第四十話 闘魂注入
「ビンタの方が闘魂が入る気がしませんか?」
「闘魂が入れれるかどうか、わからないけど。じゃあ、ビンタしとくかい?」
樹下の前でビンタの素振りをする。ビンタなんてろくにした事がないので、闘魂注入というわけにいきそうもないが、リクエストされたならば応えてやるのが歳上の務めだ。
別に、叩いてみたい、とかそういう趣向でウキウキしてるわけではない。
「今さっき、女の子を叩くのは気が引ける、って言ってませんでした?」
「つべこべ言うな。行くぞ、このヤロー」
気持ちしゃくれ気味に喋ってみる。そうする事で何か意味があるかはわからないが、こういうのは気持ちの問題だ。闘魂云々言うならば尚更気持ちは大事だろう。
「タンマタンマタンマ。先生があべこべだからこっちもつべこべ言うんです。闘魂反対、暴力変態」
タンマ、って実際よく考えると意味のわからない単語だがそれが制止の意味だとボクはこれまでの人生観で瞬時に理解する。いや、それほど大それた事では無いが。
「君もあべこべじゃないか。あと、ボクは変態じゃないからな」
しっかりとツッコミを入れるのを忘れない。この夏、学んだ習慣。
気がつけば、ボクも樹下もお互いに笑っていた。ボクたちは、相も変わらずいつもの調子で馬鹿みたいな掛け合いをしている。それが心地の良い事だと知っている、理解している。
だからこんな風にボクは何もかもを、いつもの調子に、取り返さなければならない。
親友の優人の事も。
恋人の早恵の事も。
ボク自身の事も。
「“立って、闘いなさい”か。そうだな、ボクたちは立ち向かわなければならない」
「ボク、たち?」
今さらな疑問文を言う樹下。ボクをビンタまでしておいて、涙まで流しておいて、自分は棚に上げたままなんて許すわけがない。
「ボクは反面教師なんだろうけど、家庭教師でもあるからね。ボクに倣って君にも立ち向かってもらうよ」
「やっぱ、そうなっちゃいますか?」
「そうなっちゃうね」
一歩も引かずに。それが、樹下桜音己の思いへのボクなりの答えだ。
立って闘う事を、共に。
「仕方ないですね。私が言った事ですし、付き合いますよ。やれやれ、本当に先生ときたら仕方がない」
「何か物凄く上から目線っていうか、態度が上階級なんだけど」
「そりゃそうですよ。引きこもり歴一週間の先生の為に付き合ってあげるわけですよ、この引きこもり歴二ヶ月の私が」
物凄く胸を張って言う樹下に、ボクはもう一度脳天チョップをお見舞いした。
「痛いっ。先生、ツッコミが下手すぎですってば。超、痛いっ。ギザ、イタス。ピタ、ゴラス」
頭を押さえながらよくわからない痛さの表現に挑戦する樹下。新しいキャラ付けは何処かのアイドルそのままの仕様で、最後には大方語呂だけ合わせて口走ってしまった感がある。
とにかく、ツッコむ事が多すぎて何からツッコめばいいのかわからない。
「ツッコミ? 違うよ、これは穏やかなる心に目覚めた純粋なる暴力だ」
「超一般人な先生、それって単なる暴力じゃないですか!」
ツッコミが面倒だったのでボクもボケてみたら樹下がツッコんできた。自分の胸の高さからボクの胸の当たるか当たらないかぐらいのところに、スッと手を動かす。教科書でも見るかの様な典型的なツッコミ動作。
「暴力変態っ」
「あぁ、この流れ飽きてきたなぁ」
樹下のスムーズ過ぎる次の流れに、ボクの心の声が思わず溢れ出してしまった。いや、もちろん全面的に故意なんだけど。
「な……なんですって……!?」
樹下桜音己は目と口を大きく開き、“驚愕”っといった表情を作る。
まるで劇画タッチの様な濃い表情は、効果音をつけるなら、クワッッ、か、ガガーンッ、が妥当だろう。
二度ある事は三度ある。
一週間の間を置いたとしても顔芸三度目という事でいい加減ツッコミをいれてやるのもいいかと思ったが、仏の顔も三度まで、という言葉を思い出した。
仏の頂きに達した面、と書いて仏頂面でボクは顔芸を華麗にスルーしてあげる事にした。
「まさかスルーされるだけならまだしも、そんなブッチャー面で返されるとはっ!」
顔芸が再三スルーされた事がよほどショックだったのか、樹下にはボクの仏の頂きに達した面が悪役プロレスラーの顔に見えてしまったらしい。
しかし、今時の女子高生がまさかブッチャーを知っているなんて驚きだ。流石は、樹下桜音己。
いや、単純に言い間違えただけなんだろうけど。