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第四十二話 取り戻す準備

「大体、先生が卑怯なんですよ。今日の先生、ボケ過ぎでふんぬぅー」


「君だって、ボケているじゃないふぬらぁぁ」


 段々と気合いが語尾になってきて、お互い何者なのかわからなくなってきた。


「足りませんよ。まったく、足りません。まだまだ一週間分、ボケ足りてません」


「一週間分?」


 樹下がやっと力を弛めたので、ボクも力を抜いて手を離した。一応、警戒しておく事は忘れない。


「そうですよ。先生が来なかった一週間。その分、ボケてません。一週間分、しっかりボケて取り返します!」


 樹下は右手を腰に、左手を上へと伸ばし人差し指を立てた。


「一週間のボケを取り返してから、私はやっと、私が台無しにした二ヶ月間を取り返しに行くんです」


 ボクを見て、微笑む樹下。樹下の気持ちに整理がつくまで付き合ってやろうと思っていたが、これはなかなか大変な様だ。


 乗りかかった船、いや、乗り込んだ船だ。付き合わないわけにはいかない。


 家庭教師として、話し相手として、樹下の気持ちに応える者として。


「それじゃあボクは、その一週間を取り返した後に不意にし続けた一年間を取り返しに行くよ」


 付き合わないわけにはいかないと思ってみたものの、一つ気になる事がある。とても重要な事で、樹下の答えによっては考え方を改めないといけなくなる。ボクは少し不安になりながら、その事について聞いてみる事にした。


「一週間分ボケるとなると、やっぱり一週間ボケるのかな?」


 出来るだけやんわりと、一週間ボケるのには付き合う気は無いんだぞ、という気持ちを口調に表す。一週間ボケさせなかったボクが悪かったのかもしれないが、ボクとしては一週間もボケ続けられるのには付き合ってられない。


 早く、早恵と優人に謝りに行かなければ。


「大丈夫ですよ、先生」


 ボクの不安を払拭する様に、樹下は微笑んだ。


「今からハイペースでボケ倒します。そうですね、いつも授業は五時ぐらいに終わりますからそれに合わせましょう。後二時間、ボケ倒しますからしっかりツッコんでください。私、こう見えてボケが百八個ありますから」


 言い切るやいなや、樹下は何故か卓球でもしそうなポーズで構える。ボクシングの次は卓球かよ、何だよその臨戦態勢。


 ……って、もしかしてもうボケ始めてるのかもしれない。


 では、早速。


「ボケが百八個のくだりは以前にも聞いたし、だからこそ余計に不安なんだけど!」


 ツッコミというより、本心が口から出てしまった。ボクの本心は、大変目立ちたがりだ。


 時計の時針は5を回り、窓から外を見てみると夕陽が少し出ていた。


 街の風景にはオレンジがかかっている。八月も下旬になったので、夕方になるのも早くなった。


 額の汗を拭きボクは立ち上がる。目の前には呼吸を荒くして机に伏している樹下がいる。


 ボケとツッコミ、二時間における壮大な闘いは幕を閉じた。


 初めこそ不安な見切り発車だと思っていたが、途中には呼吸を忘れるほどヒートアップした場面もあり、神憑りな会心のギャグとドラマチックな渾身のツッコミが攻めぎあう様に連発され白熱した掛け合いになった。


 ということはもちろん無くて、開始一時間で見切り発車がちな樹下のギャグは尽きて残り一時間はグダグダだった。


 百八個あるはずのギャグもその十分の九が使われる事もなく、禁じ手かと思われていたスコットランドヤードの物真似が後半一時間で六回も出る始末。


 十分置きのスコットランドヤードにボクは同情すら芽生えたが、あとでウダウダ言われても嫌なので非情に徹してツッコミを入れてあげた。


 今、樹下が机に伏しているのは最早ギャグとも言えない奇声めいた言葉の数々を連発した挙げ句の息切れ。


 見るも無惨な負け姿だ。


 この後、彼女は彼女の二ヶ月を取り返しに行けるのだろうか?


 樹下の心配ばかりしていてもいけない。


 彼女は彼女なりに上手いことやるのだろうし、もし駄目だったならその時にはボクが彼女の手助けになってやろう。


 だから、そうなる前にボク自身の事にけじめをつけなければいけない。


「それじゃあ、そろそろ行くよ」


「え、ああ、行ってらっさぁい」


 机に伏したまま樹下は右手を上げてヒラヒラと横に振る。


 いくらなんでもそれはないだろう。今までの会話が何だか台無しじゃないか。


「何かさ、絞まりが悪いよねそういうの。しっかり見送ってくれないか?」


 ボクの抗議に樹下は面倒そうに身体を起こした。


「自分が忘れてきた物を取り返しに行くだけなんですから、逆にかしこまる方が変じゃないですか?」


 顔がすっかり疲れ果てていた。目が眠たそうで、一つ一つ挙動が鈍い。


 二時間ボケ倒すと、人はこうも疲労感に包まれるものか。


「そういうわけにもいかないよ。ボクのせいで、優人と早恵には迷惑をかけてるわけだし」


 気の抜けた顔で会うわけにいかない。二人には誠心誠意謝らなければいけない。


「そういうの、良くないですよ。あれはいけないとか、これはいけないとか。義務とか権利とかシンちゃんにダメ出しされたんでしょ?」


 眠たそうな樹下は、しかしハッキリした口調でそう言った。


「そうやって、何でもかんでも背負う感じ、先生の場合は持とうとする感じって言った方がらしいかな。そういうの、良くないと思いますよ。シンちゃんもさっちんも、別に先生に持たせたいわけじゃないんでしょうし。手を差しのべてくれてるんですよ、二人は。だから、もっと自然体で良いんじゃないですかね?」


 今までの会話を台無しにしようとしてるのは、どうやらボクだったようだ。


 また改まって、誤まってしまうところだった。取り返しに行くつもりが、馬鹿みたいな繰り返しをするところだった。


「大体ね、先生気づいてないんでしょうが、二人共すごぉく甘いんですよ。例えばね――」


 続く樹下の言葉にボクは改めて、優人と早恵に感謝したくなった。


 二人は、確かに甘い。ボクなんて馬鹿みたいな奴を、二人はずっと待っていてくれている。


 一呼吸、置く。


 何をすべきか、どうすべきかを考える。しっかりと頭と気持ちの整理をつける。


「……じゃあ、今度こそ。行ってきます」


「じゃあ、私も。行ってきます」


 お互いに軽く敬礼をして、ボクは樹下の部屋を出ていった。


 背中を押してくれた樹下に感謝しながら。

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