眺める男女。そして、昼間から麦酒をあおり、大笑する屈強な男たち。
普段は夜しかやっていないような酒場も、この時期は昼からやっている。マスターの店も客で溢れ、彼女はグラスを両手にせわしく立ち回っている。その顔には、笑顔が弾けていた。
「……最近、ずいぶん賑やかよね。今の時期なんて、小麦の収穫でバタバタしてるところが多いけど、それとは違うみたいだし」
「うん……このあたりでは、小麦の栽培は、あんまりしてないから」
この地方では、農作物のメインである小麦は十、十一月に植え、翌年の夏に収穫する。だから、夏は働き盛りの季節なのだが、クレモニアにはむしろ解放感のようなものが溢れている。
「どういうこと?」とエルネスタが目で問うので、アンナは言葉を重ねた。
「この時期……貴族の人たちは、議会? とかいうので、大きな都市に集まるんだって。それでえっと、社交界? で人を呼ぶようになるから、家具とかを新調する人が多いんだ。だから……秋ごろから注文を受け出して、冬から春にかけて作って、納品するの。今は、それも一区切りついたから、ひと休み……ってところかな」
「なるほどね。たしかに、社交界の盛りは議会の時期だし。けど、議会の後も、今度はそれぞれが治める土地に人を呼んで、狩りとかをするはずだけど?」
「あ……うん、そう。だから……駆け込みの注文が入ることもある。でもたいていの貴族は、王都の屋敷と領地の屋敷と、両方の注文を一度にしていくよ。領地に運ぶほうが、時間がかかる場合が多いし……それに、そうしたほうが材料の確保がきちんとできるから。駆け込みだとその……材料も、余り物、というか……」
「へぇ……職人の町も、いろいろとあるのね。でもそれだと、聖奏祭のときなんて、忙しいんじゃないの?」
「う、うん……。そう言う人もいる。けどやっぱり、神様への感謝も、大切だから……」
聖奏祭で演奏される曲は、神への感謝を捧げる曲。ただその根底には、小麦の豊作への祈りも含まれている。
すなわち、収穫を待ちわびる春、収穫の喜びに満ちる夏、来年の豊作を祈り、タネをまく秋、そして一年の感謝をするとともに、じっとたえる冬。
曲の構成はそのようになっている。ただ、それはクレモニアの生活とは微妙にずれており、首を傾げる人間がいるのもたしかだ。
「ふん……。押しつけられてする感謝に、どれだけの価値があるんだか……」
その呟きにアンナが返答できずにいると、ちょうど服飾店についた。
「あ、こ、ここだよ、服屋さん……」
この町で唯一といっていい服屋。とはいえ、それほど大きな店というわけではない。そもそも、この町はあまり服装に興味がない人間が多いのだ。だからこの店も、新しい生地を仕入れたりするよりも、町の人間から服を買い取り、それを仕立て直すことの方が多い。
それでも、他に服を手に入れようと思ったら、気まぐれに来る行商人を待つしかないので、現状の選択肢としてはここしかないのだ。
というかこの店でさえ、アンナは足を踏み入れたことがないのだが。
中はそれほど広くはなく、服は店の一角に置いてあるのみだった。なぜか店員の姿はない。
「……この中から選べってこと?」
着る本人であるアンナをよそに、エルネスタは真剣な眼差しで、ハンガーにかけられた服を吟味していく。
アンナ自身はどうせ見てもわからないので、彼女に任せていると、店の奥から物音がした。
「あら、お客さん?」
現れたのは、中性的な容姿の……おそらく男性だった。まとっている雰囲気は、女性的だけれど。
「あ、あ、あの、か、勝手に入って、ごめんなさい……」
慌ててフードで顔を隠そうとするが、今日はエルネスタに禁止されたので、身につけていないのだった。彼女と話しているだけなら気にならなかったが、こうして見知らぬ人物相手となると、やはり心細い。
「お客さんが入ってきて、悪いことないでしょ。泥棒だったら容赦はしないけど、どう見てもあなたたちは違うし。それで、なにをお探し?」
「ここにある服はこれで全部?」
相変わらず初対面の相手にも物怖じせず、エルネスタは淡々と言葉を紡ぐ。
