第四十四話 圧倒的な差
わかったわ、と優人は言って右足の下にあったボールにバックスピンをかけて跳ね上げた。右爪先で蹴り上げて、左太股で受ける。
左太股からまた上げられたボールは、今度は右太股に移された。
右、左、左、右。器用にボールはリフティングされる。
「右足のリハビリん時な、っと、左足に結構な負担かけとったんや。左足が軸になってオレの身体を支えてたからな、っと、右足のリハビリのつもりが左足のトレーニングにもなっててな。オレが左足使ったら、お前勝てる可能性無くなってまうで」
足から足へと飛び跳ねたボールは、優人の頭、額の部分に乗っかっている。大道芸人の様に両手を水平に伸ばしバランスを取る優人。
そのパフォーマンスは別に左足の成長度に関係の無いパフォーマンスだったので止めようかと思ったが、あまりに見事だったのでボクは止めるのを止めた。
「それでも、ボクは勝つよ。その為にここに来たんだから」
器用に額に乗せていたボールを落とし、優人は右足の下にボールを置いた。
「そうか、ほな、本気でやるわ」
優人は右足でボールを触れる程度に蹴った。
それが始まりの合図だった。
右足で蹴られたボールは直ぐ様左足で蹴り返される。ボクがほんの少し反応して動いたからだ。
ボクの反応に合わせて、ボールは左足から右足、右足から左足へと目まぐるしく動いてみせる。反応したと見せかけて逆をついたつもりでも、しっかりとそこまでの動きに合わせられていた。
次第に、左右の動きに前後の動きが足されていく。一歩分、ボクの前一歩分の位置にボールを持ってきたかと思ったらあっという間にボールは三歩先へと後ろに転がる。
それがフェイントなのであることはわかっていても、取りにいかざるを得ないボクは必死に足を伸ばす。
両足による前後左右のボールの軌道は素早く流麗で、ボクの足はボールに触れる事すら許されなかった。
圧倒的な差がボクと優人にはあるのだと、ボクは以前よりハッキリと理解した。
それは、一週間の差でも一年間の差でも無い。積み重ねてきたボールコントロールの差。
ボールを追いかけて動き回るボクと、足を動かすがその実その場から動いてはいない優人。
それが圧倒的である事なんて、理解しようとしなくても理解できる。
一歩分先にあるだけのボールが、果てしなく遠いモノに見えた。
まだ十分足らず、といったところか。それでもボクの息は既に上がり気味で、何とも情けない状態だ。
もちろん優人は呼吸を乱す事もない。
「どうした、もう疲れたんか?」
足を止める事なく優人は言う。
「いや、全然」
苦し紛れがあまりに苦し紛れ過ぎるので、ボクは自分自身を笑いそうになった。強がりをハッキリ言ってやる為に、呼吸を無理矢理整えたのがすぐにダメージとなった。
呼吸のリズムが崩れる。単純なそれがかなりのダメージになる事はよく知っている。
「ほな、ペース上げよか」
軽く言い放って、優人は足の動きを早めた。ボールが左右前後止まる事なく動き回る。
みるみるとつけ入る隙が無くなっていく。集中してボールの動きを追うので精一杯だ。
右足を、左足をボールの行く先の先へ。必死に伸ばして食らいつく。食らいつけなくても、諦めない。
諦めない。
負けたくない。
ボクはもう負けたくない。
ボクはもう諦めない。
「ボクも、ハァハァ、本気を出す、ハァハァ、よ……」
「よぉ言うわ。ちゃんとついて来いよ、手加減せぇへんからな」
ボールの捌きのスピードが上がって難度が高くなるのは、追いかけているボクだけではない。
スピードを上げれば上げるほど、優人自身のボールコントロールやタッチがより難しくより繊細なものを要求される。
少しでも雑に、少しでも丁寧に、少しでも強く、少しでも弱く、ボールを扱えば僅かでも隙が生まれボクがすかさず取りにいくからだ。
その嗅覚、チャンスボールを取りにいく嗅覚はFWとして長年やってきただけに自信がある。
ストライカーと呼ばれ、ゴールへの期待を背負わされたボジションとしての必須能力。
一年間のブランクにどれだけ衰えているかわからないが、まだほんの少しでもその嗅覚は残っているはずだ。
だから、必死に食らいついてそのチャンスをひたすら待つ。
優人だって、スピードを上げたなら疲れてくるだろう。
「一年間のブランク。根気勝負するにはなかなかでかい問題ちゃうか?」
ボクの心でも読み取ったのか、優人は笑みを浮かべそう言う。
いや、“深見”優人だ。ボクの事を深く見てこその判断か。
「呼吸が乱れて、身体は動かんなる。頭にも酸素がうまく回らんと、クラクラと目眩がし始める。一週間前、いや、サッカーをやってきた中で何回もそんな経験あるやろ?」
優人の言うことはもっともだ。
サッカーはハーフタイムを挟んだとしても九十分の競技だ。延長戦を含めるとさらに長い。
高校サッカーなんかはルールが変わってくるので厳密には違うけれど、ボクらは幼少時からフルタイムで動ける様に練習してきた。
フルタイムで動く、フィールドを走り回るのは並大抵の事じゃない。時には無理なオーバーワークで、身体が疲弊し気を失いそうになった事もある。そうならない為にも持久力をつけようと、陸上部と合同練習した事もあった。
だから、本来ならこのぐらいのボールの取り合いぐらいでそれほど疲れたりはしない。現に優人はまだ疲れた素振りすら見せない。
だけど、ボクは違う。既に息は上がっている。
一年間のブランクの恐ろしさは、既に一週間前に経験していた。
身体が動かない事を、気持ちが動かない事を。
根気勝負を持ち込むには圧倒的に不利だろう。
だから、優人の言うことはもっともで、そんな事はわかっている。
だけど、根気勝負なのだ。ボク自身の根っこにある気持ちとの勝負。
勝ち負けが決まるとするなら、ボクはボク自身に勝たなければならないからだ。




