第二十八話 MK5
うーん、と眉間に皺を寄せながら唸る樹下桜音己。
今日の彼女はピンクのワンピースを着ていて、実に少女らしかった。お人形の様な姿とは裏腹に、眉間の皺は力一杯寄りに寄って、ボクに対して所謂“ガン飛ばし”をしているようだ。
「先生がCIAなら、私はTMNTです」
なら、って何の対抗意識だよ。
そもそもTMNTって、何だろう? 何処かで聞いたような気は確かにするのだけど。
「な、わかりませんか? そんな、MK5ですよ、まったく!」
樹下桜音己は、口を尖らす様にしてそう言う。ふてくされている、というジェスチャーなのだろうが、不細工な鳥の真似に見えて仕方ない。
MK5?
確か、かなり昔に流行ったギャル語。
マジで、キレる、5秒前。
もしくは。
マジで、恋しちゃいそうな、約束の5秒前。
「マジで、亀しちゃいそうな、5秒前」
「亀しちゃいそうな、って何だよ!?」
ボケた、と主張する樹下桜音己の顔にぶつける様に、ボクは思いっきりツッコミの声をあげる。
樹下桜音己は構わず、ゆっくりゆっくりと手を震える様に動かし、机の上のコップを手に取った。
定番のアイスコーヒーが入っている。それを、いつも通り横に円を描く様に振る。ゆっくりゆっくり、と。あまりの遅さに、コップの中の氷が微動だにしない。
ああ、まったく。亀しちゃいやがって。
ん?、そうか亀か!
「TMNTって、目の位置に色とりどりのハチマキしてる亀青年達の事か!」
「今さら気づいたんですか? そうですよ、下水道でピザばっか食べてる亀青年達の事です」
どちらもしっかりとした説明からは少しずれてる辺り、高度なボケ合いと言える。
それにしても、あの作品も随分と古い作品だったような。いや待てよ、確かここ最近リメイク版が放映されてたっけ?
……というか、そんな話はどーでもいいな。
「何で、亀の話ばかりなんだよ」
「先生が先にボケるからいけないんです」
ボクのツッコミに、よくわからない主張を述べて、またもや樹下桜音己は口を尖らしてふてくされてるのをアピールする。
まさかのボケ禁止令!? って、驚く事でもないか。
「……というか、先生。何ですか、その“もう終わったよ”って顔は?」
ボクはいつの間にやら、表情一つで物事を伝えれるようになったらしい。
「CIA。アルファベットでボケるの、もうやっちゃったんだよね」
天然を炸裂させた、野球少女はもう帰っただろうか?
ボクの答えに、樹下桜音己は不機嫌を隠そうともせず、それこそ、ボクを睨みつけてきた。
「な……なんですって……!?」
樹下桜音己は目と口を大きく開き、“驚愕”っといった表情を作る。まるで劇画タッチの様な濃い表情は、効果音をつけるなら、クワッッ、か、ガガーンッ、が妥当だろう。
樹下桜音己は、既にボケを先にやられてる事実にショックを受けて、顔芸にはしったようだ。
これは、ツッコまないでおいてやろう。いつしかのスコットランドヤードが思い出される。
「大体、もうスパイって言いきったんだから、CIAで話題を引っ張るのが無理なんだよ」
顔芸にボクがツッコミを入れない事を察知して、樹下桜音己は咳払いした。
彼女は未だに、ボケ流しに対応しきれてないようだ。流された時は毎回、悲しがるか、恥ずかしがる。
「なんで言い切っちゃうんですか!」
赤面しかけた顔を横に二、三振り、樹下桜音己はまたわけのわからない訴えを言う。
「話を進めよう」
どう切り出せば樹下桜音己がボケずに済むか考えてたら、強引に進めるという考えに辿り着いた。
え、はい、と頷く樹下桜音己。ボクと同じく押しに弱い様だ。
「そ、それじゃあ、あの、任務内容は何なのですか? あ、こういうの聞いたらマズイんでしょうか?」
樹下にそう聞かれて、ボクはふと猿渡美里を頭に浮かべた。
もうスパイだとはっきり言ったのだから、任務内容を伝えたって構わないだろう。というより、それを伝えないとフェアじゃない。
それにしても、樹下の動揺具合が気になる。正直、家庭教師にいきなり、自分はスパイだ、と言われて引いてしまってるのかもしれない。
そうだな、そんなキテレツな宣言をするクセに、ボケようとすると、真面目に話そう、と態度を取られたらボクだって引いてるだろう。
「ま、まさか日本にCIAがいるなんて思ってもいなかったので、正直どう接すればいいのかわかりませんね」
樹下桜音己は、心底困惑しているのを表情に出しながら無理矢理笑って見せた。口の端がひきつっている。
ん、何か今おかしな事言わなかったか?
「映画とかでしか観た事が無かったので、実在するとは思ってなかったです。それにこんなしがない家庭教師に変装するなんて」
ツッコミどころが多いので悩むところだが、とりあえず根本的事を。
「ボクは、CIAじゃないぞ」