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第二十九話 引きこもる理由

「な……なんですって……!?」


 樹下桜音己は目と口を大きく開き、“驚愕”っといった表情を作る。


 まるで劇画タッチの様な濃い表情は、効果音をつけるなら、クワッッ、か、ガガーンッ、が妥当だろう。


 顔芸、二度目。


 つい先程スルーされたのに、再度挑戦してくるあたりなかなか勇気ある行動と言える。その勇気を高く評価して、ボクは再度顔芸をスルーする事に決めた。


 ほんの少し妙な間があいて、樹下桜音己はスルーされた事に気づき小さく咳払いした。


「先生が自分で、CIAだ、って言ったんじゃないですか!?……もしかして違う組織との二重スパイとか?」


 再び頬をほんのりと紅潮させながら、樹下桜音己は真っ当な抗議とまたおかしな質問をしてきた。しがない家庭教師に、一体どれ程のバックストーリーを望んでいるんだろうか。


 ややこしくなる前に、ちゃんと話を進めよう。


「雇い主は猿渡美里さんだよ。任務内容は、君の引きこもった理由、っていうのかな、ほら、あの……」


 他人の恋愛話への切り出し方としては、とにかく最悪な切り出し方だったなと今さらながらに思えてきた。ボクがしどろもどろになっている中、ボクの言葉に内容を察したのか樹下桜音己はいつになく真面目な顔になっていった。


 樹下桜音己はそっぽを向くように、椅子を座り直し机に向かった。


 机の上には、水滴が汗の様に流れるコップが二つだけ。いつも通りに樹下母に渡されたアイスコーヒーに、ボクはまだ手をつけていない。


 まるで、理科の授業を始め出したかの様に樹下桜音己は唸りだした。


 腕を胸の高さで組んで、アイスコーヒーを睨みつけている。眼力で氷を溶かそうとしてるわけではない。


「ミリーが先生にスパイを頼んだんですか?」


 ボクの言葉への確認。ボクは素直に、ああ、と返事だけしておく。


「何でスパイなんて名乗っちゃうんですか? さりげなく、聞き出してくれればいいものを」


「ボクはそういうの苦手なんだよ」


「だったら、何で受けちゃうんですか?」


 押しに弱いから、と言えばその通りだが、なんだか情けない気がしたので黙る事にした。それはそれで、情けないのだけど。


「ミリーは、イヌっちの気持ちを知ってるんですね?」


 きっと、その質問が一番聞きたかった質問なのだろう。言葉の重さが、他とは違う。


 ボクはもう一度、ああ、とだけ返事をした。樹下桜音己には、つらい返答な気がした。


 ほんの少しの間を開けて、ふー、とため息をつき樹下桜音己はボクの方へと向き直した。


「私が何も話さないというのは、もう無理なんですね」


 猿渡美里がボクをスパイとして雇ったのには、大きな意味があったのだろう。


 猿渡美里に気を使っていたはずの樹下桜音己の気持ちは、余計なお節介だと言われたようなものだ。


「先生ももう察しがついてるんじゃないですか? 私が引きこもった理由。ミリーにも見当されてそうだし」


 先程の猿渡美里との会話と、今の樹下桜音己の反応で大体の推測はできる。


 つまり、猿渡美里は犬飼英雄が好きで、でも犬飼英雄は樹下桜音己が好きみたいで、樹下桜音己は猿渡美里に気を使って引きこもり、猿渡美里と犬飼英雄が付き合うのを待っている。


 幼なじみの三角関係。


 それは確かに安易な推測で、猿渡美里も示唆していた事で、だけど彼女がボクをスパイとして雇ったのは……。


「君自身の言葉で、猿渡さんは聞きたいんじゃないかな?」


 推測だけじゃなくて、ちゃんと言葉にして欲しかったのだ。樹下桜音己の気持ちを明確にすれば、樹下桜音己が引きこもる理由なんてないだろうに。


「ミリーに気を使っただけなら、私は別に引きこもらないですよ」


 樹下桜音己は、ボクの推測を読んだかの様に語りだした。そうやって言い出し、見た事が無いほどの険悪の表情を浮かべている。


 家庭教師を初めてこの短い間に、彼女の多彩な表情を見てきたけど今日の数分の会話の中での彼女の表情は、実に生々しい。彼女の素とも言える表情が次々に表れる。


「私、わかんないんです。私を慕ってくれているイヌっちへの気持ちが」


 樹下桜音己が今、険悪な表情を向けているのはボクにではない。


 きっと、彼女自身にだ。


「ミリーの様にしっかりした好意があるわけじゃないんです。幼なじみでずっと、一緒でしたから。友達とか親友とか、そういうのを越えた関係っていうか。これからもずっと、一緒なんだって。そうやって思ってて。だから、好きとか嫌いとかじゃなくて、そういう関係が潰れちゃいそうで……」


 一息に言う樹下桜音己の言葉を、ボクは単純に相づちを挟みながら聞くわけにはいかなかった。やっぱり、ボクが介入していい問題じゃなかった、と今さらながら思ってしまった。


「……恐くて、逃げたんです」


 樹下桜音己の独白に、ボクは何も言えずにいた。


 ボクも、恐くて逃げ続けているから。

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