旅立ち(1)
「こちらにお入りください」
その人はそう言って、古びた建物を手で差し示した。
建物は洋風の屋敷のようで、れんが造りだった。洒落た丸窓が付いて、屋根は鋭く尖っている。外壁の至る所にツタが張り付いていて、レンガもところどころ日焼けしたり、崩れたりしている。
その人に手を引かれ、1分も歩いてなかっただろう。
「こんな所に屋敷なんてあったっけ」
自宅の近辺でよく散歩をしていたから、知らない建物はほとんどないはずだったが、この洋館は初めて見た。こんなに目立つ外観なら気づかないはずはないのだが。
腕時計を見ると、もうすぐ午前2時になるところだった。さっきまで午前0時だったはずなのに、いつの間にこんなに時間が経ったのか不思議だった。やっぱり、僕は酔っているのだろうか。
辺りを見渡すと、今ここがどこで、自宅の方向がどっちなのか、全く分からなくなっていた。
「さあ、どうぞこちらへ」
その人がもう一度、僕を促した。
その人は扉を片手で開けている。屋敷の中は暗くてよく見えない。
僕はゆっくりと中に入った。僕は暗闇をじっと見つめたが、やはり何も見えない。
突然、後ろでドアが閉まる音がして驚いた。
「どうぞ靴のまま、お進みください」
暗闇の中でその人の声が響いた。入り口から差していた月明かりもなくなり、足元の微かな光さえ失ってしまった。
「無茶なことを言わないでくれよ」
僕は少し震えた声で言った。
しかし、何も反応はなく、静寂が流れた。
僕は急に怖くなって、
「おい!君!ふざけないでくれ」と叫んだ。
やっぱり何も返事がない。
僕は入り口に向かって手探りで戻ったが、いくら歩いてもそこにあったはずのドアにたどりつかない。
「おい!どこへ行ったんだ!」
僕はさっきより大きな声で叫んだ。身体中から汗が吹き出していた。
「うるさい!!黙らんか!!!」
屋敷の奥の方から、地響きのように低く大きな声が発せられた。さっきの女性の声とは全く別の、大柄な男のような太い声だった。




