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1-10

 工房からマスターの店に着くころには、日が落ちて夜になっていた。


 店の中は、相変わらず騒がしい。皆もそれは心得ていて、よそのやりとりに意識を逸らすようなことはなく、それぞれがそれぞれの会話に集中している。


 が、一人の人物が入ってきた瞬間、そんな客たちの注目が一斉に集まった。


 入ってきたのは、全身黒ずくめの男。作業に邪魔な余計な装飾を嫌う職人たちの中で、仮面にマントまで身につけた男の姿は、あまりに異様だった。


 しかも、その後にはフードを目深にかぶった人物まで続いている。とはいえ、町の人間からすれば、こちらは見覚えがあるのだが。


「おい、ありゃなんだ?」

「知るかよ。アンナのやつと一緒ってことは、まさかシルワ族?」

「まさか。あいつらはよそに移ったんだろ? そりゃ戻ってくることもあるようだが……」

「にしたって、わざわざ町の、しかもこんなところにゃ来ないだろ」

「待て待て、あの手に持ってんのは、アンドレアのとこの楽器だろ。ってことは……どういうことだ?」


 周りの声から、関心が集まっていることが嫌でも感じられて、アンナは寒気を覚えた。万が一これで自警団の二人でも来ようものなら、とんでもなく面倒くさいことになる。


「ちょ、ちょっとあんた! いったいなんの用だい?」


 店の騒ぎに気づいたのか、マスターがエルの前に立ちはだかった。店で何か問題を起こした客は、どんな相手でもあっという間に退場させてしまうマスターだ。屈強な男でさえ恐れる剣幕を前にしても、エルに臆した様子はない。


「あなたがこの店の主か? 急で悪いが、こいつを弾きたいんだ。場所はあるかな?」

「はぁ? あんたそりゃ……」


 彼の手にしているバイオリン、さらには背後で縮こまっているアンナを見て、マスターは事情を察したらしい。


 客たちにも声をかけて、瞬く間に店内に開けた一角をつくりだしてしまった。


「んで、何がはじまるんだ?」

「さぁ、楽器の演奏らしいが……」

「ならあれが、例の音学院のやつか?」

「いや違うだろ。俺は実際見たけど、音学院の客ってのは、こう、金色の髪の女の子だったしな」

「なら、()()()か」

「だろうよ。今年の聖奏祭は盛大にやりたいとかって領主さんも言ってたしな。おおかた、そんな噂でも聞きつけたんだろ」

「マスターもよくやるぜ。わざわざ面倒を抱えるようなもんじゃねぇか」

「そこがマスターのいいとこだろうがよ。それに、俺たちからすりゃ、ちょうどいい余興だよ」

「だな。面白けりゃ、なんでもいいや」


 珍しい見せ物をできるだけ近くで見てやろうと、スペースをつくりながらも男たちは、できるだけエルから近い場所を陣取っていく。


 またたく間に屈強な男たちに囲まれる状況になってなお、エルは落ち着き払って、ときおり「お前、もう少し離れろ」などと指示まで飛ばしている。


 その様子を見ながらアンナは、申し訳なさそうにマスターのそばに駆け寄った。


「あの……マスター。ごめんなさい、まきこんで……」


 さっきの男たちの会話で今さらながらに思い至ったが、もしエルが取り締まられるようなことになったら、演奏を許した店側も責任を問われかねない。


 アンナは知り合いであることに甘えて、マスターにいらぬリスクを背負わせてしまった。


「あん? 別に気にしちゃいないよ。それより、あんなのどこで見つけてきたんだい?」

「えと……見つけてきたというか……あっちから来た」

「ふぅん。あの仮面のせいで、ちゃんとは見えなかったけどね。いい目をしてたよ。あれは、なんかやってくれるね」


 マスターにも太鼓判を押された気がして、アンナは嬉しくなった。


 こうしてエルの周りに集まっている人たちだってそうだ。


 この場の誰もが、エルに期待している。


 職人の町であるクレモニアは、先代の仕事を継ぎ、それを守っていくことが多い。ゆえにいつもどこか、新しさに飢えている面がある。


 だからこそ、皆が期待するのだ。この男は、新しい何かを自分たちに見せてくれるのではないか、と。


(がんばって、エル……)


 アンナ自身、バイオリンの演奏を聞くのは、実ははじめてになる。アンドレアが弾いているのは当然聞いたことがあるが、彼はあくまで職人で、弾くことを目的にしている人間ではない。


 自称とはいえ、「音楽家」がバイオリンを奏でたらどうなるのか。自分の作品は、どんな風に応えてやれるのか。


 我が子の旅立ちを見送るかのごとく、アンナは懸命に祈っていた。


 エルは椅子をひとつ持ってきて、それに腰かける。それから、バイオリンを膝の上に構えた。そして今、弓がバイオリンの弦に触れる。


 ――キィィギィィィ。


 次の瞬間、なんとも言えない不快な音が、店中に響き渡った。


 多少の喧騒などものともしない、しっかりした音だ。


 しかし、それが逆効果だった。


 とたんに、周りで聞こうとしていた者たちはズッコケそうになる。


「ははは、失敗失敗」


 動揺を隠すように、エルは一人、高らかに笑った。再び、弓を弦へと当てる。


 ――キィィギィィィキィィ。


 だめだ。なんなら、さっきよりひどい。金属の板を引っ掻いたような音が、また響き渡る。


 今度は、聞かされた側も我慢できなかった。


「おいおい、ふざけんじゃねぇよ。全然下手くそじゃねぇか」


 その一言を皮切りに、いくつもの声が飛びはじめる。中には、耳を塞ぎたくなるようなものもあった。いや、実際にアンナは耳を塞いでしまった。


 けれど、エルはあきらめることなく、バイオリンを弾こうと試みていた。それでも、まともな音が出ていないのは、雰囲気でわかる。


(ああ……もうだめだ)


 このままでは、暴動になりかねない。そう思った矢先、エルが腰を上げた。


「くそっ!」


 彼は悔しさを噛み殺すことなく叫び、そのまま店から出て行ってしまった。


 慌てて、アンナは彼の後を追いかける。その背後では、客たちが彼を嘲笑する声が聞こえていた。

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