「うちは基本的にオーダーメイドだから。出来合いのものももう少しはあるけど。それともなに? 『ここにはこんなものしかないのか』って意味?」
「そうじゃない。品はいいわ。技術がしっかりしてる。ただ、私のイメージした感じのがなかっただけ」
そのエルネスタの発言に、店主は「あら」という表情を浮かべた。
「あなた……噂の音学院の学生さんでしょ? ずいぶん嬉しいことを言ってくれるじゃない」
「私は、自分の目を信用してる。それで見て、いいものならいいって言う。それだけ」
「偉い人ってね。それが案外できないものよ。プライドとか、そういうのが邪魔してね。とにかく、気に入ったわ。あなたに似合う品がご入用?」
「私じゃない。こっち」
と、そこで店主の目がアンナのほうを見た。意識を向けられて、思わずひるんでしまう。
「あら、あなた。よく見たらアンドレアさんのとこの子じゃない。いつもみたいにフードしてないから、気づかなかった。うんうん、でもやっぱり、そっちのほうが断然いいわよ〜。いやね、もったいないと思ってたのよ。せっかくかわいいのに、いっつも隠してるもんだから」
「は、はぁ……」
これは、褒められているのだろうか。なんだか気恥ずかしくなって、またフードを被ろうとする。が、それはない。
「それで、あなたの服が欲しいのね。一度、あなたの服は見繕ってあげたいと思ってたの。それで、音学院のお嬢さんのイメージは?」
「エルネスタよ。そうね……」
少し思案した後、エルネスタは店主にいくつかの要望を伝えた。
それを聞いた店主はニコニコ顔で一度奥に引っ込み、その顔のまま何着かを手に戻ってきた。
「このへんとかどうかしら?」
店主に示された服とアンナをしばらく交互に見て、エルネスタは一つ頷いた。
「これね。アンナ、合わせてみて」
「え、あの、え、は、はい……」
二人に促されるまま、アンナは服を着替える。エルネスタが選んだのは、うすい緑を基調としたワンピースだった。装飾はなく、簡素なつくりのため動きやすさはあるが、男物に慣れている身としては、どうにも落ち着かない。
「あら〜、似合うじゃな〜い。エルネスタちゃん、いい目してるわ〜」
「当然。……サイズも大丈夫そうね」
「そうね。それがあったのはたまたまだけど、だからこそ運命的じゃない?」
「ええ、じゃあこれで」
アンナがそわそわしている間にも、話が進んでいっている。あわてて、会話に割って入る。
「あ、あの、でも、これ、高いんじゃ……?」
服の値段の相場など見当がつかないが、職人的な感覚からすれば、この服の生地はけっこういいものに思える。つまり、それだけの価値があるのではないか。
「せっかく似合ってるんだから、気にする必要ないわ。私が買うし」
「ふぇ、で、でも、そういうのは……」
「いいから。……あなたには世話になってるから、これぐらいはさせなさい」
後半はどんどん小声になって、よく聞こえなかった。「今、なんて?」と問いかけようとしたが、寸前のところでエルネスタににらまれ、引っ込んでしまった。
「いい友達持ったわねぇ。それに、少しだけ背筋も伸びた気がするわ。自信……というより、やりたいことが見つかった感じ? まったく……うちの弟にも見習ってほしいわ」
「弟さん?」
「服には興味ないからって、他の工房に弟子入りしたけど続かなくてね。結局、自警団の団長さんに拾われて、ちょっとは男らしくなるかと思ったけど、ダメね。あの人も、けっこう甘いところがあるから」
自警団の団長のそばにいるというので、あのどこか情けない男の顔が思い浮かぶ。ただそれ以上に、団長が甘いという発言に、アンナは首を傾げた。
それに気づいた店主が、察したように笑う。
「まぁ、あの人はアンドレアさんには厳しかったものねぇ。わりと歳も近いのに、タイプが違ったから。それに、ニコラのこともあったし……」
「ニコラ?」
なぜそこで彼の名前が出てくるのか、アンナはまた首を傾げた。
「あら、知らなかったのね。じゃあ、ごめんなさい。聞かなかったことにしておいて」
「え、あ、はい……」
それから店主はもう余計なことは語らず、エルネスタから代金を受け取り、出ていく二人を見送った。